飴玉が溶けるまで
審神者の仕事は、ただ刀剣の魂を目覚めさせるだけには留まらない。一癖も二癖もある刀剣男士たちを取りまとめ、戦場に繰り出しては戦を指揮する。平時は傷付いた刀を手入れし、戦において刀剣を補佐する式神を作り、それらに必要な資源を確保し、拠点となる本丸の維持に努め――と、挙げれば枚挙に遑がなかった。
「たっ、足りない……何回計算しても足りてない……」
そして今、七桜は自室の文机にいっぱいに広げた帳簿を睨みながら、思いどおりにならない数字に頭を悩ませている。
資源は現地調達が基本となる。
改変者たちから歴史を守るために戦っている七桜たちが、そのために過去にある資源を消費するというのは何とも矛盾した話だが――そもそも起きるはずのない戦が起きているのだ、歴史の改変を阻止するのに伴う最低限度の介入は許容する、というのが七桜にタイムスリップを命じた上役の見解だった。
建前やらはさておき、目下この数字をやっつけてしまわないといけない。
出陣と遠征で手に入った資源、足すことの政府からの補助がこれだけ。対して鍛刀、刀装、手入れに必要な資源が……うん、やっぱり赤字だ。
何百年も昔の時代までやって来て、まさか節約に悩まされようとは。ひとまず戦力増強は先の課題に置いておくとして、遠征の回数を増やして、ああでも手入れは怠りたくないし、刀装をなるべく壊さないように……七桜がひとりうんうん唸っていると、障子の向こうから声がかかった。
「――七桜。今、いいかな?」
「あっ、はい、大丈夫です」
慌てて帳簿を閉じ、立ち上がって来客を迎える。障子を開けると、脇差のにっかり青江が、その名のとおり口元に穏やかな笑みを湛えて立っている。
だが七桜の胸中は穏やかではない。彼は今朝方戻ってきた遠征部隊のうちの一人で、内番もなく休んでいたはずである。
「仕事中にすまないね」
「いえ、気にしないでください……それより、何かありましたか? 清光さんが内番に来ないとか、あっ、安定さんが手合わせで暴れているとか!?」
とかく個性的な面々が多い刀剣男士。彼らの統率も七桜の仕事であり、かつ悩みの種のひとつだった。加州清光、大和守安定など自称「扱いにくい」刀はもちろんのこと、他の刀剣たちにも振り回されてばかりいる。
いろいろな事態を想像し青ざめる七桜に、
「いいや、今日のところは何も起こっていないよ。まだ、ね」
と、にっかり青江は苦笑をこぼし、手を差し出した。
「僕の用件はこれさ。はい」
「え……」
「遠征のおみやげだよ」
「わあ、あ、ありがとうございますっ」
渡されたのは、飴の包みだった。七桜は目を輝かせる。
遠征組から土産と称して資源を渡されることはよくあるが、こうした贈り物ははじめてだ。それに甘味など、こちらの時代に来てからというものなかなかお目にかかれない。
けれど、せっかくの喜びもすぐに萎んでいった。遠征と聞くと、どうしてもさっきまで格闘していた帳簿のことを思い返してしまうし、「外」から資源以外の物を持ち込んできたとなると、上役の怒り顔も浮かんでくる。
「七桜」
陰気の沼に沈んでいきそうになったところを、不意に眉間をつつかれた。驚いて面を上げると、見下ろしてくるにっかり青江のまなざしにぶつかる。
「真面目なのもいいけれど、適度に力を抜かないと折れてしまうよ? 僕ら刀みたいに、ぽっきりとさ」
どうやら、彼は七桜の心中などお見通しらしい。
しかしまあ、物騒なことを言ってくれる。皆さんを、そうそう折らせるつもりはありませんけれど――と前置きし、七桜は皺が寄っていた自覚のある眉間をさすりさすり尋ねた。
「私、そんなにこわい顔をしていましたか?」
「まあね。僕を置いておく必要はなさそうだった」
つまり、怨霊も逃げ出すほどにということだ。
さすがにそこまで言われては、またもや眉根が寄ってしまう。するともう一度にっかり青江の手が伸びてきた。身構えた七桜だったが、今度は先ほどの包みを取り上げられる。続いて、彼のしなやかな指が七桜の唇に押し当てられた。
「あの、ちょっ……あ、おいしい……」
抗議の声とともに飴玉を口に押し込まれる。舌先に甘さを感じると、思わず正直に呟いてしまった。
「やっと笑ったね」
にっかり青江が微笑む。
「君の仕事の難しさは理解しているけれど、もう少し皆を頼ってもいいんだよ?」
「そう……本当に、そうでしょうか」
ころん、と小さな飴玉を口の中で転がし、七桜は誰に対するでもなく問う。この幸せな甘さが、未熟な己には不相応なものに思えてしまう。
「私は皆さんをお手伝いする審神者で……」
「主たる君に頼られたくてうずうずしてる刀剣はいくらでもいるさ。七桜、君が人のかたちを与えてくれたおかげで、僕らは戦うだけでなく、馬の世話もできるし、畑も耕せる」
にっかり青江のおどけた言い草に、七桜はつい吹き出した。先日の内番で、ジャージに長靴に鍬という、今の雅な戦装束からは想像もつかない格好で、畑仕事に従事していた彼の姿を思い出してしまったからだ。
「そうそう、笑顔は大事だよ」
「にっかりと?」
「そのとおり」
確かに、何でもひとりでやってしまおうとすると、逆にうまくいかないものなのかもしれない。審神者ひとりでは戦えないから、皆の魂を呼び覚ましているのだ。
とはいえ数字と戦うのは、七桜の専任だけれど……笑い声を上げたおかげか、強張っていた心が解れていく。皆がいるなら、まだまだ頑張れるだろう。
七桜は改めて、笑顔で礼を述べた。
「おみやげ、ありがとうございます。とってもおいしかったです」
「それはよかった。じゃあ、はい、もうひとつ」
にっかり青江はにっかり笑い、指に飴玉をひとつ摘まんで、七桜の口元に持ってきた。
「……えっと」
七桜は知らず後ずさる。追うようににっかり青江は一歩近付く。さらに下がれば、そこはもう廊下ではなく七桜の部屋の中である。それは、何と言うか、よくない気がする。なんとなくだけれど、とてつもなく。
「いえ、自分で食べられますから、けっこうです……」
「いいから口を開けてごらんよ。恥ずかしがらずにさ」
「あの、あの、ほんとに……」
しまいには押しに負けた七桜が彼の手から飴玉を食べ、その間にっかり青江が飽くことなく七桜を眺め、飴が溶けきるのを待って「はい、もうひとつ」と差し出し……というやりとりが続き、七桜は数刻足らずで一袋をすっかりたいらげてしまった。