ラストリゾート
不意に、強い既視感に襲われた。けれども思い返してみれば、それはこの行動を取るに至った当初からずっと、私にまとわりついていたものである。奇妙な感覚の正体を掴みあぐねたまま、私は彼――今はまだ――の身体を跨ぐ格好で、両手と両膝をつく。
さて、これから先はどうすればいいのだろう?
暗がりに馴染んできた視野、ぼんやりと捉えられるラキオの輪郭。派手な化粧を落とした彼の寝顔は、普段の言動からは想像もつかないほどあどけない。
はたと先の違和感が腑に落ちる。いつか、どこかの宇宙で今と同じように彼の寝室に忍び込んだ時のこと。とは言え、ここは星間航行船「D.Q.O」ではない。また、私も汚染を受けてはいない。さらに付け加えるなら、乗員たちのうちラキオを消滅させた回数はうんと少ないはずだ。彼が邪魔な時はおおむね凍らせていたから。議論を誘導するまでもなく、槍玉に挙げられることも多かったし……
「フィー?」
と、不機嫌さの滲んだ声が頬を撫でる。暗闇のただなかのせいか、それは音よりも先に感触としてやって来た。
「君、何やってるンだい……」
アッ! ラキオが起きてしまった。
音声入力による照明の点灯。
室内は一瞬にして昼の色彩を取り戻した。起きしなに他人が上に乗っかっていた人間の顔を、今はじめて目の当たりにする。……なるほど。永い繰り返しの中で反射的にそういった感情の矛先をかわす習性が身に着いてしまった私は、咄嗟に彼女の真似をした。
キューン……(哀しむ)
「……僕は何をしてるのかと聞いたンだけど?」
ぴしゃりと撥ね除けられる。かわいげが足りなかったらしい。
しかしいつものラキオなら、続けて
「ほら、フィー、早く答えなよ。君だってその程度の芸当はできるだろ? まさかこの野蛮な行為に合わせて言語能力まで退化したンじゃないだろうね?」
くらいは言ってきそうなものだが、彼の言及はそこで終わった。よく見ると、瞼が重そうだ。食欲はサプリで抑制し、じき処置により交配本能も取り除くラキオは、どうやら睡眠欲に弱い。ループの中でも、議論が長引くと眠たそうにしていたものである。かの船団国家は規律に厳しいと聞くから、深夜の活動には慣れていないのかもしれない。
今は寝ぼけているとしても、ラキオに感情的な訴えや安易なごまかしが通用しないことは、幾度渡ったか知れない宇宙で身をもって味わっている。正直に認めよう。
これは、夜這いである。
「ハ? 馬鹿なンじゃないの?」
私の決死の自白は一言で切って捨てられ、ラキオは億劫そうに身体を起こす。
危うく頭を突き合わせそうになり、慌てて退くと、今度は私の……非常に言いにくいのだが、臀部がラキオの立てた膝にぶつかる。前にも後ろにも動けなくなってしまった。ラキオはたじろぐ私を見上げ、皮肉げに――かつ平然と――口の端を持ち上げた。
「ああ、答える必要はないとも。馬鹿なのはわかりきってるからね。ま、ここまで原始人じみてるとは予想外だったけど。いっそ貴重だよ。研究サンプルとして標本になるべきなンじゃないかな? ははっ、フィーを解剖したところで役に立つワケないか」
彼の舌は、私のイメージを超える調子を取り戻したようだ。
笑い声が上がった拍子に、耳にかかっていた髪が首筋へと落ちる。普段の極彩色の装飾に慣れているせいか、簡素な部屋着から覗く肌はやけに白く映った。
視線をどこに向けるべきなのか。尻の下にある、肉付きの悪い腿を嫌でも意識してしまう。文字どおり座りが悪い。
「――で、だ」
不意に笑みを引っ込めるラキオ。
きついまなざしは突き刺さるようだ。長い睫毛が目元に落とす影までよく見える。百を超える繰り返しの中でも、私とラキオはこれほど距離を詰めたことは一度としてない。
「聞いてあげようじゃないか。君がこの蛮行に及んだ理由をさ」
えっ。……このままで?
