12
ホテルに着いた月を、いつものように松田が迎えた。エレベーターに乗り込み、捜査本部となっているフロアへ向かう。「大学が終わったら、次は捜査か。月くんも大変だね」
「いえ……」
松田の言葉に、月は適当な相槌を打つ。
第二のキラ――ミサとの出会いを果たした今、死神の目の能力は月の手中にあると言っていい。しかし、事態が好転したのではなかった。感情的に行動するミサと、ミサの味方をするあの忌々しい死神は、正直なところ月の手に余る。
ミサに最後のメッセージを送らせはしたが、さて、Lはどう出るか……
捜査本部のリビングに入ると、刑事たちの背が目に入った。彼らがじっと見入っているモニターには、あの出来の悪い「KIRA」の文字。図らずも、ぴったりのタイミングで到着したようだ。
「あら……こんにちは」
月の到着に真っ先に気付いたのは、モニターからは離れた椅子にかけていた史香だった。顔を見られることを警戒してホテルの外に出なくなったLに倣ってか、史香も大学に通うことを止めてしまったために、彼女と顔を合わせるのは今日はこれが初めてだ。
史香の前にあるテーブルには、ティーポットとカップ、ドーナツがたくさん盛られた皿が載っている。ちらりとLに目をやると、Lの前にも同じものが並んでいて、月は――もちろん微塵も表には出さなかったが――「またか」といささかげんなりした気持ちになった。Lと史香は、月が捜査本部に来ると決まって何か食べている。
「ああ。こんにちは、史香ちゃん」
一応はにこやかに挨拶を返すと、笑顔の史香の眉がほんの僅か、ぴくりと動いた。
いつも微笑を湛えている史香だが、逆にそのせいで表情が読み取りにくい。怪訝に思った月が疑問を口にするよりも先に、史香はドーナツ片手に言った。
「ちょうどいいところに来ましたね」
「ちょうどいいって?」
「――たった今、第二のキラからメッセージが届いたところです」
言葉を継いだのは、史香ではなくLだ。モニター前のソファーで膝を抱えたLが、こちらを振り返る。
「第二のキラから? 随分早いな」
白々しく応じながら、月はLに歩み寄った。そのため、背後で己に憑いている死神と史香の視線が一瞬の間だけ絡まり、やがて離れていったのに気付くことはなかった。
「まあ、これを観てください」
メッセージが頭から再生される。機械音声が伝えるのは、月がミサに命じたままの内容だ。それが終わるとLはビデオテープを停止させ、モニターには砂嵐が映し出された。
「どうですか? 月くん」
「そうだな……」
当然のことだが、Lのこの類の問は予想の範疇にあり、返答のパターンはすでにいくつか考えている。しかしながら月はもったいぶって顎に指を添え、思案する演技をした。
すると、ドーナツをくわえ、Lが言った。
「私はこれを観て、キラと第二のキラが繋がったと感じました」
「繋がった?」
平静を装って、聞き返す。父や刑事たちは厳しい表情である。
Lがあっさりと正答を導き出したことに、月は苦々しい思いを禁じえない。挙句に、Lは論拠を示した後で「これで月がキラである疑いは減った」などと言い出した。
「月くんがキラだとしたら、私をテレビ出演させるようにと第二のキラに脅迫させるはずです」
「――もし僕がキラだったら」
とうとうと続くLの言葉を、月は静かに遮った。
「そんなことはしないよ。竜崎、僕を試しているのだとしても、思ってもいないようなことは言わないでくれ」
「……バレましたか。すみません」
Lはそう詫びたが、三分の一ほどになったドーナツの残りを口に押し込む姿は、すまないとはこれっぽっちも思っていなそうだ。
月は努めて内心の憤りを抑えなければならなかった。不覚にも、このビデオレターはLに付け入られる隙を作る悪手となってしまった。ミサがもっと賢く動いていたなら、容易に事が運んでいたに違いないのだが。そう考えて、ますます苛々が募る。
「ライト」
それまでずっと黙していた総一郎が、重々しく口を開いた。眼鏡のレンズ越しにもわかるほど、その目は疲労の色が濃い。
「自分がキラだったらなどと、たとえ話でも口にするものじゃない」
「……ごめん、父さん。でも、心配しすぎだよ。僕がそう言えるのは、キラじゃないからだ」
毅然とした態度で、月はきっぱりと断言する。
「それは、そうだが……」
口ごもる総一郎に、そうですね、とLが神妙に頷いた。
「月くんはキラではない、いえ、キラであっては困ります」
思わず、Lを見やった。
けれども、Lは月ではなくテーブルに載った紅茶のカップを見つめていて、角砂糖を次々と投入してはティースプーンでかき混ぜている。月の位置からでは、彼の表情は窺えない。
「月くんは……」
「……僕は?」
今度は一体、何を言い出すつもりだ?
