6

 冷たい感触が、顔の上を這い回っている。
 サレナは眠りの泥濘の中からどうにか意識を引き上げ、重い瞼を持ち上げた。それでもなお霞みがかる視界に真っ先に飛び込んできたのは、女のように手入れされた赤い爪、反して男の無骨さを持った指と手のひら、派手な色彩の袖、そして、
 正体に気付いた瞬間にサレナは覚醒した。
 それを振り払い、跳ね起きる――剣は! 腰に佩いてあったのを鞘を払う暇も惜しんで薙ぐ。手応えはない。転がるようにそこから下りて、鞘のついたままの剣を構える。ここまでの挙動を済ませるのに数秒もかからなかった。
「おはようございます、サレナ
 サレナの一撃を難なくかわしたケフカは、薄笑いを浮かべて悠然と立っている。
「目覚めの挨拶にしては、少々乱暴すぎやしませんか?」
「戯れ言を……」
 サレナは立ち上がって距離を取りつつ、隙を見せぬようにしてこの薄暗い空間を窺った。
 魔大陸ではない。
 と、断ずる。地面は揺れておらず、地に足が着いている感じがあるからだ。
 それなりの広さはある場所のようだった。岩壁にぼんやりと灯る魔法の明かりが、でこぼこした地面に複雑な陰影を投げかけている。ここに置かれているものは、サレナが先まで寝かされていた、いやに豪奢な寝台(天蓋がついている…)のみ。右手の壁には、これまた洞窟には不釣り合いな鉄の扉が取り付けられていた。
「ここは神の居城ですよ。このケフカ様のね」
 サレナが口に上らせなかった問に、ケフカが答える。
 この男が神になったなら、世界は終わりだ――そう思ったが、ことによると本当に終わっているかもしれない。三闘神の封印は解かれたのだから。
 世界がどうなろうと、サレナの知ったことではなかった。でなければガストラを唆したりはしない。世界の存亡にかかわらず、サレナが考えるべきはただひとつだ。
 ……しかしその目的は、どうやらすぐには果たせそうにない。
 ケフカは三闘神の力を取り込んでいる。魔力の乏しいサレナにも、ケフカが人ならざる力を漲らせているのは一目で見て取れた。その気になればサレナなど一瞬で消し炭にできるだろうが、どういうわけかケフカは――少なくとも今すぐには――サレナを殺すつもりはないらしい。
 サレナが見渡せるのはこの空間だけで、ここにはサレナとケフカの他には誰もいなかった。外の音は何も聞こえない。セリスたちリターナーはどこへ行ったのだろうか。
 張り詰めていた緊張を徐々に解いていき、サレナはゆっくりと剣先を下ろした。もっと現状を把握し慎重に機を狙わなければ、この男は殺せまい。それには、外の様子も窺っておく必要があるだろう。
 サレナが外へ足を向けようとした気配を感じ取ったらしく、ケフカはうるさく喚き始めた。
サレナ! あなたという人は、ケフカ様を置いて一体どこへ行くつもりですか!?」
「さあ、どこへとは……ただ、神の居城とやらに興味が湧きましたので」
「……そう、ええ、そうでしょうね! 神とともに在れるこの幸福を、しかと噛みしめなさい!」
 すぐに浮かれた調子になるケフカである。相変わらず、振り幅が大きな男だ。
 ドアをくぐると、その先には曲がりくねった通路が続いている。
 てっきりどこか洞窟のような場所なのだろうと考えていたのだが、驚いたことに、壁も地面も岩ではなく、いくつもの鉄屑を固めてできているようだった。
 歪な道すがら、他にもドアを見つけて中を覗いてみれば、そこはサレナがいた場所と同じく洞穴のようであったり、魔導工場のポッドが並んだ部屋であったり、ベクタの城の一室に酷似していたり……とにかくちぐはぐな構造をしている。
 いくら歩けど、サレナ以外の人間は見つからなかった。代わりに、どうやらここはモンスターの巣窟ともなっているようで、薄気味悪い外見をした異形に遭遇したことは一度や二度ではきかない。
