偏愛主義者は奇想曲に酔う 後編

「俺を拾ったのはどのあたりだ?」
 と、セッツァーが切り出したのは、傷もある程度は癒えた頃だった。
「まさか、今から行くつもりなんですか? もっとよくなってからでも……」
 アルマは目を丸くし、次いで彼女には珍しいことに先を言い淀んだ。歩けるようになったら外を案内する、と最初に提案したのはアルマ本人であったのにもかかわらず。
 行動に移す時機としては、むしろ遅すぎるくらいだろう。癒しの魔法が使えるとあって(アルマは生まれてはじめて見た魔法にひどく驚いてはいたが、彼から深い事情までを聞きだそうとすることはなかった)、セッツァーの回復はずっと早かった。もと家主の持ち物であった杖を使えば、ベッドから出ることはとうにできていたのだ。
 今日までそうしなかったのは、彼自身にも迷いがあったからにほかならない。
「先延ばしは、もう十分にしたぜ」
「でも……」
アルマ
 それでもぐずぐずと躊躇っている彼女の名前を呼ぶ。アルマは落ち着きなく視線を動かし、何度も逡巡したあとで、小さく頷いた。
「……わかりました」
 すぐに支度を済ませ、セッツァーは重い足取りのアルマについて家を出る。
 そこには、はっきりとした終焉の気配が満ち満ちていた。
 「世界崩壊」という言葉が表すまま、世界は引き裂かれ、絶え果てていた。気が滅入るような昏い空――目覚めたときのあの空の色は夕暮れのせいなどではなかったのだ――、その下に、荒れ果てた大地が広がっている。
 何も、今日まで一度たりとて外の風景を視界に入れなかったわけではない。けれどもセッツァーは、知らずその場に立ち竦んでいた。頬に当たる冷たい風までが、絶望を孕んでいるようにさえ思える。
 足を止めたセッツァーを、アルマは振り返る。
「これでも、このあたりは元の景色が残っているほうなんですよ」
 だから、もうやめましょう。声にせずとも、その瞳はそう語っていた。終わりゆく世界の中であっても、アルマはいつものように至って平静でいる――ように、見える。
 いいや、言っただろ。先延ばしはもう十分だ。
 セッツァーは長く息を吐き出し、それから歩き出した。何であっても、この目で確かめなければならない。弾いたコインは、表裏のどちらを向けているのか、その答えを。
 大の男をアルマひとりで運んできたという距離なのだから、さほど遠くはあるまい。そう踏んでいたのだが、長らく歩いているうちに、傷が疼きはじめた。途中、隣を歩くアルマは幾度となくセッツァーを振り仰ぐ。その気遣いには気付かぬ振りをした。
 痛みに耐えて歩を進め、やっと目的地に辿り着く。
 もう森と呼べるのかもわからない褐色の土地に、寂しく残る枯れた木々。それらを押し潰して地面に突き立っている……
 飛空艇ブラックジャックの残骸。
 あのとき、魔大陸から脱した際に、船体が真っ二つになったのをセッツァーは目にしている。だからそれなりの覚悟をして今日を迎えたつもりだ。なのに今、彼は頭を殴られたような衝撃を覚えていた。
 セッツァーは賭けに負けたのだ。帝国との、命を張った。何とか生き延びはしたものの、命などよりも大事だった翼は失ってしまった。
「ね、帰りましょう、セッツァー」
 道中ずっと黙っていたアルマが、セッツァーの黒いコートを引っぱる。
「いつまでもこんなところにいたら、風邪を引きますよ」
 その手を振り切り、セッツァーは手ごろな大きさの瓦礫に腰を下ろした。煙草を吸おうと取り出したが、風が強いせいかうまく火がつかない。数度の挑戦ののち、諦めて、コートの内にしまう。
「セッツァー」
「先に戻ってろ」
「いいえ。セッツァーが戻らないなら、私もここにいます」
 アルマは立ち尽くし、まっすぐにこちらを見下ろしてくる。
「……言わなきゃわからねえのか」
 隠さずに舌打ちをした。ひとりにしてくれ、などと、セッツァーよりも長く絶望に晒されていた、ひとりきりの少女に告げたくはない。
「わかりますよ」
 言うなり、アルマはセッツァーの後ろに回り込んだ。とん、と背中に軽い感触。セッツァーの真後ろ、背中合わせに、アルマが腰かけたのだった。
「でもこうしていたら、セッツァーひとりでいるのとそれほど変わらないでしょう?」
「そんなわけあるかよ……」
「嫌ですね。細かいことを気にするなんて、男のすることじゃないですよ」
「なんだと」
 もう一度だけ舌打ちをし、けれどセッツァーはそれ以上、アルマを他所へ追いやろうとはしなかった。
 それきりアルマは何も言わない。背には、僅かな重みと確かな体温がある。それだけを感じて、セッツァーはいつまでも、彼の生涯をかけた夢が潰えた姿を眺めやっていた。




 翼は失った。夢や希望、そんなものがこの世界のどこにある?
