家出編1

 ゲームクリアの音楽を奏できると、掌中の機械はそれきり沈黙し、真っ暗な画面のまま動作を止めてしまった。再スタートのボタンを押す気にはなれず、セツナは遊んでいた携帯型ゲームの電源を切った。手持ち無沙汰に部屋の中を見渡す。
 セツナの部屋はたくさんの物で溢れている。
 小さな遊具、着せ替え人形やぬいぐるみ、ままごとの小道具、模型、パズル、楽器。他にも、すべて挙げきるのは難しいほどに。鉄格子の嵌まった天窓は明かり取りとしては不十分で、それらはどれも煌々とした室内灯に照らされて不健康な色合いに輝いていた。
 父は頼めば、いや頼まなくたって、セツナに何でも与えてくれる。おもちゃやゲームに限らず、甘くて美味しいお菓子も、ひらひらした綺麗な洋服も……そんな贅沢を尽くした部屋の中にいて、けれどセツナはひとり絶望に暮れていた。セツナが本当に欲しいのは、そういったものでは決してないからだ。
 セツナは未来が欲しかった。
 思いがけない、予想もつかない未来が欲しい。なぜなら、この先セツナのもとを訪れるありとあらゆる未来の出来事は、すでに結果が決定付けられている。
 セツナの父は、そのことをとても喜んだ。セツナをあちこちに連れ出しては、他の大人たちと一緒になってセツナに選択を迫った。たくさんの封筒の束から、びっしりと印字された紙面から、セツナには理解の及ばない数字の羅列から、何かひとつを。ともすれば、狭い部屋に並んだ数人のうちの一人をマジックミラー越しに選ばされたこともある。
 その後で大人たちがどうしたのか、セツナに知らされることはない。ただ、セツナが選ぶにつれて、父親の身なりは派手になっていく。屋敷の使用人の数が増え、提供される食事が豪勢になり、家具が次々と新調される。
 セツナのことを、大人たちは「幸運」だと言った。運に恵まれていると。
 本当にそうだろうか?――セツナは言われるたびに首を傾げざるをえない。
 セツナが何を思おうと、何を行おうと、未来は決まりきっている。そこにセツナの意志が介在する余地はない。自ら選んでいるようで何も選んでいない。まるで、あらかじめ整えられた道をただ歩かされているような一生。
 そんなものに、いったいどんな価値があるのだろうか。
 セツナはゲームが好きだ。
 特にボードゲームの一種、サイコロを振りコマを動かしていくすごろくが好きだった。お気に入りはこの携帯機でプレイする、すごろくのゲームソフト。プレイヤーはサイコロの目に従って、人の一生に見立てた道筋を辿っていく。
 そこではさまざまなイベントが起こる。
 成功があり、失敗もある。結果を左右できる本物の選択がある。ゲームをしている間だけは、ひとつきりではない、さまざまな未来がセツナを待ち受けてくれる――
 セツナはベッドサイドから立ち上がって、テーブルに手を伸ばした。並べられたお菓子には目もくれず、そうっとそれを拾い上げ、手のひらに乗せる。
 何の変哲もない、ただのサイコロだ。
 白塗りの小さな六面体には、それぞれの面に一から六の数を表す丸が記されている。端がところどころ欠けているのは、もう長いこと使い古しているからだった。
 セツナはサイコロを握り込んだ。
「奇数なら、このままここにいる。偶数なら……この家を出る」
 選択肢に数字を割り当ててからサイコロを転がし、出た目のとおりに実行する。いつもやっている、お気に入りのゲームのまねごと。このときそうしたのは、ほんの思いつきだった。もしかしたら、父に連れられた先でよく会う少女が「パパなんて大ッキライ! こんな家出ていってやる!」と息巻いていた姿が心をよぎったのかもしれない。彼女はそのパパからのプレゼントで、すぐに機嫌を直していたけれど……
 サイコロを振る。

 おめでとう!

 突然、さっき確かに電源を落としたはずの携帯ゲーム機から、けたたましいファンファーレの音が流れ出した。
 驚いて、ベッドに放置していたゲームを覗き込む。明々と光る画面、描かれたマップに連なるマス目、とある一マスの上でプレイヤーを示すコマがチカチカと明滅している。「おめでとう」の文字に続いて、次々と文章が表示されていく。

