神のみぞ知らぬ

「よーしよしよし」
 厩の近くを通りかかったとき、そんなあやし声が聞こえた。
 姿を見ずとも、声の主を推しはかることはたやすい。が、その語調が普段の豪放さからひどくかけ離れているように感じられて、七桜は好奇心にかられて奥を覗いてみた。
 厩の中であっても窮屈そうな巨躯が、馬の鼻面をそうっと撫でている。風貌に反して、壊れ物を扱うみたく繊細な手つきである。
 ――岩融は、すぐに七桜に気が付いた。
「おう、主よ。どうした?」
「いえ、声が聞こえたものですから……岩融さんは、馬の扱いがお上手なんですね?」
「いやいや。怖がられぬようにするだけで一苦労よ」
 彼がはっはと豪快に笑えば途端に馬がいななき始め、「おっと、いかんいかん」、岩融は少しも慌てた様子なしに宥めにかかる。
 大きくいかつい体格、何よりどこか他者を圧倒するような気を放っている岩融は、確かに動物には懐かれにくいだろう。話してみると性根はよいとすぐにわかるし、現に古馴染みの今剣を始めとする短刀たちにもたいそう慕われているのだが。
 と、にわかに、向こうの方が騒がしくなってきた。七桜がそちらに顔を向けるのと同時に、岩融が言う。
「どうやら遠征部隊が帰ってきたようだな。どれ、出迎えるとしようか!」
「あ、私も一緒に……」
 歩き出した岩融に続いたところ、歩幅がまったく違う。岩融はゆったり歩を進めているにもかかわらず、七桜は駆け足になった。
「あるじさま! ただいまもどりましたよ!」
「……皆さん、お、お帰りなさい……」
 短刀たちと顔を合わせる頃には、すっかり息が上がってしまった。今剣が先陣を切って駆け寄ってくるので、これまでの経験から、咄嗟に身構える。
「いわとおしーっ」
「おう! 今剣は今日も元気がよいなあ!」
 岩融は突進してきた今剣を軽く受け止めると、頭上へ抱え上げて、たかいたかいをした。わあっと歓声を上げた今剣は、たちまち短刀たちの羨望の的となる。
「おおっ、すげーっ!」
「岩融、俺も俺も!」
 ……七桜はぽつねんと取り残された。
「あーあ。とられちゃったね、七桜
 乱藤四郎がそばまでやって来て、声をかけてくる。七桜の様子を面白がっているのを隠しもしていない。七桜ははっとして取り繕った。
「とられ……い、いえっ、私は審神者なのですから、決してそのような。皆さん仲が良いのは、大変よろしいのではないかと……」
 そんな七桜の強がりも、どうやら彼はお見通しらしい。くすりと笑い、小さく手招きをする。美少女然とした乱藤四郎の仕草には、どこか蠱惑的な匂いが漂っていた。
「おいで。ボクが慰めてあげるっ」
「あ、ありがとうございます……」
「うん、いいこいいこ」
 大人しく腰を屈めた七桜に、乱藤四郎は満足げに頷き、次いでよしよしと頭を撫でてきた。審神者として、これはあるべき姿であろうか……と思わないではないものの、七桜はされるがままになる。
「主君。僭越ながら、僕も……」
「皆の忠誠は変わらず主さまにあります。どうぞ、お気を落とされませんよう」
 粟田口兄弟の中でも特に見目のよく似通った前田藤四郎と平野藤四郎が、両者同じくらいにそっくりな生真面目さを大いに発揮し、本気で慰めにかかってきた。よほど七桜が気落ちして見えたらしい。
「いえ、あの、そこまででは……」
 否定しつつも、彼らの真剣な厚意を撥ねつけるわけにもいかず、審神者が短刀たちにかわるがわる頭を撫でられるという謎の光景を繰り広げてしまった。
 それを見やってか、
「主よ、一体どうしたのだ?」
 今剣たちと戯れていた岩融が、訝しげに問うてくる。
 今剣を肩車し両腕には愛染国俊と厚藤四郎をぶら下げるという、七桜には絶対に真似できない芸当である。短刀たちの何と楽しそうなことか……
 七桜はあたふたとかぶりを振った。
「いいえ、何でもないんです、羨ましいとかそんなことはちっとも思っていませんからっ」
「……ふうむ」
 岩融はひとつ唸ると、七桜の方へと寄ってきながら、短刀たちを順々に地面に降ろしていった。そうしてすっかり身体を空けてしまうと、今度は七桜を無造作に抱え上げた。
「え、わっ、い、岩融さんっ! な、何を!?」
「ん? 短刀たちが羨ましかったのではないのか?」
「そっちですか!? そうではなく――いえ、えーと」
 言いかけて、口をつぐむ七桜
 岩融の慕われっぷりが羨ましかったのだとか、短刀たちを取られてしまったようで寂しかったのだとか、わざわざ正直なところを告げるのも大人気ないし恥ずかしい。
「わあ、よかったですねっ、あるじさま!」
「ちぇー。ずりーぞ、順番は守れよなー」
「いいじゃねえか、国俊。ここぞというときに大将に花を持たせるのが、短刀の器量ってもんだぜ」
 何だか微妙にずれている発言をしている短刀たちだ。彼らへ目をやろうとして――自然と地面に目が行く。
 高い。とっても高い。
 七桜は今、岩融の右腕に腰をかけるようにしている格好だ。だから、普段の視界との高低差はどんなに大きく見積もっても一メートルかそこらのはずなのだが、不安定な体勢のためか、地面までの距離がいやに開いているような気がする。落ちたら死ぬのではあるまいか。
 知らず、七桜は岩融の頭を胸に抱え込むようにしてしがみついていた。
「岩融さんっ、あの、」
「……主よ」
 七桜の胸の中で、岩融が低く告げた。七桜がぎゅうぎゅうと締め付けているので、その声はちょっとくぐもっている。
「は、はいっ?」
「俺はよいが、多少は女人としての慎みを持たねば、他の刀どもがうるさく言うぞ」
「はあ、えっと、つつしみですか」
「いや、俺はいっこうに構わぬのだがな?」
 震え上がっている七桜はそれどころではないため、岩融の言っていることの意味がよく掴めない。ますます強く抱きしめたのを、岩融は別の方向に取り違えた。
「はっはっは、それほど気に入ったか、主! どれ、本丸を一周と行こうぞ!」
「ええっ!? いえ、もう十分ですっ、ほんとに……い、岩融さん、聞いてます!?」
「がっはっはっはっはっ!」
 聞いちゃいなかった。
 そのまま短刀たちを引き連れて本丸を半周ほどしたところで、行方不明の主人をようやく発見した薬研藤四郎に岩融がストップをかけられるまで、行軍は続いた。

 なお、岩融の大きな笑い声につられてその行軍を目撃した刀剣たちは数多く、中には、
「あれ、いいなー……」
「へえ。どっちが?」
「…………どっちでもいいだろ」
 というような打刀と脇差の会話があったことも付け加えておく。