 これまではアルマに付き合う程度だった酒量がぐんと増え、セッツァーは少女の家を出て、コーリンゲンの寂れた酒場に入り浸るようになった。あの光景は、セッツァーの中に残っていたものを根こそぎ奪っていったのだった。
 ひとり飲んでいても、アルマは毎日のようにやって来た。
「私は家で飲むのが好きですけど、こういう店もいいものですね」
 ……ガキが知った顔で嘯きやがる。
 こんなぼろぼろの田舎村へと移ったのは、年下の少女と顔を突き合わせて飲むのも酔いどれの醜態を晒すのも憚られたからだ。だが、アルマはセッツァーのそんな心のうちにはお構いなしだった。はじめこそ追い払おうとはしてみたが、
「ふたりで飲むのもおいしいですよ」
 と言って聞かない。さらには、こんなことまで言い出した。
「だいたい、セッツァーが好きにお酒を飲めているのは、誰のおかげだと思っているんですか」
「……はあ?」
「このアルマちゃんのおかげです!」
 と、胸を張るアルマ
 毒気を抜かれたセッツァーに、そうなんですよ、と横から口を挟んできたのは、この酒場のマスターだった。
「世界崩壊のときの地震で、店のはすべて駄目になってしまいましてね」
「うちのあたりはましなほう、って言ったじゃないですか? 地下蔵にはたくさんあったから、わけてあげたんです。とても一人では飲みきれませんしね」
「お嬢さんのお連れさんから、御代はいただけませんよ」
 セッツァーは相槌の代わりに掌中の琥珀色をした水面を揺らし、グラスを煽った。……なるほど、どうりで、二束三文の安酒にしてはうまかったはずだ。ジドールの貴族が別宅にしまいこんでいた、秘蔵っ子というわけである。
 どんなときでも現れるくせに、アルマの方から言葉をかけてくることは少ない。セッツァーが彼女を追い払うことを諦めてしまうと、それきり会話はなくなった。並んで座るふたりの間にはいつも沈黙が横たわっていた。ただ、グラスと氷が鳴る音や、ときおり他の客がくだを巻いている声が耳に届くだけだ。
 何をやっているんだ、俺は……酔いが醒めると、自嘲の念が湧き上がる。それを灼けつくような酒で喉の奥へと流し込む。そうやってぐだぐだと過ごす日が、何日も続いた。
 そんなときだった。
「セッツァー!」
 セッツァーははっとし、席を立ちかけた。振り向いた先にはセリスがいた。さらにその背後には、フィガロの兄弟。
 外の光を背にし金の髪からとめどない輝きをこぼしながら、セリスは薄暗い空気の中を迷いのない歩みで突っ切り、セッツァーのもとまでやって来た。
「無事だったのね。よかった……私たちと、一緒に行きましょう」
「よしてくれ」
 セッツァーはセリスの微笑を正面から受けきれず、顔を背けた。グラスの残りを飲み下し、口を拭う。
「あんたは元気そうだな、セリス。だが俺にはもう、何も残っちゃいない」
「……何を言っているの?」
 もともと、セッツァーは帝国の悪行を正すだとか世界平和を目指すだとか、義憤や使命感に駆られて彼らに協力していたのではない。セリスたちの賭けに乗ったのは、単にブラックジャックの客足が途絶えたせいで、ギャンブルのスリルを味わえなくなり倦んでいたからだ。スリルなど、平和な世があってこそのもの。
 そんな俺が、この引き裂かれた世界で何ができる? 今は夢を失い、ただ酒場で飲んだくれているだけの男だ。
「こんな世界だからこそ、夢を追わなければいけないんじゃない。セッツァー、あなたは命を賭けたんでしょう。あなたはまだ生きてる。残っているものはある」
 セリスは応えた。淀みない口調だった。彼女の瞳は夢を、希望を、その先の未来をひたすらに見据えていた。愚直なまでに。そう、彼にとっても、かつて抱いていた夢はそういうものだった。
「ギャンブラーのくせに、一度は張ったチップを下ろすつもり?」
「……ハッ」
 セッツァーは吹き出した。もう一度命を賭けろと、まったく、簡単に言ってくれるぜ。