 賽は投げられた!
 君は自由な未来を求め、この家を離れる決心をした。
 さあ、準備はすっかり整っている。
 君はサイコロと鞄ひとつを持って扉の前に向かう。

 このゲームをやり込んでいるセツナは、コマがマスに止まったときに起こるイベントの種類をほぼ把握している。
 しかし、こんなものはこれまで一度も見たことがなかった。それにいつもなら、すごろくで楽しめる仮想の人生はセツナの現実とはかけ離れたものだ。なのにゲームの画面には、やけに現状に合致する単語ばかりが並んでいるではないか。
 自由な未来。家出。サイコロ。
 そして……鞄?
 セツナが目を上げれば、すぐそこに大きな鞄が忽然と現れていた。雑多な部屋の中にあって、それはどのおもちゃにも馴染まず寂しくぽつんと座り込んでいる。
 近付いて調べてみても、どこにもおかしなところのない、普通の鞄だった。造りはしっかりしているようで、持ち上げてみるとそこそこに重く、詰められた荷の多さをセツナに知らしめた。……なるほど、「準備はすっかり整っている」。
 セツナはサイコロをスカートのポケットにしまった。サイコロと、鞄――そうだ、この奇妙なゲーム機を忘れてはならない。セツナはゲームの表示に従って扉の前に立つ。

 君がドアノブを回してみると、扉の鍵は開いている。

 ここには、決まって外から鍵がかかっている。昼間に食事を持ってきた使用人が出ていく際に錠を下ろした音だって、セツナは耳にしている。
 だが、セツナがノブを回すと、ごく軽い手ごたえとともに扉は開いた。
 セツナは外へ足を踏み出した。ひとりでそうするのは、「幸運」になったセツナが「選択」を強いられるようになり、この部屋に押し込められて以来、初めてのことだった。

 部屋を出ると、廊下が長く左右に伸びている。
 君はまず最初の自由を選ぶ。
 サイコロを振って奇数なら左へ、偶数なら右へ。

 ……セツナは少し考えた。
 それから、ハンカチ(鞄の側面のポケットに入っていた)を床に敷き、その上でサイコロを転がす。

 君は右の道を選んだ。

 ゲームに描かれたマップは、この屋敷の見取り図になっているようだ。さらに、現実のセツナともリンクしているらしい。プレイヤーアイコンが、分岐路を右へと進んでいく。

 誰かに見つかると、部屋に連れ戻されてしまうに違いない。
 君は音を立てないように注意深く前へ進む。

 音を立てないように――そういうことをしないといけないのか。セツナは思ってもみなかった一文に驚き、同時に感心した。何しろこれまで、こっそり部屋を抜け出すなんてことは実践どころか考えもしなかったのだ。
 やってみると、案外難しい。硬い床はセツナの足跡を容赦なく音に変換していく。

 廊下の前方から誰かがやってくる。

 ゲームの表示を見て、セツナは足を止めた。

 君は周囲を見回して隠れられそうな場所を探す。
 右手にある壺の飾り台は、人ひとりが陰に身をひそめることができそうな大きさだ。左手には、どこに続くとも知れない扉がある。
 サイコロを振って奇数なら……

 先ほどと同じようにサイコロを振って、扉の奥に隠れることを選ぶ――が、扉をくぐってすぐに、使用人とばったり出くわしてしまった。

 どうやらここは使用人用の通路だったようだ。
 とにかく逃げるしかない。君は来た道を引き返す。

 立ち尽くしていたセツナは、ゲームに促されてすぐに踵を返した。おそらく、相手もセツナと同じくらいに驚いていたのだろう。その隙をつくことができたのは僥倖だった。
 セツナが背中を向けてから、遅れて人を呼ぶ声、慌しい足音。

 追っ手は君を見失ったようだ。
 君はこのまま逃げ続けてもいい。どこかの部屋に隠れてしばらく様子を窺うのもいいだろう。
 サイコロを振って…

 どうやらこのゲームの要領が掴めてきた。
 セツナが何か行動を選ぶたびに、サイコロを振る必要があるわけだ。セツナにとって選ぶという行為は、これまでは「未来に選択の余地はない」という事実を突きつけてくる、ひたすら苦痛をもたらすものでしかなかった。けれど……
 けれど今は、何だか楽しい。
 ゲームの出来事が現実になっている。どうして突然そうなったのかはわからない……でもある日からセツナがひとつのことしか選べなくなってしまったのにだって、理由はなかった。きっと、それと同じこと。
 セツナの未来がひとつきりになったときのように、理由もなく、予兆もなく、セツナの未来は自由になったのだ。







