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「今日はヨツバの広告に採用されるかの面接ですが、潜入捜査ということになります」
 普段はあまり表情を動かさない模木が引きつった笑顔を浮かべているのが、車のルームミラー越しに窺える。後部座席の弥海砂はにっこりして、右手の人差し指と親指の先を繋げてマルを作ってみせた。
「大丈夫、わかってるってモッチー」
 しかし、次には体を投げ出すようにシートにもたれ、不機嫌顔で隣の史香をチラッと見やる。
「ねーっ、史香だっけ? 何であなたがついて来るのよ?」
「理由は教えられません」
 海砂の刺々しい視線も何のその、史香は取り澄まして言った。
 もともと史香は弥海砂のことがさほど好きではない――好きか嫌いかと問われれば「どちらかと言うと嫌いだけど、別にどうでもいい」という程度の感情しか持ち合わせていなかった。そこに先日の一件が加わって、今では思いきり負の方へ傾いている。
 海砂はそれを感じ取っているのか、はたまたその点では気が合っているのか、史香にはいつもつんけんとした態度で接する。二人の仲は出会った頃から、そしてその時にも増してギスギスしていた。
 とは言え、表面上はあくまでもにこやかに続ける。
「でも同じチームなんですから、別について来たっていいじゃないですか」
「いいけどー」
 対して、不満も露に口を尖らす海砂。
「そんなスカした態度取ってたら、怪しまれてすぐバレちゃうんだから。もっとマネージャーらしくしてみなさいよね」
「……わかりました」
 史香は微笑みを浮かべながらも、海砂に冷ややかなまなざしを向けた。
「その挑戦、受けて立ちましょう。弥さん」
「ふーんだ、できるものならねっ!」
 二人の間でバリバリと熱い火花が散る。
「あの、もう着きましたから……」
 模木が運転席から振り返り、控え目に告げた。いつの間にやら、車はヨツバビルの駐車場に停止している。
 史香と海砂はお互いに顔を背け合うと、模木に促されるままにさっさと車を降りた。微妙な空気を抱えて向かった先のロビーでは、ヨツバ社員に出迎えられる。さすがと言うべきか、弥海砂は即座に笑顔になり、明るい雰囲気を作った。
「尾々井さん、紙村さん、お久しぶりですー」
 海砂に続いて、模木と史香も「マネージャーらしく」挨拶をした。
「おはようございます! マネージャーのモッチーこと模地幹市ですッ!」
「同じく竜崎史香ですっ、よろしくお願いしまーす☆彡」
 華やかな笑顔を振りまく史香に、背後の死神が何やら呟く。
フミカ、おまえ……キャラ捨てすぎだろ」
 ……うるさいな。
「我々は祝賀会の用意をしてお待ちしております!」
「ミサミサー、ファイトーッ」
 尾々井らと面接室に向かう海砂へ、模木とともに大仰な声援を送る。そして静かに扉が閉まり、彼らの姿が面接室の向こうに完全に消えてしまうと、
「向いてない……よな?」
「……しんどい……」
 同時にがっくりと肩を落とした。今なら松田のことを心から尊敬できる。
「面白いものが見れたなー」
 死神は、相変わらず呑気だ。
「ああ、疲れた……では模地さん、応接室とやらで待たせてもらいましょう」
「……そうですね」
 ひどい疲労感に襲われながら、応接室に入る。うまい具合に、応接室は面接室の近くに配されていた。
 お茶を持って来てくれた女性事務員に、化粧室の場所を確認する。彼女が去ってから、史香は室内の椅子の一つを動かしてドアのすぐ横に持って行った。ドアを僅かに開け、廊下を窺えるほんの少しの隙間を作って用意を整えると、椅子に腰を下ろす。これで面接室の人の出入りを確認できるだろう。
「あの。一体、何を?」
 史香の一連の不審な行動を見守っていた模木が、声をかけてきた。
「模地さんは模地さんの職務を全うしてください。私のことは、空気のように扱ってくれて構いません」
「はあ……」
「あ、そのお茶菓子、いらないなら全部もらいます」
 史香はさっきの事務員が置いて行った茶菓子がまだ手付かずなのを目敏く見つけ、言う。
「……お茶菓子を食べる、空気ですか」
 呆れたように言いながらも、模木は史香に皿ごと手渡してくれた。




 面接の首尾は上々だった。