「取立屋みたいだな、あんた。でも……そうだな、あんたの言うとおりだ。付き合ってくれるかい? 俺の夢に」
「ええ――もちろん」
 セリスは笑って頷いた。後ろの彼らも、それぞれ心得たと言わんばかりの笑みを湛えている。セッツァーは立ち上がった。もう随分と飲んでいるはずだが、不思議と足がふらついたりはしない。
「わかった、行こう。……おいアルマ、おまえも来いよ」
「えっ……」
 セリスたちがやって来て、いや、アルマが今日この店に姿を見せてからはじめて――ひょっとしたら幾日かぶりに、彼女は声を発した。暗がりの中でひっそりと息をひそめ、差し込んでくる日の光を避けるように身を縮こめている。セッツァーを見上げる瞳は驚きに見開かれ、今にもこぼれおちそうだ。
 返答までにいやに間が空いた。
 セッツァーの眉間に皺が寄る。まさか断るつもりじゃないだろうな、こいつ。痺れを切らす寸前になって、アルマはようやくぽつんと言う。
「……いいんですか?」
 これまで聞いたことがないような、か細い、上擦った声。縋るようなまなざし。
 それはちょっとした衝撃だった。
 動揺した自分を押し隠すために、セッツァーは咄嗟に伸ばした手で彼女の髪をかき乱し、乱暴に頭を撫でた。アルマがわっと短い悲鳴を上げる。
「ガキが、変な遠慮するもんじゃないぜ」
「……私、子供じゃありませんけど」
「お子様はみんなそう言うんだよ」
「いいえ、この私が言ったんですから、大人もみんなそう言うはずです」
 だんだんといつもの調子に戻ってきた。アルマのみならず、セッツァー自身も。彼女とこんなふうに気安い言葉をかわすのはほんとうに久しぶりだった。
 アルマを見下ろし、セッツァーはふたたび尋ねる。
「で、どうするんだ」
 彼女の瞳に、彼の姿が映っている。
 そこに一瞬よぎっては消えたものは何だったのか……不安、期待、羨望、躊躇、セッツァーが答えを見極める前に、アルマは今度は喜色あらわににっこり笑った。
「行きます!」
 カウンター席の、彼女には少し脚の高い椅子から飛び降りる。
 ことの次第を見守っていたセリスたちは、話がまとまるのを見計らっていたらしい。さっそく声をかけてきた。
「ねえ、セッツァー、彼女は?」
アルマです。この村の近くに住んでいます」
「私はセリス。よろしくね」
 と、それをきっかけに、口々に自己紹介をしあう。
「好きなものはお酒で、趣味はお酒、最近はギャンブルを少々と、主には酔っ払いのお世話をしていました」
「おー、なるほど。セッツァーと気が合うわけだな!」
「おい待て。酔っ払いたあ、そりゃ誰のことだよ、この酔っ払い」
「レディ、君はまるでこの荒地に咲く一輪の可憐な花のようなひとだね。いいや、太陽かな? できれば私にも、その眩しい笑顔を向けてほしいな」
「……あんたちっとも変わってないな、王様よ」
 彼らへとぞんざいに言葉を投げかけながら、セッツァーはこれから訪れることになるであろう場所のことを、今は亡き友人のことを思い浮かべていた。
 ふと、アルマがじっとこちらを見ているのに気付く。先ほど確かめられなかった何かがやはりその瞳の奥に揺らめいていて、思わずアルマの頭に手を置いた。アルマは言葉で応えるかわりに、ただ、僅かに目を細める。
 仲間たちを見渡し、セッツァーは言った。
「行こう。蘇らせる、友の翼を」


 澄み渡った……とはお世辞にも表現できそうにない、昏く濁った空。眼下の大地は緑を喪い、枯れた色をしている。けれど、ファルコンの甲板で舵を握ったとき、セッツァーは「帰ってきた」と、間違いなくそう感じた。
 どんな世界であっても、セッツァーの生きる場所はここだったのだ。こうして風を受け翔けているだけで、すべて満たされたような気分になるのだから。
 どんよりした空から甲板へと視線を移す。
 そこにはアルマの後ろ姿があった。