 後ろで大騒ぎしながらついて来るケフカが語る言葉を繋ぎ合わせるに、どうも「神の城」とやらは、真にベクタであるらしい。凶悪なモンスターが蔓延るこの奇怪な「城」が、栄華を誇ったあの帝国だと。世界の行く末も、窺い知れようというものだ。
 さておき、サレナの探索の目的は、時間の経過とともに変わりつつあった。
 出口がどこにもないのだ。それどころか、外の景色が見晴らせるような場所もない。
「ヒヒッ、俺様から逃げようったって無駄だよ……」
「何故わたしが逃げなければならないのです。逃げるとしたらあなたでしょうに」
 適当にあしらいつつ、一室をくまなく調べ上げる。
 もとの城のかたちが比較的きれいに残っているにもかかわらず、見つかるのは砂礫ばかりだ。仮にここから脱出することが叶わないのだとしても、そんな事実は些事に過ぎなかった。むしろ、好機を得るにはケフカから離れぬ方がよいだろう。
「それじゃあ、サレナちゃんは何を探しているのかねえ」
「…………」
 黙殺を試みたが、それ見たことかとケフカが喧しいので、しぶしぶ白状する。
「……わたしは、あなたと仲良く飢え死にするつもりはありませんよ、ケフカ」
「ああ……」
 ケフカはしかし、サレナが予想していたようにこちらを揶揄するでもなく、本当に得心がいったというような、たったいま目が覚めたみたいな顔をした。
「なるほど、そういうことでしたか。すっかり忘れていましたよ。人間とは煩わしいものですねえ」
 と頷いて、今しがたサレナが斬り伏したばかりの、この部屋に居住していたらしいモンスターの残骸を、汚物を扱うようにつま先で蹴飛ばして寄越す。
「まあ、味を選ばなければ、食べるものなどそこら中にあるでしょう」
「なんだと――」
 サレナは憤慨した。その奇妙な言い回しに引っかかりを覚えるよりも、激しい怒りが先に立った。もはや欺くべき者どもはいないのだ、こみ上げる感情のまま、にやけ面のケフカに詰め寄り、声を荒らげて責め立てる。
「貴様、よもや今日までこんなものを食ってきたとぬかすのではないだろうな!? わたしが貴様を殺す前に食当たりなどで死んでみろ! 死体を切り刻んで犬の餌にしてやるくらいでは済まさんぞ!」
 ……ケフカはぽかんとしてサレナをまじまじと見つめたかと思えば、やがて腹を抱えて笑い出した。
「あ、あなたという人は……」
「何がおかしい」
 問いただしても、ケフカはいつまでもゲラゲラ笑い転げているだけだ。
 舌打ちをひとつ残し、サレナはケフカを置いて探索に戻ることにした。いささか冷静さを欠いた言動を取ってしまったという自覚はある。背中を向けても下品な笑い声はずっと止まず、追い立てられるようにして通路へ出る羽目になった。
 最初の洞穴から続いている道筋は、緩やかな下り坂になっている。もしかすると、ここは横よりも縦の方に広く、城というよりも塔と呼ぶのがふさわしい造りをしているのだろうか。
 次に辿り着いたドアの先、そこに巣くうモンスターを殺し尽くして、死臭の充満する薄闇の中でようやくひとり落ち着ける時間を持ったサレナは、ふと先のケフカの奇異な言について思い巡らした。
 神を自称するくらいだ、ケフカはものを食べずとも生きていけるようになったのかもしれない。果たして、サレナかみを殺す手段はあるのか――
 思い当たるものはある。しかし一朝一夕では叶うまい。そう考えると、気がかりなのはやはり食糧だ。
 水なら魔法で作り出せる。サレナなら一月は水だけでも凌げよう。けれども、結果それで衰弱してしまっては殺せるものも殺せない。癪ではあるが、いよいよ空腹が耐え難くなったときにはケフカの言うように……
 サレナは足元に転がる、何の動物に似ているとも言い難い、紫の死骸を見下ろした。……いや…………よく火を通せば、何とか……
