よいよいごこち

 酒の相手を求めて廊下をうろうろしていたら、七桜とばったり出くわした。
「あ、次郎太刀さん、こんばんは」
「おおっ、七桜じゃないか。いーいところに来たねえ!」
 思わず歓声を上げる。次郎太刀は、自他ともに認める本丸切っての酒飲みである。
 内番のときだって飲むし(昨日などは、酔った勢いに任せて馬にも飲ませようとしたら、同じ馬当番だったへし切長谷部にしこたま怒られた。)、非番のときは言わずもがな、たとえ戦場であっても酒の瓶は手放せない。
 こんな酔いどれに一晩じゅう付き合ってくれる刀剣を見つけるのは、なかなか難しいことだった。次郎太刀としてはもちろん、美味い酒が飲めるのならひとり飲みであってもまったく構わないのだけれど、ときには人(刀?)恋しいときだってある。
 それは例えば、今夜のように。
「ねえねえ、アンタも一緒に飲もうよ~。アタシがお酌してやるからさあ」
「えっ、……いえ、せっかくですが、ごめんなさい。お役目中ですから」
 七桜はちょっと目を見張り、それから申し訳なさそうに面を伏せる。
 ところが次郎太刀はと言うと、ははあと己のつるりとした顎を撫でた。断り文句が「酒が駄目だから」ではなく、「仕事中だから」とは。さては、案外いける口だな。
 そうとわかれば押すしかあるまい。
「なんだい、固いこと言って。神事でだって神酒くらい飲むだろ?」
「それは、お神酒はいただきますけど……」
「じゃ、問題なしなーし! ねーえ、いいだろ~?」
 お上への報告書ぉ? そんなもん、今から書こうが明日書こうが変わりゃしないよお。うんうん、アタシも酒が抜けたら、ちょーっとは手伝うからさ! ほら、今日の出陣で誉を取ったことだし、戦の功労者をねぎらうのも審神者の立派なお役目じゃないのかい?――
 などと適当をまくし立て、どうにか宥めすかして、次郎太刀は渋る七桜を自室に引っ張り込むことに成功した。どうも最後の一言がすこぶる効いたらしい。
「本当に、ほんっとーに、少しだけですからね」
 と、何度も念を押す七桜を迎え入れつつ、次郎太刀は何だか不安になる。大丈夫なのかねえ、主は。ちょろすぎやしないかい。……現在進行形で付け込んでいる次郎太刀が案ずることではないかもしれないけども。
 そんな次郎太刀の胸中などつゆ知らず、七桜は座布団に腰を落ち着けてからも、しきりに物憂げな溜息をついている。
「うう、お役目中にお酒なんて、やっぱり……」
「気にしない、気にしなーい。さあさ、まずは一献、ってね!」
 強引に盃を持たせた酒を注ぐと、七桜はそれきり不平を漏らすことなく大人しくなった。観念したとも言うだろう。
 ちびちび舐めるように飲む七桜に対し、次郎太刀はぐいと一息に飲み干す。七桜が空いた盃を見て、注ぎますよ、と酌をしてくれた。慣れていないらしく溢れさせそうになったのを、「おおっと」、次郎太刀は盃を少しだけ差し上げて酒瓶の首を戻してやる。
「アンタとは一度も飲んだことなかったねえ。考えたら、もう結構な付き合いじゃないか」
「はい。次郎太刀さんには、私が未熟な時分から長らく助けていただいて……ここまで来れたのは、次郎太刀さんや皆さんのおかげです。本当に、ありがとうございます」
 まだまだ力不足ですけれど、これからもよろしくお願いします。盃を一旦脇に置き、姿勢を正して深々と頭を下げる七桜。次郎太刀はむず痒くなって、たまらず笑って茶化した。
「あっはっは! アタシこそよろしくう~。……いや、面と向かって言われると、照れるもんだ。酒の席ではやめとくれよ?」
「あっ、そうですね。こういうことは、お酒がないところで言わないとですよね」
 別に、そういう意味で言ったのでは決してないのだが……次郎太刀の主は、彼女いわくのお役目に関してはとことん真面目な性分であった。
「でも、誰かとお酒をご一緒させてもらったのは、はじめてです」
「……ああ、うん、そりゃそうだろう」
 主ひとりに、刀剣男士は――もう何口がこの本丸で暮らしているだろうか。加えて、仮初の肉体のこととは言え、七桜とは性別が異なる。おいそれと飲みになど誘えまい。審神者に無体を働く輩がいないか、常に目を光らせている刀もいるのだから。
「アタシはこうだから、みんな警戒心は薄いもんさ。これが他の刀だったら、長谷部ちゃんがまず許さないよ」
「長谷部さんが、ですか?」
 七桜は不思議そうに首を傾げる。しばらく考えて、次郎太刀が言ったのを主と刀の立場がどうとかいう話に捉えたらしかった。
「いえ、そんなことはないと思いますよ。お酒ではないですけど、長谷部さんとはよく二人でお茶をしますし……」
「そうなの!? ……ちゃっかりしてるなあー」