 仲間たちが船室に引っ込んだあとも、船首のほど近く、手すりにもたれて空を眺めているアルマ。彼女の背中をこの場所から見ようとは、想像だにしていなかった。何とも奇妙な心持ちだ。
 セッツァーは舵をオートに切り替えて、アルマのそばまでゆっくりと歩み寄った。
「ここからの眺めが、そんなに気に入ったか?」
「……はい」
 問いかけても、アルマのまなざしは空に釘付けになったままだ。そこから僅かも動かず、ただ、彼女の髪や衣服の裾が、風にはためき躍っている。
 セッツァーは、アルマのことを何も知らない。
 どこの生まれで、どんなふうに生きてきたのか。あの男との間柄は結局のところどういうものだったのか。アルマがしきりに酒で紛らわしたがっているものは何なのか、とか、それは今日のあのときコーリンゲンの酒場で見せた、らしくない態度と関係があるのか、とか。
 アルマがこれまであの酒場で何を思って彼の隣にいたのか、その間どんなふうでいたのかさえ、わからないのだった。そばにいたとて、アルマへ目を向けたことなどほとんどなかった。あのとき、アルマは全身で心細さを訴えていた。もし、ずっとあんな顔をさせていたのだとしたら……こんな少女に、彼は何を押しつけ背負わせていたのだろうか。
「こんな空でも、地上で見るよりは多少マシだな」
 考えていたのとは別のことを、セッツァーは口にした。
「そうですね。黒スグリのリキュールみたいな色で、悪くないです」
「酒から離れろ。……いい加減、体を壊すぞ」
「ふふ」
 アルマはちょっとだけ笑った。やっとこちらを振り向くと、手すりに背を預けてセッツァーを見上げ、ぱん、と両の手のひらを打ち合わせる。
「飲みましょう、セッツァー! お酒の話をしていたら、なんだか飲みたくなってきました。みんなも呼んで酒盛りでもいいですよ」
 ……誰がいつ酒の話をしたというのか。
 だいたいアルマのような年頃の少女がする提案ではない。いや、それ以前に、昼間も十分飲んでいたではないか。セッツァーの数々の異論を、アルマは「いちいち細かいですね」と一蹴した。
「いいですよ、何ならまたカードで勝負しても。私が負けたら断酒してあげます。セッツァーが負けたら断ギャンブルです」
「ほほう、大きく出たな」
「今日の私は一味違うんです。……なんと! 新しいイカサマを覚えたので」
「おい、馬鹿、自分からバラしてどうする」
 甲板を後にし船室へ降りていきながら、そんなふうに言い合う。覚えたのは、誰の相手をするためなのか――そうやって考えることは、決して自惚れではないはずだ。
 ケフカを倒すための旅だ、それは苛酷なものになるのだろう。仲間たちは何も言わずに受け入れてくれたが、アルマを誘ったのが本当に正しい選択だったのか、セッツァーにはわからない。
 けれど、あの広い家に彼女をひとり置き去りにすることにならなくてよかったと、そうも思うのだ。




 世界中に散らばった仲間を集め、ファルコンはかつてのブラックジャックのように賑やかになった。
 アルマは不思議と彼らの中に馴染んでいた。ふと思い立ちあの背中を探してみると、決まって誰かの隣や、会話の輪の中にいて笑っているのだった。シャドウと一緒に酒を飲んでいるのを見かけたときは、さすがに驚いたが。
 ある日、コーリンゲンの近くに船を停めていたときのことだった。
 何とはなしに気が向いて甲板に出ようとしたセッツァーは、セリスが通路からこっそりと外を窺っているのを見つけた。とにかく不審極まりない姿である。
「……何やってんだ、セリス」
「きゃっ……あ、セッツァー、えっと、あの」
 声をかけてみれば、ひどく驚かれた。そのあとは、らしくなくまごまごしている。
 彼女の頭越しに甲板を見通してみると、どうやらそこには先客がいるらしかった。……バンダナをなびかせて、何やら物憂げに空を眺めている男がひとり。
 ロックとはつい先日に再会し、そのままこのコーリンゲンまでやって来たところだった。詳しい事情までは知らないが、セッツァーもあらましは聞き及んでいる。