 突然、大きな音がとどろきわたった。
 続いて、震動。血迷いかけていたサレナは、よろめいて壁に手をついた。天井から、瓦礫のかけらがパラパラと降ってくる。何だ? 天井を睨んでも、もちろん答えなど得られようはずもない。ただ、この上で何かが起こっているのは確かだ。
 ここに来て、初めての異変である。サレナは音をたぐって来た道を戻った。断続的な音と揺れはしばらく続いていたものの、だんだんと途切れる時間が長くなり、そのうちになくなってしまう。
 勘だけを頼りに歩き続け、辿り着いたのは、サレナが目覚めたあの場所だった。
 目覚めたときと違うのは、食糧が地面に山と積まれていることだ。家畜と思しき肉塊に、やや萎れた野菜、褪せた色の果物と――山の前では、ケフカが誇らしげにふんぞり返っている。
「ちょうどいいところに来ましたね、サレナ!」
「……ケフカ。何ですか、これは」
「何ですかとは、何です。あなたが飢えるのは嫌だと言うから用意させたのですよ」
 思わず、サレナは言葉を詰まらせてケフカを見た。用意させた……誰に? 失せた顔色を隠せないサレナの視線を受け止めて、ケフカは満悦の体でにんまりと唇の端を吊り上げた。
「神に供物を捧げるのは、支配される民の当然の務めでしょう?」
 ……どうやら、世界はまだ滅び果ててはいないらしい。
 けれど、積まれた食糧の質から、そうなりつつあるのだろうということはわかった。ケフカがどうやってこれを得たのかということも、そしてそれらすべてをサレナが導いたのだということも。
「しかし、神たるケフカ様に逆らおうとする者が、まだいたとはねえ。ヒヒヒッ、ハカイ、ハカイ、ぜーんぶ破壊だ!」
 はしゃいで笑うケフカ。
 サレナは、今までそうしてきたように、心の奥のありとあらゆる感傷を静かに捨て去った。
 サレナには、何を犠牲にしてでも果たしたいものがある。食べなくては飢える。飢えては叶わない。ならば、どれほどの血が流れたとして、どれほどの人間が飢えたとして、サレナはこれを享受するだろう。

 切って焼いただけのサレナの料理に、ケフカは渋い顔をした。
「宮廷料理とまでは言いませんがねえ。もう少しどうにかならなかったのですか?」
「……野営であれば、上等な方でしょう」
「野営ならね。こんなことなら、料理も教えておくべきでしたか」
「文句がおありなら召し上がっていただかなくてもけっこうです」
「おやあ? いいんですかあ、食べなくても? さっきはあんな剣幕だったじゃないですか、サレナちゃんがぼくちんにあーんして食べさせてくれてもいいんでガボッ」
「おい……クソが……調子に乗るなよ……」
 サレナは骨のついた肉を皿ごとケフカの口に捻じ込んでやった。そのまま窒息してくれれば幸いなことこの上なかったのだが、物事はそううまくはいかなかった。


 次の日も、またその次の日も、サレナは塔の探索を続けた。
 そうしてわかったのは、やはりどこにも外へ通じる出口はないということと、三闘神の力の影響なのかモンスターは倒しても倒してもいくらでも湧いて出てくるということだ。
 外へ出る意思もなく食べるものを探す必要もなく、それらが判明してさえもサレナが探索をやめなかったのは、単に腕を鈍らせないためである。また、地の利はあった方がいい。……もっとも塔の中はギミックに溢れており、サレナだけではとても攻略できそうになかったけれども。
 ひとつ、サレナの肝を冷やさせたのは、古代の巨大生物たちが平然と塔の中を徘徊していたことだ。サレナの行く先どこにでも現れるケフカに問うてみれば、ケフカは自慢げに鼻を鳴らしてひけらかした。
「どうです! 伝説の八竜とて、このケフカ様を前にしてはひれ伏すしかないのですよ」
 伝説の八竜だと?
