願いごとひとりじめ
岩融と石切丸が、碁盤を挟んで向かい合っている。はて、そんなもの、政府に陳情した品の中にはなかったように思うけれど――通りがかった縁側で、七桜は知らず足を止め、首を傾げた。
あるいは、誰かがどこかの時代から持ち込んだのだろうか。戦績と刀剣男士が増えるにつれ、七桜も多少は規律を緩めることを覚えた。本丸の物資が豊かになってきた(ただし資源は除く)今では、このように、かつては見られなかった光景を目にすることもままある。
そんなことを考えていたら、後をついて来ていた加州清光は、七桜よりももっとぶっちゃけた感想を口にした。
「へー、岩融ってじっと座ってられるんだな」
「なに、五条の橋で闇討ちの機を待っているよりは、よほどたやすいわ」
しかも当人に届く声量で言い放つので、七桜は一瞬ひやりとする。幸い、岩融は気を悪くしたふうはではなく軽く笑い飛ばしてくれた。……言っていることは物騒だけども。
「ええと……お二人にこんな趣味があるとは、知りませんでした」
「いや、人間のやりようを真似てみているだけだよ。誰かが遊戯に興じた後、ここに置きっ放しにしていったようでね」
石切丸はこう言うも、姿勢よく座り碁石を持つ姿は、とてもさまになっている。同じく正座で、袖に両手を通し相手の一手を待つ岩融も、えも言われぬ貫禄と気品が漂っていた。なるほど、そういえば、囲碁は彼らの時代から存在する遊びだったか。
七桜は碁盤の傍ら、縁側の庭よりの方に座って、盤面を覗き込んでみた。さほど詳しくないので、どのような局面なのかはよくわからない。
「どちらが優勢なんですか?」
「うーん、どうだろう。まだ始めたばかりなものだから」
「どうせなら、何か賭けてはみぬか?」
「岩融、君ね、神刀に賭けごとを持ちかける気かい。……まあ、構わないけれど」
途端に加州清光が、面白そうじゃん、と目を輝かせた。それまでいかにも興味がなさそうな顔をしていたのに、七桜に倣って板敷の縁に腰を下ろし、沓脱石へ足を投げ出す。
一方で、七桜は眉根を寄せた。
岩融と石切丸なら問題は起こさないだろうけど、これを契機に本丸で賭けごとが流行りでもしたら、諍いのもとになってしまうかもしれない。それは避けたい。かと言って、この場に水を差すのも……そうだ、第三者が褒賞を用意すればいいのか。
「それじゃ、私が勝った方のお願いを聞いてあげるというのはどうでしょうか?」
と、提案するなり、三対の瞳が一斉に七桜へと向いた。
「ほほう。随分と気前がよいなあ、主は」
「人の願いを聞く役割の私が願いごととは、いいのかな?」
「なっ、何だよそれ! ずるい!」
それぞれ異なった反応が返ってきて、七桜は面食らう。ず、ずるい? 困惑している隙を衝くように、ずいと岩融が身を乗り出してきた。
「主よ。お願いとは、何でもよいのか?」
「わ、私にできることでしたら……」
岩融は袖から手を出し、膝を叩いた。
「――よし! では俺が勝った場合は、短刀たちと出陣させてもらおうか!」
「えっ、はい。検非違使の確認されていない時代でよければ」
そ、そんなのでいいんだ。
七桜は努めて表には出さずに、内心で呟く。別にこのくらいなら、普通に頼んでくれてもいいのに……いや、岩融は戦好きだが、大の子供好きでもある。もしかして彼の中では、遠足と書いて出陣と読むのかもしれない。岩融が勝った場合には、よく確かめておこう。
対する石切丸は、にこやかに告げた。
「それでは、私が勝ったら、加持祈祷のための社を建設し」
「あの、なるべくお金のかからないものでお願いします……」
さすが、神社暮らしの宝刀。さらっと要求がでかい。
七桜が遮ってやんわりと窘めると、石切丸は「ああ、それもそうか」、ちょっと恥ずかしそうな笑みを浮かべる。どうやら先のは、素での発言だったらしい。
「すまないね。なにぶん、こういうことには慣れていないものだから」
「いえっ、石切丸さんは悪くありません、せっかくお願いをしてもらったのに、私の力が及ばないばかりに……」
「いやいや、そんなことはないよ。君は審神者として、よく励んでくれている」
