5
竜崎はその一室に足を踏み入れた。テーブルにも床にも、ビデオテープが山のように積まれている。一緒に持ち込まれた数台のモニターはすでに画面が点いておらず、真っ暗である。大量のテープを整理しているのは捜査本部の刑事である相沢と模木、そして史香だ。
入ってきた竜崎に気付いて、相沢が顔を上げた。
「竜崎。照合はすべて終わりました。この分がFBI捜査官が写っているものです」
この分、と言って相沢はテーブルに大雑把に積み上げられたテープを指す。これだけでもかなりの量だ。
「ではリビングへ運んでください。再生機器はもう用意してあります」
言って、竜崎は相沢の返事を待たずに史香へ目をやった。
「史香も手伝ったんですか」
「はい。私は特にすることもありませんから」
ずっと映像の照合にかかりきりだったのだろう、しきりに瞬きをしながら史香は頷いた。暇だからなのか、何も言いつけなくても史香はよく雑用を請け負う。今回も自分から手伝いを申し出たに違いなかった。
「あー。史香……さん、そっちのテープを取ってもらえるか」
相沢が難しい顔をして、ぎこちなく史香に声をかけた。彼は、いまだに史香に対する態度を決めかねているようだった。
対して史香は屈託なく微笑む。
「あ、これは私が運ぶので、こっちをお願いします」
「ああ、わかった」
竜崎はジーンズのポケットに手を突っ込んで、一連のやりとりをじっと見つめていた。だから史香がテープを二つに分けて、そのうちの相沢に渡した方の山の一番上に、テーブルの端によけるように置いてあった数本をさりげなく乗せたのも、見逃さなかった。
「竜崎さんがこういうところに来るのって、珍しいですね」
相沢と模木が出て行った後、史香は自分の分担分のテープをのんびりと抱え上げて、竜崎を見上げた。
「いつもは安楽椅子探偵なのに」
そのとおりだ。竜崎は持ってこられたデータを見て推理するばかりなので、この部屋に来る必要はない。先ほどの相沢への指示だって、必要なら誰かを通して行えばいいのだし、あらかじめそう伝えておくことも可能だった。
「そういう日もあります」
「何かあったんですか?」
「いえ、特に。史香に会いに来ただけです」
史香はきょとんとして竜崎を見返した。
「もしかして、おやつですか? 駄目ですよ。ワタリさんに、ケーキは一日五個までにしてくださいって言われてるんです」
「史香も一つ食べていいですよ」
「――これを運んだらすぐに用意します」
竜崎が言うと、史香は即行で部屋の外へ駆けていく。それを見送って、竜崎は思考に耽った。
如月史香の言動には嘘が多い。
彼女と過ごしたこの二週間ほどで、竜崎が史香に抱いた印象はそれである。
史香が「この世界の人間ではない」ことを否定しているのではない。その点に関しては信用している。非現実的ではあるがその一端はこの目で見てしまったのだ。それに、「L」への接触のためにやって来たのだとするにはそれらしい振る舞いが一切ない。
彼女の来歴は相変わらずはっきりしないが、十余年を生きている人間の情報が何をやっても出てこないというその不可解さが、逆に史香の言い分を支えていた。ワタリからはそろそろ調査を打ち切ってはどうかと提言され、竜崎としてもそれでいいと考えている。
では、何が偽りだと感じるのか……まず、その態度だ。
呼ばれると、笑顔で応じる。史香はいつも微笑んでいる。冗談も言う。それが、妙に空々しい。
特に好意を抱いていない相手にも人当たりよく振る舞うというのは、誰でも取りうる行動だ。そう不自然でもない。だが、史香の場合はどうもそれとは違う。誰にも等しく、偽の笑顔を浮かべている。史香の中には人への興味も好悪の念もないのではないか、とさえ感じる。自分以外の存在が何ら重みを持って認識されていない、つまり、他者をすべて「どうでもいいもの」と捉えているのではないだろうか?
……まあ、そちらは大した問題ではない。世の中、そういった人間も決して少なくはないだろう。
竜崎がもっとも疑念を抱いているのは、史香は本当にこの先の未来を――キラ事件の一切を知らないのかということだ。
史香はキラ事件にそれほど興味を持っていないようだった。向こうからその話を振って来たことは一度もない。読書はするが週刊誌や新聞はさほど手に取らないし、テレビは好きでないと言い、ニュースを熱心に見ていた様子はない。
その状態で、史香は一体いつ、どのように、どんな理由で、キラの殺しには顔と名前が必要だと考察したのか?
