薄明

 高い空、突き刺さるような陽光。土埃の臭いに混じって血が香る。
 宗三左文字にとって、それらはいずれもかつての主たちのもとでは感じられなかったものだ。現し身を得た今とは異なり、ただの刀であったゆえ……などという理由ではない。天下人の象徴たる己は、刀でありながら戦場に出ることはほとんどなかったのだから。
 敵をすべて討ち果たし、七桜隊は勝利を得た。ところが宗三左文字のほか――加州清光と薬研藤四郎――は、すぐには帰還を果たそうとしない。というのも、
「お、拾いものっと」
「こりゃあいい。大将が喜ぶな」
 と、資源を漁っているからである。
 ……何とも甲斐甲斐しいことだ。人にとって刀とはただの道具であり、その忠心の見返りを必ずしも得られるとは限らないのに。
 宗三左文字は、冷めたまなざしで彼らに注いでいた。手を貸したりはしない。彼が受けた命は敵将を討ち取り勝利を持ち帰ることであって、土産を持ち帰ることではない。
 ひととおり辺りを探索して気が済んだらしい彼らとともに、ようやくの帰途に着く。
 本丸に戻ると、加州清光は主が待つはずの広間ではなく、工房へと向かおうとする。薬研藤四郎が彼を呼び止めた。
「なんだ、大将んところに行かなくていいのか?」
「後でねー。先に手入れしとく。ほら、やっぱり主にはいちばん可愛い姿で会いたいし?」
 などと言い放ち、加州清光はさっさと行ってしまった。そうかい、とやや呆れのこもった薬研藤四郎の相槌は届いたのかどうか。
「仕方ねえな――なああんた、悪いが、大将に報告を入れるかこれを運んでおくか、どっちか頼まれちゃくれねえか」
「……ええ、構いませんよ」
 どちらも己が請け負うような用事ではない――
 思ったが、口には出さずに、素直に頷いた。まあ、薬研藤四郎とは知らぬ仲ではないし、何より、主と顔を合わせずともよいとなれば、そちらの方が幾らか増しだ。
 迷いなく荷運びを選ぶと、薬研藤四郎は少し驚いたようだったが、特に言及することはなく陣屋へ入っていった。
 宗三左文字は受け取った荷を抱えなおし、社へ続く階段を上る。
 薬研藤四郎が軽々と担いでいたくらいだ、大した苦ではない。中身は確か、木炭だとかそういうものだ。
「こんなもの、主は本当に望んでいるんでしょうかね……」
 ふと、呟きが漏れた。
 数多の天下人の手に渡った己だからわかる。人は欲深い。織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、そして徳川将軍家――宗三左文字を所有していたものは皆、富、権力、名声、それらを手中に収めるだけではとどまらず、世界のすべてを欲していた。
 では、この宗三左文字の現在の主たる彼女が真に望むものは何であろうか。よもや、木炭や玉鋼の山ではあるまい。
 ――と、階段を上りきったところ、
「宗三さん?」
 噂をすれば、ではないが、七桜とばったり出くわした。
 刀装でも作っていたのか、どうやら見当がはずれたようだ。宗三左文字はひっそりと眉を顰めた。それに気付かない七桜は、慌てた様子で足早にこちらへやって来る。
「もうお帰りだったんですね。お出迎えできず、すみません。……清光さんと、薬研さんはどちらに?」
「加州清光は直に来ますよ。薬研藤四郎は陣屋です……行き違いになったようですね」
 答えると、七桜はほっと安堵したような表情を見せた。それから、にっこり笑って宗三左文字を仰ぐ。
「ご無事でなによりです。お帰りなさい、宗三さん」
「お帰りなさいも何も……僕は、あなたのところに帰ってくるしかないんですよ」
「えっ……と、あ、あの、それは?」
 溜息混じりに皮肉を言えば、七桜はひどく面食らったようだ。言葉を詰まらせた後で、話を逸らすように宗三左文字の荷を指し示した。宗三左文字は、何も七桜をねちねちいびりたいわけではない。話題の転換に大人しく乗ってやることにする。
「此度の収穫ですよ」
 と、荷を手渡すと、
「わあっ、ありがとうございますっ、とっても助かります! よかったあ、ちょうど足りなかったので……これで、黒字に一歩近付きました!」
 ……ものすごく望んでいた。
 手放しで喜ばれ、今度は宗三左文字の方が面食らってしまう。
「宗三さん? あの、どうかしましたか?」
「いえ。……僕の今までの主は、僕を戦場に出そうとはしませんでした。豊臣、徳川、いずれの者も。刀としてではなく、天下の象徴として扱われていましたからね」
 うちに湧き上がったものとは別の言葉を、宗三左文字は口にした。七桜は目を瞬かせはしたものの、口を挟むことなく耳を傾けている。
「にもかかわらず、あなたは僕を部隊に加え、戦場に送り出す。……見かけによらず、豪胆なのですね」
「あ、ありがとうございます」
「褒めていませんよ。図太いと言っているんです」
「……すっ、すみません」
 七桜は縮こまった。
 けれど、宗三左文字の主は、安易に道を譲ることはしなかった。まっすぐにこちらを見上げ、はっきりと告げる。
「でも、歴史を守るために、皆さんの……宗三左文字さんの力が必要なんです。これからも、一緒に戦ってはもらえないでしょうか?」
「…………」
 静謐の社をさらに沈黙が浸す。
 ややあって宗三左文字は、ふう、とこれ見よがしに息を吐いた。
「あなたのように、ものの価値のわからぬ主ははじめてです。まったく、悩んでいるのが馬鹿らしくなる」
「すみません……」
 さらに小さくなる七桜のつむじを眺め、宗三左文字は付け加えて言う。
「…………褒めているんですよ」
「ええっ!?」
 勢いよく顔を上げた七桜は、目を丸くしている。
「何ですか、その顔は」
「え、いえ、だって、あの……」
 おろおろするばかりの七桜。宗三左文字は思わず笑みを漏らした。
「……では、僕はこれで」
 七桜に背を向け歩き出す。七桜が何か挨拶を返したが、宗三左文字は振り返らなかった。
 社からは空がよく見える。
 日は沈み、辺りは薄闇に包まれはじめている。……魔王の刻印は消えない。炎に焼かれた記憶も、また。この世にあり続ける限り、宗三左文字の闇は決して晴れないだろう。
 けれどほんの僅か、爪の先ほどの薄明かりに照らされたような感覚を、彼は覚えていた。