すべて世はこともなし。
「史香。今日は何日ですか?」「え?」
竜崎が尋ねると、史香は読んでいた本から顔を上げた。よほど集中していたのか、何度も瞬きをしながら竜崎を見返す。やがて、首を傾げて悩み始めた。
「えーっと……」
史香の視線が、竜崎を素通りして部屋の中をさ迷った。そして、卓上カレンダーが置いてあるサイドテーブルの辺りで止まる。
「あ、十四日ですよ。やっぱりこうも外に出ないと、日にちの感覚が狂いますよねえ」
「…………」
そう答えたきり、史香は再び本に向き直ってしまう。
竜崎は胸中で溜息をついた。
「何月の、何日ですか?」
「何月って……二月でしょう。さすがの私も、そんなことがわからなくなるほど世を捨てては――」
二度目の問にとても面倒くさそうに応じていた史香は、途中で言葉を切った。竜崎が何を言いたいのか、ようやく察したらしい。
「何の日ですか?」
「バレンタインですね。……竜崎さんったら」
史香は腰かけているソファーの上で居住まいを正すと、竜崎を見上げた。それでも本を手放さないところをみると、よい返事はあまり期待できまい。
「無一文の女子高生から、いったい何を毟り取ろうと言うんです? それにLともあろう者が、そんな見え透いた企業商戦に踊らされてしまっているなんて……」
案の定、史香は口を尖らして不満を並べ立ててきた。その顔には、「他人の胃袋に収まるものをなぜ私が用意してやらなければならないのか」とありありと書かれている。
「……そうですか」
それらを聞き流して、竜崎は淡々と頷いた。
予想しえた反応ではある。これ以上粘っても結果は変わらないだろうし、もう一方の策に移るべきか。
「ワタリ」
結論を出した竜崎は、ワタリを呼ぶと、彼から小さな紙袋を受け取った。そして、それをずいと史香の前に掲げる。
「ここにとある有名店のチョコレートがあるのですが、史香には無用の長物だったようですね」
「竜崎さん大好きです!!」
竜崎が皆まで言い終わらぬうちに、史香は本を放ってすっくと立ち上がると、竜崎に飛びついた。もっと正確に言うと、紙袋の方に竜崎ごと飛びついた。
「……なるほど」
史香を受け止めて、竜崎は呟く。
「最初からこうすればよかったのか……」
少々納得が行かないが、……まあ、今のところはこれでよしとしよう。
「何ぶつぶつ言ってるんですか? あ、コレ、開けていいですか? 開けちゃいますよ? というかもう開けましたよ?」
チョコレートを手にした史香は、先程までの不満げな様子はどこへやら、今にも鼻歌まで始めてしまいそうな調子だ。
「餌付け……」
「餌付けだな」
遠巻きになりゆきを見ていた刑事たちは、口々に呟いて、頷いた。
「へえー。僕も、史香ちゃんに何かあげてみようかなあ」
と松田が漏らしたのを、
「…………」
「すみません何でもないです……」
竜崎が目で黙らせたことにも気付かないで、史香はお茶を用意するべく、ひとり嬉しそうにキッチンへ向かった。