家出編2
ネオンには、歳の離れた友人がいる。父の知り合いが、娘を伴って屋敷を訪ねてきた。そういうことが何度か続いて、そのうち父親同士が仕事の話(ネオンにはよくわからない、また興味もない話だ)をしている間は一緒に遊ぶようになったのだ。
友人の名はセツナという。
セツナはまるでお人形みたいな容姿をしていて、しかし、その見目にはおよそふさわしくない携帯用のゲーム機をいつも持っていた。何度か遊ばせてもらったけれど、ネオンがそれで得られたことは、ゲームはあまり好きではないとわかったくらいだ。
ネオンはショッピングが好きだ。競りも好き。洋服や髪飾り、化粧品なんかの身体を飾り立てるものを買うのもいいけれど、もっと直截に、人体の一部を買い集めるのが好きだった。セツナは、部屋にこもって遊ぶのが好き……というより、仕事以外では滅多に外に出してもらえないらしい。ネオンも同じだが、話を聞く限りではどうやらネオン以上に厳しく監視されているようだ。
そのセツナには、奇妙な癖がある。
ふとした瞬間に――とりわけこちらが何か問いかけたときには、サイコロを転がす。ネオンがはじめてそれを見たのは、彼女と最初に引き合わせられた日、ネオンの侍女が彼女に「飲み物は何がいいか」といったことを尋ねたときだった。
「ねえセツナちゃん。それ、なあに?」
「サイコロです」
「……うん、それはわかるけど。何やってるの?」
セツナはサイコロを拾ってそうっと手のひらに乗せ、いかにも大事そうにポケットにしまった。それから、大きな黒い瞳がネオンを見やる。
インクの色よりも、夜空の色よりも真っ黒な瞳だ。何を集めて煮詰めればこんなに黒くなるのかしら、と、そのときネオンは不思議に思った。
「こうしたほうが……いいものが選べる気がして」
「ああ、あるよねー、そういうの。あたしも占いの結果は絶対見ないようにしてるし――」
後から振り返ってみると、打ち解けたきっかけはこの会話だった。
年齢、趣味嗜好、生まれ育った土地、たくさんの相違があれど、二人の境遇はとても似通っていた。父と娘の二人家族であること、未来を言い当てる仕事をしていること、不自由はなくとも少々窮屈な暮らしを強いられていること。どこへ行くにも必ず護衛が付いて回るネオンには友人が少なかったから、共通点を見い出したなら、好意を持つようになるまでそう時間はかからなかった。
それに、セツナはネオンの話を聞いてくれる。
大抵の人は、ネオンのコレクションを見ると嫌そうな顔をするものだ。ダルツォルネに言ってすぐに替えてもらうので、今の侍女は愛想のよい反応をする。コレクションを褒め、ネオンを讃える。でも、何かが違う。うわべだけの感じがする。
セツナは、ネオンが熱く語っている最中にはにこりともしないし、返事も小さく相槌を打つだけ。それでも、じっと耳を傾けてくれているのは伝わった。ときには、美術品たちにどのような逸話が隠されているのか、どのような経歴を経てネオンのもとにやって来たのか、セツナの方から問うてさえくれるのだ。
ネオンを見つめる黒々とした大きな瞳の中には、悪感情などかけらも見当たらない。ネオンはおしゃべりをしながら、その黒曜石のような眼を覗き込むのが好きだった。
人体収集に協力してもらうこともあった。
違法オークションサイトにずらりと並んだ写真たち、そのいくつかをセツナに選んでもらう。すると、必ず良品を引き当てられるのだ。
「やったあ、お宝ゲットだよお! ありがとうセツナちゃん! あっ、そうだ、お礼にあたしも占ってあげよっか?」
「……いえ」
ネオンがそう持ちかけても、セツナは絶対に首を縦に振らない。
「未来のことがわかるのはつまらないから」
「……んー、そっか」
セツナの言うことは、昔ネオンが憧れていた占い師の言葉と少し似ている。