何を差し置いてもまず動機を尋ねるとは、彼の研究者としての気質がそうさせるのに違いない。いくらか迷った末に、私はSQの言葉を借りることにした。
…………もったいないと思って……
「ふーん? まあこの際、君の品性の低さは置いとくとして、あの青びょうたんじゃなく僕を選んだ点は評価してあげてもいい」
と、ラキオはよくわからないことを言う。青びょうたんとはまさにラキオを表す言葉ではないか、という疑問は、内心に留めておいた方がよさそうだ。
「他には?」
他とは。
「まだ他に理由があるンじゃない?」
発言の意図を測りかねていると、「ああ、やれやれだよ」、ラキオは溜め息をついた。そこでやられるとこそばゆいのだが、文句を言える立場ではない。いや、しかし、犯行を自供するのにこれは必要な体勢だろうか。
「いいかい、フィー。君は馬鹿で野蛮で品性こそ最低最悪だが――」
ラキオは面と向かって、どころか、鼻先で私を罵りはじめる。
「――同じレベルの者同士で通じ合うのが得意だろう? 僕は凡愚どもと馴れ合うのは不得手なンだ。だからその点では、僕がこれからやろうとしてることには、下手に賢しい連中よりは君のような愚か者こそ使い勝手が良いとも言えるだろうね」
はて。散々な言われようはいつものこととして、ロジックの着地点が見えない。瞬くしかない私に、ラキオは苛立たしげに告げる。
「ここまで言ってもまだわからないのかな? 君の思うことを率直に言いなよ」
私の……
困惑は強まる。しかし今さら、どうにも取り繕いようがない。逃げ場もない私は、言われるままに胸のうちの言葉を浚う。
私は……私は、寂しいのだろうと、思う。
結局セツとは別の次元を生きることになった。
いや、そもそも、セツだけではない。私と心を通わせてくれた人たちは、皆そうだ。SQも。ジナも。ステラも。シピ。コメット。オトメ。ジョナス。しげみち。夕里子。ククルシカ――は、少々事情が異なるにしても。
今の彼とよりもずっと近しい距離で抱き合った沙明も、たどたどしく好意を伝えてくれたレムナンも、私は無情にもどこかへと置き去りにしてきたのだから。ああ、あのラキオだって、一緒に星系を滅ぼそうと誘ってくれたのに。
ラキオはこれから汎性になる。
この宇宙で私と出会う前から、どの宇宙でも決められていたこと。
彼に汎になるなとは言えない。こうして強硬手段を取るのが最適解かと問われれば、頷けるはずもないのは重々承知している。けれど私には、どこかの宇宙でSQが投げかけた戯れに乗るやり方しか残されていなかった。
「……この僕がグノーシア汚染を? まあ、可能性はなくもない……アレは脱出の時に紛失したと思ったら、フィーの仕業だったってワケだ」
私が吐き出したのはもっとおぼつかない音の羅列だったが、ラキオはずっと多くのことを把握したらしい。目を伏せてなにやら呟いていたかと思えば、やおら顔を上げた。
「……それだけ?」
先ほどから、ラキオは私から何かを引き出そうとしている。彼の皮肉がいやに大仰であったり婉曲的であったりするのは、今に始まったことではないけれど。はっきり言ってくれないとわからない、と私は正直に告げた。
「それはこっちの台詞だよ」
ラキオはひどく不機嫌そうに言った。そうして起こしていた上体をベッドに沈める。枕がぽすんと軽い音を立てる。
「不合格だ。そして時間切れだね。……フィー、いい加減重いンだけど?」
ラキオに負担をかけまいと――なるべく身体に触れないようにと、せいいっぱい腕を突っ張っている私に対して、あんまりな言葉だ。第一それは、重力制御装置の故障のせいではないだろうか?
私の言い訳に聞く耳を持たず、ラキオは私の二の腕を掴んで引いた。そろそろ筋力に限界を感じていたこともあり、私は呆気なく彼の上に倒れてしまう。
「ふぁあ……僕はもうおネムだよ。君も早く寝たら?」
えっ。……ここで?
