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この世に産み落とされた私はまず、母の首を刎ねた。私が生を受けた理由。存在を赦された意味。すなわち、我が一族が神より賜った使命。私は、私という個であるのと同時に、我々というユバの一族である。私は産声をあげるよりも先にそれを理解していた。胎内より出でた私の手足は瞬く間に成長しきり、戦士にふさわしい膂力が備わる。剣を振るうのに不足はなかった。
私の母は、男の祈り人だった。
母は私の誕生を喜び、神の供物となる己が身を誇り、最後に、私に勇敢な戦士たれと告げた。私が頷くと、満ち足りた微笑で祭壇に仰臥した。始祖ユバに促され、私はその首を刎ねた。母の首は神に捧げられた。
私の父は、女の戦士だった。
母を見送った父は何も言わず、私もまた、何も言わなかった。私たちの間に言葉は不要であった。我々は、等しくユバの一族なのだから。大地からもっとも遠く、神にもっとも近い頂きで、父は頭を垂れた。始祖ユバがその首を刎ねた。戦士は一族の礎となった。
「うむ、よいぞ、それでよい。御主らの忠誠を神は喜んでおられる。御主らの奉仕は神の御力となる。迷ってはならない。考えてもならない。ただ神のお導きのままに行動し、我の言葉のみを遵奉せよ。それがこの大地を救うに至る、最善の道なのだ」
「ええね、ええねぇ。なーんも非情やあらしまへん。古い木ぃは腐り落ち、新たな芽ぇの養分となる……これが自然の理どす。戦士はんらが強ぉなるんに欠かせへんことなんよ。疑うたらあきまへんえ。こん先も、ぎょーさん生け贄を捧げておくれやす」
神の分身にして神の僕、ヒトの少女を模した姿のシルシらは、声なき声で私たちの行いを讃えてくださった。神とシルシらの祝福を受け、私は新たなユバの戦士となった。
背を低くして駆ける。
風の精霊が哮り、束ねた私の髪を激しくはためかせていた。目指すのは、いやしくも侵略者どもが踏み荒らしている、清爽たる丘陵の頂上である。
傾斜に差しかかっても速度を緩めず、むしろいっそう速く駆け上がり、奴らの前に躍り出る。侵略者どもの鎧は、草原の民らが使う弓矢も、森の民らが使う吹き矢も、容易く弾き返してしまう。その唯一の弱点とも言える甲の継ぎ目に、剣の刃を滑り込ませる。
肉を断つ手応え、くぐもった唸り声。
一息に振り切ると、血飛沫とともに中身の詰まった兜が地に落ちる。
風が不穏に揺らめいた。
すぐさま身を翻せば、別の侵略者の戦斧が、先まで私のいた場所の土を抉りとっていた。大地を蹴って伸び上がり、同時に剣を振り上げる。ふたつめの首が落ち、草叢を転がっていく。
次いで対峙する侵略者は、構えた斧の刃がちょうど、頸部めがけての剣撃を遮る位置にあった。それで防御しているつもりらしい。斧は私の剣筋を閉ざす一方で、奴の視界を狭めてもいるというのに――
低い姿勢で死角へ飛び込む。案の定、処しきれず無防備のまま晒された脇を突く。侵略者の兜の、鳥の嘴じみた呼吸口から大量の血が滴った。ちらとそれを確かめ、首を打つ。
息をつく間はなかった。
風を裂いて襲いかかってくる、機械兵の巨槌。柄だけで私の身の丈を越すかという巨大さだ。機械兵自身も、これまでのどの兵士どもよりも大きな体躯をしている。巨体を支える短い脚、地につくほどに長い腕、そして、いくつもの管が巡らされた太い胴……
「機械兵がいたら、胴は斬るなよ」
と、討伐の前に忠告してきたのは、鉈を扱う戦士であった。「なぜ?」、私が問うと、鉈の者は答えた。
「奴め、腹の中に祈り人を捕えているからな。……いいか、侵略者どもに、このユバの大地の何をもを与えてはならない。祈り人を救い出せ。それが神とシルシらの御意志であり、俺たちが侵略者どもの首を刈り尽くすのに不可欠の術だ」
