あなたと明日の約束を
「へし切長谷部と申します。どうぞ長谷部とお呼びください、主」「はい、長谷部さん。これからよろしくお願いします」
七桜が目覚めさせた新しい打刀は、いたく丁重な振る舞いで以って七桜に接した。七桜はいつもそうするように本丸を案内してまわり、共同生活の簡単なルールを説明する。
「馬のお世話や畑仕事などは、皆さんに持ち回りでやってもらっているんです。なので、長谷部さんにもお願いしたいのですが……」
「かしこまりました」
快い返事がすぐにあった。七桜は軽い驚きを込め、へし切長谷部を見返す。戦いを本分とする刀剣であり、また一種の神でもある彼らは、こう言うと最初は大抵難色を示すものだ。
彼はその視線を受けてふと笑い、七桜が口に上らせなかった問に豪語した。
「主命とあらば、何でもこなしますよ」
「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえると、助かります」
「他には何を? 家臣の手打ち、寺社の焼き討ち、ご随意にお申し付けください」
「……そんなこわいことはしませんよ!?」
と、元主の性格に由来するのか、なかなか物騒な発言もする。
暇だから付き合うと言って、なのに二人の後をつまらなそうな顔をしてついて来ていた加州清光が、ぞんざいに言い放った。
「なー七桜ー、これからは雑用はもう全部こいつにやらせればー」
「清光さんってば。そんなことを言っては駄目ですよ」
このとき七桜は加州清光をそうたしなめたが、大体そのとおりになった。
「主、文をお持ちいたしました。ご確認を」
「万屋へ行かれるのですか。荷物持ちでも何でもいたしますよ」
「お求めのものでしたら、すでにこちらに。どうぞお納めください」
「次は何をいたしましょうか、主」
……と、連日万事がこのような具合である。
「あの、長谷部さん。私はとても助かっているんですけど、そこまでしてもらわなくてもいいんですよ? 皆さん、空いた時間は自由に過ごしていますし……」
「いえ、これも臣下として当然の務め。ご用向きがあれば、何なりとお申し付けください」
どこか自負に満ちた口調でこう言い切られると、すげなく断る方が申し訳ないような気がしてきた。それに仕事はいくらでもある、請われれば請われるだけ出てくるのだ。
「じゃあ、えっと……これをお願いしてもいいですか?」
「お任せあれ。最良の結果をご用意しましょう」
という次第で、へし切長谷部は本丸のあらゆる庶務をこなしていった。
「――大将がこの時間にこんなところにいるなんて、珍しいな」
「あ、薬研さん……」
とある日、七桜が縁側からぼんやりと外を眺めていると、通りかかった薬研藤四郎に声をかけられた。どうやらこれから内番の仕事に向かうらしく、ペアである今剣を連れている。
今剣は真っ先に、元気よく七桜に飛びついてきた。
「あるじさま、おはようございまーすっ」
「うっ……は、はい、おはようごうざいます、今剣さん」
さながら弾丸のような今剣をかろうじて受け止めて、笑顔で挨拶を返したものの、すぐに七桜の表情は曇る。それを見て取り、薬研藤四郎は深刻な顔つきになった。
「何かあったのか?」
「……いえ。何か、というほどのことでもないのですが」
今剣を抱きしめあやすみたいにしながら、言葉を濁す七桜。しかし薬研藤四郎がその続きを促すように顎をしゃくるので、物憂くも口を開く。
「や……」
「や?」
「……やることが……なくて……」
告げて、七桜はまるでこの世の終わりが訪れたかのように顔を覆った。
何でもそつなくこなしてしまうへし切長谷部は、ついには書類仕事にまで手をつけるようになり、次は次はと請われるままに頼みごとをしているうちに、あれだけ七桜を悩ませていた紙の山がすっかりなくなってしまったのである。嫌でもこれから増えるのだが、とにかく当面の分は綺麗さっぱり片付いた。
