旅団編2
構いません――と、少女はサイコロを振ることなく首肯した。考える。「話をする」行為は「用事に付き合う」の一環で、すでに了承したことだからか。しかし「座る」動作は「付き合う」には含まれない。クロロが新たに命じたためか? いや、その前の「来い」という命令にはサイコロなしに従ったのだ。ならば……
「そのサイコロは、意味があるのか。何のために振っている?」
「意味は……意味は、あります。自由になるためです」
「抽象的だな」
クロロはそうと悟られぬように少女の内心を探った。表情が乏しいのはおそらく、生来のものだろう。意図してこちらを煙に巻いているのではなさそうだ。
「自由とは何だ?」
「……未来がひとつではないことです」
「宿命論が前提となるのか。お前の未来はもともとひとつで、すべて定められている――」
「はい、そのとおりです」
形而上学めいた問答になってきた。
この少女は絶をしていなかった。四大行、もしかすると、念という概念すらも知らぬのではないか。そういった者は少なくはない。
……盗賊の極意の条件を満たすのは容易ではないかもしれなかった。
今回のケースにおいて、少女の言動が率直であることは――大抵の念能力者は己の能力を開示しない、それは切り札を晒すことと同義だからだ――彼の利にはならない。当人も把握していない本質を探り、引き出さなくてはならないのだ。少女の言葉から雑多な情報を削ぎ落として咀嚼し、正誤を確かめる必要があった。
「つまりお前は、これから何が起こるのかがわかる」
「いいえ……」
少女は緩やかに頭を振る。
「何が起こるのかは、わかりません」
「では、何がわかる?」
「結果がどうなるか」
クロロは問を重ねず、次の言葉を待った。異彩の瞳が、辺りに漂う見えない何かを捜すふうな仕草で束の間だけ宙をさ迷い、やがて伏せられる。
「……わたしは『幸運』で、わたしが『選択』するものは必ず正解で、成功だったから」
「なるほど」
それでは確かに、未来は不変だと言えるだろう。無作為に抽出した結果がすべて黒だとしたら、この世に白は存在しないこととなる。
自由になるためにサイコロを使う。サイコロの出目に従うことで、不変ではなくなる?
「しかし今は違う。そうだな」
「はい、このゲームのとおりにサイコロを振ると、」
「――ゲーム?」
突然飛び出してきた単語にクロロは虚を衝かれた。いや、そう唐突でもない。少女は現れたときから、今だって携帯機を手にしている。
「ソレのことか?」
クロロがそう問うた途端――
「はい。これは、すごろくのゲームです。サイコロを振って、コマを進めます。ゲームの中のマップは本物の地図です。だから、わたしが移動するとゲームもそのとおりに進むし、わたしのコマが次のマスに止まると、現実でもそのとおりになります。ここにはわたしの人生があります。今まで、わたしの自由はゲームの中にしかありませんでした。でも、このゲームのとおりにサイコロを振ることで、わたしは自由になったんです」
それまでは言葉つきにどこかおぼつかなさがあった少女の、この変わりぶりだった。
クロロが問を重ねるまでもなく、まるで何かのスイッチを押されたかのように余すところなく話したてる。家を出たきっかけ。このゲームの素晴らしさに気付いた経緯。人体蒐集家の変人に片目を抉り取られたことすらも、この少女にとっては自由の謳歌だと……
やはり、自覚のない念能力者だったか。
クロロは少女の話に耳を傾け、時に疑問を差し挟んで話題が興味の範囲から逸脱しないように誘導しながら(これを怠ると話が双六談義に成り代わるのである)、思案した。
おそらく、彼と同じ特質系だ。
この携帯型ゲームは、現実世界を映し出している。ゲームを通して現実を「プレイ」することで、正解しかありえなかった少女の人生に失敗を生み出してくれる。
と、当人は考えている……思い込んでいる。
しかし少女の話を聞く限り、まず、前提がおかしい。クロロが目にした現象の説明もできない。制約と誓約があるはずだ。この念の本質、その代償は……
クロロは推察し、そして結論を下した。
――駄目だな、これは。使えない。
「団長、何やってるの?」
「何も」
突如、部屋の中に湧いた二人分の気配。クロロはそちらに目もくれずに返事をした。クロロへの呼びかけに遮られたかたちで、少女が口をつぐむ。
「お前たちはどうした?」