収集家の楽しみとは、コレクションを集める過程にもあると思う。たくさんのハズレの中からアタリを探し出したときの喜びはひとしおだ。必ず良いものを掘り当てるとあらかじめわかっていたら、それはそれでつまらない。きっとそういうことなのだろう。
――そのセツナが、半年振りにネオンを訪ねてやって来た。
「こんにちは。ネオン」
「セツナちゃん! わあっ、久しぶりー! 元気だった?」
突然の訪問に驚いたネオンだったが、嬉しいことには変わりない。ネオンは喜んで彼女を自室に迎え入れた。
いつもなら、セツナが来ることは、父があらかじめ知らせておいてくれる。先日から家を空けている父は、うっかりダルツォルネに言付け忘れたに違いない。これを口実に何をねだってやろうかな、などと考えて、ネオンははたと首を傾げた。父が不在なら、セツナがこの家にやって来る理由がない。
「ね、セツナちゃんのパパは?」
「いません」
「えっ? それって……」
「わたし、家出してきました」
「家出!」
ネオンはあんまりにびっくりして、オウム返しで返事をした。確かにセツナはこれまでと違って、ゲーム機のほかに見覚えのない大きな鞄を持っている。
「ホントに? セツナちゃん、ここまでひとりで来たの?」
「はい」
「ええーっ、すごーいっ! いーなーっ、楽しそう!」
「はい、楽しいです」
セツナはちょっと笑って頷いた。普段はあまり表情を動かさないセツナだ、余程なのだろう。セツナの黒い瞳はきらきら輝いて、本物の宝石みたいだった。
「ね、セツナちゃん。話、もっと聞かせて!」
「……サイコロを振ります」
もし乞われたのがネオンだったら、興奮しきりで一も二もなくしゃべってしまいそうだが、セツナはきちんと常どおりに彼女のおまじないを実行した。「はい、構いません」、サイコロの目は幸いにも空気を読んでくれたようだ。
セツナは家を出てここに来るまでのひととおりをネオンに話して聞かせた。こんなに饒舌なセツナを見るのは、前に入手困難な幻のゲームの話をしていたとき以来だ。
ネオンにも半年分の話題がある。パパとこういうことがあって、そうそう、こんなお宝が手に入ってね、とりとめのないおしゃべりを続けた。テーブルのティーポットが何度か空になった頃、ふと話題が途切れる。
「セツナちゃんとは、これからはもうあんまり遊べなくなっちゃうね」
ネオンは急に寂しくなった。
セツナはこの家出旅行中、サイコロを転がして行き先を決めているという。今日はたまたまノストラード邸に辿り着いたのだ。何ともセツナらしくて面白いけれど、サイコロがセツナを再びこの家へ導いてくれる確率は、一体どれくらいのものだろう。
「また、遊びにきます」
「サイコロを振って?」
「はい。良い目が出れば」
「……うん」
ネオンに会うことを、セツナは「良い目が出る」ことだと言ってくれた。それは素直に嬉しい。そしてセツナは言葉のとおり、これからもサイコロを振るのを止めないだろう。きっと、いつかまた、今日みたいに遊びに来てくれる。でも……
「セツナちゃん!」
今を逃せば、セツナにこの気持ちを打ち明ける機会はない。ネオンはそう決意して、勢い込んでテーブルに身を乗り出した。
「あのねっ、あたし……突然こんなこと言ったら、びっくりすると思うけど……あたし、はじめて会ったときからずっと、セツナちゃんのこと、」
セツナはネオンの唐突な挙動に動揺することもなく、ただ静かにネオンを見つめてくる。ネオンが手を伸ばせば届くだろう先にある、その深い黒……
「綺麗な瞳をしてるなあって、思ってたの。あたし、セツナちゃんの眼が欲しいの。お願いっ。セツナちゃんの眼、あたしにくれないかな? 一個だけでいいから!」
「…………」
セツナは少しも視線を揺らがせない。
セツナの瞳は夜の海みたいに静かに凪いでいて、恐怖や侮蔑といった感情は、やはりそこには露ほども存在しなかった。すべてが黒く塗りつぶされていた。
やがて、セツナが口を開く。