――祈り人。
彼らは精霊と通じ合い、万物を通してその力を授かることができる。侵略者どもに狙われるのはそれゆえだ。我々は彼らを救い、祈りの恩恵を受ける。
ユバの都には、今も祈りを捧げながらこの戦の帰結を待つ者たちがいた。契りの儀により胎に戦士を宿す者たちがいた。侵略者どもを追い払うための策を練る者、我々から見れば脆弱な肉体ながら侵略者どもに立ち向かう者、討伐から戻った我々の世話を親身に行う者……
しかし、「祈り人」と聞いて私がまず思うのは、ただひとりである。
事切れた侵略者の背を踏み台にして、宙へ跳び上がる。空を切った巨槌が奴の同胞の死骸を叩き潰す頃には、私は機械兵の身体に飛びついていた。管に手をかければよじのぼるのは苦ではない。すぐに頭部にまで辿り着くと、その蛇腹のごとき付け根に剣を振り下ろす。裂け目から血が噴き上がる。巨体は呆気なく地に沈み、大きく風を揺るがした。
丘には静寂が舞い戻ってきていた。
私は起き上がり、鞘に収めた剣の先で、伏した機械兵の胴を突く。空洞があることを知らしめる、鈍い音がする。
「中にいるの?」
「……、……」
いた。
声が聞こえた。
かろうじて届く、今にも消え入りそうなか細い声。男の声だ。機械兵の冷たい鎧に耳をつける。声はきれぎれに訴えていた。
「た……助けて、もらえませんか……」
「わかった」
私は機械兵の上に跳び乗った。
背中に蓋らしきものがついているのを、戦いの最中に見つけていたからだ。その取っ手を握って引く。蓋が僅かに持ち上がる。だが、それだけだった。もう一度、渾身の力を込めて引く。ミシミシと軋む音がする。もう一度。……私は引くことを諦め、立ち上がって蓋を上から蹴りつけた。何度か繰り返すと、そのうち足裏が蓋を踏み抜いたので、いかれた留め具ごと胴体から引き剥がす。
機械兵の胴の中は、外側を取り巻いているのと同じ管が幾本も詰まっていた。それらをいっぺんに引きちぎる。鮮やかな緑色をした液体が滴り、私の手を汚す。構わずに管をかきわけて奥へと腕を伸ばす。
「手を」
差し出した手のひらを、握り返してくる感触があった。
「両手で掴んで」
どうやら私の声は届いているようだ。
強くしがみついてくるのは、私よりも大きな、骨ばった手だった。骨が当たる部分は硬いが、手のひらの皮膚はやわらかい。きっと、武器など持たぬ手なのだろう。
一気に引き上げると、祈り人は絡まる管にもがきながら転び出てきた。そのまま転がり落ちそうになったのを、抱きとめて支えてやる。祈り人は私にとりすがり、しばらくは干上がった池の魚のように狂おしく激しい呼吸を繰り返していた。
私は、間近にある祈り人の姿容をつぶさに観察する。
着衣の袖から伸びて私の首に巻きつく腕は、草原の民特有の白い肌をしている。華奢な体つきに見えて、触れている箇所には締まった筋肉が感じられた。それに、私よりも上背がある。肩が上下するのに合わせて揺れる黒い髪。辛苦に滲む、昼と夜の空の境いの色をした瞳……いずれも、私の思う「祈り人」とはかけ離れている。
青白い顔色、なだらかな鼻梁、やや目尻の下がった柔和な面立ち、ふと、その弱々しいまなざしが私を捉える。
「あ、ありがとうございます、助けてくださって……もう、駄目なのかと……」
私はすでに祈り人からは視線を外していた。丘の下に、侵略者どもの姿が見える。ここには遮蔽物が何もない、あちらも私たちを視界に認めているだろう。
「あれは、侵略者っ……早く逃げないと!」
祈り人が私を急き立てる。身じろいだのは独力で立とうとしたからなのか、しかし、あのようなところに長い間押し込められていたのだ。私から身体を離すこともうまくできないようだった。私は祈り人を宥めるために言う。
「逃げはしない。迎え撃つ」