 どこもかしこもこの場所にふさわしくない少女の姿が、男の目を引いた。
 そこは、治安がよいとは決して言えない街の一角だった。外観だけはそれなりに小綺麗なものだから、時折よそ者が迷い込んでは身包みを剥がされて、運が悪ければ身包みだけになって、外へ出ていくのが日常だ。
 そんな通りの只中を、年端のいかない少女がひとりきり、歩いている。
 少女が歩を進めるたびに、大きな鞄がひょこひょこ揺れる。仕立てのよい服を着て、髪も肌も艶々した、見るからに「いいところのお嬢さん」だった。ただ、携帯型のゲーム機を手にしていて、伏せた瞳はそこに釘付けになっていた。良家の子女のイメージからは乖離したアイテムだ。そのちぐはぐさがまた、少女の存在感を浮き彫りにする。
「君、迷子かな?」
 思わず、男は声をかけていた。
 少女は足を止め、男を見上げる。
 男は当然、善意から呼び止めたのではない。この年頃の子供を欲しがる金持ちはごまんといる。そういった趣味の悪い金持ち連中と渡りをつけられる伝手が、男にはあった。もし買い手がつかなかった場合にも、小分けにして捌けばそれなりの小遣いにはなる。
 ――まあ、そう心配せずとも、この見目なら高値がつくだろう。人好きのする笑顔を貼り付けて少女の容姿をつくづく眺めながら、男は胸中でそんな算段をつけていた。
「……いいえ」
 随分な間があって、少女がポツリと言う。
「そう。お父さんかお母さんは?」
「…………」
「はぐれたの。一緒に探してあげようか」
 目線を合わせるために屈み込むと、なにやら音楽が微かに耳に届いた。音量が小さくてよく聞き取れないが、少女の持つゲームが陽気な曲を奏でているようだ。
 じっとこちらを見つめていた少女は、やがてふいと視線を落とすと、ゲーム機を操作し始める。さっきから、何をそんなに夢中になってやっているのだか。男はさりげなく画面を覗き込んだ。子供の遊びに詳しくない男にも、これはわかる。双六だ。

 君の前にいるのは、人買いにも手を染める悪党だ。
 彼は君を攫って売り飛ばすつもりでいる。

 ぎょっとした。
 幼い子供が遊ぶものにしてはあまりに物騒な文面であったし、何より、咄嗟に自分のことを言い当てられたような気分に陥ったからだ。

 君は誰かに助けを求めるために逃げ出してもいいし、勇気を持って悪漢に立ち向かってもいい。また、抵抗を諦めて従う道もあるだろう。
 サイコロを振って、一・二の目なら……

「君……難しそうなゲームをやってるんだね……」
 もちろん、偶然には違いなかろう。そうは思っても、若干、声が引き攣ってしまう。
 少女は男の言葉には応えず、洋服のポケットをまさぐった。
 取り出したハンカチを地面に敷き、男がなにごとかと見守る前で、握った手を宙に突き出し、手のひらを開く。ハンカチの上を白いサイコロが転がった。

 勇敢な君は悪に立ち向かうことを選んだ。
 君の手には新たなサイコロが握られた。
 このサイコロを振り、君は悪を裁くことができる。しかし、そのために君は相応の覚悟を持たなければならない。
 半数の確率で、裁かれるのは君自身となる。

 いったいなんなんだ。
 男はいよいよ、容易には飲み下せない不気味さを感じ始めていた。人気のない路地にはもう夕闇が忍び寄ってきていて、辺りは静まり返っている。場違いに明るいゲームの音楽だけがやたらと耳につく。

 ――さあ、君の勇気と運を試す時だ。

 少女は男の目の前に、その小さな手のひらを突き出した。握り、また開く。
 突如、膝の上で凄まじい熱が弾けた。衝撃のままに尻もちをつく。何が起こったのか。見ると、少女の足もと、先まで自分が屈んでいた場所に、脚が落ちている。断面から赤い液体を噴き上げるそれは、やけに見覚えのある靴を履いていた。
「ウワッ――」
 それが己のものだと気付いてようやく、激痛が襲いかかってきた。痛みから逃れようと地面をのたうつも、それは男の神経にどうしようもなくこびりついて剥がれない。
 懐中の携帯電話を探り、何度も失敗しながらやっとのことで取り出す。しかし指先に力が入らず落としてしまった。地面を滑った携帯電話は、少女のつま先にぶつかる。
「ひっ、人を呼んでくれっ。救急車をっ」
 少女はそれには目もくれず、ただ静かに男を見下ろしていた。慌てるでもなく、おそれるでもなく、哀れむでもなく、嘲るでもなく――
 裏社会に身を置いている以上、男は気付かなければならなかった。
 このいとけない少女が、己が声をかけるまで、なぜ誰に拐かされることもなくいられたのか。そして知っていなければならなかった。世界には常識の枠の外の力を持つ者たちがいて、彼らは必ずしも、その力に見合った獰猛な姿をしてはいないということを。
 少女はちらとゲーム機を見て、それからまた男に視線を戻した。
 その真っ暗な瞳には何の色もよぎらない。燃え盛るような痛みにあえぎながら、男は同時にぞっと寒気を覚えた。少女にとって、男がもがくさまとはゲームの中の映像と等しいのだと悟ったからだった。
 少女が再び、手を突き出す。
 囁き声のような軽快な音楽だけが、最期まで、執拗に男の耳に注がれ続けていた。







