3つの鍵

 昔々、ある国に、シリルというお姫様がいました。
 ある日、シリルはお妃様の部屋に呼ばれました。お妃様はシリルが物心ついてからというもの、ずっと病気で臥せっていました。ベッドの上のお妃様は、侍女を下がらせてから、シリルに鍵の束を渡しました。
 鍵束には金の鍵と銀の鍵、そして鉄の鍵が括られています。
「これは魔法の鍵よ、シリル。扉の鍵穴に差し込めば、お城の私しか知らない部屋へと繋がる魔法がかかっているの」
 お妃様は体が弱いかわりに、不思議な力が使えました。そのことで陰口を叩く大臣もいましたが、嵐を止めたり隣国の侵攻を予言したりして、これまで国に尽くしてきたのです。
「その部屋にある物は、すべてあなたのもの。でもシリル、鉄の鍵だけは、何があっても使わないでね」
 お妃様は、ベッドの中からシリルの手を強く握りました。お妃様があまりに厳しい顔をしているので、シリルは黙って頷くことしかできませんでした。


 しばらくして、お妃様は亡くなりました。
 お妃様の死は病気によるものと発表されました。けれど、シリルは本当はそうでないことを知っていました。シリルはお妃様が亡くなる前の晩に、恐ろしい話を耳にしてしまったのです。
 それは、大臣が侍女を使ってお妃様を毒殺しようと計画しているという話でした。大臣は、不思議な力を持つお妃様を疎んじていたのです。お妃様が毎日飲んでいた薬は、実は命を削る毒にすりかえられていたのでした。
 シリルはすべてが遅すぎたことを悟りました。王様に打ち明けようにも、お妃様が亡くなったためにお城は大騒ぎ、なかなか二人で話す機会がありません。シリルは何もできないまま、何日も過ごしました。


 そして喪も明けないうちに、王様は新しいお妃様を娶りました。新しいお妃様は、大臣のひとり娘。大臣はそうやって、国を裏から操ろうと企んでいたのです。
 そうなれば、前のお妃様の娘であるシリルは邪魔者でしかありません。王様は大臣と新しいお妃様にまんまと言いくるめられ、シリルはお城から追い出されてしまいました。


 シリルは城下町の外れの質素な小屋で、身分を隠してひっそりと暮らし始めました。もしもお城の人間に見つかったら、どんな目に遭わせられるかわかりません。ですが、シリルはどうしても国を離れることができませんでした。シリルは、お妃様の仇を取ることを心に固く誓っていたのです。
 シリルの暮らしはたいへん貧しいものでした。着ていたドレスを売り払い、そのお金で細々と食いつないでいきました。お姫様であるシリルには屈辱の一言に尽きましたが、心に吹き荒れる怒りで何とか乗り越えていきました。


 ドレスのお金もそろそろなくなる頃になって、シリルはお妃様にもらった鍵のことを思い出しました。シリルに残されていたのは、もはやその鍵束だけでした。
 シリルは小屋の外から、扉にぶらさがっていた、さびついた錠前に金の鍵を差し込んでみました。扉を開けると、そこは見慣れてしまった薄汚い小屋ではありませんでした。たくさんの輝く黄金が眠る宝の部屋でした。次に銀の鍵を差し込みました。すると、現れたのは銀のドレスが並ぶ衣装部屋でした。
 シリルは二つの部屋から、しばらく生活するのに必要な分だけの黄金とドレスを貰うことにしました。お妃様の言いつけに従って、鉄の鍵を鍵穴に差し込むことはしませんでした。


 シリルの暮らしの変わりぶりは、すぐに町の人の目に留まりました。
「一体全体、何が起こったんだね?」
「私、魔法の鍵を持っているんです」
 誰かにそう聞かれると、シリルは決まってそう冗談めかして答えました。皆しきりに首を傾げて不思議がっていましたが、シリルの言葉を本気にする者はいませんでした。
 シリルはときどき、こっそり隠れて町の人たちに黄金を分けてあげることもしました。王様をたぶらかして贅沢をしている新しいお妃様のせいで、皆、貧困にあえいでいたからです。