「そんな、無茶ですよ!」
あまり効果はなく、祈り人は悲鳴じみた声を上げる。草叢のあちこちに首と胴が離れた侵略者どもが転がっていることには気付いていないらしい。
「奴らには、ライカ村の狩人たちでさえ歯が立たなかったんです。それにっ……わあっ!?」
「暴れないで」
私は祈り人を抱え上げた。
祈り人はまだなんのかんのと囀っているが、あまり付き合ってはいられない。侵略者どもの中には、神を冒涜する機械文明の産物、銃とかいう、厄介な武器を持つ者がいる。おそろしく飛距離が長く、威力も高い。この祈り人などはひとたまりもないだろう。
地面に降りた私は、ひとまず機械兵の鎧で陰になる場所に祈り人を下ろした。
腰に佩いた剣を確かめ、奴らの来る方へ駆け出し――すると、祈り人が私の腕を掴む。
「ま、待ってくださいっ。危険です!」
顧みた私を臆することなく射抜かんとするその瞳には、それまでの脆弱さとは打って変わった頑なさが宿っている。いまだ立つこともできないでいると言うのに……
振り払うのは容易いにもかかわらず、私がそうしなかったのは、その懸隔に興味を引かれたからかもしれなかった。
「侵略者が自然や遺跡を荒らし回っているせいで、草原の只中でも死の風が吹くようになってしまったんです。もし体良く奴らを追い払えたとしても、風が吹いたらひとたまりもありません。それより、どこか近くの集落に逃げた方が……」
「死の風は来ない」
私は祈り人を遮り、告げる。
「今は神の御力が、この草原から死の風を払ってくださっているから」
「払う……? 死の風を……そんなことが……」
祈り人は言いさして口を噤み、まじまじと私の顔を見上げる。声なき問いかけに、私は答えた。
「私たちは、ユバ」
「ユバ……!」
ハッと息を呑んだ祈り人は、たちまちのうちに血相を変えた。
「噂は本当だったんだ。ユバの一族が再臨なされたと……本当に……僕たちを、救いに来てくださった……」
声を震わせて呟いている祈り人から気を逸らし、私は機械兵の向こう、こちらに近付きつつある侵略者どもの数を数える。
始祖ユバの傍らに侍る祈り人、草原の集落の巫女は、常に伏兵の存在を気にかけていた。周囲を見渡す。まばらに生える痩せた木々、草海原から顔を出す大岩、瘤のように隆起した急斜面――今はそれらの危惧は、迂遠なもののように思えた。
我々の使命はただひとつ、神に捧げる髑髏を積み上げるのみ。おそれてはならない。迷ってはならない。考えてはならない。大地を駆け、剣を振るい、侵略者を殺す。それだけだ。
「手を離して」
「あっ、ご、ご無礼を」
「構わない」
祈り人は自らの行いに慄いてか震え上がり、それから、どうにか機械兵の鎧を支えにしながら立ち上がった。
「僕はヤイカルといいます、戦士様。僕にできることがあれば、何でも言ってください」
「では、私のために祈るといい」
「……いのる……」
祈り人の顔を見るために、私は首を上へ傾けなければならなかった。ヤイカルと名乗った祈り人は、戸惑いを隠さずに私を見返してくる。
ユバの戦士には、気に入った祈り人を側に置く習慣がある。選ばれた祈り人は、彼らの戦士のためだけに祈る。私は生まれて間もなく、私のために祈る祈り人をまだ持たない。この肉の器に祈りの力を授かるとはどういうものなのか、興味があったのだ。それに――
ユバの都には女の祈り人が多く存在する。一方で、男の祈り人は少ない。そのうちのひとりは、すでに神に捧げられた私の母である。
知らず、私はこの男の祈り人は私の頼みを快諾するものだと思い込んでいたようだった。そうあって然るべきという思いがあった。しかし違った。私は落胆した。
「不服?」
「いえっ、とんでもない! ただ僕は、巫女の血筋の方々のような特別な力はなくて……」