「では、ネオン」
そうしてどんな音を発するのか、ネオンは耳にする前から知っているように思えた。
「サイコロを振ります――」
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ライト=ノストラードが駆けつけたとき、カンザキの娘はすでに屋敷を立ち去ったあとだった。
「あっ、パパ、お帰りなさい。出張って、来週までじゃなかったの?」
「ただいま、ネオン。それが少し早く切り上げられてね。……ネオンのお友達が来ていると聞いたが、もう帰ってしまったのかな」
「セツナちゃんのこと? うん、ちょっと前に……そうそう、セツナちゃん家出中なんだって。パパからセツナちゃんのパパに、ちゃんと元気にしてるって伝えてあげて」
「……ああ、わかったよ」
ライトは頷いた。しかし、カンザキにそれを伝えることはもはやできない。永遠に。
あの少女の真価を知っている一握りの人間は、血眼になって彼女を捜し回っている。その必死の追跡は、のらりくらりとかわされ続けているようだった。彼女がそう望んだなら、まず捕らえることはできまい。いや、ことによると、当人は追われている自覚すらないかもしれない。あれはそういう能力だった。
マフィアの中にはセツナを捜している組もあったが、ノストラード組もそうしようとは思わなかった。制御できない力はいずれ破滅を呼ぶだけだ。皮肉にも、セツナはそのことを自身の父親で証明している。
何よりも、それでなくったって、ライトにはネオンがいるのだ。百発百中の予言の力。
「ねー、パパー」
思案に沈むライトを遮るように、ネオンが甘えた声を出した。
「あたし、やっぱり本物のオークションに行ってみたいなー。ネットじゃ臨場感が全然ないんだもん」
「オークション? ヨークシンのか……じゃあ、来年は参加してみるか?」
「ホント! いいの!? 今度は嘘じゃない?」
「パパはネオンに嘘なんてつかないさ」
「約束はいーっぱい破るけどねー」
「ははは……ネオンは占いの仕事をよく頑張ってくれているから、そのご褒美だよ」
……カンザキは娘の扱い方を間違えたのだ。私は、ああはならない。
そう思い定めながら娘の機嫌を取っていたライトは、娘が奇妙な瓶を抱えているのに今さらながらに目にとめた。瓶の中にはたっぷりと液体が入っているようだ。
「ん? ネオン、それは?」
「あっ、これ? これはねー、えっへへ、なーいしょ!」
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ノストラード邸を後にしたセツナは、人通りの多いストリートを歩いていた。
道行く人たちが向けてくる、奇異なものを見る目つき。
家を出て以降、何度となく誰かに見られているような感じがしていたが、ネオンに会ってからはその感覚がいっそう増した。セツナはゲームから顔を上げ、ちょっと立ち止まると、行き交う人たちをその場で眺めた。
彼らの視線を浴びていると思しき箇所に指を這わせてみる。
常ならそこにあるはずのもの。皮膚の手触り、指の腹をくすぐる睫毛の感触……そして瞼の下にある眼球の盛り上がり。それらを感じ取ることは今はできない。代わりに、つるつるとした感触がある。意識すると、真新しい革のにおいも感じられた。ネオンがお礼にとプレゼントしてくれたのだ。
セツナは溜息をこぼす。
ネオンの急な申し出にはひどく驚かされた。それに、転がしたサイコロの出目にも。
……そう、人生はこんなふうに思いもよらないことが起こるし、何もかもうまくはいかないものなのだ。そしてそれは、これからもそうでなくてはならない。
セツナは自身が自由に選び取った結果に大いに満足していた。それどころか喜びに胸を震わせてさえいた。気持ちが昂ったゆえに漏らした吐息だった。
セツナは眼帯をもうひと撫でし、次いで軽い足取りでまた歩みはじめた。