青蓮ノ糸
江雪左文字は、刀でありながら戦を厭う。性格は穏やかで、物腰は柔らかい。雑事を言いつけても、嫌な顔ひとつせずに請け負ってくれる。ただし、そこには「戦が関わらない限り」という条件がつく。鍛刀や刀装作りの際にはそれはそれは深い海溝のような溜息をつかれるし、厭忌の念をはっきりと言葉で表されることさえある。これが出陣の命となると、なおさらだ。
「……拒否権は、ないのでしょう?」
「えっ……と、あの、はい、すみません……」
彼の指摘は的を射ているので、七桜はひたすら頭を下げるしかない。
太刀である彼は、当人の意思に反して、とても心強い戦力だった。どうしても、部隊に加わってもらわねばならない局面は増えてしまう。何より、七桜は戦のために彼らを呼び覚ましているのだ。
近頃、政府からの新たな指示が下った。
第三勢力の影あり、至急確認し報告されたし――となると、一度は七桜自ら戦場に出向かなくてはなるまい。この意向を告げると、刀剣たちからの猛反対をくらった。
「それ、本気? 危ないよ。何のために俺たちがいると思ってるのさ」
「そういうお達しですから……でも、大丈夫です! 皆さんの邪魔にならないよう、私はひたすら叢で息をひそめていますので」
「いや、普通に部隊の後ろに控えてもらった方が守りやすいと思うぞ、大将……」
などというやりとりを経て、殿を歩くこと、護衛の刀を随伴することといった条件付きで、なんとか皆に納得してもらった。
「護衛と言うと、短刀のどなたかにお願いすべきでしょうか? 秋田さんや平野さんは、警護に慣れているとか」
「それはどうかな。敵の正体もわからないうちに、まだ練度の高くない短刀の子を連れて行くのはねえ」
「あー、しかもこのあたりって、もともと攻めにくい地形のとこじゃん」
と、護衛役を選ぶのにも長々と揉めたところ、
「……では、私が」
意外なことに、名乗り出たのは江雪左文字だった。
彼は第一部隊のメンバーではなく、その日たまたま近侍を務めていたために軍議に同席していただけである。七桜は驚いて、思わず聞き返してしまった。
「江雪さん、いいんですか?」
「ええ。致し方ありません……」
頷くも、物憂く目を伏せる江雪左文字だ。
そんなふうで、いざ行軍の日を迎えたものの、七桜は道中恐縮しきりだった。主力の一口を七桜の護衛に割いているという事態にも、本来であれば出陣の予定はなかった江雪左文字を駆り出してしまったという事実にも。
慣れない野道、彼が歩調を合わせてくれているのか、もともと所作が鷹揚なためか、ついて歩くのは苦ではない。
「すみません江雪さん、お手数をおかけしてしまって。こういうことは、滅多にないと思うのですが……」
「そうあってほしいものです」
戦に関しては、江雪左文字はずばずばものを言う。
七桜はたまらず首をすくめかけるも、これも彼の言葉を聴ける良い機会かもしれない、と思い直した。敵との接触に備えて、部隊の皆とはやや距離を置いている。この会話は七桜と江雪左文字、二人だけのものだった。
「江雪さんは――今の戦いには、反対なんですよね」
「……ええ。私は、戦は嫌いです」
本丸に迎えてからしばらくして気付いたことだが、彼は和を重んじ控え目に振る舞っているようで、案外頑なで気が強いところがある。神と人という立場の隔たりがあるとはいえ、一応の主を前にして、こうも言えるくらいだ。
「争いなど、起きぬほうがよいでしょう?」
「それは、もちろん。……でも、刀としても、ですか?」
「刀は、使われぬのが一番よいのです。ひとたび抜かれれば、必ず誰かが傷付き、血が流れることになります。この戦においても、そうではありませんか」
柔らかで抑えた語調でありながら、江雪左文字の口ぶりには、狷介な響きがあった。
七桜はその横顔を見やる。言葉をかわすとき、江雪左文字は決まって七桜から目を背けるので、七桜は彼の瞳の色をいまだ知らない。
「どうしても、戦いは避けられませんか……?」
彼の言い分は、決して間違ってはいなかった。ただ――戦に勝つことを誉れとする刀剣男士たちの中で、江雪左文字の思想は異質だろう。そして七桜も、審神者の役目がある限り、その考えを受け入れることはできない。
束の間、沈黙が横たわる。
――ふと、江雪左文字が足を止めた。
「江雪さん? 何か……」
江雪左文字はつられて立ち止まった七桜の呼びかけには答えず、無言のまま腕を掴んでくる。驚く間もなく、ぐっと引き寄せられ、同時に視界が暗くなった。
彼が腕を掲げ、袈裟の下に七桜を庇ったからだ。
七桜のいる暗がり、対して日の下にある江雪左文字の刀が木漏れ日を反射して光る。片腕が鞘から太刀を抜き払い、振るった。
空気を切り裂く音。遅れて、パラパラと何かの破片が降り注ぐ。
