夕餉の支度

 三日月宗近には、どうやら己が他の刀剣男士たちとは少しばかりズレているらしい、という自覚があるにはあった。改めるつもりがあるかどうかはさておくとして。
 同じ刀同士であってもそうなのだから、ひとである主との隔たりはいかほどか。ことに主……七桜とは最近想いを通じ合わせたばかりとあって、何でもしてやりたいという気持ちはあるのだが、まず七桜の意を汲めなくては行動は伴えまい。
 そう考えて、三日月宗近はずばり切り出してみた。
「宗近さんにしてほしいこと……ですか?」
「何でもよいぞ。主」
「うーん……」
 困惑しながらも、考え込む七桜
 黙って眺めやっていると、それを催促と捉えたのか、七桜はますます眉尻を下げる。別段急かしているつもりはないのだが、七桜のそういうさまを見るのが三日月宗近はたいそう楽しいので、あえて訂正しないでおいた。
 しばらくして、何か思いついたらしい。
「何でも、いいんですよね」
「うむ、そう言ったな」
 七桜はなにやら顔を赤らめている。困り顔もよいものだが、こういうのも愛らしい。なるほど、これが惚れた欲目というやつか。
「えーと、その、きっ……キスしてほしいなあ、とか……」
「わかった。で、きすとは何だ?」
 快く応じると、七桜は喜ぶどころかがっくりうなだれた。
「……で、ですよね。そうなりますよね。すみません、やっぱり何でもないです……」
 挙句に撤回されてしまう。何だ、ここは男の器量を試されている場面か。せっかく要望を聞き出したのだ、七桜のために、三日月宗近は長い年月の記憶を探る。
 ……はて、きすとな、鱚?
「ふむ……夕餉か?」
「さっき食べたじゃないですか」
 違ったようだ。

 多少粘ったものの、この件に関しては七桜は頑として口を開かなかった。あまり無理強いもしたくない。となれば――明くる日、三日月宗近は陣屋の台所へ足を運んだ。
 ちょうど本丸の食卓を担う三人が揃っていたので、主が鱚を所望している、と伝える。
「主さんが献立のリクエストなんて珍しいね」
「この前の魚料理が気に入ってもらえたのかな。よかったね、歌仙くん」
「おお、あれか、確かに美味であったぞ」
 燭台切光忠に話を向けられ、褒められた歌仙兼定は満悦の体で何度も頷いた。
「ふふふ、いいともいいとも。文系名刀たるこの僕が、主のために雅な一品を振る舞おうじゃないか!」
 意気揚々と奥に引っ込んでいくのを見守りながら、堀川国広が問う。
「主さんは、他には何か言ってませんでしたか? 揚げ物がいいとか」
「さて、そういった話は聞いておらんな。何でも、俺にしてほしいそうだが」
 ……燭台切光忠は「へえ」と呟いて片眉を上げ、堀川国広は「それって……」とちょっと黙り込んだ。
 微妙な空気が流れたのを三日月宗近は特別気に留めず、「ではな、よろしく頼む」と鷹揚に告げてその場を立ち去ったので、
「よ、よかったのかな。僕たちが聞いていい話じゃないような……」
「うーん、じゃあ、気付かなかったことにしておこうか。歌仙くんも張り切ってるし」
 残された二人が顔を見合わせているのにもとうとう気付かなかった。

 台所を後にした三日月宗近は、さて、と考える。
 とりあえず段取りをつけてはみたが、昨晩の七桜の様子を鑑みると、ともすれば己は見当違いをしているかもしれない。
 なので、本丸を散歩ついでに、出くわした刀剣男士に尋ねてみることにする。散歩というものは現し身を得て以降、三日月宗近の趣味のひとつである。
 しかし戦のようには成果は挙げられず、
「俺が知るか」
「どうでもいい……」
 などと、色よい返事すら一向にもらえなかったところ、
「そりゃあ一発ぶちかましてやりゃあいいんじゃねえの?」
 というのが本丸でいちばん歳若い刀剣の意見であった。刀として若いということは、必然的に七桜と年齢が近いということでもある。ここは、是が非でも若者の意見を取り入れるべきだろう。
「ほほう。ぶちかますとは、どうやるのだ?」
「……そ、そこまで聞くのかよ」
「なかなか面白そうな話をしているねえ、僕も混ぜてくれないかい」
「真昼間に往来でするもんじゃねえと思うがな……」
 そこに何かと耳聡いにっかり青江と、面倒見のよい薬研藤四郎が通りかかったので、三日月宗近は無事に解を得ることができたのだった。
「――なるほど、なるほど。きすとは口吸いのことであったか」
「そうそう、ちなみに主のいた時代では……」
「ほー。そういうもんなのか」
 和泉守兼定まで一緒になって、感心したふうに耳を傾けている。いろいろと吹き込まれている三日月宗近に対し、薬研藤四郎は、彼らの主に心からの憐憫の情をこめて言った。
「……大将がかわいそうだから、あんまり言って回ってやるなよ、じいさん」
「あいわかった」
 もはや手遅れであった。


 彼らと別れて廊下を歩いていると、向こうに七桜がいるのを見つけた。
「主」
「あ、宗近さん」
 呼びかけて手招きすれば、おそらく所用の途中であったろうにも関わらず、七桜はこちらまで寄ってくる。
「どうしましたか?」
 正面で足を止め、首を傾げる七桜。その距離は、ただ主と刀剣の間柄だった頃よりもずっと近い。三日月宗近がいつまでも口を開かずじっと視線を注いでいると、七桜は不思議そうに、いくらか居心地悪そうに身動ぎした。
 つと手を伸ばし、指先で七桜の頬に触れる。そして唇へ辿り、柔らかな厚みをなぞった。
 昨晩はこの口がねだったのかと思うと……うむ、なかなか来るものがあるな。言われたときに理解できなかったのがたいへん悔やまれる。
「えっと、あの、宗近さん?」
 七桜は三日月宗近の無作法にもおろおろするばかりだ。
 やはりこの困り顔はいとおしいな、と三日月宗近は思う。まったく、このじじいを色づかせてくれるのは、主くらいのものだ。
 もう一方の手を頬に当てても、七桜は抵抗まではしない。それをいいことにおとがいを持ち上げる。……唇を軽く重ねて、離した。
「主の望みはこれであったのだろう? いや、遅くなってすまんな」
 吐息のかかる間合いで、七桜はしばらくぽかんとして三日月宗近を見つめ――それから突如として湯気が出そうなほどに赤くなった。
「ちがっ、違います! あれはっ……ゆ、夕餉の話です!」
「ほう、そうか、夕餉か。では馳走になるとしよう」
 三日月宗近は口元に弧を描いた。さながら己の号のような。七桜は何を悟ってか後ずさったが、構わず抱き込み、そのままひょいと肩に担ぎ上げる。
「宗近さんっ!? お、降ろし……」
 最初こそ抵抗を見せた七桜は、三日月宗近が歩き出すと落下の恐怖の方が勝ったらしく、口で言うのとは逆しまにしがみついてくる。そのようなことをせずとも、俺が主を手離すはずがないというのに。なにやら愉快になり、三日月宗近は声を上げて笑った。
「はっはっは。なに、いろはは学んできたから心配するな」
「どっ、どこで、誰からですか、いえ、な、何のっ?」
「主はただ天井のしみを数えていればよいそうな」
「……宗近さんっ、それ絶っ対に、何か間違ってますからね!?」

 余談だが、その晩の食卓を見てすべて察した七桜はくずおれた。