獅子は生まれて三日にして

 獅子王からすると、新しく内番に組み込まれた近侍とは、とにかく退屈な仕事だった。
 やることと言えば、ちょっとした使いや荷物持ち程度。夜になって、それらの細々した用事も出尽くしてしまうと、七桜が書き物をしているのを部屋の隅で茶菓子を食いつつ眺めるしかなくなってしまった。その茶菓子も七桜が用意してくれたもので――「獅子王さん、待っている間お暇でしょう。これ、よければどうぞ。お茶のおかわりもありますから、他にも足りないものがあれば、いつでも言ってくださいね」――これでは、どちらが世話をしているのやらわからない。
 今日いちばんの重労働は、獅子王が迂闊に障子を開けた拍子に、風で庭まで吹き飛ばされてしまった書類をかき集めたくらいだ。身体を動かせるぶん、まだ畑当番の方がやり甲斐がある――とあくびをしたタイミングで、七桜がこちらを振り返った。
「すみません、獅子王さん、退屈ですよね。今日はもうこれだけなので、戻ってもらっても大丈夫ですよ」
「いいよ、最後まで付き合うって、じっちゃん――」
 ……じゃなかった、間違えた。
 獅子王はきまりわるい思いで口を閉じた。七桜は気を悪くするでもなく、たまらずといったふうに軽やかな笑い声をこぼした。
「ありがとうございます。お気持ちだけ、いただきますね。今日は獅子王さんに手伝っていただいて、とっても捗りました」
「別に、俺、大したことはしてないぜ」
「そんなことはないですよ」
 さっきまではこちらに背中を向けていた七桜が、今は獅子王に向きなおり、にこにこしている。獅子王は何だかむず痒くなり、黙って菓子を口に放り込んだ。七桜はまた笑って、「そのお菓子、包みましょうか?」などと言い出す。
「実は、こういうものを好きに食べれるようになったのは最近なんですよ。はじめの頃は逼迫していましたし、私も気を張りすぎていて……」
「……ふうん」
 獅子王がいなかった時分の本丸の話を、どこか楽しそうにする七桜。知らず、よそよそしい返事になってしまった。……我ながら幼稚が過ぎると思う。今度こそいたたまれなくなって、獅子王は立ち上がった。
「じゃあ、戻るな。……あんまり根を詰めんなよ、七桜
「あっ、はい、獅子王さん。おやすみなさい」
 暇を告げ、自室に引き上げる。
 途中、通りかかった部屋の障子が開いていた。何気なく見やると、本丸三大変な名前の刀剣が揃っているではないか。しかも酒盛りの真っ最中らしい。厄介な顔触れだな……と知らぬ振りをしてそのまま通り過ぎようとしたら、あえなく見つかってしまった。
「やあ、お疲れ様」
 燭台切光忠は普段の黒スーツ姿はなおさらだが、長身、眼帯といったこの風貌を裏切り、穏やかな気風で人当たりがよい。つれなくするのも躊躇われて、獅子王は足を止める。
「ああ、今日からは君が近侍なんだっけ」
 にっかり青江は、名前のとおりにこやかだ。まあ、こちらは人当たりがよいというには、いささか捉えどころがない感じが強すぎるけれども。
「君もどうだい。人みたく、仕事上がりに一杯というのは?」
「いや、俺は……」
「お酒が駄目なら、おつまみもあるよ。簡単なものでよければ、今からでも作れるし」
「お、おう」
「……君、改めて、器用だよねえ」
 思わぬ歓迎を受けた獅子王は、燭台切光忠の主夫力に圧倒されつつ、諦めて彼らの輪に加わることにした。
 適当な場所に座したところ、へし切長谷部が、それまでは背筋を伸ばした姿勢で黙々と盃を口に運んでいたのだが、静かに獅子王に問うてくる。
「主はもう休まれたのか、獅子王」
「いや、まだやってっけど」
「……なんだと」
 あっ、まずった。
 不穏な空気を察したが時すでに遅し、案の定くどくど始まってしまった。
「お前は、主より早く休んでどうする。近侍としての自覚が足りんようだな。臣下たる者、行動はもちろん心がけから……」
「……なっ、ほらな!? だから嫌だったんだよ!」
 思わず獅子王を引っ張り込んだ張本人らを振り返れば、片や苦笑い、片やにっかり笑顔を浮かべている。こ、こいつら、俺を生贄にするつもりで呼びやがった。
 これでも俺、この中では年嵩なんだけどな……心得がどうとかこうとか、姿勢はよいが目は淀んでいる酔っ払いの説教(そもそも、獅子王が一日を手持ち無沙汰に過ごし早々に引き下がったのは、七桜に頼まれもしないうちに雑用を片付けてしまう誰かの性分によるところが大きい)をはいはいと右から左へ流していた獅子王は、ふと疑問に思う。
 身の回りのことは大抵自分で済ませてしまう七桜には、近侍の必要性は薄かろう。今日だって獅子王が手伝えることはあまりなかったし、七桜も獅子王に頼みごとをするたびに申し訳なさそうにしていた。だいたい、七桜はそういう、他とは違う特別な立場をあえて作るような性格ではない。
 とすれば、政府から何か指示でもあったのだろうか。いや、もしかすると……
「なあ、近侍って、誰が言い出したんだ? 七桜じゃねえよな」
 へし切長谷部が、滔々と説いていた口をはたと閉ざした。
 ……お前かよ。