 サレナは溜息をついた。そんなものを一体どこから拾ってきたのだか。ケフカひとりでも扱いが面倒なのに、これ以上の厄介ごとを抱え込みたくはない。何より復讐の邪魔だ。
「こんな大きなものを八匹も飼えるわけがないでしょう。餌はどうするつもりです。第一、誰が世話をするのですか? どうせ面倒を見切れないのですから、元いたところに捨てていらっしゃい」
「何ですって。趣のわからない人ですね……」
 ケフカは初めこそぶつくさ言っていたが、サレナが大して興味を示さないとなると、自身も同じく飽きてしまったらしい。そのうち八竜の姿は見かけなくなった。世界に放たれた八竜のうちの幾匹かが世をさらに混迷に叩き落そうとは、サレナの知る由もないことだ。




 薄暗い塔の中では、昼も夜も判別がつかない。
 当てになるのはサレナの感覚のみだ。あれから何日、何ヶ月が経ったのか、自分なりに把握してはいる。しかし、そもそもあの日、魔大陸が浮上してからサレナが目覚めるまでにだって、どれほどの時が経過していたのか……
 塔の下層に深く潜り、異形を屠るのにふと倦怠を覚えたサレナは、天を仰いだ。
 そこはちょうど吹き抜けのようになっていて、サレナが下りてきたいくつかの階層が望める。塔の果てに近付くほどに闇が濃くなり、その先がどうなっているかはよくわからなかった。
サレナ。何をしているのですか?」
 背後から、ケフカの声がした。
 サレナは驚かない。
 魔法を使っているのか、それともこの塔の支配者だからこそ可能な術なのか、ケフカは塔の中の空間を意のままに移動できるらしい。何を思ってかケフカはサレナを自由にさせているものの、今みたく、サレナが何気なく物思いに耽る瞬間をあたかも狙い澄ましたかのように、突然に現れることはしばしばだった。
「星が……」
 サレナは見上げた姿勢から動かず、そのために掠れた声で呟いた。
「ここでは、見えないのだと思っていました」
 と――
 口にした刹那、サレナの頭上に、目の眩むような満天の星空が広がった。
 降り注ぐかのような星々、けれどそのように錯覚したのはほんの一瞬だけのことで、それらは瓦礫の壁が安っぽく瞬く電飾の光を放っているのに過ぎなかった。
「ねえ、サレナ
 そうっと、まるで優しく毒を注ぎ込むような声音で、ケフカが囁く。
「あなたの世界がこの城の中で、そして私だけであり続ける限り、私はあなたの願いを何でも叶えてあげますよ」
「ほざいていろ」
 サレナは粗悪なイミテーションの夜空を眺めるのにはすぐに飽き、地と平行に目線を戻した。背後のケフカを振り返ることなく、抜き身のままだった剣から血と脂を払って、鞘に収めて歩き出す。
「わたしが欲しいのは貴様の首だ」
「ヒヒヒ……」
 粘つく笑い声だけが、サレナを追いかけてくる。
 偽物の星はひとつ消え、ふたつ消え、世界は再び薄闇の中に閉ざされた。


 停滞した時間だけが、薄闇とともに塔の中に少しずつ積み重なっていった。一日のはじまりとおわりもわからぬままにサレナは目覚め、さ迷い、葬り、眠る。そうやって、サレナはただひたすらに待ち続けた。
 時折、ケフカが戯れのように姿を見せる。
 ケフカはことを進んで起こそうとしないサレナに焦れるでもなく、狂気や逸楽じみた、時に辛辣な言葉を投げかける。滅びに向かいつつある世界、変わり果てた城の中にあっても、そのときのふたりだけはかつての時間の中にいるようでさえあった。