 心底びっくりした次郎太刀は、呆れるやら感心するやらだった。あれだけ他の刀を牽制しておいて、いや、しているからこそなのか。
「じゃあ、遠慮する必要はないってわけだ。アタシらも今度やろうよ。加州ちゃんとかも呼んでさ。現世ではそういうの、何て言うんだっけ? ほら……女子会?」
「女子会って、次郎太刀さんも清光さんも男性じゃないですか」
 七桜が小さく笑い声を上げたので、次郎太刀は不満もあらわに口を尖らす。
「ちょっとお、どういう意味~? そりゃ、今はこんなだけど……」
 化粧を落として髪を下ろし、派手な着物から着替えた今は、確かに女には見えないかもしれない。だが、刀剣男士の紅一点……二点、いや、三点? ……とにかく、綺麗な次郎さんとしては聞き捨てならない発言である。
 すると、七桜はさも意外そうに告げる。
「だって、次郎太刀さんの本質が女性なら、女性の姿を取るはずでしょう?」
 この言葉には、次郎太刀の方こそが面食らった。
 人にそっくりのこの現し身は、刀として在った時代の持ち主の気質を反映していることが多いと聞く。次郎太刀もその例に漏れず、元の主に由来する女形の格好だ。衣裳がそうであるだけで、体格も性格も、取り立てて女性らしさがあるわけではない。
「へーえ……?」
 呟きは、自然と低くなった。
 ……ほお。そうか。なるほどねえ。主は、この次郎太刀を、正真正銘の男であると認識しているわけだ。
 次郎太刀は、本丸でひとりきりの女である七桜の前では姉御肌を気取ってやろうと思っていたし、今だって酒が飲みたかっただけで妙な考えなどこれっぽっちも持ち合わせていなかった。だが、それを聞いて唐突に気が変わってしまった。
七桜、アンタ、そこまでわかっててアタシの誘いに乗るんだ?」
 ずいと身を乗り出せば、何を感じ取ったのか、七桜はたじろぐ。
「え、えっと、何か――」
「わかんないかい? 夜中に男の部屋にいるんだからさあ……それとも、それも人間の言う駆け引きってやつ?」
 さらににじり寄ると、次郎太刀の体躯では、七桜との距離をあっという間に詰めてしまえる。七桜は咄嗟に後退ろうとしたようだったが、きちんと正座していたのが祟った。それよりも早く、次郎太刀が畳についた手が七桜の退路を塞ぐ。
 七桜の盃が落ちて、中身がこぼれた。
「あっ、あの、次郎太刀さん、畳が……」
「いいよ、このくらい」
 次郎太刀の脇から床へ伸ばされようとした七桜の手を、掬うようにして取る。
 細い手首だった。抱き寄せるのはたやすいだろう。このままちょっと押してやれば、七桜に覆い被さることもできるのだ。行灯の灯りが揺らめき、七桜の上に次郎太刀の影を作るのを見て、そんなことを思う。
「アタシが暴れりゃこんなもんじゃない、嵐みたいなもんさ。……試してみるかい?」
 間近で囁くと、七桜は言葉もないらしく、口を開いたり閉じたりした。酒のためにか熱い吐息が次郎太刀の唇をくすぐる。
 ただ、この状況にうろたえてはいても、七桜の表情には次郎太刀が期待するような、なんというか――色がない。
 ついに次郎太刀はぶはっと吹き出した。
「もお、迫り甲斐がないなあー!」
「せ、せま……」
 迫られていたのか、という顔を七桜はした。
 それがまたおかしくて、次郎太刀は大笑いで七桜の肩を叩く。軽くやったつもりだったのだが、勢い余って、七桜は正座のままひっくり返った。
 おっと、いけない。大太刀である次郎太刀の力は、どうやら普通の人間よりもずっと強い。すぐに七桜を助け起こして、元のとおりに座らせてやる。
「は~、笑った笑った。でもそんな調子じゃ、ほんと、心配だよ。他の奴らとサシで飲むのは控えるんだね」
「あの、えーと、よくわからないんですが……」
 七桜は狐につままれたという表現がぴったりの様子だ。しばらく迷うような素振りを見せ、そろそろと続きを口にする。
「これまでに私を誘ってくれたのは、次郎太刀さんだけなんです。だからさっき、本当は、嬉しかったんですけど……でも、今後はご一緒しないほうがいいということでしょうか?」
「――あはははっ、かわいいことを言ってくれるねえ!」
 それを笑い飛ばす次郎太刀は、いつもの酩酊感にも似た、けれどはっきりと異なる感覚を味わっていた。
 奉納されていた頃には感じえなかった、不思議な心地よさ。今、目の前でいじらしく萎れてみせる七桜に抱いた情と、――そして、他の刀剣たちへの僅かばかりの優越感。
 次郎太刀は七桜の頭をかき回すようにして撫で、そうして、ぱちくりとしている七桜に片目を瞑ってみせる。
「もちろん、次郎さんは別さ。決まってるだろ?」
 うん、あれだけで勘弁してやるんだから、このくらいの抜け駆けは許されるんじゃないかい、ねえ?