 シリルはようやく落ち着いた日々を過ごせるようになりました。しかし、それもほんの束の間のことでした。お城の兵士たちが、シリルの家へ詰め寄せてきたのです。
「まあ、これはなにごとです?」
 ものものしく小屋の前に立つ兵士たちに、シリルは顔をしかめて問いかけました。
「魔法の鍵を持っているというのはお前か?」
 ひとりの兵士がいばってそう尋ねます。シリルがお姫様だということを知らないのでしょうか、それとも、知っていてそうなのかもしれません。
「その鍵は我らのお妃様のものだ。今すぐに返してもらおう」
「いいえ、違います。これは私の母の形見です」
「お妃様の鍵はあらゆる扉を宝の部屋につなげるという。違うと言うのなら、その扉に鍵を差してみるがいい」
 彼らは、新しいお妃様に遣わされた兵士だったのです。
 シリルはせいいっぱい抵抗しましたが、剣を持って脅されては言うことを聞くしかありません。銀の鍵で扉を開けると、銀のドレスに埋もれる部屋が現れます。控えていた兵士たちが、たちまち色めき立ちました。
「やはりお妃様の鍵ではないか」
「違います。これは私が母から譲ってもらったものです。あんな人のものではありません」
 必死に否定するシリルから、兵士は乱暴に鍵の束を奪いました。
「どれ、他の鍵も試してやろう」
 兵士は金の鍵を取り、鍵穴に差し込みました。黄金の宝部屋を見て、目の色が変わりました。兵士は欲にとりつかれ、最後の鍵を手に取ります。鉄の鍵です。
「その鍵は駄目よ!」
 シリルはあわてて止めましたが、あわや、鉄の鍵は鍵穴に差し入れられてしまいました。

 扉が開きました。

 噴き出した突風に煽られて、シリルはたまらず後ろによろめきました。その目の前を、竜巻のようにごうっと音を立てて、黒い影が横切りました。扉から出てきたのは、真っ黒な長い毛に覆われた、太い太い腕でした。丸太のような腕が大きさに似合わない速さで振り下ろされて、扉を開けた兵士をなぎ倒します。
 兵士たちは悲鳴を上げて、ちりぢりに逃げ出しました。鋭く伸びた爪が、逃げ遅れた兵士たちの体を引き裂きました。
 扉から、完全にそいつが姿を現しました。おそろしく大きな、黒い獣です。
 シリルは地面に落ちていた鍵束を拾うと、獣のそばを駆け抜けて、扉から錠前をもぎ取って小屋の中に逃げ込みました。そこはシリルの暮らす貧しい小屋ではなく、見たこともない薄暗い牢屋に変化していました。シリルは扉の内側に錠前を引っかけて、鉄の鍵を差し込みました。

 鍵をかける手ごたえとともに、外は静かになりました。シリルが駆け込んだ牢屋も、いつもの質素な小屋に戻っていました。
 シリルが外を見てみると、もう獣の姿も兵士の姿もありません。ただ、地面が大きな爪の形に抉れていて、今のできごとが夢やまぼろしでないと教えてくれています。
 鉄の鍵を使ってはいけないというお妃様の言いつけは、あの獣を外に出さないためだったのです。
 ひとつ、気がかりなことがあります。それは、獣と一緒に兵士も鉄の鍵の牢屋に閉じ込められたのではないかということです。いくらなんでも、見殺しにするのはしのびありません。
 シリルは意を決して、鉄の鍵を鍵穴に差しました。