「祈るの。祈らないの」
煮え切らない言いように焦れて詰め寄ると、その拍子に私の髪の一房が肩から落ちて大きく揺れ、ヤイカルの胸にぶつかった。それだけでヤイカルはまるで打たれたかのように瞠目し、落ち着きなく何度も首を振る。
「祈りますっ。戦士様のために、せいいっぱい祈らせていただきます。……あの、僕でよければ、ですが」
「よくなければ言わない」
「そ、そうですよね。わかりました。ええと、あの、ですから、少し離れて――」
ヤイカルの承諾を得た私は言われるまま数歩下がり、軽く助走をつけ機械兵の上に跳び上がる。侵略者どもが良い按排に距離を詰めてきた頃合いだった。剣を抜く。再び跳ぶために腰を沈める。
「あっ、戦士様!」
呼びかけに、私は足下へ目をやった。機械兵の袂から、ヤイカルが私を見上げている。彼は、ほんの少し微笑んで言った。
「どうか御武運を、ユバの戦士様」
……ありがとう、と私は応えた。
胸のうちにあたたかさが灯ったような、不思議な感覚。それは初めて得るものではなかった。もしかしたら、母はあのとき私のために祈ったのかもしれない。ひとつも似るところのない男の祈り人を前にして、なぜか私はそう思った。
着地し、駆ける。
祈りの恩恵か、私は常よりもずっと速く駆けることができた。ウルは私の肉の器に満ち、染み込み、血の中を巡っていく。大地を踏みしめ、蹴る。翔ける。侵略者どもはもう目前に迫っている。剣を振るう。その剣撃に乗る力も、これまでとは格段に違う。
首が飛ぶ。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……
六つめを刎ねる前に、剣の腹を叩かれた。私の刃は逸れ、侵略者の胴にぶち当たり止まる。硬い手応え。より上等な武装なのか、他の連中とは鎧の色形が異なっている。
跳ね退くより先に、色違えの侵略者が私の剣を抱えこんだ。引き抜けない。
我々、ユバの神の名を冠した一族は、神の力によりその肉の器に強靭な力を宿す。だからと言って、鉄塊で身を固めた侵略者どもに素手で立ち向かうことは難しい。武器を手放すことは、すなわち敗北を意味する。
手放せないなら、使うまで――私は僅かとも動かない剣の柄をしかと握り、それを起点に脚を跳ね上げた。踵が正確に顎を捉える。奴らの兜がいかに頑丈でも、この衝撃までを防げはしまい。侵略者はよろめき、堪えた。ならばもう一撃、いや、私は脚を下ろすのと同時に半身を伏せる。虚空を戦斧が薙ぐ。
――まだ新手がいたか。
辺りへ目を配った私の隙をつき、色違えの得物が容赦なく振り下ろされる。かろうじて身をかわすと、別の戦斧が待ち構えたように襲い来る。
どこから湧き出したのか、侵略者どもの数は丘の上で数え上げた時よりも遥かに多い。それが、じわじわと包囲を狭めている。剣を封じられた私は、恰好の的に違いない。
侵略者どもの首を刈り尽くす。
いかな状況においても果たすべき、我々の使命。ひとつでも多くを刈らねばならぬ。では、どうするか。目紛しく思考する。奴らの大きな武器は、私に有利な条件となりうるはずだ。うまく誘導すれば同士討ちを狙える。まずは、剣を取り戻さねば――
向こうで風が強く巻き上がった。
侵略者どもの包囲が崩れ、幾人かが宙を舞う。鋭く荒々しい槍の穂先が、標的を貫くばかりか、他の侵略者どもを巻き込み薙ぎ倒しながら突き出されたのだ。
今だ。そちらに気取られた斧の侵略者を、私は蹴り飛ばす。同時に剣を抜こうとするも、色違えの力は緩まない。その時、耳元で風を裂く音がした。
それは、重くも鈍い一撃だった。
色違えも、己めがけて振るわれる刃には気付いていただろう。しかし避けなかった。おそらくは、その軌道が首ではなく、私を押さえている腕を狙っていることにも気が付いたからだ。避ければ私を解放することになる。だからあえて喰らう方を選んだ。何しろ私の剣は奴の鎧を通らなかったのだから、あわよくば、私ともう一人とをまとめて抱え込むつもりだったに違いない――
