18

 海砂の撮影が始まる前に、二人でロケ地近くの喫茶店に入った。
 昨日のガールズトーク(と、傍目には映っていたに違いない)のおかげか、模木に頼んだら、あっさりと史香と海砂の二人きりにしてくれたのだ。……海砂がここまでを計算していたのなら、少し怖いものがある。
 人目につきにくい奥の席に陣取り、注文した飲み物が出てくるのを待った後で、史香は本題に入った。
「昨日お願いした件ですが、どうですか?」
「後輩のコとは連絡取れたよ。モッチーを撒くのはうまくいきそう」
「では、これをお渡しします」
 史香は鞄の中から、小型の機械を取り出した。
 海砂から情報を送ってもらうための、小型カメラと盗聴器。逆に史香が海砂に指示を飛ばすのに使う受信機。テーブルに並べてひとつひとつの説明をする。
 機器類に顔を寄せてそれを聞いていた海砂は、じとっと史香を見上げた。
「どうやって調達したの?」
「……それはさておき」
 強引に話題を転換する。
「作戦の詳しい説明に入りますが、まず、火口と二人きりという状況を作ります。これは簡単ですね」
「そうね、ドライブの約束はさっき取り付けたし。あいつ車自慢うざいんだよねー」
 一言多いのが海砂だ。後半の言葉には首肯するだけで取り合わず、話を進める。
「折りを見て、弥さんは自分が第二のキラであること、キラを崇拝し服従の意があることをアピールしてください」
「そこまでは竜崎の作戦と似てるのね」
「はい。火口がキラなら、必ず第二のキラを仲間に引き込もうとします。火口自身がキラだと明かしてね」
「うーん……」
 断言してみせた史香に対し、海砂はいささか不安げな面持ちだ。無意識の動作なのか、まだ手付かずのアイスティーをストローでかき回している。
「もし火口がキラじゃなかったら? ううん、キラだとしても、そのとおりにならなかったら」
「その時はその時で指示を出します。そういった場合の段取りも考えていますので」
「そっか、ならいいんだけど」
 無論そんな段取りは考えていないわけだが、火口がキラで海砂を手元に置きたがっていることは確実なのだから構うまい。
「そして、お互いにキラであることを証明し合うという流れに持って行ってください。弥さんが火口に証拠を見せれば、向こうも見せざるをえなくなります」
「やってみる、けど……ミサ、証拠なんて見せらんないよ」
 海砂の返事は歯切れが悪い。それはそうだろう。史香が練った策の中で、そこが一番の隘路だった。
 史香の目的は、竜崎の死を防ぐこと――レムが竜崎を殺すのを阻止することだ。
 手段としてすぐに思い付いたのは、レムの排除。しかしこれは難しい。レムが弥海砂の寿命を延ばす目的で誰かを殺すように仕向けなくてはならず、そしてその「誰か」の条件に最も適う人物は、さしあたり竜崎なのである。夜神月は――海砂の生きる理由であり唯一の味方となりうる彼を生半可な理由で殺しはすまい、それこそ海砂が先に死ぬことがない限り。火口は――Lや月といった大きな不安要素が残るのに、レムが彼女を置いて逝くだろうか。余程のことがなければ、レムは海砂の危機に介入しないと見ていい。何より、レムは竜崎と一度会っている。「誰か」のついでに名前を書かれないとも限らない。
 そこで史香が考えたのは、レムが竜崎を殺す動機を潰してしまうこと。弥海砂を無実にすることだ。
 それには、昨日試みたように、まず海砂とレムを分断する必要があった。夜神月がキラである事実や、デスノートの一切の知識から、海砂を遠ざけるために。
 けれどもそうすると、今度は火口を捕まえるのが困難になる。海砂が証拠を掴んでこなくても、竜崎たちはいずれ火口に辿り着くだろうが――史香の強みはただ一人未来を知っていること、なるべくなら史香の知識どおりに捜査が進むのが望ましい。
 では、何も知らない海砂に漫画どおりに動いてもらい、火口がキラという証拠を得させるには……?