 その瞬間、向こう側から凄まじい力が扉に打ち付けられました。シリルはびっくりして扉から飛びのきました。

「開けてはいけない」

 扉の向こうから、低い声がしました。男の人の声です。
 鉄の鍵は鍵穴にささったまま。シリルは鍵を掴みました。これをひねれば、扉はあの獣のいる牢に繋がるのでしょう。
「どうして? あなたは、もしかして」
 シリルはそこで口をつぐみました。それから、別の言葉を言いなおします。
「兵士がそちらにいるのではない?」
 声は黙り込みましたが、しばらくしてはっきりとこう告げました。
「……生きている者は、もういない」
 シリルはほんの少し罪悪感を覚えました。何か別の方法を取っていれば、彼らは助かっていたかもしれません。
「何故そのようなことを気にする?」
 声が尋ねました。
「私の国に仕えてくれているのですもの、そのくらいは当然ですわ」
「なんだと?」
「私はこの国の王女です」
 シリルが毅然として告げると、
「……シリルか?」
 うかがうような響きで、声が呟きました。シリルは目を丸くしました。
「私のことを知っているの?」
「知っている。会ったこともある。お前は覚えていないだろうが」
「あなたのような方だったら、忘れることはないと思うわ」
 シリルが困りきって言うと、声は少しだけ笑いました。気のせいかもしれませんが、不思議と何だか優しい感じがします。シリルはおもいきって聞いてみました。
「あなたは誰なの」
「アウルス。お前の母の弟だ」
 ということは、シリルのおじに当たることになります。けれど、シリルはそんな人物について耳にしたことがありません。首を傾げていると、アウルスが教えてくれました。
「我を忘れて人を襲うことすらある獣を、王族の籍にいれられるはずがないだろう」
「どうしてあなたはそんな姿をしているの? 母は、ふつうのひとだわ」
「本当にか?」
 アウルスは皮肉るように言いました。それで、シリルは手の先で触れている鍵のことを思い出しました。
「いえ、確かに、違うわね」
「父がそうだったのだ。私はこの体を継いだ。姉は力だけを継ぎ、獣の本性が強い私をこの牢に」
 シリルはアウルスの話を聞いてすべて納得します。そして、ひとつ、決意をしました。
「母は殺されたわ」
 アウルスは何も言いませんでした。
「あなたはここから出たくはないの?」
「願わない訳ではない。が、進んでそうしたいとは思わない」
「獣の姿をしているから?」
「獣の本性があるからだ。人を襲う。先ほどのように」
「今は?」
「常に飢えているものではない」
「だったら」
 シリルは、相手には見えないことがわかっていましたが、にっこり微笑みました。
「十分ではなくて? 正気の間だけでも外に出ればいいのよ。鍵さえあればいつでも牢に戻せるのだから、何も危険はないでしょう?」
 アウルスは、注意深く尋ねてきました。
「……何が狙いだ」
「簡単なことよ」
 シリルは空いている手のひらで扉に触れました。
「この次に扉が開いたとき、同じことをしてくれればいいの」
 アウルスの返事を待たずに、シリルは鉄の鍵をひねって引き抜きました。


 次の日、新しいお妃様のもとに、町に遣わした兵士から鍵束が届けられました。
 金の鍵と銀の鍵が括られた鍵束です。新しいお妃様は、前のお妃様の話を盗み聞いたという侍女からこの鍵のことを教えられてから、それが欲しくて欲しくてたまらなかったのです。

 新しいお妃様は、さっそく自分の部屋で、扉の鍵穴に銀の鍵を差し込みました。すると銀のドレスが並んだ豪華な衣装部屋が現れます。新しいお妃様はわくわくしながら、今度は金の鍵を差し込みました。ごうっと、向こう側から扉が開いて、生臭い風が吹きつけてきたかと思うと、目の前で黒い刃が鈍く閃き、新しいお妃様の首が体から離れてごとんと柔らかなじゅうたんの上に落ちました。


「欲が深くてよかったわね」
 シリルは牢屋から出ると、床に落ちていた鍵束を拾いました。
「早く出られて助かったわ。だってひどい臭いなんですもの。後で召使いに掃除してもらいましょう」
 アウルスは黙ってシリルの後に続きます。お妃様の部屋は家具がたくさんおいてあるので、少し窮屈そうです。
「大臣はどうする」
「同じことをしてもいいけど、そうね」
 アウルスに問われて、シリルは頬に手を添えて考え込みました。
「このまま利用するのも手だと思うわ。この国を手に入れるならね。どう?」
 シリルが見上げると、黒い獣は鼻を鳴らしてそっぽを向きました。
「……私に聞くな。任せる」
「あなたは欲がなさすぎるわね」
 苦笑いをしたシリルは、ふとまじまじとアウルスを見つめました。
「意外だわ」
「何がだ?」
 アウルスはシリルを見下ろします。
 シリルがアウルスを初めて見たときには、ただ黒く大きな怪物のように思えましたが、黒い毛並みと力強い体は、今となっては恐ろしさよりも感嘆をシリルに与えてくれるように感じられました。
「明るいところで見ると、想像していたより素敵だと思って」
 シリルが微笑みかけると、アウルスはむっと黙り込みました。
「ねえ」
 シリルはアウルスに囁きます。
「お母様は鉄の鍵は使うなとおっしゃったけど、本当は使うよう望まれていたのではないかしら」
「さあな」
「でなければ、棺の中まで持っていかれる方だと思うの」
「……かもしれん。だが」
 アウルスは穏やかに目を細めて言いました。
「さすがに姉も、ここまでやってくれる姫君だとは思っていなかっただろう」
「光栄ね。――あら」
 シリルは鍵束に目を落として呟きました。
「もうメッキがはがれかけているわ」

 新しいお妃様が使っていた金の鍵は、先のほうの金がはがれてみどりがかった黒色がのぞいていました。シリルはその鍵で牢屋の扉を閉めました。そして懐から本物の金の鍵を取り出して、鍵束に加えました。