鉈がしかと突き立って減り込み、色違えの鎧をひしゃげさせるまでは。
拘束が緩んだ。
察知するやいなや私は即座に剣を取り戻し、転じて色違えの首を打った。継ぎ目さえ狙えば、奴の首は軽く飛ぶ。剣を翻して次の首へ。
そうして草原に立つ侵略者がいなくなるまでに、さほど時間はかからなかった。
「あまり先走るなと言っただろう」
叩き潰した鎧から難なく得物を引き抜きながら、鉈の者が言った。
彼は、私の兄に当たった。大抵の敵は一撃で屠る膂力があり、長駆できる体力もあるが、私よりも足が遅い。あまりに遅いので、駆けているうちに引き離してしまったのだ。
「奴ら、数だけは多いからな。囲まれると面倒だ。そのうち痛い目を見るぞ」
なんと悠長な言いようだろう。
侵略者どもの首を疾く刈り尽くし、このユバの大地を奴らの血で満たせ――それが神のお言葉であり、我々の使命。ユバの戦士は戦いにおいて不死なのだ、傷を負うことをおそれてはならなかった。
「怪我はなおる」
「次の討伐は遅れる」
すぐさま切り返され、咄嗟の反論に詰まる。私の顔を見て、鉈の者はせせら笑った。
「もっとも、その方が俺にはありがたいかな。お前の傷が癒えるまで、ゆっくり寛ぐ時間ができるというわけだ」
神のお告げに対し、その言い草はあまりに不敬が過ぎるのではないか――私が咎め立てようとしたのを見透かしたがごとく、彼はにやついたままで先んじて問う。
「どちらがだ?」
「…………」
再び黙した合間に、ふふ、と、女の柔らかな笑い声が落ちた。
見やると、槍の者がこちらへやって来るところだった。己が薙ぎ倒した侵略者から首を刈っていたのを終え、槍の穂先に山ほど首をぶら下げている。侵略者どもの忌々しい鎧兜は、こういう時には役に立つ。
「ああ、ごめんなさい」
槍の者は詫びながら、まだ笑んでいる。私たちはみな、同じ祈り人から生まれた。つまり彼女は私の姉であり、鉈の者の妹で、また彼の娘でもあった。
「前の剣の者とも、同じことで言い合っていたのを思い出したの。しるしが同じだと、武器の扱いのほかに考え方まで似るのかしら? ……ねえ?」
微笑を向けられた鉈の者はむっつりと唇を引き結び、何ら応えずに踵を返した。彼は、私には憎まれ口を叩くばかりだが、娘の前では極端に口数が少なくなる。
「行くぞ。じきに死の風が来る」
「待って」
私が鉈の者を呼び止めたのは、もちろん、ユバの都に戻る前にヤイカルを迎えに行かなければならないからだ。「祈り人を見つけた」、私は駆け下りてきた丘の上を指差す。
「どこだ。……置いてきたのか」
「戦いには連れて行けない」
「それはそうだな。男か、女か?」
「……彼は今、私のために祈っている」
不承不承、それだけを告げる。
鉈の者にはすでに何人か気に入りの祈り人がおり、そして彼らはしばしば顔触れを変える。「ほお」とみょうな相槌を打ちながら鉈の者は私に目をくれ、肩の鉈を担ぎ直した。
「ちょうどいい、そろそろお前の祈り手を見繕わなければならなかったところだ。都に連れ帰ろう。だが、あまり時間がないな……抵抗されなければいいが」
「抵抗?」
思ってもみない言葉がその口から飛び出し、ひどく驚く。
「なぜ抵抗するの」
「自分の集落に戻りたがるかもしれんだろう」
「そんなことはない」
答えてから、私はまた思い違いをしていることに気が付く。「――と、思う」、付け加えて言った。
「ヤイカルは私のために祈るのだから」
「お前がそいつを口説き落とせたらの話だ」
「……それは、説得しろということ?」
「まあ、そうだな」