月が待ち構える中、Lはティーカップをソーサーごと顔の高さまで持ち上げた。
「私の初めての友達ですから」
ぐちょっ――背後で、怪音がした。
何事かと振り向くと、史香が、これまで見せたこともないものすごい形相をしている。右手には、無残にも握り潰されたドーナツの残骸が。音の正体はこれらしい。
「ふ、史香ちゃん?」
唖然とした松田の呼びかけで、史香は我に返ったようだ。信じられない、とでも言いたげに己の手を見つめて、わなわなと震える。
「私としたことがっ、た、食べ物を粗末にするなんて……!」
打ちひしがれている史香。Lが呆れ返った声を上げた。
「何をやっているんですか、史香」
「だって……だって、今……」
史香はしばらくへどもどしていたが、そのうち思い切ったように手を振ってドーナツの欠片を払うと、勢いよく立ちあがった。
仁王立ちである。顎を上げ、Lを睨む。
「初めての友達って、どういうことですか! 私の立場は?」
「そんなことを言われても」
Lはちょっと眉を顰めた。
「史香は、私と友達になりたかったんですか?」
問われて、史香ははたと口を閉ざす。そして、まるで知らない異国の言葉でも耳にしたかのような、もしくは「太陽は西から昇るんですか」と尋ねられたみたいな顔で、二、三度瞬きをした後に、言った。
「いえ、別に」
「でしょう。私もです」
お互いにさらりと否定し合う。
「すみません、月くん。話の腰を折りました」
「いや。……僕にとっても、竜崎は気の合う友達だ」
咳払いをひとつして、月は話を戻した。
「大学、休学されて寂しいよ。またテニスしたいね」
「はい。ぜひ、また」
穏やかに笑みを交わす。
この茶番を嘲笑うように、背後でリュークがククと喉を鳴らした。
一方で、史香はまたもやむすっとした顔をしている。先の問を打ち消しはしたものの、自分が蚊帳の外となると面白くないのだ。ちくちく刺さる視線をどうにも疎ましく感じて、月は胸のうちで溜息をついた。……仕方がない。
「史香ちゃんも」
「えっ?」
虚を衝かれたような史香の視線をしっかりと受け止めて、月は微笑んだ。
「キラ事件が解決したら、君も復学するだろう? 今度はテニス、付き合ってほしいな」
「そう……ですね。その時は、喜んで」
史香も、にこっと笑顔を返す。しかし、史香の返事はどこか違和感を伴って月の耳に届いた。
彼女と向き合うと、いつもそうだ。史香がどんなに笑顔でいても、月に対して腹に一物あるのではないかとさえ思う。Lの親戚だというのだから、そういう面まで似ているのだろうか。
月と史香の間に横たわった微妙な沈黙を、Lが破った。
「史香まで休学する必要はなかったんですよ? 確かに、史香の身に危険が及ばないとは言い切れませんが」
「……え、でも」
史香は目をぱちくりとさせて、Lを見つめた。
「竜崎さんがいなかったら、大学に行く意味なんてないじゃないですか?」
「…………」
珍しく、Lは面食らったようだった。
「……そうですか」
「そうですよ」
Lは頷いた後に何かを言いかけたが、結局は頬張ったドーナツと一緒にそれを呑み込んだ。史香はけろっとして、無事な姿でいる残りのドーナツに手を伸ばしている。
そんな二人の様子を眺め、
「……いつもこうなんですか、この二人」
と、月は誰に問うでもなく小さく呟いた。
「う、うむ」
「まあ、大体は……」
刑事たちから気まずげな答えが返ってくる。
まったく、今日は珍しいものばかり見る――
月は今度は本物の溜息をついた。その日の帰り道、生まれて初めて女を殴りたい衝動に駆られるというもっと珍しい体験をしようとは、知るよしもなかった。
竜崎と二人きりになった頃合いを見計らって、史香はこう切り出した。
「竜崎さん、お金をください」
「……もう少し言葉を選ぶ気はないんですか」
フォークの先をくわえた竜崎は、そのままの姿勢でじとっとこちらを見返してくる。
史香と竜崎は、リビングの小さなテーブルを挟んで向かい合っていた。テーブルの上には、捜査本部に出入りすることのなくなったワタリがわざわざ手配してくれた洋菓子の数々。休みなくそれらを口に運びながら、史香はうーんと唸った。言葉は選ばずとも、時と場所は選んだつもりなのだが。
