エンド・リピート・メリーゴーランド


藤堂あやのさん」
「は、はいっ」
 流麗な声音に名前を奏でられ、あやのは気付けばぴんと姿勢を正して正座していた。
 あやののすぐ目の前に立っているのは、冬月高校一の有名人、全生徒の憧れ、冬月高ヒエラルキーの頂点に君臨する「姫様」こと火々里綾火そのひとである。ファンクラブに入るほどの熱心なファンではないつもりだったけれど、こんな信じられないほど美しいひとを前にして、緊張しないなんてことがありえるだろうか。
 たとえ姫様が普段の冬月高の制服に加え、鍔の広い三角帽子と、胸元の大きなリボンがかわいいローブを身に着けていたとしても、そんなことは些細な事象に過ぎない。最近話題の新生徒会長・多華宮君がその姫様とおそろいの格好をしていたとしても、他にも似たような帽子とローブの女の子たちが地面にへたりこんでいたあやのを取り囲んでいるのだとしても、ついさっき個性的な女の子たちにあやのが襲われたとき何やら大爆発が起きて周囲の建造物はあらかた薙ぎ倒されすっかり見晴らしがよくなっていることも……些細……かな? うん、些細だなあ。
「あなた、三時間以内に好意を寄せている相手と合意の上でキスしなきゃ死ぬわよ」
「…………」
 次いで姫様のかたちのよい唇から紡がれたそれは、舞い上がっていたあやのを地へ叩き落すに十分な威力を持っていた。ひ、姫様にはじめてお声がけいただいた言葉が……死ぬ……
「火々里さん!」
 と、あたふたしながら声を上げたのは多華宮君だ。
「いくらなんでも直球すぎるよ、もうちょっと言葉を選ばないと……」
「あまり時間がないのよ、多華宮君。正しい手順を踏んで解呪しないと、街の力でも彼女を助けるのは難しくなるわ」
「そ、それは……わかってる。藤堂さん」
「はい……」
 振り向いた多華宮君に呼ばれ、あやのは今度はうなだれたまま返事をする。
「さっき藤堂さんを襲った娘たちは塔の魔女と呼ばれる悪い魔法使いで、君には今、生死にかかわる魔法がかけられているんだ」
「ま、まほう」
「それで、その、魔法を解く方法っていうのが、えっと……」
 多華宮君はその先を濁し、もじもじしながら姫様を見る。姫様は落ち着いた仕草で肩にかかった艶やかな黒髪を後ろへと払い、ずばり応えた。
「キスよ」
「ベタだー!」
 姫様の御前にもかかわらず思わず叫んでしまったあやのをたしなめるように、あやのの頭に「さあ」と誰かの手が乗った。
「おしゃべりはこのくらいにしておきましょうか、藤堂あやのさん。我々の言いたいことが何か、もうおわかりですね?」
 もふっとした心地よい感触、そして愛くるしい着ぐるみローブ。けれどそれらに反して極寒のまなざしがあやのを射抜く。こ、こわい……番長こわい……不良リーダー乙女橘りのんの笑顔は、この崩壊した街並と相俟って、世紀末もかくやという大変な迫力を帯びていた。
「誰が好きなのかさっさと吐きやがりなさい。尋問はすでに始まっているのですから」
「じ、尋問っ? これ、尋問ですか!?」
「名前さえわかれば、引きずってでもそいつをここへ連れてきてやります。ほら、早く言いなさい」
 咄嗟に瓦礫の上を後ずさろうとして、けれど正座したままだったので失敗してしまった。あやのを見下ろしている面々、生徒会長の多華宮君、副生徒会長の姫様、副副生徒会長の氷尾凍子、「熊殺し」乙女橘りのん、耳の人、知らない女の子、それと同学年の深影棗……
 無理だ、言えるわけがない。
「いえ、それはちょっと……」
「あーもう! あんたこのままじゃ死ぬのよ!」
 知らない女の子が、あやのの鼻先にビシッと人差し指を突きつけてくる。
「こんなことでいつまでもお兄ちゃんと先輩たちに手間かけさせないでよね。それに、いい? お兄ちゃんに迷惑かけていいのは、妹の私だけなんだから!」
「こら、霞ちゃん。藤堂さんは僕と同じ二年生で、霞ちゃんの先輩なんだよ。そんな言い方は藤堂さんに失礼じゃないか」
「だってお兄ちゃん、この女が……」
 この子、多華宮君の妹さんだったのか……あと、発言の内容には突っ込まないんだ……
 ひび割れたコンクリートの上に生足で正座をするのはいい加減に辛くなってきたので、あやのはこっそり足を崩す。
「あのさ、藤堂さん」
「な、なに? 多華宮君」
「僕たちは工房という組織に所属する魔法使いで、工房には魔法の存在を一般人に知られてはいけないというルールがあるんだ。藤堂さんみたいに巻き込まれちゃった人は、魔法に関わる記憶を消されるんだよ」
 あやのひとりの記憶を消したところで、もはやすべてが手遅れなのでは……廃墟と化した一帯を見渡していたら、考えていることが顔に出ていたようだ。多華宮君は、壊れた建物も魔法の力で元に戻せるのだと続けた。
「だから、ここで僕たちと話したことは忘れてしまうし、その、魔法を解くためにキ、キ……をしたことは……」
「忘れちゃうってこと?」
 どうやら多華宮君はフォローをしているつもりらしい。でも、知らない間にここにいる大勢に好きな人がばれちゃって、しかも記憶のないまま相手とキスまで済ませちゃってることになるって、それはそれでどうなのだろう。指摘すると、多華宮君は「で、ですよねー」とぎこちなく頷いたきり口をつぐんでしまう。
