いつか、いつものように

「……シイコ。どうしたんだ? これ」
 テーブルの真ん中に堂々と鎮座している大きなチョコレートケーキを指して、マッシュが尋ねてきた。片方の手で、今にもそれに飛びつきそうなガウを抑えている。
「皆さんにと思って、作ったんです」
 椎子はにっこり笑って応じた。
「日本では、今日はバレンタインデーと言って、お世話になっている人に感謝の気持ちをこめてチョコレートを贈る日なんですよ」
「へー、そんな習慣があるのか。面白いな」
 頷いたマッシュはその後、でも、と続けた。
「何でチョコなんだ?」
「え? えーと……」
 問われて、椎子ははたと答えに詰まる。そんなことを深く考えたことはなかったが、言われてみると、確かに不思議だ。しばらく思案してから、椎子はぱんと両手を合わせた。
「おいしいからです!」
「……いや、たぶん違うと思うぞ、それは」
 椎子とマッシュが話している間にも、「どれどれ」「これは見事でござるな」「リルム様も食べるー!」「これこれ、行儀が悪いゾイ」、口々に言いながら、皆が集まってくる。数日に一度ある、今後の指針を話し合う場が、つい先程まで設けられていたため、飛空艇内のこの一室にはほとんどのメンバーが揃っていた。
 今日という日、午後のお茶にちょうどよい時間にそれが行われたのは、椎子にとって幸運な偶然だった。
「いいな、俺、こういうの好きだぜ」
「……そうなの。ロックはこういうのが……」
 こちらにやって来ながらロックが嬉しげに言ったのに、セリスがふむふむと頷いている。
「レディが作ってくれたものとなると、なおさらだね」
「そういうものかしら……男の人が作ったものじゃ、駄目なの?」
「駄目だとは言わないさ。レディの気持ちがこもったものが、嬉しいという話だよ」
 ティナの的を外した質問にも、エドガーはいつものようににこやかだ。
 その時、賑やかになった輪から、すっと黒い影が離れていくのに椎子は気が付いた。慌てて、傍らのティナに話しかける。
「ティナさん、あの、すみませんが、皆さんに切り分けていただけませんか? 私、お茶を持って来ます」
「ええ、わかったわ。……手伝わなくて、平気?」
「いえっ、用意はしてあるので、大丈夫です!」
 勢いよく答えて、ぱっと踵を返す。
 廊下に出たところで、椎子はその人物を呼び止めた。
「シャドウさん!」
 一人(と一匹)で部屋へ戻るつもりだったらしいシャドウは、椎子の呼びかけに静かに振り向いた。
「……何だ」
「え、えっと、あの、シャドウさんは、たぶん甘いものは苦手だろうと思ってですねっ」
 椎子はしどろもどろにまくし立てた。
 もう少し落ち着いて話した方がいいことはいいのだろうが、そうなってからでは絶対に言えない。勢いに任せ、密かに隠し持っていた包みを差し出そうとして、
「こっちはそんなに甘くないですから……よ、よかったら」
 その瞬間、ずしっと頭が重くなった。次いで、手の上が軽くなる。
「ほぉ、こんなものまで用意してたのか。お前にしては気がきくな、シイコ
「…………」
 頭上から、声が降ってきた。
 頭を肘かけのように使われているために顔を上げることも叶わないが、そうできなくても、椎子にこんなことをしてくる人は、飛空艇内に一人しかいない。
「セ、セッツァーさん!? ちょ、ちょっと、どいてくださいっ、それと、返してください!」
 椎子の抗議に、セッツァーはようやく腕をどかしてくれはしたものの、椎子から取り上げたチョコをひらひらと掲げた。
「何でだよ。俺にもくれたっていいだろ?」
「それはシャドウさんのですから。それに、甘いもの嫌いじゃなかったですよね?」
「まあな。食えなくはない」
「嘘ばっかり! その辺はもう調査済みなんですよ!」
 かっかする椎子に、セッツァーもさすがに本気で取り上げる気はなかったのだろう、割とすんなりと返してくれる。
 しかし、すっかり出鼻をくじかれた椎子は、しゅんと肩を落としながらシャドウに向き直った。
「シャドウさん、あの……」
 改めておずおずと差し出すと、ややあって、黒い布地に覆われた手が無造作に包みを拾い上げた。
「貰っておく」
 それはもしかしたら、目の前で延々と続きそうだったやりとりが欝陶しかったとか、早く部屋に引き上げたいだとかそんな思いからかもしれないが、とにかく無事にシャドウの手に渡ったことに、椎子は顔をほころばせた。
「あっ、ありがとうございます!」
「……お前が礼を言ってどうする」
「えっ? あ、そ、そうかも……ですね。でも、受けとってもらえて嬉しいです。ありがとうございます」
 椎子が頭を下げると、シャドウは苦笑でもしたのか、短く息を吐いた。それからこちらに背を向けて、インターセプターとともに廊下の奥へ消える。
 よかった……と満悦の体でいた椎子は、
「……随分嬉しそうだな?」
 セッツァーの意地悪そうな声に、我に返った。顔から血の気が引いていく。
 しまった。
 この人の存在を完全に忘れていた。
「そ、そうですよ。だって、せっかく作ったんですから」
「それにしては、なあ……確か、世話になってるヤツにやるんだっけか?」
 椎子が内心焦りまくっているのを見透かしているかのように、セッツァーはにやにやしている。
 セリスや他何人かには、このイベントの本来の意味をこっそり教えはしたが、くれぐれも口外しないでほしいと念を押しての上でのことだし、この世界に類似したイベントがないことも確認している。
 なのにこのギャンブラーと来たら、しっかり感づいたうえに、それをネタに椎子を弄り倒そうとしているのだ。
「俺にも寄越せよ、シイコ。いつも世話してやってるだろうが。感謝しろ」
「ないないない、それは絶対ないです、お世話になった覚えもないです」
「……甲板から放り出してやろうか、オイ」

 この時は何とか彼の攻勢をかわした椎子だったが、結局、セリスからチョコをもらったロックが後日それを他メンバーの前でうっかり漏らしてしまったことで、その努力は無駄になってしまった。
 そして皆からのあたたかいまなざしに耐えられなくなった椎子が数日部屋に閉じこもってしまうのは、また別の話だ。