あくびをしながらのラキオの合図で、ふいと部屋の照明が消える。私を脇に抱いたような格好で、ラキオは眠たげに言う。
「監視システムに見つかって灰にされたくはないだろう? ここまでどうやって来れたのか知らないけど、どうせ狙って警備を潜り抜けたわけじゃなく、当てずっぽうか何かじゃない?」
……そんなに物騒なシステムを採用していたのか。どうやら私は、知らないうちに随分と危ない橋を渡っていたらしい。今頃になって背筋に怖気が走る。
「それに下手にうちのエンジニアに見つかって、使い物にならなくされたら困るからね……」
確かに、彼のトラウマをいたずらに刺激するのは、私としても不本意である。朝帰りを見つかっても面倒だろうが、それは明日の朝一番のミッションになりそうだ。
観念して肩の力を抜いた私に、「いいかい、フィー」、ラキオがほとんど呟きのようなあやふやな口調で言う。
「……僕からは絶対に言ってやらないから」
……?
どういう意味なのか。問い返せば、彼はもう寝息を立てている。
眠り込む横顔は、見つめても暗闇にじわりと滲んでよく見えない。つられてか、それとも明かりがないせいか、私にも重たい眠気が這い寄りつつあった。私は身動ぎをしてラキオとシーツの間に挟まる。
動いている時間の中で触れる彼の体温は、存外、冷たくはない。
――「弱いねえ人間ってやつは!」
ラキオは堪えきれずに哄笑した。
身体がはち切れんばかりの昂揚が込み上げている。これまで鬱屈した生を送ってきたつもりは露ほどもない。しかし、この晴れ晴れとした解放感はどういうことだろう。人間という存在の矮小さゆえなのか……
「さあ、フィー。次はどの星系を滅ぼしに行こうか?」
船の制御盤の前で立ち尽くしていたフィーが、こちらにぽかんとした顔を向ける。
「……何を間の抜けた顔してるンだい」
私も、一緒に行っていいの? 彼女は間抜け面を晒したまま問う。その鈍い反応がやけに腹立たしい。これからの楽しみに水を差された気分だ。
「当然、決まってるじゃないか。今回の君の働きは僕も認めるところではあるからね。ほら、ボンヤリしてないで早く準備しなよ」
「良い旅を――」
と、その時、そう言ったのは夕里子だった。
ラキオはそちらを見やり、そして再び制御盤へ目を戻す。そこには誰もいない。
もちろん、いるはずがない。つい先ほど、この星間航行船「D.Q.O」は我々グノースの徒が制圧した。人間はすでに向こうへ送り出したか、あとはコールドスリープに就いている。船内を自由に動き回る者はラキオと夕里子のほかにいない。ましてや、船を操る制御盤に近付ける者など。
「忙しないこと」
夕里子は笑い、踵を返した。まだ次の行き先も設定していないと言うのに、部屋に戻るらしい。まあ、彼女が何をしようとどうでもいいことだ。
誰もいない、何もない室内を見渡す。
膨れ上がった昂揚感はそのまま、けれど、どこかにポッカリと大穴が空いている。何を喪ったのか、もうラキオにはわからない。
……目を覚ました。
夢か。
感覚的に、まだ朝と呼べる時間ではないようだった。今しがたの奇妙な夢は、並行宇宙の記憶を垣間見たなどというオカルトではあるまい。夢の機能などとうに解明されている。フィーのしどろもどろな打ち明け話を、この頭脳が整理した結果というわけだ。
悪夢をもたらした当の本人は、すやすやと心地よさそうにラキオの隣に収まっている。
「僕はまだ汎じゃないンだけどね……」
フィーがどんな手段を取ったところで、今さら性別を変えるつもりはないけれども。言葉にもできないような、生半可な気持ちで振り回されては堪らない。
夢の中で得ていた興奮はすっかり冷え切って、その温度差に驚きを感じるほどだ。寒々しいが、不快な感覚ではない。あの大穴を埋める位置に、今はフィーがいるからかもしれない。
広がる髪の一房を掬い上げてみたあとで、ラキオはまた目を閉じ、今度はおだやかな眠りに身を委ねた。