異空窟へ初出撃

「ミュラ、それ以上は追わなくていいよ! 撤退!」
 伝声管から、普段はぽやっとしたナナスの鋭い声が飛ぶ。
「――、準備はいい?」
「はい。いつでも行けます」
 ママトトの甲板の縁で屈んだ姿勢をしたは、刀を持つ手に力を込めて応じた。
 はママトトにやって来てからそう日を置かず、実戦に投入されることになった。今日は、その初日である。
 刀は、ナナスに頼んで調達してもらった。本来ならば使い慣れた竹刀の方がいいのかもしれないが(イデヨンを使えば向こうの世界からこちらへ物を転送することもできるらしい)、殺傷力を考慮してやめた。誰に強制されたわけでもなく、自身の考えでである。
殿。ママトトを降りた後は、手筈どおりに」
 の前に膝をついている、隻眼の男が言った。元よりママトトにいる武将の一人だ。
「はい、ストーリンさん」
「あまり前線に出すぎることのないよう。他の者と離れすぎるのもなりません。常に周囲に気を配り――」
「己の体力を考え、引くべき時は引く、ですよね」
 はストーリンの言葉を引き継いで、大げさに溜息をついてみせた。
「ストーリンさんは、私の耳にタコを作りたいんですか?」
「む……申し訳ない」
 途端に困りきったように眉根を寄せる厳しい容貌の軍人に、は口元をほころばせる。そのおかげで、ガチガチになっていた肩の力が抜けた。
「ふふ、冗談です。肝に銘じておきます」
 刀を腰に佩いて、地面へと続いている縄梯子に足を下ろす。戦場へ向かうに、最後にストーリンが声をかけた。
「お気をつけて」
「はい」
 縄梯子を降りながら、は速まる鼓動を抑えるために、何度も呟かねばならなかった。
「大丈夫、大丈夫。リックさんとも稽古をした、レベルアップだってたくさんしたんだから」
 実際、の身体能力は、元の世界にいた時よりも飛躍的に上昇していた。この世界にはレベルという概念があり、ナナスが発明した「EXP分配装置」によって、戦わずしても経験値を得て能力を向上させることができるのである。のレベルは今、他の勇者たちと同等だった。
 足が異空窟の地面についた。
「変な色……」
 一体どんな物質でできているのだろう、紫色の滑らかな地面はしっかりと硬い。洞窟の奥から気持ちの悪い風が吹いてきて、は思わず体を震わせた。
!」
「ミュラさん」
 ストーリンと同じくママトトの武将、ミュラが、剣は抜いたままで駆け戻ってきた。額には玉のような汗が滲んでいるが、を気遣ってだろうか、その顔には笑みを浮かべている。
「いよいよね。緊張してる?」
「……それほどには」
 半分以上は強がりだったが、ミュラは「それは頼もしいね」とからから笑った。
「何も心配することないからね、頑張ってきなさい!」
 すれ違いざまにの肩を叩いて、ママトトへ戻っていく。
 はその背中を見送りはせずに、戦場へ目を向けた。異空窟の風はその身に受けるだけで体力を削っていく。あまりもたもたしてはいられなかった。
 ミュラが抜けた分、布陣にいくらか綻びができたのだろう。モンスターが一体、一直線にママトトへ――こちらへ向かってくる。何よりもまず、ママトトに近づく敵から排除していかなければならない。は深呼吸をして、刀を抜いた。
 モンスター、という言葉からもっとでろでろしたものを想像していたのだが、中には人型も多い。その点、の初戦の相手は鳥に似た形をしていて、助かった。
 駆ける。
 元の世界で試合を行った時などと比べると、驚くほど体が軽い。その勢いを殺さず一閃。その一撃は間違いなくモンスターの急所を裂いた。
 しかし肉を断つ手ごたえに怖気が走って、刀を取り落としそうになる。そのせいで、仕留めそこなった。まだ息のあるそのモンスターが、反撃の腕を振り上げる。
「えいっ!」
 その瞬間、鋭いかまいたちがモンスターの全身を切り裂いた。モンスターは弾けるような音を立てて消滅する。
 声のした方を見ると、ママトトの王女である紫の髪の少女が駆け寄ってくるところだった。は刀を下ろして、ぎこちなく笑った。
「あ――ありがとうございます、アーヴィさん」
。大丈夫よ」
 彼女はの前まで来ると、兄によく似た柔らかい笑顔を浮かべた。
は一人じゃないんだから。私たち、皆で戦っているんだもの」
「……あ……忘れて、ました」
 はゆっくり息を吐いた。顔を上げた時には、もう強張りは完全になくなっていた。
「今から前に出ます。援護をお願いできますか?」
「任せて!」
 モンスターは時に何もない空間からも現れるため、二人は突如出現する敵を撃破しながら進んでいった。アーヴィは遠距離攻撃を得意とする魔法使いで(この世界には魔法もあるのだ)、近接戦には慣れていない。助けたり、助けられたりを繰り返しながら、前線へ辿りつく。
「私はここまでね」
「はい。それでは」
 もともと後衛のアーヴィは、自分が前に出られるぎりぎりのところまでについてきてくれたのだ。は一礼の後、先へ進んだ。
「……来たの」
 巨大戦斧を振り回してモンスターを薙ぎ倒しながら、ママトトの傭兵ライセンがをちらりと振り返った。
「……私の、邪魔だけは……しないで」
「気を付けます」
 は素直に頷いた。ライセンの言葉はの心に突き刺さるようだったが、他のメンバーと比べればの腕が低いのは明白だ。が必要とされているのは、異空窟の風のせいで誰も長く戦場に留まることができないために、どうしても戦闘要員が不足しがちになってしまうという、ただその一点のみなのである。
 ライセンはその後、を一瞥すらせずに、敵を屠った。
 余計なことを考えている暇はない。も刀を持ち直してモンスターへ向かう。一、二、三……途中までは数えていたが、何度刀を振るったのか、どれだけのモンスターを殺したのか、やがてわからなくなった。
 敵は際限なく現れる。そしてがそれを斬る。
 には、それは永遠に続くように思われた。何も考えられない。手が痺れ、足がもつれる。一撃を外した。あ、と思った時にはもう遅く――敵を前にして、体勢を立て直せもせずによろめく。
 の眼前を、赤い光が走った。
 背中を支える手があって、は転倒せずにすんだ。一撃の下に沈んだモンスターが消滅していくのを、ただぼんやり見守る。
「――時間だ。下がるぞ、
 の窮地を救った赤い鎧の剣士が、の体を支えたまま、そう言った。
「リックさん……もうそんな頃合ですか」
 ぼんやりとして応じる。
 時間の感覚がなくなってしまっていたが、随分経っていたらしい。辺りを見回せば、確かに、戦っている人たちの顔触れが何人か入れ替わっている。
 撤退の時には、に剣術の手ほどきもしてくれたこの彼と一緒に行動するようにと指示を受けていた。ナナスの見通しは正しい。足下のおぼつかない一人では、ママトトまで戻るのも難しかっただろう。
 結局、役に立てたのかそうでないのか。
 浮かない顔のに、リックは笑いかけた。
「初陣にしちゃ上出来だ。師匠の教え方がよかったんだな」
 自画自賛である。はわざとつんと澄まして答えた。
「……弟子の教わり方がよかったんでしょう」
「こいつ」
 リックの大きな手がぐしゃぐしゃとの頭をかき回す。
 こうして、の初出撃は終わった。