Lycoris
「……あの、竜崎さん、何か言ってくれませんか」テーブルの向かい側、竜崎は、例の両膝を立てた格好でいつまでもじっと黙っている。ティースプーンで延々とかき回され続けている紅茶に投下された砂糖だって、飽和量分はいい加減に溶けきっている頃だ。
我ながら突拍子もないことを言い出したという自覚はあるけれども……事実なのだから仕方がない。しかし、もしや常日頃の冗談が祟り、まともに取り合ってもらえていないのだろうか。内容が荒唐無稽に過ぎることでもあるし。
「そんなことはありませんよ」
率直に尋ねてみると、竜崎はようやく口を開いてくれた。渦を巻く紅茶の水面に視線を注ぎながら付け足す。
「非現実的さの度合いで言えば、平行世界やら死神やらとそう変わりありません。それに、史香のいつもの下手な冗談とは少し毛色が違いますから」
「そうですか、ならいいんですけど――いえ、よくないです。下手ってどういうことです、下手って」
「どうもこうも、そのとおりですが」
竜崎は素知らぬふうで史香の抗議を聞き流し、口をつけぬままに紅茶のカップをテーブルに戻した。膝に手を置き、今度はまっすぐに史香を見つめる。
「史香がその条件に当てはまる相手として私を選んでくれたことは嬉しく思いますし、もちろん協力するにやぶさかではありません。が……」
「が?」
促しても、竜崎は答えなかった。代わりに史香に向かって手招きし、それから自分の膝をポンポンと叩いてみせる。
……さっきした「お願いごと」も踏まえると、そこに座れということなんだろうなあ。
史香は大人しく立ち上がり、テーブルを迂回して竜崎の一人がけソファーに近寄った。だが、ただ従ってはいつものようにイニシアチブを握られてしまうだけだ。そればかりはいただけない。
あえて正面から、膝をついてソファーに乗り上げる。手は背もたれの両端だ。こうすると下半身は竜崎の脚の間にあるものの、逆に竜崎を腕の中に閉じ込めるかたちになる。
竜崎のつむじを見下ろし、史香は思いつきの結果に満足した。うん、やっぱり、私が優位でないと。
ところが、思惑と異なる行動を取ったはずであるにもかかわらず、竜崎は少しも動じた様子がない。むしろ、不安定な体勢の史香を支えるように腰に手を宛がうと、こちらを仰いで先に言いかけた言葉の続きを告げた。
「せっかくなので、おねだりしてください」
「うわ……」
へ、変態だ。
史香はドン引きした。竜崎は「心外ですね」と不服そうだ。
「なかなか慣れてくれない史香のために、段階を踏んで進めているつもりですが」
「今、明らかに飛ばしましたよね? 二段飛ばしどころじゃない勢いで駆け上がりましたよね?」
「先ほどの話では、あなた自身の命がかかっているのでしょう。史香、あなたはもっと真剣になるべきです」
「竜崎さん、それ、絶対にこっちの台詞ですから」
と、しれっとした顔でもっともらしいことを言ってのける竜崎を軽く睨んだ史香は、突然お腹の上のほうにひやりとした感触を覚え、ひゃっと声を上げた。竜崎の手のひらがけしからぬ動きをしているのだ。
「ちょ、ちょっと……」
「まあ、三時間もあれば、何とでも言わせてみせますけどね」
な、なんという男だ。人命がかかっているというのに。
片手で竜崎を抑えようとするも、妙な姿勢をしているためにうまくいかなかった。ちょうど胸元あたりに竜崎の頭があるせいで、吐く息がかかってくすぐったい。自分から仕掛けたことが、まさかこんなふうに不利の材料になるとは。
竜崎のもう一方の手は、すでに腰より下へ降りつつある。
このままではまずい。これまでのあれこれを思い返しても、こういう関係になって以来、史香はとにかく負けっぱなしなのである。そろそろ勝ってやらないと気が済まない。こっそり一度だけ、史香は深呼吸した。
「……いいでしょう。竜崎さん。受けて立ちます」
史香の宣言に、竜崎はちょっとだけ虚を衝かれたような顔をして、けれどすぐに「はい」頷いた。その口の端が僅かに上がっているのが見て取れる。
「それは楽しみです」
「ぜ、絶対に私が勝ちますからね!」
それから数時間に渡る二人の争いは筆舌に尽くしがたいが、史香が大敗を喫したことだけはここ記しておく。