 セッツァーを前にして居心地悪そうにしながらも、しきりに甲板の方向を気にしているセリス。すべてを察し、セッツァーはははあと顎を撫でた。普段はあれだけきりっとした振る舞いの彼女だが、ことこの分野に関してはそうでもないらしい。
 ……女ってのは面倒だな。などと思いつつ、軽く後押ししてやることにする。
「まあ、せいぜいうまくやれよ」
「な、なにがっ? 何のこと!?」
「似合いだと思うぜ、俺は」
 セリスは顔を赤らめ、あたふたしてしらばくれていたが、そのうちに観念したようで、はにかんで言った。
「……あ、ありがとう、セッツァー」
 もともと、いつまでも二の足を踏んでいる性格でもないのだろう、やがて意を決してロックのもとへと歩み寄っていったセリスがなにごとか話しかけ、ロックが彼女に顔を向け――そこまでを認めて、セッツァーは彼らに背中を向ける。
 階段を下りきると、足を止め、息を吐いた。そうして煙草を取り出すために懐に手を入れたところで、
「セッツァーって……」
 背後から予期せぬ声がかかり、不覚にもぎょっとする。セッツァーは煙草を探すのを中断し、振り返った。
「手の届かないものが好きなんですね。空にしろ、……女性にしろ」
「ああ?」
 ちょうど柱の陰になっている場所に、アルマが壁に寄りかかって立っていたのだった。その手には、なみなみと注がれた――何が、とは言うまでもないことだ――グラス。ここがファルコンの通路のただなかであり、談話室でも彼女に宛がわれた部屋の中でもないという事実は、アルマにとってはグラスを手放す理由にすらならないだろう。
「……そう言うおまえはどうなんだ、アルマ
 おまえこそ、えらく年上趣味だったじゃないか――そう続けようとして、さすがに思いとどまる。アルマはたまたま今の場面を見かけてからかってきただけだ。ちょっと図星を指されたような気がしたからといって、そんなことをあげつらうのも大人気ない。
 ところが、アルマは彼のささやかな配慮を察知もせず、「私ですか?」と暢気そうに言葉を引き継いだ。
「私は、さみしいひとが好き」
 ……セッツァーは面食らい、つくづくアルマを見た。グラスをゆるやかに揺らしながら、微かに波打つ水面を眺めるアルマの表情は、ごく穏やかなものだ。
「私を必要としてくれて、私のことを求めてくれるひとが好きです。だって、そうしたら、きっと……裏切られたり、置いていかれたりすることはないもの」
 それは、ときにどことなく掴みどころのなさを感じさせるアルマのすべてを表しているような、いやに腑に落ちる言葉だった。そして逆に、飲み下せないもやもやしたものを彼に味わわせもした。
「だから俺に構ってるってのか?」
「えっ? セッツァー、寂しかったんですか?」
 ……失言だった。
 激しい後悔に襲われる彼をよそに、アルマは本当に、心の底からびっくりしたという素振りで甲板へと続く階段を見やる。それからまた彼を見て、自分の胸を叩いた。
「何も、そんなに悲観しなくたって。……わかりました。もしセッツァーが売れ残ったら、そのときは私がもらってあげますから、安心してください」
 なんという言い草だ。
 即座に反論してやろうとしたセッツァーだったが、不意に、よい意趣返しを思いついた。にやりとして問いかける。
「何を賭ける?」
「はい?」
 アルマは不可解な面持ちで首を傾げた。
「……えーっと。何の話でしょう?」
「タダで取り分だけを得ようなんざ、ギャンブラーの風上にも置けねえな、アルマ。この俺をいただくつもりなら、相応のチップを払ってもらおうか」
「あ、そう来ますか。別に、私、ギャンブラーじゃありませんけどね、それに賭けのつもりでも……まあ、いいですけど」
 チップかあ、何がいいかなあ、お金…お酒…土地つき一戸建て…、何やら指折り挙げて悩みはじめたアルマの肩に、セッツァーは手を置いた。それだけですっぽり収まってしまいそうな、小さな肩だった。