 そんな澱のような日々にあって、不意に濃い霧が晴れたかのごとく、サレナが待ち侘びていたものは唐突に訪れた。
 少し前から、予感はあったのだ。サレナ一人ではどうすることもできなかった扉が開いていたり、サレナが行く先ですでに魔物が一掃されていたりと――
 だから、サレナは彼らが目指すであろう塔の最上階へと続く道で、彼らがやって来るのを待っていた。リターナー。帝国亡き今、そう呼んでもよいものか。
「皆様、久方ぶりにお目にかかります」
サレナ……! 生きていたのね……」
 あの日から、どれだけの年月が過ぎ去ったのか……
 いくらか面差しが変わったようなセリスが、複雑な表情でサレナの名を口にする。彼女の他は皆、それぞれの武器に手をかけてサレナの出方を窺っていた。その様子にサレナは口元を僅かに緩め、どうぞ、と道を譲り渡した。
「勘違いなさらないでいただきたい。わたしは、あなたがたの邪魔をするつもりはありません。わたしのただひとつは変わらず、わたしの復讐を成し遂げることです」
「待って――」
 そんなサレナの前に進み出たのは、意外なことに、魔導の少女であった。
「あなたは本当にそれでいいの? そうやって、何を得られるの?」
 あやつりの輪をつけられていたときはもとより、いつかサレナの執務室で対面したときよりもずっと強い意志に輝く瞳で、まっすぐにサレナを見つめてくる。
 滅びゆく世界の中であっても、彼女には得られるものがあったのだろうか。見渡すと、彼女だけではなく、彼らの誰もが世界が終わる前とは見違えて、眩い何かを先に見据えている眼をしているように思えた。
「世界を引き裂いてまで……あなたの願いを果たしたあとで、あなたは、この世界に何かを見つけられる……?」
「……さあ。そんなことは、終わってから考えますよ」
 サレナは素っ気なく言い放つ。さらにサレナに言い募ろうとした彼女を、仲間の一人が引きとめた。
「行こう!」
 彼らが未来のほうへと駆け出していくのを、サレナはただひとり、そこにとどまり見送った。


 瓦礫の塔の頂上。
 サレナの目と鼻の先で、今まさにこの世の行く末が決まろうとしていた。世界の存亡を賭けた、熾烈さ極まる戦い。それを傍観するサレナの、剣の柄を握る手にはじっとりと汗が滲む。
「命、夢、希望……どこから来て、どこへ行く?」
 人の姿を捨て去ったケフカを前にして、リターナーが一人、また一人と力尽き、膝を折っていく。それでも、誰も諦めない。ケフカの持つ三闘神の力は、彼らによって大いに削がれている――今なら、サレナでもとどめを刺せる。
 ケフカをここまで追い詰められるのは彼らだけであり、この先、彼らの他に誰も現れまい。だからサレナは、ただただこの瞬間だけを待ち望んでいたのだ。
「そんなものは、この私が破壊する!」
 逸る動悸を抑えて、意識して緩やかに剣の鞘を払う。そして、呪文の詠唱。常人では捉えることも敵わぬ速さで瓦礫の陰から身を躍らせ、サレナは剣を振るった。
 ギィン――!
 耳障りな金属音が鳴りわたる。
 サレナは転がるようにして塔の上に着地した。柄を伝わる衝撃に手が痺れ、剣を取り落としてしまいそうだ。これ以上はないという機を狙っての一撃は、しかし弾かれた。しくじった――まだこれほどの余力があったか!