素直に謝ってもらえると、逆にこちらが悪いことをしている気分になってしまう。かくして謝罪合戦の火蓋が切って落とされようとしたところ、七桜はふと、隣に腰かける加州清光がむすっとして庭を睨んでいるのに気が付いた。
「清光さん?」
七桜が座ったまま、ほんのちょっとだけ距離を詰めると、そのぶん加州清光も向こうにずれて座る。これは……すっかり機嫌を損ねてしまっているようではないか。
「おお、どうした、どうした。急に元気がなくなったなあ」
「ちょっ……やめろって、髪が乱れる!」
岩融が大きな手で頭をかき回すと、加州清光は声を荒らげる。食ってかかられても、岩融は動じない。
「ははは、どうどう」
「馬扱いすーるーなーっ」
「あっ、あの、清光さん」
七桜はおろおろと二人の間に割って入った。
「何も、お二人のお願いしか聞かないというのではないんですよ? 清光さんも、たとえば困っていることがあるなら……」
「困ってること? あー、あるある」
「……あるんですか!?」
七桜はびっくりして青ざめる。初期刀の彼が思い悩んでいるのに、少しも見抜けないでいたなんて……困っていると表現するには、加州清光の態度はどう見ても投げやりでいい加減が過ぎるものだったが、言葉だけを捉えて真に受けた七桜はそこまで思い至らなかった。
「それは、私が力になれることですか? そういう場合は遠慮しないで、何でも言ってもらっていいんですからねっ」
詰め寄って訴えかけると、加州清光は、それはもう深々と溜息をついた。
「また軽々しくそう……はあ、相手が枯れてる方のじいさんたちでよかったよ」
「えっ?」
呟きの最後の方はよく聞き取れなかった。七桜は戸惑って加州清光を見つめたものの、彼はもう一度繰り返すつもりはなさそうだ。
「――加州くん」
石切丸が、ごく穏やかに横から口を挟む。けれど、加州清光に向けているのは、なにやらもの言いたげな、じとっとした目つきである。
「いいのかな、そんなことを言って。私はまだ願いごとを決めていないのだけどね」
「なっ……なんだよ。七桜に何させようって? さっきのが無効になったんだから、石切丸のお願いはもうナシだから」
加州清光は己の側へ七桜の肩を引き寄せ、庇い立てるようにして、早口でまくし立てる。まるで毛を逆立てて威嚇している猫だ。七桜にはただ目を白黒させて、されるに任せているしかない。
石切丸は七桜と加州清光の顔を見比べ、やがて笑い声を漏らした。
「ははっ、いや、すまない。冗談だよ」
「……ああ、なるほどなあ。そういう心配か」
うむうむ、と岩融が幾度か頷いてみせる。いまだ何が何だかさっぱりな七桜と違い、彼は今のやりとりだけですべて悟ったらしい。
「であれば、まったくの杞憂だな。主はな、我らなら無法を要求せぬと思い、ああ言ったのだ。その信頼を裏切るような真似はできまいよ、なあ、石切の」
「そのとおり。……枯れた枯れないはさておきね」
「なに根に持ってんのさ。だいたい、社を建てろとか言いかけたのはどこのどいつだよ……」
加州清光はぶつぶつぼやいている。彼の胸にもたれたままだった七桜はようやく身を起こし、瞬きをした。ええと、つまり――
「すみません、皆さん。あの、かえって気を遣わせてしまったようで……」
どうやら先の申し出は逆効果だったようだ、ということは、七桜にもかろうじて理解できた。加州清光は口を尖らす。
「わかったら、これからはそういうこと言わないでよ、七桜」
「そういう?」
「何でもお願いを聞くとかさ。あー……他の奴らが不公平だし?」
それを言われると、七桜は弱い。この場にいない彼らを不等に扱ったつもりはなかったのだが、結果的にはそうなってしまったのだろうか。どこか腑に落ちない感じはあれど、
「これは、俺からのお願い。ね」
「う、は、はい……」
七桜の顔を覗き込み、綺麗に微笑む加州清光。彼のこういう仕草に、七桜はいつもころっとやられてしまうのだ。
「……主は加州くんにはこうなのだから、碁打ちの褒賞くらい、大目に見てもらってもいいと思わないかい?」
「はっはっはっ、違いない!」
当てられた石切丸と岩融は、勝負の続きは取り止めて碁石を片付け始めた。