そしてもう一つ、史香は夜神たちに本名を伏せた。何故その必要があると考えたのか。警察関係者を疑っている? キラが警察関係者の中にいるだろうということは、もちろん報道では明かされていない。ただの用心のためにそうしただけか?
確かに、ずば抜けてと言うほどでもないが、史香は人よりは頭が回る。かと言って、理知的な性格をしているわけではない。堪え性がなく、思考はいつも短絡的だ。そんな史香が、わざわざそこまでの警戒をするだろうか?
疑わしいが、しかし――それがそう推理したからではなく、前もって知っていたからということなら、納得がいく。
もし史香が未来を知っているなら、それを隠す理由は何だろうか。キラの信奉者だから? タイムパラドックスを怖れて? ――どれも違う気がする。史香は自分の願望に即したことしかしない。前者ならずっと早くから行動しているだろう。後者なら、もっと徹底して関わらないようにする。
答えを出すには、もっと情報が必要だった。
リビングに戻ると、モニターを設置したテーブルの脇にビデオテープの山ができていた。捜査本部のメンバーは、警察庁にいる宇生田を除いて全員が揃っている。竜崎はモニターと向かい合うソファーの上に上がり、いつものポーズで座り込む。
「相沢さん、テープを再生してください」
「ええ、では最初にファイルを得たハリー=ベルですが……」
相沢の説明とともに、再生が始まる。そのFBI捜査官が画面に写ったのはほんの僅かな時間だけだった。すぐにテープが止められ、ちょうどその時に、盆を持った史香がやって来た。
「皆さん、お茶を淹れましたので、どうぞ」
「あっ、ありがとう、史香ちゃん」
真っ先に歓声を上げたのは松田だ。
口々に礼を述べる刑事たちをよそに、竜崎は次のテープを用意する相沢に声をかけた。
「相沢さん、次はそのテープにしてください」
「あ、はい」
相沢は訝しげながらも従う。
その間に、史香が竜崎の前に紅茶とケーキを置いた。その顔をちらりと一瞥する。何でもないふうを装っているが、史香の目はしっかりと相沢の手にあるテープを追っている。
「山手線のホームでレイ=ペンバーの姿を捕らえた映像です。心臓麻痺の瞬間も写っています」
レイ=ペンバーか。死亡したFBI捜査官の名前はすべて記憶しているが、改めてその名を脳に刻み込む。
竜崎はいつものように砂糖を大量投入してから、紅茶を一口飲んだ。史香が淹れると、大抵が茶葉を蒸らしすぎて渋くなっているのだが、今日はそうでもない。まだソファーの傍らに佇んでいた史香を見上げる。
「上達しましたね」
「でしょう」
史香は笑った。珍しく、上辺だけでない本物の笑みだった。
竜崎は史香から顔を逸らしてモニターに視線を戻した。その笑い方を目にするのは初めてではなかったが、竜崎にとってはあまり好ましいものではない。……何故かはわからないが、思考が乱されるからだ。
「北村次長宅と夜神局長宅に、盗聴器と監視カメラをしかけます」
竜崎がそう言い出した時も、それが原因で刑事たちの間でひと悶着が起きそうになった時も、史香は部屋の隅で我関せずとおやつを食べていた。正直、がっかりだった。ケーキをゲットし、紅茶も上手に淹れられ、竜崎にレイ=ペンバーの写ったビデオを見させる企みにも成功して、つい何時間か前までは上機嫌だったのだが。
そう、その企みだ。自分から言い出して手伝いはしたものの、ビデオの検分が想像を絶するほどに面倒で退屈だったので、史香はさっさとあの作業を終わらせたかったのだ。だからあえて危険を冒してペンバーのビデオを竜崎の目に付くようにしたのに、ちっとも意味がなかった。竜崎は結局すべてのビデオテープに目を通したからだ。
史香が沈んでいる間にも、竜崎はどんどん話を進めていく。
「……せめてもの配慮として、夜神家の監視は私と夜神さんだけで行います」
それって、たぶん配慮になってない。史香は思った。
「それと史香」
「何でしょう」
突然話を振られた史香は咄嗟に、あたかも今までの話をきちんと聞いていたかのような、真面目な顔で背筋を伸ばした。
「史香には両家の監視を手伝ってもらえませんか」
「両家の……ですか?」
史香が首を傾げると、竜崎はひとつ頷いた。
「違法捜査なので無理にとは言いませんが、女性がいた方がいいでしょうから」
史香は少し考えた末に、了承する。どうせやることは何もないのだ。