近頃は敵の動きもなく、急ぎ戦支度を整える必要はない。刀剣男士の数が増え、うち手先の器用な者は率先して家事をやってくれる。今朝、いつものようにへし切長谷部に用を言いつけたあとで、七桜は今日の自分がなすべきことが何もないのに気付いてしまった。
「薬研さん、どうしたらいいんでしょう! わっ、私はいったい何をすれば!?」
「そうだなあ。まあ、のんびりするのも悪くないと思うぜ」
「そんなっ……!」
こんな日も高いうちから時間を持て余すだなんて贅沢が、果たして己に許されるのだろうか? 忙しい日々を過ごすうちに、七桜は立派なワーカホリックとなっていた。
それまで大人しく七桜に引っ付いていた今剣が、「あるじさま、あるじさま」と、煩悶する七桜の袖を引っ張る。
「おひまなら、ぼくといっしょにあそんでください!」
「今剣さん……」
何ともあどけない今剣のお願いに、七桜がすぐには応えられずにいると、薬研藤四郎もそれに乗ってきた。
「ああ、そりゃいいな。大将、ついでに兄弟たちにも構ってやってくれ。今剣は、内番が終わってからだぞ」
「じみちなしごとはにがてですよう……」
「休めるときに休んでおけよ、大将。体調管理も大将の務めだろ?」
「は、はい……」
七桜は神妙に頷く。薬研藤四郎がこう言うのは、この言い方が七桜を従わせるのに効果覿面だとよく知っているからだ。
それにしても、と七桜は思う。独特の個性を持ち自由に振る舞う刀剣男士たちだが、中にはへし切長谷部のように、ひたすら主に忠実であろうとする者もいるのだ。あんなふうに接されたのははじめてだったから、ついペースに呑まれてしまったけれど――
いや、そうでもないか。体の小ささに見合った仕事量をこなしているだけで、短刀たちなどは七桜によく尽くしてくれている。
「前田さんが大きくなったら、あんな感じなのかなあ……」
「……大将、やめてくれ」
想像したらしい。呟いたところ、薬研藤四郎から真剣な抗議を受けた。
しかし、そもそも人(刀だが)にものを命じておいて、自分だけ楽をしているのはいかがなものだろう。薬研藤四郎にはああ返事をしはしたが、そう考えた七桜はへし切長谷部のもとへ赴いた。
「長谷部さん、お願いがあるのですが……」
「はい。何なりと」
宛がわれた部屋で文机に向かっていたへし切長谷部は、七桜が訪ねると、手を止めてわざわざ七桜に向き合い、かしこまった姿勢を取った。ここまで構えられたら逆に言い出し辛いのだが……前言を翻すこともできないので、七桜は意を決する。
「もしよかったら、休憩がてら、お茶に付き合ってもらえませんか?」
言うと、返答までいくらかの間があった。
「……主が望まれるのであれば」
これまですべての命令を間髪をいれず承諾してきた彼だ、断られてしまうかと一瞬危惧した七桜は、ほっと胸を撫で下ろした。
縁側に出て、茶器を載せた盆を挟み並んで座る。
「ここには慣れましたか?」「問題ありません」などという当たり障りのない会話の後は、話題がなくなってしまった。
へし切長谷部は出されたものにまったく手をつけず、「遠慮しないでくださいね」と七桜が勧めると「主命とあらば」と湯呑を一息に呷られてしまったので、下手なことは言わない方がいいのだろうか、と思えて余計に口が重くなる。
となると、ただ庭の景観を眺めているしかない。
微かな水音がして、そちらに目をやると、どうやら鯉が跳ねたようだった。池の水面に波紋が広がり、魚の影がすっとよぎって消えていく。ふと、池のほとりに花が咲いているのを見つけた。それだけで、何だか心が和む。
薬研さんの言うとおり、のんびりするのも悪くないかも――すると、喉の奥につかえていた言葉も、するりと外に出てきた。
「……長谷部さん、まだ来たばかりなのに、いろいろとやってもらってすみません」
「いえ、主が気に病むようなことではありません。主命とあらば、何なりと」
彼のもの言いは丁寧だが、逆に取り付く島がないようにも感じる。