「ええと、じゃあ『貸してください』? あ、でも、返す当てとつもりはありませんけどね」
「そういうのを、言葉を選んだとは言いません」
「嘘で繕うよりも誠実さを重視したつもりです」
しゃあしゃあと史香が軽口を叩くと、竜崎は僅かに目を見開いた。それから、凝視と表現していいほどにまじまじと史香を見つめる。視線の強さに、史香はたじろいだ。
「な、何ですか?」
「何でもありません」
竜崎はかぶりを振ったが、しかし史香の言葉を聞き咎めてのことには違いないだろう。史香はむっとして口を尖らした。
「もう。あんまり細かいことばっかり気にしていると、禿げますからね」
「……今の話は聞かなかったことにします」
「あっ」
史香が己の失言を悟った時には時すでに遅し、臍を曲げた竜崎は山いっぱいに盛られた皿の一つを抱え込むと、ソファーの上で器用に方向転換をして横を向いてしまった。
「竜崎さんってば、軽ーい冗談じゃないですか」
「…………」
「ほら、私のシュークリームを分けてあげますから。ね?」
背に腹は代えられないので、史香はテーブルの上に乗り出して、身を切る思いで自分の取り分を竜崎の皿に移してやった。竜崎はそっぽを向いたままで、それでも献上品はしっかりと受け取った。
「安い懐柔策ですね……」
「そんなことを言うんだったら返してください」
「無理です。貰ったものは返せません」
史香の抗議むなしく、取っておきだったシュークリームは「無理です」の「無」くらいのところで、竜崎の口の中にその半分が消えた。
すごすごと元のソファーに戻った史香は、差し出したのは自分なのだけれども、取っておきがすっかり消えてしまうまでを悲しみに暮れて見守るしかない。そんな史香に、クリームのついた指を舐めながら竜崎が言った。
「常識的な額なら構いませんが」
何のことだか即座には理解できず、史香は束の間きょとんとして竜崎を見る。そしてすぐに思い当たって、にっこりした。任せてください、と胸を張って応じる。
「金銭面に関して言えば、私の常識は竜崎さんの常識の範囲内に余裕でおさまる自信があります」
「……それは助かりますね」
史香の言い草に竜崎は渋面を作るが、前言を撤回しはしなかった。
具体的な金額を提示すれば、「ああ、その程度ですか」という反応が返ってくる。竜崎の言う「常識」とやらの限度額がいくらなのか気になるが……尋ねたとして、庶民の史香が思いつきもしないような法外な値を答えられると怖いので、やめておいた。
「どうせならカードでも作ったらどうですか」
あっさりとした口調で提案してくる竜崎。
史香は首を傾げる。
「信用情報とか……」
「どうとでもなります」
「ははあ、どうとでもですか」
さすが、世界の名探偵は言うことが違う。
ちょっと迷ったが、さほど高額のものを購入する予定はない。とりあえず今は必要ないと断った。それをきっかけに何とはなしに会話が途切れ、二人とも食べる方に専念する。
テーブルの上があらかた片付いた頃になって、史香はおずおずと尋ねた。
「……聞かないんですか?」
「何をです」
「例えば……お金の使い道とか」
「聞いてほしいんですか」
どんな時でも、竜崎はまっすぐに史香を見据えてくる。
「そうじゃないですけど……」
史香は、その視線を避けて俯いた。
いっそすべてを打ち明けてしまおうか、と考えたことがないわけではない。夜神月や死神たちを出し抜くために、史香はけちな策を練ることしかできないが、竜崎ならば、すべてがうまくいくような鮮やかな解決策を示してくれるかもしれない。
けれど心がそちらへ傾くたびに、そんなことはできないし、するべきではないと思い直す。自分を貫く以外の道は、史香には残されていないのだから。
ただ、多くを与えてくれる竜崎に、それと同じ分だけを返せないでいることが、少し心苦しかった。
「ああ、そういえば」
たった今思い出したというように、竜崎が声を上げた。彼の抑揚のない物言いではいかにも真実味がない。そして事実、思いつきで口を開いたのでもないのだろう。
