君とわけあう
廊下を歩いていた七桜は、ふと違和感を覚えて足を止めた。隣の加州清光も一緒に立ち止まり、七桜を窺う。「何? どうかしたの」
「あ、いえ……」
ちょうどいま、前を通り過ぎようとした手入れ部屋の戸が閉まっている。つまり、誰かが使っているということだ。
本日、第二部隊はつつがなく任務をこなし帰還した。とは言え、一切の負傷なしに、とはそうそう事は運ばない。幸い資源には余裕があったため、次の出陣に万端を期せるよう、軽傷以下でも手入れ部屋へ行ってほしいとお願いしている。その手入れも、しかし、とうに終わっている頃合いだ。
「あの、誰かいますか?」
声をかけてみたが、返事はない。訝しんだ七桜は、戸を開けて中を覗いてみた。
「わっ!!」
「ひゃあっ!?」
七桜は腰が抜けたかと思った。本当に後ろにひっくり返りそうになったのを、「うわ、あっぶないなー」、加州清光がそう言いながらも危なげなく支えてくれる。
飛び出してきた鶴丸国永は、どうやら戸の陰に身を潜めていたらしい、なんとも軽快な笑い声を上げた。
「ははは! どうだ、驚いたか?」
「国永さんっ! も、もうっ……」
「すまんすまん、そこまで驚いてくれるとは……いや、君は実に仕掛け甲斐があるなあ、七桜。加州清光も、このくらい良い反応をしてくれていいんだぜ」
「俺? 俺が驚くわけないじゃん。太刀の隠蔽力を考えてから言ってよ。こんなのに引っかかるの、七桜くらいじゃないの」
「おっと、こりゃ手厳しい」
鶴丸国永は肩をすくめたものの、いかにも楽しげな笑みを打ち消しはしなかった。たびたび皆を驚かせようとする鶴丸国永にも困ったものだが、七桜の初期刀も初期刀だ。
「清光さん、気付いていたなら教えてくださいよ」
「いーじゃん、俺がこうしてついてるんだしさー」
「うう……」
七桜ががっくりしていると、鶴丸国永はさっと身を翻した。
「それじゃあ、俺は大目玉を喰らう前に退散するとしよう」
「え、あっ、国永さ――」
そうして呼び止める間もなく白い姿が廊下の角に消えてしまう。大目玉って、それほど怒ってはいないんだけどなあ……
と思っていたら、反対側の廊下から、激しい足音がものすごい勢いで近づいてきた。
「主! 今の悲鳴は……」
打刀中最大の機動力にものを言わせて駆けつけてきたへし切長谷部は、七桜と、七桜を支えるために後ろから抱きすくめるような格好のままだった加州清光を見つけて、後に続く言葉を呑み込んだ。ふう、と長く息を吐き、刀の柄を握る。
「よもや、にっかり青江よりも先にお前を斬ることになろうとはな。……主、この不貞の輩はただちに斬り捨てますので、ご安心ください」
「は、長谷部さん!?」
物騒な台詞のわりに七桜に向ける穏やかな微笑が逆にこわい。たぶん本気だ。慌てふためく七桜だったが、加州清光が胴に回した腕にいっそうの力をこめるせいで動けない。
「俺と七桜が何してようと長谷部には関係ないだろ。あとさー、言っとくけど、七桜に一番愛されてるのは俺だから」
「清光さんっ」
誤解を助長させることを言う加州清光をたしなめるために、その腕に軽く触れる。すると、加州清光はちょっと拗ねた顔をしつつも七桜から離れた。
付喪神の特性からか、はたまた顕現された人格からか、主たる七桜にとりわけ重きを置いてくれるこの二口は、そういった共通点があるにもかかわらずなぜか反目しがちなところがある。もちろん、彼らの忠心は嬉しいのだけれど……
七桜はへし切長谷部に向き直る。
「あの、長谷部さん、違うんですよ。これは私が、驚いて転びそうになってしまって」
「鶴丸国永ですか」
「はい……」
皆まで告げる前にへし切長谷部は察したようだ。七桜としては苦笑いするしかない。
「まったく、近頃の奴の言動は目に余りますね。見つけ次第、注意しましょう。……命拾いをしたな、加州」
「そっちがね」
「お二人ともっ、喧嘩はいけませんよ」
険悪な雰囲気を感じ取り、七桜はあたふたと二人の間に割って入った。七桜の懸念に反して、へし切長谷部は「もちろんです」と殊勝に頭を垂れる。
「主命と、この本丸の安寧を守るのが俺の務めですから」
……いつの間にそんな務めが。
「へー。じゃ、頑張ってねー」
加州清光の心がこもっているとは言いがたい声援を受け、へし切長谷部は鶴丸国永捜索に旅立っていった。七桜としてはそこまでしてもらうほどの悪戯ではなかったのだが、へし切長谷部にとっては、いつものように忙しなく雑務を片付けているよりは休息の時間になるのかもしれない。と、うっかり見送ってしまった。
