真昼の庭

「どうかしら」
 と、シリルが指し示す先には、姿絵がずらりと並んでいました。
 そこに描かれているのは、年齢を問わずいずれも美男ばかり。けれども、このうちの何人がそのとおりの見目をしているのかはわかりません。アウルスはそんなふうに思います。
 その間にも、シリルはひとりひとり彼らの身分を並べ立てていきました。中には、最近の世情に疎いアウルスも知っている大国の貴族もいれば、名も知らぬ国の王族もいるのでした。
「みんなは、この方を選ぶべきだと言うのよ。でも、今すぐに婚姻を結んでも、国益は少ないと思うの」
 シリルのような年頃の女の子であれば、結婚に夢を見ていてもおかしくはないのですが、どうやらこの姫君は単なる政のひとつとして考えているようです。もちろん、ある意味では、それは正しいことではありました。
「そうそう、自分の血縁を推す者もいたわ……あの大臣、懲りないわよね。扱いやすくて結構なことだわ」
 シリルはひとしきり好きにしゃべると、どうかしら、ともう一度アウルスに尋ねました。
「アウルス、あなたのご評価に適う方はいらして?」
「私に聞くな……」
 アウルスが呆れ果てた声を上げてしまったのも無理はないでしょう。この姫君ときたら、アウルスのような獣を城の庭園に招くばかりか(だって私の部屋ではあなたには窮屈すぎるでしょう? もちろん、あの牢の中もね。と姫は笑っていました。)、こうして政務に意見を求めるのですから。
シリルに任せると言っているだろう」
「冷たいわね。たったひとりの姪が、将来の伴侶について心を迷わせているのよ。かわいらしい悩みではないかしら?」
「国益などという言葉が出なければな」
 アウルスは、その大きな体を横たえている緑の芝生に頭を伏せました。晴れた午後の日差しは柔らかく、目を閉じればそのまま眠ってしまいそうです。
 チラリと片目を開けて盗み見てみると、シリルはしばらくつまらなそうな顔をして、椅子に座ったままお行儀悪く足先を揺らしていました。そのうち召使いを呼びつけて、たくさんの姿絵を片付けるように命令しました。
「さあ、早くしてちょうだい」
 命令を受けた召使いは、青ざめて震えています。絵を片付けるには、アウルスの近くを通らなければならないのです。シリルは命じたきり、怯える召使いにはしらんぷりをしてお茶を飲んでいます。
 アウルスはその召使いが気の毒になり、両手いっぱいに絵を抱えた召使いがおっかなびっくりアウルスのそばを通り過ぎる間、頭と同じように尻尾も伏せて、寝たふりをしてあげました。
 アウルスを前にした誰もがそんな具合なのに、シリルだけはアウルスを怖がりません。平気で鉄の鍵で牢を開けては、こうしてアウルスを呼び出します。アウルスにはそれが不思議でたまりませんでした。
 魔法の鍵を持っているシリルは、いつでもアウルスの牢を開けることができます。けれど、アウルスはシリルにひとつ約束をさせました。
 それは、必ずアウルスの返事を聞いてからドアを開けること。
 アウルスは獣です。大きな体と、鋭い牙と、長い爪を持っていて、簡単に人を殺してしまえるのです。それは見た目だけではなく、アウルスの心の中にも、大きなおそろしい獣が住んでいました。ひとたび飢えを感じると、自分ではどうすることもできないことが、アウルスにはわかっています。
 長らくアウルスを牢屋に閉じ込めていた姉のことを、アウルスは決して恨んではいませんでした。アウルスだって、なるべくなら人を襲いたくはありません。アウルスの心の中には、おそろしい獣と一緒に、ひとりの人間だって住んでいるのですから。
 だから暗く冷たい牢の中、ひたすら飢えに耐えている間、シリルが扉を叩いても、アウルスは絶対に返事をしません。
 けれど、ふと、こう考えるときがあります。
 もし、今、私がシリルのノックに答えたら、どうなるだろう――
 アウルスは芝生の上からまたもやこっそりとシリルを見上げました。
 太陽の下。広い庭園。白いテーブル。アウルスが生まれたときから奪われ、そして今も奪われ続けている場所で輝く、うつくしい姫君。シリルがお茶に口をつけるたび、白い喉元が緩やかに動いているのが見えます。
「ねえ、アウルス」
 急に声をかけられて、アウルスははっと驚きました。カップを持ち上げたまま、シリルはアウルスを見つめていました。アウルスの寝たふりに、いつから気付いていたのでしょうか。
「今度、この国を見て回ろうと思うの。視察というほどのものではないけれどね。あれ以来、お父様はすっかり腑抜けていらっしゃるし、いまだに好き勝手にやっている方も多いようだし」
 アウルスはちょっと頭を上げて、さっきまでのくだらない考えを振り払いました。
「危険ではないのか、シリル。奴らに暗殺の機会をくれてやるようなものだ」
 アウルスの声は少し険しいものになります。
 一度は追放され、そして戻ってきたシリルを歓迎する者は、お城にはあまりいませんでした。ひとつの苦難を乗り越えたシリルは、王様と違って、大臣たちの言うことをよく聞かないからです。
「あら。でも、そのときは……」
 シリルはゆっくりとカップを置くと、それからにっこり微笑みました。
「私を守ってくださいますでしょう? アウルスおじさま」
 こんなとき、アウルスは、シリルはこちらの心の中を何でも見透かしているのではないかと思ってしまうことがあります。
 ですが、それもそう悪い気はしません。どんな飢えがアウルスを苦しめようとも、アウルスはシリルに会うときにはやっぱり、この誰もが怯える恐ろしい獣の姿をシリルが褒めてくれた、明るいところでそうしたいのです。
「……姫が望むのであれば」
 つれない声音で答えても、シリルは変わらず笑っています。アウルスはふたたび伏せて、その場に丸くなりました。
 真昼の庭には、今日もさんさんと眩しい光が降りそそいでいるのでした。