同じ鼓動を重ねたら

 唇から柔らかな感触が離れて、七桜は詰めていた息を吐き出した。
 そうっと瞼を持ち上げれば、間近で七桜を見つめる金の瞳と目が合う。これ以上ないくらいに速まっていた鼓動がさらに跳ねてしまった。
 頬に当てられていた手がすべって、指先が七桜の唇の輪郭をなぞる。そうして、にっかり青江は微笑とも溜息ともとれる吐息を漏らした。
「……ああ、これは癖になりそうだねえ」
 熱に浮かされた頭の片隅で、七桜は少し意外に思う。
 にっかり青江の怪しげな言い回しはもう今さらのことだが、何だかそこにはいつもの掴みどころのなさがない。行灯の明かりだけではよくわからないものの、青白い顔は心なしか上気しているようにも見えるし、口元にかかる息は微かに弾んでいる気もする――つまり、どうやら彼も少なからず緊張しているらしい、という事実を。
「君ねえ」
 七桜の感想を視線だけで感じ取ったらしく、にっかり青江は呆れたように言う。
「よく考えてみなよ。ひとの身体を得たばかりで、経験なんてあるわけがないだろう」
「それは、確かに……あの、でも、普段は……」
 そういった冗談ばかり口にしているのに。と、皆まで言わずとも、またも言外の意味を汲み取って、彼は頷いた。
「まあね。平安刀とまでいかずとも長く生きていると、多少の知識は身につくものだよ」
「なるほど……」
 ……それは耳年増というやつでは。
 いや、男性には使わないのか。それも刀となると。思わずどうでもいいことを考え込んで、七桜は堪えきれずに笑ってしまった。こうも近くては誤魔化すこともできず、にっかり青江の眉間に皺が寄る。
「何かおかしなことを言ったかい」
「いいえ、何も」
 七桜とて、こういったことに慣れていないのは同じだ。だから背伸びをしなければという焦りがあったのだけど、何も無理をする必要はなかったのかもしれない。安心したと言うべきか、すっかり肩の力が抜けきって、笑って告げる。
「これからは、一緒に知っていきましょうね」
 すると、にっかり青江は僅かにその片目を細めた。こちらも何かおかしなことを言っただろうかと訝る間もなく、前触れなしに腕を引かれた。にっかり青江の胸に顔がぶつかり、そのまま背中に両腕が回される。
「あっ、青江さん?」
 呼びかけても応えはなく、七桜はただその腕の力強さだけを感じた。身じろぎできないほどに抱きしめられて、彼の顔を下から覗くこともできない。
「……これを人間は何て呼ぶのかなあ」
 身体越しに響いてきたのは、戸惑いの色が濃い声だった。
 七桜は徐々に強張りを解き、存外な厚みを感じる彼の胸に頬をすりつける。いつも飄々としているにっかり青江は、けれどその内心を覆い隠す微笑を貫くのが難しくなると、こんな荒技に出てくるのだ。七桜と同じくらいに速く脈打つ鼓動が如実にそれを伝えているのを、彼は気付いているだろうか。
「まあ、いいや。……七桜、君が」
 そのうちに、彼はなにがしかの結論に達したらしい。ようやく腕を緩めると、七桜と目を合わせてくる。そして、
「教えてくれるのだろう? 実地でさ」
 と、実に実戦刀らしい物言いをした。
「え? えっと、教えるとは……」
 もしや先ほど笑ったことへの意趣返しなのだろうか……しどろもどろになった七桜のおとがいを指で持ち上げて、にっかり青江は先回りして反論を封じ込めてくる。
「僕をこんなにした責任は、取ってもらわないとね」
「……青江さんも同じですからね」
「それは光栄だねえ。しっかり果たさせてもらうよ」
 にっかり笑顔を向けられて、今度こそ返す言葉に詰まった七桜は、降参せざるをえず大人しく目を閉じた。重なった鼓動の理由も、彼が名付ける感情の名前も、己のそれと同じだったならいい。そう願って。