「あの~、凍子、思ったんですけどぉ~」
 副副生徒会長が、場違いなくらいおっとりのんびりと挙手をした。
藤堂さんが~名前を言いたがらないってことはぁ、たぶん~彼女の~片思いなんですよねぇ~」
 うっ……はい、そのとおりです……
「もしぃ、もしもですけどぉ~、相手に断られちゃったら~どうするんですかぁ~?」
 ううっ……
 痛いところを突かれたあやのは胸中で呻くしかない。
「人の命がかかっているのですよ、凍子。知人であればそうそう断りはしません。それに……」
 りのんがさらりと答える。当然ながら彼女には痛くも痒くもない。
「『合意の上』ならいいのでしたね? ちょっと捻ってやれば、逆に向こうから『させてください』と土下座して懇願してくるようになりますよ」
「ますます言いたくないです!!」
 あやのが土下座する羽目になった。
「別にいいじゃん、好きな人とキスできるんだから。むしろ羨ましいくらいだよ。これが私だったら、お兄……ハッ! 使える、これ、使えるわ! ちょっとあんた! その立場、今すぐ私と代わりなさいよ!」
「霞ちゃんなに言ってるの!?」
「あ~っ、ず~る~い~! 凍子だってぇ、姫様にちゅーされた……あっいたっ痛いっ、姫様、やめてくださぁ~~い」
「…………」
 いよいよもって場が混沌としてきた。えーと、私、あと三時間で死ぬんですよね……
 眼前の騒ぎを呆然と眺めやるあやのに、「えー、藤堂あやのさん?」深影棗が話しかけてくる。挨拶でもするように、ちょんと帽子の鍔に触れて。
「その、なにぶんデリケートな話題ですから、安易に人に漏らしたくないというお気持ちはわかります。ですが、藤堂さん自身の命がかかっていますので、どうにかお話していただくことはできませんか? それとも、何か人に話したくない事情でも?」
「いえっ、ただ、ここにいるひとたちの前では話しにくいというか……」
 丁寧な物言いで尋ねられて、うっかり口を滑らせてしまう。「ああーーっ!」多華宮君妹が絹を切り裂くような叫び声を上げた。
「まっ、まさかっ、本人の前じゃ言えなーいとか、そういうんじゃないでしょうね!? お兄ちゃんの優しさにつけ込んでキスしてもらおうなんて、妹の私が許さないからね!」
「い、いや、ち、ちが……」
 明後日の方向を向いてヒートアップしている多華宮君妹。すぐさま誤解を解こうにも、両肩を掴まれて頭をガックンガックン揺らされていては思うように話ができない。
「わ、ちょっ、か、火々里さん! 燃えてるよ!?」
「…………」
「わーっ、か、火事がーっ」
 外野はすでにあやのをほっぽってワイワイ騒いでいる。こ、このままでは三時間を待たずに死ねる……だいたい、あやのが好きなのは多華宮君ではなくて……好きなのは……
「深影先生ですー!」
 ……はたと沈黙が降りる。
 消火活動に従事していたみんなが、あやのに注目していた。深影棗などは、黒目がちの瞳をぱちくりとさせている。
 だから言いたくなかったのに……何が悲しくて想い人の身内の前で白状しなければならないのか。そもそもこの場に生徒会メンツが多すぎるのがよくない。
「なーんだ」
 多華宮君妹が突然に手を放したので、あやのは勢い余って後ろに転がった。
「あの地味眼鏡め、お兄ちゃんだけに飽き足らず、他の生徒にも手を出してるのね」
「いえあの、私が勝手に好きなだけで、手を出されたことなんてないから片思いっていうんですけど……、え、たっ、多華宮君だけに飽き足らずって!?」
 多華宮君妹の聞き捨てならない言葉にあやのが食いついている間にも、りのんたちはあやのを置いて早速算段をつけはじめていた。
「棗、彼が今どこにいるのかわかりますか?」
「この時間なら学校だと思います。この騒動を聞きつけていたら、こちらに向かっているかもしれませんけど……」
「そういえば、隠蔽工作は彼の仕事でしたか。ではとりあえず、学校に向かいましょう」
「そんな、勝手に話を……」
 あやのは慌てふためいて起き上がった。
 生死がかかっていると言われてもいまひとつぴんとこないあやのには、自分の気持ちを相手に暴露されてしまう羽目になることの方がよっぽどおおごとだ。
「乙女橘さん! ちょっと待っ――」
 両手を、つく。
 テーブルの上に。手のひらには芝の感触、若草のにおい。立ち上がった拍子に爪先がテーブルを蹴った。樹の幹を縒って四角に切り出したようなテーブルだ。
「って、くださ……」
 心地よい風がそよぎ、あやのの頬を撫でる。
 青く晴れ渡った空。桃色の雲が漂い、ひとのかたちをした鳥が飛んでいく。樹のテーブルの向こう側、深影恭一郎が佇んでいる。あやのが見慣れた白衣姿ではなく紫の豪奢なコートを着た深影は、その長い裾をなびかせて、いつもと変わらぬ笑顔を浮かべた。
「やあ、藤堂
「み、深影先生?」
 瞬きの間に、風景は一転してしまっていた。あやのは周囲のどの高層ビルよりも高い――けれどテーブルと、あやのと深影、それから深影の背後にいる角の生えた子供二人でいっぱいになるくらいには狭い――高台の上に立っている。いや、しかし、辺りの建物は姫様たちのドンパチで崩壊したはずで……
