ママトト召喚
目の前に、白衣の男が立っている。「よかった、今度も成功みたいだ!」
「はあ……よかったですね」
何が何だかわからなかったが、男の喜ぶ様子に応じて奏はそう答えた。
見知らぬ男だった。
突然目も眩むような光に包まれ、一瞬の後にそれがおさまったかと思ったら、唐突に奏の前に現れていたのだ。銀髪に碧眼、整った繊細な顔立ちはともすれば、女にも見える。何度もその顔を見返すが、奏の知人ではありえなかった。
「……誰?」
「あっ、すみません。僕はナナスと言います」
「はあ、どうも、長谷川奏です」
咄嗟に挨拶を返したのは、単に身についた習慣からである。
「ほう、今度の勇者も女なのじゃな」
ナナスの後ろ、玉座に腰かけた男が言った。面積の少なくなった髪の毛を逆立てて、孫悟空が頭にしている輪っかのようなものを同じようにつけている。いかにも好々爺といった柔和な表情をしているが、そうやってまじまじと見つめらると、奏は何故だか寒気を感じた。
「これまでの勇者様方に比べると、落ち着いた娘さんでやんすね」
そう言ったのは、鳥のクチバシに似たバイザーを目深に被った男だった。奏の左手にある石壁の天井近くには木製の箱のようなものがくっついていて、そこから上半身だけを出している。黒いキャップを被っているので、その姿はカラスを彷彿とさせた。
「えっと……?」
カラス男はそう言ったが、奏は落ち着いているのではなかった。自分の身に降りかかった出来事に、思考が追いつけないでいるだけだ。
奏がナナスに視線を戻すと、ナナスはにこやかに言った。
「こちらは僕の父上で、このママトトの国王カカロです。それと、ママトトの操塞士のヤモス」
「ママトト」
オウム返しに呟く。奏の頭はようやく、目の前の光景を認識し始めた。
奏が足を着けているのは石の床だ。石造りの部屋全体が、先ほどから微小な振動を規則的に繰り返している。そして、奏の背後には赤い、大きな機械があった。昔のSF映画で見たような形だ。配線管が這い回り、楕円形のランプがいたるところでチカチカ点滅している。
おかしい。奏はついさっき――変な光を見る前には、こんな場所にはいなかったはずだ。
「……私、夢を見ているのね」
「えっ? あ、ち、違います! これは夢ではないんです」
ナナスは慌てた様子で、赤い機械を指し示した。
「この強者召喚装置イデヨンを使って、僕があなたを召喚しました。ここは、あなたがいたところとは違う世界なんです」
「わかりました」
「わかっていただけましたか!」
ぱあっと輝いたナナスの顔が、
「そういう設定の夢なんですね。私、衣装ダンスをくぐったのかしら。それともあなたは白兎?」
落胆の色に染まるのに、そう時間はかからなかった。
「う、うさぎ? 僕は兎ではなくて、軍師なんですけど……あの、とにかく、僕の話を聞いていただけませんか?」
「はあ、いいですよ」
変わった夢だなあ、などと思いつつ、奏は適当に頷く。
ナナスはコホンと咳払いをした。
「ここは移動要塞国家ママトトです。現在、異空窟と呼ばれる難攻不落の洞窟を攻略中なのですが……」
「いどうようさいこっか?」
「はい。ママトトは小型要塞が一つの国となっているんです」
そう聞くと、キャタピラの上に小さな城が乗っかっているような、間抜けな図を想像してしまう。
「この世界では、移動要塞同士による大戦が何十年も続いています。けれど、異空窟の奥には世界平和をもたらす何かがあると伝えられているんです」
「世界平和……つまり、そのために洞窟へ?」
奏はまじめくさって言った。
「お若いのに、ご立派ですね」
「あ、ありがとうございます。それで、イデヨン――この装置で異世界から勇者を召喚して、異空窟攻略に協力していただいているんです。もしよければ、あなたの力を貸していただけませんか?」
問われて、奏は無言でナナスを見つめ返した。
これは本当に夢なのだろうか?
すべて信じがたい状況だが――この部屋も、背後の装置も、そしてナナスも、無意識の産物だとは到底思えないと奏は感じ始めていた。それに、夢にしては五感もしっかりあるし、意識も明瞭だ。
自分が眠っているのかどうか、奏は古典的な方法で試してみた。頬をつねったのだ。
痛かった。では、これが夢でないなら、つまり――
「……私の頭がおかしいのと、あなたの頭がおかしいの、どっちだと思う?」
「…………」
ナナスはがっくりと肩を落とした。
「どっちでもないでやんすよ」
「疑り深い娘じゃのう……」
奏とナナスのやりとりを見守っていた二人が言う。
「まあ、信じてもいいですけど……自分の頭がおかしいなんて、あまり思いたくないし。後者の方だとするのも面倒だし」
奏は結局、精神的負担が一番少ない方を選んだ。すなわち、このまま深く考えずに流されるままになることを。
「ええと、とにかく、信じてもらえたのかな?」
気が抜けたのか、一転して砕けた口調のナナスが尋ねた。
「一応。でも私、勇者じゃなくて、一介の民間人ですよ」
「えっ、そうなの? おかしいな。イデヨンは戦う力のある人しか召喚しないはずなんだけど……」
「戦う必要なんてあるんですか?」
「うん、異空窟にはモンスターが出るからね」
「へえ……」
奏には何年間かの剣道の経験がある。それが召喚された原因なのだろうか。しかし、剣道の達人というわけでもない。それに剣道はスポーツだから、実戦ともなれば素人に毛が生えた程度にしか動けないだろう。そもそも地球上にはもっと強い人間などいくらでもいるはずだ。
そのことを伝えると、ナナスは訝しげに首を傾げた後で、真剣な顔つきになって言った。
「でも、イデヨンが召喚した以上、奏には特別な力があると思うんだ。きっと、そのケンドウの才能があるんだよ」
「…………」
奏はぽかんとして、それから黙り込んだ。
「奏? どうかした?」
ナナスに顔を覗き込まれて、はっとする。
「……いえ、何でも。ところで、元の世界には帰れるんですか?」
「あ、うん、いつでも大丈夫だよ」
「あと、私、向こうでの生活もあるので、あまり長くここにいることはできません」
「それも大丈夫。奏がここにいる間、向こうの世界の時間は止まってるから……あの、もしかして、力を貸してくれるの?」
言葉の途中で、ナナスははたと顔を上げる。奏はあっさり答えた。
「はい、いいですよ」
「ありがとう!」
ナナスは感極まったように、奏の手を取った。これまでの奏の態度が態度だったから、感動もひとしおなのだろう。奏は少し驚いて身を引きそうになったが、それでも淡々と言った。
「お役に立てるかはわかりませんが」
「そんなことないよ、すごく助かる」
そこまで言って、ナナスはやっと自分が奏の手を握っているのに気付いたらしかった。真っ赤になって手を放すと、照れ隠しのように聞いてきた。
「で、でも、どうして急に……?」
「特別な理由はありませんけど。強いて言うなら、何だかこの世界に興味が湧いてきたし、それに」
奏は僅かに頬を染めると、ナナスから視線を外して俯いた。
「……さっきの、すごい殺し文句でした」