 不思議そうに顔を上げるアルマ、その動きに合わせて彼女の前髪を払ってかき上げ、秀でた額に口づける。
「これでチップ代わりにしといてやるよ」
「…………」
 アルマはうんともすんとも言わなかった。
 彼女のつむじを見下ろしたまま反応を待ち構えていたセッツァーは、さすがに怪訝に思って顔を覗き込もうとし――そのタイミングで、アルマの手からグラスが滑り落ちた。ちょうどよく背をかがめところだったので、難なく受け止めることに成功する。
「おい、危ないな――」
 と、目を上げた先のアルマは、茹で蛸みたく真っ赤な顔をしていた。
 セッツァーと視線がかち合うと、アルマは飛び退って彼から離れた。どうやら赤らんでいる自覚はあるらしく、かっかと火照った頬を冷やしでもするように両手で押さえている。
 常日頃から飄々としたさまのあのアルマが、である。それなりの月日をともに過ごしてきたが、彼女がそんなふうになっているのははじめて見た。
「あ、これはっ、その……よっ、酔った、のかも、飲みすぎて……」
 酒にはめっぽう強く、いつも水か何かのように飲んではけろりとしているアルマから、ついぞ聞いたこともない台詞がこぼれる。自分でも無理がある言い訳だと思ったのか、だんだんと声はすぼみ、言葉尻はほとんど消えかけた。
 アルマは目線をうろうろさせ、何とか言い繕おうと試みては失敗し、しまいにはすべてかなぐり捨てて叫んだ。
「セッツァーのばかっ! そっ、そういうことする人は、もうもらってあげないですからね!」
 すぐさま逃げるように向こうへ駆け去っていく。
 セッツァーが止める間もなかった。そのアルマと入れ替わりに、
「……あっ、傷野郎!」
 彼女が逃げていった方からリルムが駆けてくる。その後におっとりと続くのはティナだ。
「ねえねえ、今、アルマがあっちに走っていったんだけど……何かあったの? もしかして、傷野郎が何かしたとか?」
「馬鹿言え」
 事実そのとおりなのだが、好奇心に目をきらきらと輝かせているリルムに辟易し、セッツァーは軽くあしらった。リルムがさらにかしましく言おうとするのを遮るようにして、アルマが置いていったグラスを突き出す。
「なにこれ、お酒? 傷野郎、こんなとこで飲んでたの? ものぐさしないで自分で片付けろよー」
「そりゃ、あいつに言ってやるんだな」
「……あー。アルマかあ」
 リルムは微妙な顔つきになってグラスを受け取った。飲みさしは、まだ半分以上は残っている。
「でも、珍しいね、アルマがお酒を置いてくなんて。いいことだけどさ」
 アルマの行方を視線で追っていたのか、後ろを気にしながら歩いていたティナが、ようやくリルムに追いついた。リルムの持つグラスを見やり、首を傾げる。
アルマの忘れもの?」
「……いいや。もう要らないんだろ」
 何しろセッツァーの反撃は、どうやらどんなに度数の高いアルコールよりも劇的に効果があったようなのだから。
 軽い思いつき、単なる気まぐれだったのに、アルマがあんまり大仰に反応してくれたせいで、逆にこっちがむず痒くなる。しかし、それ以上に――
 ティナはセッツァーを見上げ、目を瞬かせた。
「セッツァー……なんだか、嬉しそうね?」
「そう見えるか?」
 くつくつ笑う。アルマのうろたえぶりを思い返すとおかしくてたまらず、抑えきれなくなってしまう。
 セッツァーはコートの内に手をやりかけ、けれど思い直してやめた。
「ノーモアベットだ。一度張ったもんをそうそう下ろせると思われちゃ困るぜ」
 彼の呟きに、リルムとティナは顔を見合わせる。
 二人には片手を挙げてみせ、セッツァーはコートの裾を翻し、アルマが駆け去った方へ足を向けた。さて、今日まで彼女が偏愛していたもののかわりに、これからは何をして紛らわしてやろうかと考えながら。

きあさん主催のFF6発売20周年記念企画に投稿させていただきました。