袈裟の裏には鎧のように小札が縫い付けられており、大した衝撃は感じない。矢を射かけられたのだと悟るのに、七桜は随分な時間を要した。
「こ、江雪さん」
「……動かないでください」
袈裟を払い、太刀を構えなおす。こんな時であっても、彼の仕種のたおやかさは変わらない。七桜はただ何度も頷くだけして、江雪左文字の胸の中で身を縮こめた。
次の瞬間、禍々しい影が七桜たちの前に躍り出る。
ぎゅっと目を閉じ――再び開けたときには、もう勝敗は決していた。
一刀を浴びせただけで敵を討ち止めた江雪左文字は、刀をおさめ、片手を伸ばした略礼の姿勢で異形の残骸に黙祷を捧げている。
七桜は詰めていた息を吐き出し、また吸い込んだ。あまり嗅ぎ慣れない、血生臭い空気。式を通じて戦場の様子を窺うのと、実際に戦いぶりを目の当たりにするのとでは、何もかもが違う。けれど一緒に江雪左文字の僧衣に焚きしめれた香も吸い込み、それが七桜を少し落ち着かせてくれた。
見上げると、ちょうど瞼を開けた江雪左文字と目が合う。珍しいことに。
加えて、抱え込まれているような体勢の今は、当然ながら距離も近しい。七桜は咄嗟に変なことを口走ってしまった。
「えっと、お見事でした」
「……戦いの技など……褒められても、嬉しくありません」
「ですよね……」
けれども、戦を是としていないにもかかわらず、彼の在りようはどこまでも武器らしい。その強さも、ものものしい兵装も。江雪左文字を七桜のそばにおいてよしとするほど、皆、彼を刀として認めている。彼自身にも、その自覚はあるだろう。あの軍議の際、自分が名乗り出れば場が収まると理解していたからこそ、そうしたのだろうから。
己の信念と本質がこうもかけ離れている辛さとは、果たしてどれほどのものだろうか。彼を現世に降神させた七桜も、その苦しみを生み出した原因の一端であるかもしれない。
江雪左文字の憂鬱そうな表情を眺めていたら、不意にその手が髪に触れてきた。太刀を握るとは思えないような、それでも七桜よりいくらか骨ばってはいるけれど、しなやかな指先だ。先ほどの弓矢のだろうか、木屑がついていたのを払ってくれたのだった。
「……戦いは、嫌いです」
彼はまた同じことを告げる。今度は、そのあとに「ですが」という句が続いた。
「今は、背負っているのは己の命だけではないと、承知しています。ですから、むざむざと殺されるつもりはありませんよ……無論、あなたを傷付けさせるつもりも」
七桜は、江雪左文字をまじまじと見返してしまった。江雪左文字はつと目を逸らし、手を略礼の形に戻して、長々と息を吐き出す。
「…………要らぬことを言いました」
「そんな、要らないなんてことはっ。江雪さんの考えがわかって、その、嬉しいです。私も同じ気持ちでいますから」
慌てて言い募った。
七桜とて、好んで戦を仕掛けているわけではない。ただ、そうせざるを得ない理由がある。そして江雪左文字は、本丸にいる皆を――自惚れでないなら、七桜も含めて――守るためなら、力を振るうと言ってくれたのだ。
彼の主張するように戦を今すぐに止めるということはできないけれど、でも……七桜はほんの少し微笑んで告げる。
「早く、終わらせましょうね」
と、せいいっぱいの誠意をこめたつもりだったのだが、江雪左文字は目線を背けたままで、肯んじてはくれなかった。
「……つまりあなたは、私に今後いっそうの戦いを強いると、そういうことでしょうか」
「ええっ? そう取っ……いえ、はい、すみません」
確かに言われてみれば、まったくそのとおりである。力なくうなだれた七桜の頭上から、ごく小さな声が降ってくる。
「この戦いが終われば、あなたは」
「……江雪さん?」
途切れた呟きに面を上げると、またもまともに視線がぶつかった。
思いのほか近くに彼の手があり、数珠の房が七桜の頬をかすめる。その手は、けれど、さっきのように七桜に触れたりはせずに戻された。
江雪左文字は数珠を両手にくぐらせ合掌し、目を閉じる。
「戦を蓮糸などとは、罪深いことです……」
「は、はす?」
いったい何の話なのだか、わけがわからず問い返したのとちょうど同時に、遠くから呼び声が聞こえてきた。
「七桜ー!」
おそらく第一部隊の方でも交戦があったはずだ。先のは、討ちもらした一口だったのかもしれない。七桜を案じて引き返してきてくれたのだろう。
今の会話を中断してよいものか迷ったが、江雪左文字は七桜を促した。
「……呼ばれているようですよ」
こう言うのなら、彼の側には話を続けるつもりはないに違いない。「ひとの身とは、ままならぬものなのですね」と、ゆるゆると溜息をついているのも、なんだかとっても気になるけども……とにかく、僧形の現し身があらわすとおり、苦悩のひとなのだなあ。
七桜はそんなことを思って、江雪左文字に頷いてみせたあと、向こうまで届くよう大きく返事をした。