 セツナが生まれてはじめて乗った列車では、見ず知らずの老夫婦との同席となった。
「まあ、一人でお出かけなんて、偉いわねえ」
「お昼はもう食べたの? お弁当は向こうで買うのよ」
「お菓子があるんだけど、今時の子はこういうのは食べないかしら」
 老女はしきりに話しかけてくる。
 セツナは、父や限られた数人以外とは、会話した経験をほとんど持たない。ぎこちなくぽつぽつと口にする言葉は「はい」「いいえ」「ありがとうございます」の三種類くらいのものだったが、老女は気に留めたふうでもなく、そのいずれにも嬉しそうな顔で大きく頷いた。セツナが返答の前にサイコロを転がすのを見ても、「最近は変わった遊びが流行ってるのねえ」と自ら納得していたくらいだ。
 向かいの席の老夫は寡黙で、老女があれこれセツナの世話を焼いている間、口出しせずに顰め面で新聞を読んでいる。
 老夫が広げた新聞の、こちら側に向けられた紙面には、大きな見出しに囲まれて見慣れた顔が載っていた。セツナはその写真をじっと眺める。すると老夫は不意に目を上げ、新聞を二つに折って差し出してきた。
「読むか」
 よほどセツナの視線がうるさかったのだろうか。セツナはありがたく新聞を受け取った。もちろん、サイコロを振って是と出てからだ。
 セツナは見出しの文字を追う。

 実業家カンザキ氏 失踪か。
 ……事業に失敗……多額の負債……連絡が取れておらず……関係者は氏の安否を……長女のセツナちゃんも同日から行方がわかっていない……

 その下には、バラバラに切断された遺体がここ数日でいくつも見つかったことや、各所でかまいたちが発生し多数の怪我人が出ていることを報じる記事などもあった。セツナはおおざっぱに拾い読みし、新聞を閉じた。
 新聞を返すと老夫は相変わらずの険しい顔で、老女は「セツナちゃんには、まだ少し難しいわよねえ」と穏やかに笑っている。
 セツナはゲームを再開することにして、ゲーム機を持ちなおしながら、考えてみた。
 これは果たして、どちらなのだろうか。
 セツナが外を選んだから家がああなったのか、はたまた、家がああなるからセツナが外を選んだのか――けれどその関心もすぐに削がれて、セツナはゲームの世界に没頭する。家にいた頃のセツナなら、それはとてつもなく重大な意味を持つ問いかけだった。でも、もうどちらでも構わない。
 なぜならセツナは自由だからだ。
 セツナコマの先に続いていくマスは、いくつもに枝分かれしどこまでも伸びている。辿り着いた場所で何が待っているのだろう。セツナはそれが知りたくてサイコロを振る。
 セツナには何の自覚もなかった。
 セツナの言う自由は果てしなく矛盾していること。誰から見たとしても、セツナは自由どころか救いようがないくらいに縛られていること。新しくセツナのお気に入りとなったゲームを、一部の人々は念能力と呼ぶこと。もしもセツナが己の意志のみで道を選び一歩を踏み出したなら、その瞬間、制約と誓約により死に至ること……
 自覚しないでいられることこそが、セツナの「幸運」なのかもしれなかった。
セツナちゃんたら、そのゲームにずーっと夢中なのねえ」
 セツナの様子に興味を引かれたのか、老女が言う。
「楽しそうね?」
「はい。とっても」
 セツナは微笑んで頷いた。
 たとえ誰に否定されようと、セツナセツナの望むとおりに、自由になったのだから。
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セツナカンザキ(特質系能力者)
一挙一動により、あらゆる状況を必ず好転させることができる。
先に結果が決定し、それから過程が作られるため、いかな妨害や誤魔化しも不可能。
物質的な利益をもたらさないもの(たとえば、一人で遊ぶゲームなど)には効果がない。
制約と誓約に基づき「賽は投げられたライフ・アットランダム」に変質した。

賽は投げられたライフ・アットランダム
現実をすごろくゲームに落とし込み、かつ、ゲームの内容を現実に反映させる。
制約と誓約は、すべての意思決定をサイコロを振って行うこと。
一度出たサイコロの目に逆らってもならない。

刹那の裁断ダイス・コランダム
念で具現化したダブルダイス。
外のサイコロには数字が、中のサイコロには身体の各部位が書かれている。このサイコロを振ると、出た目に従って数字の割合だけその部位を"裁断"する。
赤の面と青の面があり、青が出ると(つまり1/2の確率で)使用者がダメージを受ける。

偉大なる愛ビッグ・マム
死者の念。制約と誓約により変質した。
もとの願いがどんなかたちだったのかは、もう誰にもわからない。