私たちは道中に転がる首を拾い上げていきながら、丘に向けて移動した。
私の器にはもうウルは満ちておらず、時の経過とともに空に近付きつつあった。戦いを終え、ヤイカルのもとに戻っている途次なのが、彼にも見えたのだろう。
「――私たちはね、」
豊かに実った稲穂のようにぶら下がる首を揺らしながら、槍の者は言う。
「祈りの力をただ享受するのではないのよ。代わりに、祈り人に与えるの」
「……何を?」
「彼らの望むままのものを」
たとえば、と、槍の者は指折り挙げていく。侵略者どもへの復讐を果たす、奴らに滅ぼされた村を再興する、大事な人を助ける、死の風に汚染された身体を癒す……
母もそのいずれかを望んだのかと尋ねると、「ええ、そうよ」、槍の者は頷いた。それから、首を携えて黙々と先を歩く鉈の者の背へ投げかける。
「そうよね?」
「知らん」
鉈の者はこちらを振り返らずに言った。
「俺の祈り人ではなかったからな」
「そう、だからこの子に妬いているのよね」
「おい、適当を言うな」
私たちの母は、私の父の祈り人だった。
父と私は同じしるしを持つ戦士なのだから、父が母にそうできたのなら、私も同じようにヤイカルの望むものを与えられるはずだ。
果たして母は何を望んだのだろうか。母が私のために祈ったかもしれないあの時、私は何か与えたのだろうか。……ヤイカルは、何を望むだろうか。
考えを巡らしていると、槍の者が私の顔を覗き込んできた。
「あなたがそれほど気にかけるなんて、どんな祈り人かしら」
どんな、と問われると、答えるのは困難だった。母と違って黒い髪をしている。母と違って背は高くない。母と違って――いや、
「……生まれた時のことを思い出した」
「あら、じゃあ、そんなに似ているの?」
私は肯定も否定もしなかった。答えとしてどちらもふさわしい気がするし、どちらもそぐわない気がする。槍の者は重ねて問うてくることはなく、私も口を閉じる。
風に乗って血が香る。機械兵の巨大な鎧が視界に入ってくる。死臭はそのうちに風が洗い流してくれる。侵略者どもの屍は肥やしとなり、多少はこの大地を潤すことだろう。
「戦士様!」
機械兵の陰からヤイカルが姿を見せた。まだ危なっかしげではあるものの、自らの足で斜面を降りてくる。私は鉈の者を追い抜き、彼のもとへ向かう。
「戦士様、御無事で何よりです! 本当に、侵略者に勝ってしまうなんて……」
「ヤイカル、あなたの望むものは何」
感極まった様子の彼を遮り、私は問う。言葉の奔流を妨げられたヤイカルは、瞬いて私を見つめ返す。いつまでも待っていると、ようやく望みを口にした。
「え、えっと、そうですね。僕は牧を営んでいました。僕がいた集落も、その牧も、世話をしていたモユルたちもみな、侵略者に焼き払われてしまいましたが……また、この草原のどこかで、家畜の世話をして暮らしていけたら、と思います」
「わかった。あなたの牧は私が取り戻す」
幸いそれは、さほど難しいことではないように思えた。神のお告げにも沿う。つまりは、これからも奴らの首を刈り続ければよい。何も変わらない。いや、ヤイカルがいれば私はますます侵略者どもを殺すことができる。
「あなたの望みは私が叶える。だから、これからも、私のために祈っていてほしい」
私はそう告げ、ヤイカルを見上げた。自然と眉根が寄る。彼は、先ほど私が祈りを乞うた時と同じように、顔いっぱいに戸惑いを浮かべていたからだ。
「不満なの」
「いえっ、あの、僕で、いいのでしょうか……」
「でなければ言わないと言った」
「そう……でしたね」
ヤイカルは一旦は目を伏せ、それから私と視線を合わせた。柔弱さが消え失せ、強い意志に取って代わる、その瞬間。不意に胸に灯るあたたかさ。私の器に音を立ててウルが満ちるのを感じる。……彼は今、何かを祈ったのだろうか?