「どうして先生が――乙女橘さん、あっ、それに、姫様たちは!?」
「ま、まずは座りなさい。紅茶は飲めるか? 淹れてあげよう」
「はあ……はい、あ、ありがとうございます」
 頭がよくついていかない。一歩下がると踵が椅子にぶつかり、あやのは半ばしりもちをつくようにして腰を下ろす。
 深影はあやのの隣にやって来ると、お茶の準備を始めた。テーブルの向こうで上体を屈めている子供たちは、置物のように動かない。もしかしたら本当に置物なのかもしれない。もっと遠くの方で巨大な鯨が宙へ跳び上がり、またビルの海へと潜っていくのが見える。
「ここには藤堂だけを呼んだんだ、時間もあまりないことだしな。姫様たちがいるとどうにも話が進まなくていけない」
「は、はあ、なるほど……」
 目の前に置かれた湯気の立つティーカップ。何となく手をつけるのは憚られたものの、立ったままの深影は彼の分のカップをすでに口へ運んでいる。倣って持ち上げ、そろそろと飲んでみた。不思議なことに、こんな現実感のかけらもない空間であっても、温度もほろ苦さもきちんと感じられる。
 それにしても、と深影が言った。
「『どうして』とはご挨拶だな。君のご指名だったはずだぜ、藤堂
「!?」
 あやのは思いきりむせた。ソーサーがティーカップの底とぶつかって不快な音を立てる。激しく咳き込みながら、何とか声を絞り出した。
「せっ……先生、聞いて、……ど、どこから聞いてたんですかっ?」
「姫様が『三時間以内に好意を寄せている相手と合意の上でキスしなきゃ死ぬわよ』と言ったあたりからかな」
「それって全部ってことですよね!?」
 な、何を言ったんだっけ、私。頭を抱え、ぐるぐる思考を巡らす。つまり、少なくとも私が先生を好きなことは知られてしまってて、待って、姫様の言うとおりならそもそも私は好きな人とキスしないと死んじゃうんだから……うわー。うわあぁ。
 今にも爆発しそうなあやのと違って、深影は至って平然としている。
「……変わっているな、君は。俺は本業は魔法使いでね、学校ではあまり目立たないようにしているから、生徒たちからの評判も大してよくないだろう?」
「え、や、そんなことはっ……な、ないわけではないですけど」
「そして正直だ」
 深影は僅かに苦笑した。あやのは慌てて付け足す。
「で、でも、先生の授業はちゃんとわかりやすいし、話してみたらみんなの言うこと全然当てにならないなってすぐわかったし、ハインラインのおすすめも面白かったし……わ、私は、その、す……」
 さっきは多華宮君の妹に気圧されてするっと言えてしまえたけれど、いざ本人を前にすると言葉が胸につっかえてしどろもどろになってしまう。おかしいくらいに顔が熱い。
藤堂は変わらないな」
「えっ?」
 目を上げる――と、深影と視線が交わった。予想よりもずっと縮まっていた距離で。
 片手をテーブルについた深影は、あやのの顔を覗き込むようにしている。もう一方の手があやのへと伸びてきた。
「え、ええっ、あの、深影先生っ?」
 顎に指を宛がわれ、ちょっと持ち上げられる。
 えっ、するの? しちゃうの? ほんとに? いやいや、落ち着いてあやの、先生からしたらこれはただの人命救助なんだから……
 こんなに近くで深影の顔を見るのははじめてで、これ以上ないというほど体温は上昇しきっているのに、いまだあやのの熱は上がりっぱなしだ。このままでは沸点を越してしまうのではないかと心配になってしまう。
「先に言っておくことがある。俺は、記憶を消す魔法を使うんだ」
「は……はい」
「君は今日のことをすべて忘れる。……それと、目立たないようにしているのにはそれなりに理由があってな。俺に関する記憶の一部も一緒に消させてもらうぞ」
 深影の指が優しくあやのの輪郭をなぞった。あやのはどきどきしながらも、心のどこか片隅が悲しいことを考える。
 記憶の一部。それは……つまり……
 深影は常どおりの穏やかな笑みを湛えたままだ。
「なに、怖がることはないぜ。高校を卒業したら、藤堂の世界はずっと広くなる。担任でもない、高校の一教師なんてすぐ忘れるだろう。それが少しばかり早まるだけだ」
 ……そうかな。そうなのかな。
 あやのなんかより深影の方がずっと人生経験は豊富だろう。でも、あやのは決してそうは思わない。
 怖がることはない、と深影は言ってくれたけれど、あやのは不思議と何もこわくはなかった。思えば、姫様たちが魔法使いであるという突拍子もない事実だってすんなり信じられた。この束の間の奇妙なお茶会だって――
 あやのはしっかりと深影を見返した。眼鏡のレンズ越しにしか彼の目を見つめられないのが少し残念だった。
「私はまた先生のこと、好きになりますよ。きっと。何度でも」
「また忘れるさ、藤堂は。必ず。何度でもな」
「それって、先生……」
 続きを告げきることは叶わなかった。
 ――まるで、忘れないでくれって言ってるみたいです。
 もしかしたら、それこそあやののただの願望だったのかもしれないけれど……どうか明日、この熱と感触が、この想いが、少しでも途切れず私の中に残っていてくれますように。あやのは願って、ぎゅっと瞼を閉じた。