「捜査の件ですが、弥海砂を確保する方向で動くことにしました」
突然挙げられた名前に、史香はどきりとした。紅茶に口をつけつつ、注意深く受け答えする。
「えっと……今朝報告があった、夜神さんの四人の彼女のうちの一人でしたか」
「そうです。それと、これは物的証拠が挙がってからになりますが、史香の案を採用します」
「私の? 何のことですか?」
まったく身に覚えがないことを言われ、戸惑った。
竜崎が指をくわえる。
「尋問の際は、拘束具をつけて監禁」
――危うく紅茶を噴き出しそうになった。
何とか堪えると、史香は乱暴にティーカップを置いた。ソーサーとぶつかってガチャンと音が立つ。
「へ、変なことを言わないでください! 何なんですか、私が変態みたいじゃないですか」
「変態かどうかは知りませんが、史香が出した案ですよ。忘れてしまいましたか?」
思わず腰を浮かしかけるほど動揺している史香を、竜崎は鷹揚に見上げる。
果たして、そんなことを言っただろうか。……言ったかもしれない。けれども、史香は自分でその尋問方法を思いついたのではない、そういうことが起こるとあらかじめ知っていただけなのだ。このまま変態の汚名を着せられてはたまらない。
「それはもともと竜崎さ――」
史香はぴたりと口を噤んだ。
そして、あやつり糸が切れたように、力なくソファーに身を沈める。竜崎は史香から目は逸らさないまま、紅茶のカップを手にした。
「私が、何ですか?」
拘束だの監禁だのは、もともとは竜崎がやったことだ。
そんなことを言えるはずがなかった。史香はキラ事件のことは何ひとつ「知らない」のに、つい口を滑らせてしまうところだった。すっとぼけた顔で紅茶を飲んでいる竜崎を、史香は恨めしげに見やる。
「……竜崎さん?」
「約束は守ります。約束したことは」
「…………」
まあ、確かに、「誘導尋問するな」とは言わなかった。
あの日のやりとりで、史香が未来を知っていると悟られているだろうことはとうに承知していた。しかし今の引っかけを思い返すに、もしや竜崎はかなりギリギリの部分――一例を挙げるなら、史香がキラ事件の顛末を奥深くまで知り尽くしているということ――まで、迫っているのではないだろうか。
そこまで思い至って、史香はくすりと小さな笑みを漏らした。
驚きや焦りは、もちろんあった。けれど、あんなふうに約束までしておいて、それでもとことん真相を追い求めようとするなんて、何だかとても竜崎らしい――そう考えると、何よりも先におかしさが込み上げてきた。
竜崎を責める気にはならなかった。もともとは史香が身勝手なことを言い出したのだし、それに、竜崎だって自分の命がかかっているのだ。
しかし、竜崎がその気なら、こちらも遠慮はしていられない。
「……何の話をしていましたっけ」
「史香が変た」
「ああ、そうでした、弥海砂を確保するとかいう話でした」
竜崎が言いかけたのをぶった切って、史香はとても荒っぽい話の持って行き方をした。
「私見を述べさせてもらうと、彼女を拘束して得られるものは大してないでしょうね」
唇の端を、決してわざとらしく見えない絶妙な角度に持ち上げ――微笑んで、平然と嘯く。
途端に、竜崎の目つきが鋭くなった。
「弥海砂は、キラ事件とは関わりがないと?」
「どうでしょうか。それは証拠を探して、尋問をして、その後で竜崎さんが判断することです」
そうやってはぐらかしたちょうどその時、
「竜崎。時間です」
サイドテーブルに置かれたパソコンからワタリの声が聞こえてきた。
竜崎は返事をせずに、横目でパソコンのモニターを見た。そして、まだ半分ほど中身の残っているカップを下ろす。
「史香、私はこれから東応大学に行ってきます」
「それじゃ、私も買い物に出てきます。途中まで一緒に行ってもいいですか?」
「……どうぞ、構いませんよ」
竜崎がソファーから降りるのに合わせて、史香も立ち上がった。
この先、夜神月の頭脳を出し抜くだけでなく、竜崎の目を眩ませることも必要なのだ。ようやく目標を定め、先に進むことを決めたのにもかかわらず、史香の進むべきその道はいよいよ険しく、暗澹としていた。