「いや、長引いてるのかと思って、様子を見に来た。一応、念の為にね」
応じたのはシャルナークだ。
今このアジトにいる団員たち――今回の呼び出しに集った面々は皆、少女の存在には当然ながら気付いているだろう。少女のオーラが一向に消える様子がなかったために、万が一の可能性を考慮して助太刀にやって来たというわけだ。
一緒に来たフェイタンは、シャルナークの言葉を鼻で笑った。
「ワタシは報告ね。アイツ、吐かせ終わたよ」
「聞かせてくれ」
頷いて、先を促す。もともとここで暇を潰していたのは、フェイタンの「情報収集」が終わるのを待っていたからだ。音もなくクロロの隣に立ったフェイタンがぼそぼそとその成果を告げている間、シャルナークはと言うと、正面の椅子に歩み寄り腰をかがめた。
「この子は?」
「オレの客だ」
客だった。と言うべきか。
少女は、先までの熱はどこへやら、大人しくゲームをしている。少女の顔を横からしげしげと覗き込むシャルナークの好奇の視線を間近に浴びても、フェイタンにあたかもこの場に存在しないかのように振る舞われても、そしてクロロの言いようにも無反応だ。
「名前は?」
「さあな。聞いてない」
「客なのに」
シャルナークが声を抑えて笑う。
盗る価値のない念に執心はない。もはや関心を削がれたクロロに代わり、彼は彼女に興味を持ったようだった。人好きのする笑みを浮かべ、少女に話しかけている。
「オレはシャルナーク。キミの名前は?」
「……セツナです」
「セツナ? もしかして、セツナ=カンザキ?」
「はい。そうです」
「へえっ、やっぱり」
声を上げたシャルナークは立ち上がってこちらを向き、利き手の人さし指を立てた。
「この子、宣託の娘だよ。知ってる? 予言、とは少し違うかな。そういう分野で、わりかし有名人なんだ。ねえ?」
「はい。わたしのことをそう呼ぶ人もいました。わたしの選択は、当たるので」
微妙にニュアンスが異なるようだ……滔々と語っていた中でも察せられたことだが、彼女はどうやら、周りが自分をどう扱ってきたのか今ひとつ理解しきれていない節がある。
「もう盗った?」
「いや」
フェイタンがもたらした情報を頭の中で組み立てている最中のクロロは、短い一言だけで応える。ふうん、と曖昧に呟いたシャルナークは、すぐに朗らかに続けた。
「あー、でも、惜しいなあ。この子、この前まで結構な懸賞金がかかってたんだよね。――セツナ、キミさ、宣託が何年も予約でいっぱいだったのに、いきなり失踪したんだって?」
「いいえ……わたしがしたのは、家出です」
「はは。それ、拘るトコなの?」
「……懸賞金て言たか?」
その言葉に惹かれてか、フェイタンがはじめて少女へと冷めた一瞥をくれた。
「今はかかてないか」
「残念ながら、胴元が消えちゃってさ。病死に事故死、暗殺……ま、カタギの連中じゃないからね。ああ、破産してそれどころじゃなくなったヤツもいたか。とにかく今は皆、それぞれの事情で手を引いてるってわけだ」
「そのガキが何かしたて意味に聞こえるね」
「え、うーん、それはどうかな。単純に、この子を巡って潰し合ったんじゃない?」
フェイタンの言を口では否定しながら、シャルナークは考え込む顔つきで、少女……セツナを見下ろした。セツナはすでに素知らぬ様子でゲームに戻っている。その掌中から、ひょいとゲーム機を取り上げたシャルナーク。
セツナがすぐさまその後を追って顔を上げ、手を伸ばす。
「返してください……」
「大丈夫、ちょっと見るだけだよ。……これ、バッテリー入ってないな。ってことは、操作系?」
セツナは椅子から飛び降りて、シャルナークの脚に纏わりついた。爪先立って伸び上がっても、シャルナークの持つゲーム機には手が届かない。
「返してください」
「うん、わかった、すぐ返すから」
「返して――」
そのとき、ゲーム機が勇ましいファンファーレめいた音を鳴り響かせた。
瞬間、セツナの右の瞳から炎が噴き上がり――違う、緋の眼だ。水の入った風船を床に叩きつけたように、セツナを中心として泥濘のようなオーラが弾け広がった。
「――刹那の」
右眼を燃え上がらせたセツナが、握った手を前に突き出す。手のひらを開く。その手から小さな何かが転がり落ちる。
「裁断」
シャルナークの反応は決して鈍重ではなかった。向かいくるオーラの波を飛びすさって避け、同時に堅。一分の隙もない防御、あらゆる方向からの攻撃に対応できる構え。しかし少女の念は「現実」を「ゲーム」のとおりに捻じ曲げる。