サレナ!」
 歓喜に満ち満ちて、ケフカはサレナの名を呼んだ。
「あなたはやはり、私が望むままをくれるひとだ!」
 背には白い翼と黒い翼を生やし、耳は尖り、口は裂け、まるで道化師の化粧そのものの異形の姿と成り果てた今でも、悦びに震えるその声は不思議と彼のままだった。
 それはかえってサレナの憎悪を煽り、腕のひと振りでこの命は消し飛ぼうという強大な力を前にしてさえ、永らく抑えていた炎を噴き上げさせた。サレナは再び地を蹴る。
「私はね、ずっと思っていたんですよ。もしも滅びが来るならば、そのときは、私だけを憎み私だけを心に住まわせている――サレナ、あなたのまなざしに貫かれて果てたいと」
「……言われずとも望みどおり殺してやる!」
 やみくもに、まっすぐ突き出した剣先は、いともたやすくケフカの胸に吸い込まれた。
「なっ……」
 サレナは驚愕に目を見張る。
 ケフカは、少しも抗わずサレナを抱き留めて剣を受けたのだった。サレナを戸惑わせたのはそればかりでない、ひとを刺し貫いたというのに、あまりにも軽すぎる手応え。刃が刺さった胸からは血ではなく、砂のような粒子がこぼれ落ちている。
 愕然として顔を上げれば、ケフカの輪郭はすでに塵と化し崩れ始めていた。
「ケフカ―― 」
 その先に続く言葉が何だったのか、サレナ自身にもわからない。
 先から砂塵と化しゆくケフカの指が、そっとサレナの頬に触れた。そこには人肌のあたたかみはなく、ただ、乾いた感触だけがあった。ケフカがゆっくりと顔を寄せてくる。果たしてそれは意識的な動作だったのか、単に砂柱となった足が上体を支えきれなかったゆえなのか……
 互いに睫毛が触れるほど、ふたりの吐息が混じり合うほど、視界いっぱいに近付いた男の顔が、相貌が崩れ、やがて凹凸だけになり、しまいにはそれさえもなくなるのを、サレナはその砂の腕の中、身動ぎもせず瞬きすらせずに凝視していた。
 サレナの手から剣が滑り、音を立てて地に落ちた。
 その残響が消える頃には、サレナの前には何もなかった。足元に、砂の山だけが残されていた。それも風に吹かれてすぐに散っていった。
 どれほどの間、そうしていたのか。
サレナ……」
 声をかけられて振り向くと、仲間同士で支え合って立つ彼らがサレナを見守っている。中でも、悲愴なまなざしを向けてくる魔導の少女に応えようとして、サレナは彼女の名前を知らないことに、このとき初めて気が付いた。
「先ほどの問に、お答えしましょうか」
 サレナはそう言ったが、いいえ、と魔導の少女は悲しそうにかぶりを振る。
「……必要ないわ。あなたの眼を見れば、わかるもの」
「そう……そうですか」
 わたしは、今どんな目をしているのだろう。
 彼女が得た答えが何なのか知りたくて、サレナは己の胸のうちを探ってみた。けれど、サレナの指先に触れて感じられるものは何もなかった。そこではすべてが息絶えていた。
 地響きを纏い、塔が揺れている。
 初めは微かだったそれは次第に力強さを増していき、サレナたちがいる最上階を不穏に揺るがした。主を失ったことで、塔が自壊を始めているのだ。
「崩れる!? みんな、飛空艇へ!」
サレナ! あなたも早くこっちに!」
 ひときわ大きな揺れとともに、塔がふたつに裂ける。彼らとサレナを断つ地面の裂け目、その向こうから、セリスが必死に手を伸ばしてくる。サレナは吐息をこぼすように、セリスにやわらかく微笑んだ。
「ねえ、聞いてはいただけませんか、セリス。とても信じてはもらえないでしょうけれど――」
サレナ!!」
 その手を、サレナは取らなかった。
「わたしの人生は、そう悪いものではありませんでしたよ。……ええ、あなたがたが思っているほどにはね」
 無論、あの男には、死んでも言ってやるつもりはない。
 瓦礫が落ち、壁が崩れる。砂塵が舞う。それは、一時は神を名乗った男の成れの果てなのか――いつか、ベクタの執務室の床に散らばった枯れた花弁をサレナに思い起こさせた。
 割れた天井から、外の光が差し込んでくる。
 その光があまりにも眩しく、サレナは立ち尽くしたまま目を閉じる。セリスや彼女や彼らの叫ぶ声。サレナを支えている足元が崩れる。閉じた瞼の裏で、瓦礫の夜空に星がチカチカと瞬いている。浮遊感。
 そうしてサレナは奈落の底へ底へと落ちていった。