「あー……うん。うすうすな、そんな気はしてたぜ」
 近侍が内番に組み込まれている時点で、へし切長谷部の目論見は破綻していそうだが。獅子王があえて言わないでおいたことに、にっかり青江はずばりと切り込んだ。
「残念だったねえ。せっかく四六時中、主のお世話ができると思ったのにさ」
「……言いがかりを。俺は主の負担を軽くするために進言したのであって、俺個人の感情は関係ない」
「またまた。素直になりなよ」
「当番制になったのは、長谷部くんに無理をさせたくないっていう主の気遣いじゃないかな? 気にすることはないと思うよ」
 気にしてんのか……
 無言で盃を煽ったあたり、図星らしい。そういえば、近侍の仕組みは始まってまだ日が浅い――どころか、厳正なくじ引きだか阿弥陀だかの結果、獅子王が二番手であった。一番手は言うまでもなく……なるほど、獅子王はこの集まりの趣旨を理解した。垂れ幕を作るとすれば、書き入れる文字はさしずめ「長谷部くんを慰める会」か。
「……よっし、わかった、この獅子王様が愚痴でもなんでも聞いてやるぜ! ただし、今日だけだかんな!」
「当の近侍にそんなことを言われてもな。…………頼む、代わってくれ……」
 盃を持つ手の甲に額を押し当てるへし切長谷部は、ついに本音がだだ漏れている。
「おう。明日、七桜になんとか言っといてやればいいんだろ?」
「うんうん、さすが平安生まれ」
「器が大きいよね」
「いや、いいよ、んな無理しておだてなくてもさあ……」
 巻き込んだ罪滅ぼしのつもりなのか何なのか。つまりみんな酔っていた。


 さて、酔っ払いに散々絡まれたあとで、獅子王はようやくの帰途についた。
 深酒しなかった獅子王としては、自分の部屋の布団でゆっくり眠りたい。と、彼らを置いてひとり出てきてしまったが、さすがにそこまで面倒を見ずともよかろう。
 惨状を思い返して、辟易としながら廊下を歩いていると、庭先に白いものが落ちているのが目に入った。
 よくよく目を凝らしてみれば、何かの書面のようである。
 獅子王は庭に降りて、紙を拾い上げた。暗いから内容までは読めないけども、昼間に獅子王が回収しきれなかったものに間違いなさそうだ。
 その場で夜空を仰ぎ、時刻を推し量ってみる。もう随分な夜更けだった。
 七桜は、さすがにもう床に就いているだろうか。取り立てて困っているような様子もなかったし、ということは、これ一枚が手元になかったところで不都合は起きないのだろう。明朝に手渡せば十分か。何なら、へし切長谷部を通してやってもいい。
 ……そう思い巡らしたにもかかわらず、気付けば獅子王は踵を返していた。
 うん、あの七桜のことだ、もしかしたらまだやっているかもしれない。行ってみて、寝ているようだったら明日に回せばいい。
 そんな獅子王の期待に応えるように、辿り着いた先、七桜の部屋の障子からは明かりが漏れ、格子を浮かび上がらせている。
「おーい、七桜ー」
 ところが、数度声をかけても応えがない。結構な時間をかけて悩んだ末に、獅子王は思い切って戸に手をかけた。
「入るぞー……って、なんだ、寝てんのかよ」
 七桜は机に腕を置き、そこに頬を乗せた格好で、すやすや寝息を立てている。うたた寝をして、そのまま寝入ってしまったのだろう。行灯をちょっと覗いてみたが、油の量からして、獅子王が去ったあとも相当に粘ったようだ。七桜の脇にある紙の束は、獅子王が最後に目にしたときよりも、かなりの量になっていた。
 これを起こすのもしのびない。
 ただ、灯りくらいは消しておいてやった方がいいだろう。いや、そうするなら、いっそ寝床まで運んでやるべきか。しかしまあ、何と言うか、
「この環境で、よく寝られるよな……」
 いくら広い本丸の中、それぞれ部屋が区切られていると言えど、七桜ひとりと、刀剣男士たち。信頼されていると喜んでいいのか、警戒されていないと嘆くところなのか……嬉しいという気持ちは、少なからずあるけれども。
 かつて獅子王たち刀剣男士は、主によって振るわれるしかない、自らでは動けぬただの道具に過ぎなかった。
 だから、七桜の手で目覚め、現し身を得た当初は、自分の思いどおりに身体を動かすことを難しく感じたものだ。それもすぐに馴染み、今では戦場を自在に駆ることができる。そして、この心も、意思も感情も、同じく昔には持ち得なかったもの。けれど――
 たとえば、加州清光は何かと愛されたがっていて、へし切長谷部はいちばんの臣でありたがっている。獅子王は今日一日、倦みながらも七桜のそばを離れることはしなかった。今だって、まず喜び勇んで請け負うだろうへし切長谷部を叩き起こして頼んでおけばさっさと休めたものを、わざわざ引き返し、こうして灯りに照らされた七桜の寝顔を眺めている。
 いずれの理由も、探るまでもない。ただの刀では持ち得なかった感情も、欲求も――今では、理解の範疇にあるのだ。
「がおー……」
 と、胸中のもやもやを表すために吠える真似をしてみたが、兎は獅子を前にして寝こけているので、獅子王はやがてかぶりを振って、七桜の肩に手を置いた。