 変な外国人からの質問には打ち合わせどおりに答えられたし、他の四人の質問にも問題なく受け答えできた。おかげでヨツバの彼らは皆、ミサの言うことを信じきっている様子だ。
 しかし、事がうまく運べば運ぶだけ、その事実はミサへのプレッシャーになる。
 面接の合間に化粧室にやって来たミサは、洗面台に手をついて深々と息を吐いた。
「……はぁ。頑張らなくちゃ」
 と――目の前の大きな鏡面、そこに映り込む己の背後に不意に何かの姿がよぎり、
「弥さん」
「きゃっ!?」
 絶妙なタイミングでかけられた声に、小さく悲鳴を上げる。振り向くと、模木と一緒に応接室で待っているはずの史香が、どういうわけだかそこに立っている。
「ふ、史香……? 何やってるの?」
 鼓動の速まった胸を押さえる。不覚にも声が上擦ってしまった。史香が入って来たことに、まったく気付けなかったのだ。
「弥さんに、少々お聞きしたいことがありまして」
「何よ、聞きたいことって?」
 ミサがこんなに驚いているのに、当人はどこ吹く風である。史香のこれまでの数々の悪行が思い返されて、ミサの声は意識せずとも尖ったものになる。
 史香はロビーでやってみせた朗らかな笑顔とはまったく異なる類の笑みを湛え、ここに来るまでの車中でそうだったように、ミサの睨みをさらりと受け流した。
「面接には、七人のうち誰が来ていました?」
「えっ?」
「さっきの尾々井、紙村と……」
「あ、三堂って人。あと火口」
 予想だにしなかった質問を受け、うっかり素直に答えてしまう。途端に史香は微笑を打ち消した。
「……やっぱり、そうでしたか」
 深刻そうに考え込み始める。そのただならぬ様子に、ミサの胸中にふつふつと不安が湧き上がる。
「な、何なの? ミサにもわかるように説明してよ」
 言うと、史香は顔を上げ、ミサをじっと見つめてきた。ミサを値踏みするような、ミサの中の何かを見定めようとするような、そんな目つきだ。それも不快と表現してもいいくらいの――
「そうですね……弥さん、よく聞いてください」
 やけに重々しい物言い。そうして史香が告げた言葉は、ミサをとても驚かせた。
「――火口がキラです」
「火口が!? うわ、最悪……」
 呻いたのは、先日の接待での火口の態度を思い出したからだ。
 でも、こんなに早くにキラの正体が判明するなんて……てっきりミサがヨツバCMに採用されてから、徐々に探りを入れていくのだと思っていたのに。
「じゃあ作戦はもう終了ってこと? 面接、まだ終わってないんだけど」
「いえ、確実な証拠が出たわけではありませんから――と言うより、私の勝手な推測ですから、作戦は続けます。これは月さんにも竜崎さんにも、まだ誰にも言っていないことなんです」
「ライトにも? そんなこと、どうしてミサに……」
「弥さんは、現在進行形でキラと接触中ですからね。一応、忠告しておこうかと」
 訝しむミサに向かって、史香はやわらかく微笑んだ。それから一転して真剣な顔になる。
「証拠はまだありませんが、面接の場にいることからも、まず間違いないと思っています。他のメンバーもいる中で滅多なことはしないでしょうが、とにかく火口には十分に注意してください」
「う、うん」
「それと、弥さんにこのことを話したのには、もう一つ理由があります」
 史香はいやにもったいぶった言い方をする。竜崎もこんな喋り方をする時があるが……この二人のそういうところが、ミサは苦手だ。
「火口の尻尾を掴むのに、弥さんの手を貸してほしいんです。私の、個人的なお願いですが」
 「個人的な」とわざわざ付け足したのは、ライトや竜崎とはまた別のチームとしての捜査、ということなのだろうか。そもそも火口がキラだというのも、史香の推測だと言っている。
「……ライトにじゃなくて、あなたに協力しろって言うの?」
 ミサが不平を丸出しにして尋ねると、史香はまるですべて承知だとでも言うように頷いてみせた。
「弥さんが躊躇うのもわかります。今日の面接以上に、危険な作戦になりますし……月さんがこのことを知れば、弥さんを心配して反対するでしょうしね」
「ライトが、ミサを心配……」
 ミサの呟きを聞きつけて、史香はにっこりした。
「今日の作戦にだって、最後まで反対していたじゃないですか。きっと月さんは、弥さんのことがとても大事なんですね」
「そ、そうかな? そう思う?」
「ええ、誰が見たってそう思います」
 そうなんだ!