「わかりました。僕に、戦士様のために祈らせてください」
「ありがとう」
「い、いえ。僕にも、侵略者を食い止める手伝いができるなら……」
鉈の者が言ったことは杞憂に過ぎなかったのだ。私は後からやって来る彼らを顧みる。槍の者が、鉈の者に何やら囁きかけている。
「――似ていると思う?」
「まさか。草原の民だぞ」
「そうよね、どこもかしこも違うわ。髪も瞳も……それに、母さんはもっと逞しかったし。ああ、でも、性別は同じね」
「些細な点だ」
「神の御前では」
「……お前、シルシに似てきたな」
私たちの話がまとまったと見てか、二人はすぐにやりとりを打ち切り、鉈の者が前に出てきた。「俺たちはユバだ」、鉈の者は正面に鉈を突き立て、その柄に両手を乗せる。
「神は目覚められたばかりであり、御力はいまだ完全ではない。侵略者どもを打ち払うためには、祈り人よ、お前の力が必要だ。俺たちはお前を歓迎する」
草原を守る神の力はじきに消え、ここには死の風が戻ってくる。そうなる前に我々はユバの都に帰る。鉈の者は滔々と告げた後、ヤイカルに、故郷には戻らずともよいのかと尋ねた。ヤイカルはおずおずと、しかしながらはっきりと頷く。
「僕は、もともと家族はいませんし、村は……もはやどうなっているか」
「そうか。草原の民であれば、何人か都で保護しているが」
「本当ですか!? 生き残った人がいるんですか? 僕以外にも」
「神は祈り人を救えとおっしゃる。お前のように、機械兵から救出した者は他にもいるぞ。同郷の者かはわからんが」
「そう……いえ、それでも、よかったです。僕のように捕らえられていた人が、助け出されているなら」
ヤイカルの声は掠れ、抑えきれないふるえを帯びていた。
私は彼の背に手を当てる。手のひらにぬくもりが伝わってくる。神の御許へ旅立った祈り人には、決して持ちえないもの……
ヤイカルが大人しくしているのを確かめてから、私はもう一方の手を膝裏に当て、掬い上げるように抱き上げた。
「せっ、戦士様!? 何を!?」
「間もなく死の風が来るのに、まだ覚束ないようだから」
「い、いえ、歩けます、歩けますから!」
私の祈り人となることを引き受けたというのに、ヤイカルはひどい抵抗をする。腑に落ちない。あまつさえ、鉈の者が余計なことを言う。
「己より小さき者では不安だろう。ここは俺が担いでやろう」
「いえ、そういうことではなく……」
「必要ない。あなたは、自分の祈り人を担いでいるといい」
「生憎と、大人しく担がれてくれる奴ではなくてなあ」
「それは私の知ったことではない。第一、ヤイカルは私の祈り人なのだから」
ヤイカルが了承しなかったことに、私は少なからず安堵していた。兄ならばよいというわけではないのだ。私たちをよそに、槍の者はまたも一人で笑っている。
「あの、すみません。僕が、何だか……」
「あら、いいのよ。父さんったら、何でも口実にしてしまうのよね。そうやってあの子にばかり構うんだから。私も父さんの妹なのに、ひどいと思わない」
「え、は、はあ……は?」
槍の者の言には撤回を求めたかったが、その前に時を迎えた。
私たちの前に黄金の門が現れる。
神の力によるものだ。戦士を戦場へと運び、侵略者どもを刈り尽くした後にはユバの都へと帰す。我々はそのようにしてあらゆる場所に赴き、このユバの大地に蔓延る侵略者どもを一掃する。神の御業に驚くヤイカルにそう説いた後、私たちはともに門をくぐった。
まだふらつくヤイカルを支えて歩きながら、私はじっとその横顔を見上げる。ヤイカルは私の視線に気付くと、こちらを見やり、少し困ったように微笑む。
それは、次に「祈り人」と聞いた時、私が最初に思い浮かべる顔だった。