【小ネタ】次の日のみなさん
=多華宮君と火々里さん=
「多華宮君、どうしたの? 朝から落ち着かないようだけど」
「えっ、あ、うん、昨日の今日だし、藤堂さんのことが気になって……」
「……………………そう」
「かっ火々里さん!? 何で燃えてるの!?」

=霞ちゃんと田沼さん=
「ねーたぬたぬ聞いてよ! 昨日お兄ちゃんがー、お兄ちゃんでー、お兄ちゃんをー」
「へーそうなんだー」

=りのんさんと棗さん=
「変なことを聞きますね、棗。まあ、確かに私が好むやり方ではありませんが、他人の色恋沙汰にいちいち首を突っ込む趣味はありませんよ」
(……よ、よかった、恭一郎さんが捻られないで済んで)

=あとりさんと???=
「…………」
『あ? なに? あの場にいたのに一言も喋ってないって? 俺様たちは諜報担当なんだ、逆に悪目立ちしなくてよかったじゃねえか』
「…………」

=凍子さんと鬼灯さん(と元生徒会長)=
「っていうことがあったんですよぉ。それでぇ~もし~凍子だったらって~」
「姫様のキスで解呪!? なるほど、その手があったか!」
「……もうやだ、このひとたち……」

=クロノワールシュバルツ・シックス様と深影先生=
「昨日はなにやら愉快なことになっておったそうではないか! 儂も顔を出せばよかったかの? どれ、詳しく聞かせてみい」
「嫌ですよ。それにあなた見てたでしょ……」