そんなことがあった数刻後、また鶴丸国永を見かけた。
縁側、七桜の方には背を向け、庭を眺めている。本丸の庭は先日から銀世界だった。灰色にけぶる空、そこからいつまでも舞い落ちてくる雪片。純白で彩られた景観に溶け込むように、鶴丸国永はひっそりと座している。隠れているわけでもないのに、うっかり見過ごしそうになったほどだ。
七桜は周囲を見回した。へし切長谷部からは無事に逃げおおせたのだろう。彼のほかに誰もいない。となれば……
そろそろと廊下を移動した七桜は、鶴丸国永のすぐ後ろまでくると、そうっとかがんで息を吸い込み、彼の両肩に手を載せた。
「わ!」
「っ……ああ、何だ、君か」
七桜の企みは成功だった。ほんの僅か肩を跳ねさせてこちらを振り仰いた鶴丸国永は、普段は見せないぽかんとした顔つきで、七桜は思わず笑い声をこぼしてしまう。
「ふふ、さっきのお返しです。びっくりしましたか?」
「……いやあ、驚いた驚いた。年寄りにはいささか肝が冷えたぜ」
と、肩に置いていた手を、突然掴まれた。
そのまま両手とも力強く前に引っ張られて、七桜はつんのめってしまう。図らずも彼におぶさるような格好になってしまった七桜は、彼の白い羽織にぺたっと肌をつけることになり、その冷たさに小さく悲鳴を上げた。
「きゃっ……」
「しばらく君があたためてくれるかい?」
七桜の鼻先で、鶴丸国永は白皙の面ににやりと意地の悪い笑みを浮かべてみせる。こと人を驚かせることに関して、鶴丸国永は七桜より一枚も二枚も上手だった。
「も、もう、国永さん。老いているつもりなんてないのでしょうに」
「ばれたか。三日月の真似だ」
鶴丸国永はからりと笑う。七桜もつられて唇をほころばせたが、だんだんと不安が湧きあがってきた。ぴったりくっついている鶴丸国永は本当に冷たい。いったいいつからここにいたのだろう。
「国永さん。あの、そろそろ中に戻りませんか?」
「……いや、俺は、少しここで考えたいことがあってな」
鶴丸国永は、庭へと視線を戻した。
先までとは打って変わった真面目な面持ちに、七桜は己の懸念が的中したことを感じた。今日の戦で何かあったのだろうか。それとも、他の刀剣男士と揉めごと、慣れぬ現し身にまつわる悩み、いやもしかして、彼の刀としての複雑な経歴が……
「もし私で力になれることがあったら、遠慮なく言ってくださいね」
「なら、あそこを見てくれ」
加州清光が聞けばまたも拗ねられそうなことを口にした七桜に鶴丸国永が示してみせたのは、庭のある一角だった。渡り廊下のあたり、朝に短刀たちが作った雪だるまが溶けずに残っているが、まさかあれではあるまい。
「えっと……?」
「うん、この頭巾を被ってあそこに伏せていたら、通りかかる奴をいい具合に驚かせられるんじゃないかと」
「絶対にやめてくださいね!?」
七桜はこのときばかりは、彼を見つけてすぐにへし切長谷部を呼びつけておかなかったことを盛大に後悔した。
「おいおい、耳元でそんなに大声を出さなくてもいいだろう」
「国永さんが変なことを言うからですっ。そんなことをして、風邪を引きでもしたら大変ですよ」
「それもそうだな」
鶴丸国永は、案外すんなりと頷いた。
「……俺も、冷たいのはそう好きじゃない」
なおも言い募ろうとしていた七桜は、はたと口を閉じる。肩越しに見える繊細な横顔、今そこに、はっきりと翳りがよぎった。それは一瞬のうちに消えてしまい、もうその在り処を確かめることはできなかった。
「君にそこまで叱られちゃしょうがない。何か別の手を考えよう」
「……国永さん」
「ん?」
「次は、あたたかい季節にしましょうか」
「そうかい? 俺は今のままでも十分だぜ。君がこうしてくれているとあたたかいしな」
からかうように言いながら、鶴丸国永は七桜の手をぎゅっと握りなおした。
白さと冷たさに満たされた庭を望む彼の表情は、七桜の位置からはっきりとは窺えない。
でも、ひとの心に関しては、七桜に一日の長があるのだ。鶴丸国永は誰かを驚かせる子供っぽい振る舞いが好きで、それでも普段からは年嵩らしく達観した言動も多い。そんな彼がこういうことをするのは、やはり何か思うことがあったのだろう。
「それじゃ、少しだけ、ですからね」
「……ああ、ありがたい」
その背中も手のひらも、目の前を降りしきる雪のようにまだ冷たい。彼のうちのこごえる冷たさが、少しでもやわらぐようにと思って、七桜はされるままに彼に身体を預け、鶴丸国永に寄り添った。
なお、その場の第一発見者が加州清光、第二発見者がへし切長谷部だったので、本丸は阿鼻叫喚となった。