 ミサは胸がいっぱいになった。どうしよう、こんな時なのに、すごく嬉しい。でも……
「でも、ミサはキラを捕まえるためなら……ライトのためなら、何だってするのに」
 そう口にした時、目の前で穏やかに微笑む史香の表情を、ふと暗いものが掠めた気がした。いや、暗いと言うよりも、不穏さを孕んだ何かが……
 瞬きをしてからまじまじと見返したが、けれど史香はいつもとまったく変わりなく微笑んでいる。
「どうしました? 弥さん」
「え、ううん……」
 今の違和感は、ミサの気のせいだったのだろうか?
「ところで、時間は大丈夫ですか? もう随分と経ちますが」
「あ、やばっ! あんまり大丈夫じゃないかも」
 腕時計を見ると、面接室を出てから数十分も経っている。これ以上待たせては火口たちに怪しまれるかもしれないし、何よりアイドルのイメージが崩れかねない。
「では、詳しいことは後で。月さんたちも交えて、お話しましょう」
「うんっ、わかった。それじゃね!」
 ミサは史香に手を振り、急いで化粧室を後にする。ドアをくぐる直前、視界の端で、史香が手を振り返しているのが見えた。
 よく考えれば、これまで史香がミサのライトに妙なことをしようとしたのは、竜崎が絡んだ時だけだ。やきもち。史香は竜崎が好き。つまりは、ミサのライバルにはなりえないわけで……
 月さんは弥さんがとても大事なんですね――さっきの史香の言葉を反芻する。
 なんだ、案外、いい子じゃない。……男の趣味は理解できないけど。
「遅くなってすみません! お化粧直し、ばっちりです」
 危険な作戦の最中であるにもかかわらず、ミサは何だか鼻歌でも歌いたいような気分で、再び面接室に入った。




 レムは、その一部始終を見ていた。
 史香とかいう女が化粧室に現れ、ミサと会話を交わし、そしてミサが出て行くまでを。
 本当は、ミサに身の危険を伝えるつもりだった。火口は卑劣で最低の人間であり、このままでは第二のキラだったミサがどのような目に遭わされるかわからない。
 それを、予期していなかったリュークの出現に虚を衝かれた隙に、この女に割り込まれてしまったのである。それでもミサが一人になりはしないかと様子を窺っていたが、結局機が訪れることはなく、ミサは面接室に戻って行った。
 まあ、火口がキラだということがミサに伝わったのだから、目的は果たせたと言えるのかもしれない。もし史香が現れるのがもう少し遅ければ、レムがデスノートの切れ端をミサに触れさせ、話をしている最中に出くわすことになり、ミサが余計に疑われる結果を招く恐れもあった。
 史香がミサに危険なことをさせるつもりでいるらしいのが、気がかりなところだが……具体的なことがわからない今、レムがミサのためにしてやれることはない。その時になったら、何とかしてミサを守ってやろう。
 しかし――
 レムはミサが消えていった化粧室のドアから、リュークへと視線を移した。史香にレムの存在を気取られないためか、リュークはこちらには知らぬ振りをしている。
 何故、リュークがここにいるのか?
 リュークが憑いているということは、ジェラスのノート――かつてレムがミサに渡し、ついには夜神月の手に渡ったデスノートを、今ではこの女が持っているということになる。それは、夜神月の計算外ではないのか? まさか、デスノートのことをLに知られてしまったのか。いや、だとすれば、ミサは再び拘束されるはずだ。
 それに、この女。
 先までのレムのように、閉じられた化粧室のドアを見つめている史香を見やる。その頭上には、「如月史香」――名前は見えるというのに、寿命が見えない。一体どういうことだ?
 レムは軽く溜息をついた。
 ミサの面接はもう再開されているだろう。火口からあまり長く離れて、後で追及されるのも面倒だ。面接室に戻るため、化粧室の壁をすり抜けて行こうとした時。
「なあフミカ。火口って奴がキラって、本当なのか?」
「ええ、間違いなく」
 リュークが発した問に、史香は断言する。妙に自信に満ちた言い方が引っかかり、レムはすり抜けざまに振り返った。すると、
「――そうですよね? レム」
 史香のその目が、まっすぐにレムを射抜いていた。