七桜は苦笑した。お役目に対しやたら背伸びをしてしまうのが七桜の悪い癖であり――そのため刀剣たちはたびたび七桜を気遣ってくれる。彼らの側の気持ちを、七桜は今、身を以って理解したかもしれない。
「でも、やっぱり、あまり無理はしてほしくないので……明日からは、もっと手分けしてやりましょうね」
「……それは、」
てっきりまた「主命とあらば」と返ってくるものだと思っていたのに、へし切長谷部は戸惑ったようにその先を言いよどんだ。七桜はおや、と彼に目を戻す。
「主命を果たすのに、俺では力及ばぬという意味でしょうか」
「ええっ!? ち、違います違います、そうではなくて」
とんでもない誤解をさせてしまったようだ。どことなく悄然としているへし切長谷部に向かい、七桜は必死に否定した。
どう言えば、七桜の胸中を間違いなく伝えられるだろう。手探りで言葉を探していく。
「私は、ここに留まること、戦うことを皆さんに強いていますよね」
「そのようなことは」
へし切長谷部は気遣いからか否定を口にしかけたが、七桜は首を横に振って制した。
「いえ、そうです。現し身を得たことで、料理したり、おしゃれしたり、誰かと遊んだり、手合わせしたり……皆さん、思い思いに楽しみを見出してくれていますけど」
審神者とは得てしてそういうものではあるが、七桜自身は安全な場所にいて、七桜の都合で目覚めさせた刀剣たちを戦場に送り出すことに、何ら負い目がないわけではない。
だから、皆がそれぞれ現世を楽しんでいる姿を見ると、とても救われる気持ちになるのだ。所詮、七桜の身勝手な自己満足に過ぎないことも、わかってはいるけども。
「ですから長谷部さんにも、ここではそんなふうに過ごしてほしいんです」
七桜の訴えに、へし切長谷部は面食らったような顔をしている。何と答えればよいものか考えあぐねている、とでも言おうか。
それでも、しばしの沈黙ののち、彼は逡巡した様子ながら口を開き――
「――あるじさまっ、おしごとおわりました! あそんでくださーい!」
「ぼ、僕もまぜてくださーい……す、すみません……」
「おおっ、なんだ、祭りか、祭りか!?」
庭の向こうの外廊下を、短刀たちが駆けてくる。さらには、
「七桜、新しいやつが来たからもう俺には飽きちゃったのかな……同じ打刀なのにさあ……」
「あっ、いたいた、七桜ちゃん。ねえ、加州がうざいから何とかしてよ」
反対側から、例によってずぶずぶ沈んでいる加州清光の首根っこを引きずりながら、大和守安定がやって来た。
……何ともタイミングが悪い。
仕方ない、この話はここで終いにすべきだろう。七桜は腰を上げる。
「それじゃあ、皆さんもお茶に誘いましょうか? 長谷部さん、今の話、よければゆっくり考えてみてくださいね」
「主、お待ちを」
立ち上がりかけた七桜の手を、へし切長谷部が掴んで止めた。思いがけない強い力だったので、七桜はよろめいてしまい、咄嗟に空いた方の手をその肩に置く。
図らずも彼を真上から見下ろすと、そこにはひたむきな双眸があった。
「は、長谷部さん?」
「…………俺が、望めるのであれば」
へし切長谷部の上には七桜の影が落ち、そのためなのかそうではないのか、その表情は心なしか陰って見える。七桜の手を握る骨ばった指先に、力がこもったのがわかった。
「また、お誘いいただけますか」
ささやかな望みごと。七桜はきょとんとして、次いで笑って頷く。
「はい、もちろんです」
すると、へし切長谷部もようやくの笑みを返した。
騒々しい足音や明るい話し声は、もうそこまで近付いてきていた。ちらとそちらに目をくれ、へし切長谷部が言う。
「できれば、茶は主と二人で静かに嗜みたいものですが」
「賑やかなのも楽しいですよ、きっと」
「……主命とあらば」
その口癖もなくなるといいのになあ。七桜は思ったけれど、口にしたところで、どんな答えが返ってくるかはわかりきっている。
そちらはまた、おいおいやっていくとしよう。そんなことに考えを巡らせながら、やって来る彼らをへし切長谷部とともに迎えたのだった。