「いいですよ。徹夜と絶食は嫌ですけど」
「そこまではさせません」
監視は翌日の午後から、ホテルを移って行われることになった。
史香は、数時間おきに夜神家と北村家の監視を交互に行うように指示された。今いるのは、北村家用のモニタールームである。壁際には十二台のモニターとその付属機器が並び、床の上はその配線コードが溢れ、室内は一種異様な雰囲気となっていた。
そんな中で、松田が溜息とともに呟いた。
「竜崎も、何も自分の彼女にこんなことさせなくてもいいのに」
「彼女」
史香は瞬きをした。遅れて、それが誰を指しているのかを理解する。
この人は、まだそんな勘違いをしていたのか。松田を見やる視線が自然と冷ややかなものになった。
「私、彼女じゃありませんよ。この前のあれは冗談です」
「ほんとに?」
大仰に目を丸くする松田に、史香は「はい」と首肯する。だが、松田はなかなか納得しない。
「でも、竜崎の方はそう思ってないんじゃないかなあ」
「そんなことないでしょう」
「史香ちゃんも何とも思ってないの? 二人で一緒に暮らしてるのに」
「二人って、ワタリさんもいるじゃないですか」
「それはそうだけど、あの竜崎が……」
いい加減にしつこい。こういうのは女子が好む話題だろうに。史香はだんだん、微笑んでいるのが苦痛になってきた。
「松田さん、KYです」
「えっ? けい……何?」
「あと何年かしたらわかりますよ」
にっこり笑って、しれっと言う。わけがわからないといった様子の松田に、とりあえず溜飲が下がった。
渋い顔の宇生田が、耐えかねたように口を挟んだ。
「真面目にやれ、松田。この画面の向こうに、キラがいるかもしれないんだぞ」
「あっ、はい、すみません」
「あんたもだ」
矛先を向けられて、史香は肩をすくめた。
「私はお手伝いですから」
どうせ、北村家にキラはいないのだ。真面目に監視などするつもりはさらさらなかった。それに史香は正式な捜査員でもない。史香の出番は監視対象の女性が例えば着替えなんかを始めた時だけで十分だろう。
――と。
バン!とテーブルがけたたましく鳴った。宇生田が拳をテーブルに叩きつけたのだった。
部屋がしんと静まり返った。
「……宇生田さん」
史香は静かに宇生田を見据える。宇生田は史香に鋭いまなざしを向けながら、口を開いた。
「竜崎が言っていたように、俺たちは命をかけて捜査してる」
さすがに一回りも年下の少女に向かって怒号を発するようなことまではしなかったが、彼の声は真剣さと怒りに満ち満ちている。 「身内を疑って、こんな真似までしてだ。……それを、そんな適当な気持ちで手伝われても逆に迷惑なんだよ。その態度を改める気がないならここから出て行ってくれ」
「そ、そこまで言わなくても……」
場をとりなそうと、松田がおろおろしている。
史香は頭を下げた。
「すみませんでした、宇生田さん。ちゃんとやります」
「……いや、俺も言い過ぎた。すまん」
宇生田は目を閉じて、スーツの胸ポケットから煙草の箱を取り出した。それから、ここで喫煙するのもどうかと思い直したのだろう、決まり悪そうにまたしまう。次長宅の監視は、この小柄な刑事の精神をそれなりに削っているらしい。
「いいえ、私が悪かったんですから、気にしないでください」
史香は微笑む。その裏では、ひどく驚いていた。
ここは、漫画の世界だ。ここにいる人たちは皆、誰かに考え出された架空の人物である。だから、史香はこれまで彼らを下に見ているところがあった。彼らが真剣に捜査に取り組んでいるキラ事件にも、戯れに参加している。
だが、どうだろう。今ぶつけられた感情は紛れもなく本物だった。史香よりもよほど正常で、生身の人間らしい。いや、彼らはまさしく現実の人間なのだ。そのことに、史香はようやく気付かされた。
……気付いたからと言って、何かが変わることもないが。
竜崎のこと何とも思ってないの?――どうしてだか、松田の言葉が反芻された。
少なくとも、嫌いではない。
言葉を交わすのは楽しい。お互いに過干渉のない今の関係は、とても居心地のよいものだ。この状態が長く続いていけばいいとすら思っている。でもそれはきっと、漫画のキャラクターだから愛着でも湧いているに違いない。それだけのことだ。史香はそう結論付ける。恋人や、好きな人とは断じて違う。
だって竜崎は、一緒にいても殺したくならないのだ。