かわしたはずの、たとえかわせずとも防げたはずのセツナのオーラは、シャルナークの左腕を切り落としていた。
「まだ殺すな、フェイタン」
クロロは即座に告げた。
輩の肘から先が地に落ちたそのときにはすでに、フェイタンはセツナを引き倒していた。薄い胸に片膝を乗せられたセツナが、肺を圧迫されてあえぐ。クロロの制止に、フェイタンはセツナを床に縫い留めたまま、笑みを堪えるようなくぐもった声で言った。
「わかてるよ。殺すの最後ね。まず手足すべて爪と指の間に針刺す」
「それは、困ります……とても痛そう。それに、ゲームができなくなってしまいます……」
「クモに手を出してそれだけで済む思てるか? その後は一枚ずつ爪を剥ぐ。ここ鍛えるの無理、大の男でも泣き喚くよ。お前いつまで持つか楽しみね」
長々と説くのは、クロロではなくセツナに聞かせるためだ。これからの責め苦を対象に想像させるのは拷問の常套手段である。
切れ長の目を愉悦でさらに細め、フェイタンはセツナの地に投げ出された手の、その小さく細い指先を撫でる……その動きが、不意に止まった。げえ、とフェイタンが長い襟の奥で呻いたのを、クロロは聞き逃さなかった。
セツナは、今はもう茶と黒の瞳を期待に満ち満ちた色で輝かせながら、のしかかるフェイタンを見上げていた。
「はい。仕方がありません。人生とは、そういうものです。何もかも望むとおりにはいかないものです。そこには驚きと困難が必要です。目を取られたときも、驚きました。ゲームがしづらいので、とても困りました。もう、元に戻ってしまいましたけど……でも、爪を剥がされるのも同じくらいに困ります。どんなふうに困るか、とても楽しみです」
「……お前、そういう趣味だたか」
「わたしの趣味は、すごろくで遊ぶことです」
うなだれたフェイタンが拘束を緩めても、セツナは少しも抵抗する素振りを見せない。フェイタインはちらとクロロに視線を寄越した。クロロはちょっと笑って頷く。
「構わない。これは推測だが、セツナを締め上げても特に利はないぞ。お前がやりたいと言うなら止めないが」
「ワタシ、人を喜ばせる趣味ない」
すっかり興ざめした面持ちのフェイタンは、セツナの上から退いた。セツナはしばらくそのまま寝転がっていたが、そのうちもぞもぞと起き出すと、傍らに落ちていた実物のサイコロを拾ってしまった。おそらくいつの間にか、何らかの選択がなされていたのだろう。次いでフェイタンの前までやって来てサッと両手を差し出した。
フェイタンは汚物を見るかのごとく凶悪な目つきで吐き捨てる。
「やらない言てるよ」
「そうですか。なぜでしょうか……」
セツナは途方に暮れている。フェイタンは口を利くのも厭わしいらしく、無視だ。代わりにクロロが答えた。
「お前の理論を借りて言うならば、何もかも望まない通りにはいかない」
「…………」
「違うか?」
セツナは何も言わず、ただひたとクロロを見据えた。クロロは変わらず椅子にかけたままなので、視線の高さはさほど変わらない。
「あのさあ、誰かオレの心配してよ……」
「ぴんぴんしてる奴が何言てる」
ぼやくシャルナークの顔色は、フェイタンの言うとおり、そう悪くない。落ちた左腕で孫の手よろしく頭をかいている。それからその腕を小脇に挟むと、空いた手で落ちていたゲーム機を拾い上げた。セツナに手渡す。
「はい、セツナ。ちゃんと返したよ」
「…………はい。返してもらいました」
セツナは粛々とゲーム機を受け取った。砂埃を払ってひっくり返したりボタンの挙動を検分したりしたあとで、ようやく頷く。目の前で行われる彼らのやりとりが終わるのを待ってから、クロロは口を開いた。
「その腕はマチに縫ってもらえ」
「うん、そのつもり。……あーあ、これ、いくら取られるんだろ。ちょっと調べてみたかっただけなのに」
「ハッ。やられる方が間抜けよ」
「言うね。かわしたつもりだったんだけどなあ」
「ついでに伝えてこい。オレたちは明日から動く。それから、こいつを使う」
「こいつって、セツナ?」
「そうだ」
シャルナークは目を瞬かせ、フェイタンは不機嫌そうに押し黙った。しかしクロロのうちでは、先ほど失くしたものに代わり、もう新たな興味が首をもたげはじめているのだ。抑えがたい、ひどい飢餓感もまた――
「オレも、調べてみたいことがある」