「それについては、また後ほど」
 証拠の件はとりあえず横に置き、史香は海砂に、竜崎たちが掴んでいる情報をひととおり教えた。
 キラの殺人には名前と顔が必要であり、一方で、第二のキラは顔だけで殺せること。ヨツバキラはキラと同じく、名前と顔がわからなければ人を殺せないこと。捜査員でない海砂に明かすのはとんでもない情報漏洩のような気もするが、漫画の海砂は火口捕獲作戦に居合わせていたし、まあ、気にしないでおく。
「一般には報道されていない情報です。火口との会話の中でうまく使ってください」
「む、難しくない、それ?」
「難しく考えることはありません。弥さんがこれらを確固たる事実としてしっかり認識していることが重要なんです。それだけで、弥さんの態度の端々に第二のキラらしさが出てきますから」
「なっ、なるほど……」
 海砂は唸りつつ、眉根を寄せて考え込む。
 今の内容を海砂が咀嚼し終えるまで、紅茶を飲んで待った。頃合いを見計らってカップを置く。
「ところで、第二のキラのビデオレターの中に『キラは目を持っていない』というメッセージがありました。言い換えると、『キラは目を持っていないが、第二のキラは目を持っている』。弥さんには、このことも認識しておいてもらわなければなりません」
「えっと……目って何? よくわかんないんだけど」
 もっともな疑問だ。
 答える前に、史香は「これは推測ですが」と断りを入れた。推測でも何でもないただの漫画の知識を、いちいちこうやって回りくどい真似をしないと口にもできないとは、何とも厄介なことである。
「キラの殺人には名前と顔が必要。第二のキラの殺人には顔が必要。キラは目を持っておらず、第二のキラは目を持っている。……つまり『目』とは、殺人とは別の、顔を見ただけでその人物の名前がわかる能力ではないでしょうか?」
「――あっ」
 海砂は手を打った。史香の顔を指差す。
「顔を見れば名前がわかるから、顔だけで殺せる?」
「そうです」
 頷きながら、突き付けられた指をやんわりと取って、下ろさせた。
「Lを消したいキラ――火口にとって、絶対に手に入れたい能力のはずです。火口がこのことを知っていれば必ず食いつきますし、知らなければほのめかせばいいわけです」
「ふんふん」
「そこで、弥さんが第二のキラだと証明する方法について、話を戻しますが」
 紅茶を飲んで唇を湿らす。
「以上のことを踏まえると、例えばヨツバ宣伝部専属アドバイザーのジョン=ウォレス、彼の本名は別にある、と言うだけでも証明になりますね。『目』を持つ第二のキラ、弥さんには、面接の時点で彼の本名がわかるはずですから」
「ジョン……」
 誰のことだか、海砂はすぐにはピンと来なかったらしい。視線を宙にさ迷わせ、しばらくして「ああ」と声を上げた。
「あの変な外国人さん? ミサ、あの人の本名なんて知らないよ」
「知らなくてもいいんですよ。弥さんが本当に第二のキラだったとして、顔を見た人物の名前がわかるとして、そのすべてを記憶しているなんてことがあるでしょうか?」
「無理無理。そんなの絶対できっこないもん。――あ、そっか。第二のキラだからって、ミサが誰でも彼でもの名前を知ってたらおかしいってことね。だってミサは外国人さんの本名なんて興味ない。キラを崇拝してる第二のキラが興味あるのは、キラのことだけだから」
「はい、正解です」
 史香はにっこりした。なかなか、呑み込みが早い。
 史香が見守る中で、海砂は目まぐるしく頭を回転させているようだった。細く綺麗な指がテーブルをトントンと叩いている。
「外国人さんが偽名を名乗ってるってことを知ってるだけじゃ、火口はミサを信じないよね?」
「ええ、まず無理でしょう」
 紅茶に口をつけると、ちょうどそれが最後の一口で、カップは空になってしまった。史香はカップをテーブルの隅に追いやって、鞄からノートパソコンと一枚のプリントを取り出して置く。
「ですから、弥さんからこう持ちかけてください。『火口が挙げた人物の名前を当ててみせる』と」
「名前を当てる?」
 海砂は結局手付かずのままのアイスティーを脇へ押しやった。身を乗り出して、こちらの言葉を待っている。
「第二のキラとして『目』の力を示す、ということです。キラなら、裁く予定の犯罪者の資料、そうでなくとも、金曜のキラ会議で名の挙がる人物の資料を持っているはずですからね。弥さんがそう言えば、その資料を出してくるでしょう。名前当ての対象は当然、火口が名前を知っていて、かつ弥さんが知りえない人間でないといけませんし」
 プリントを海砂に差し出した。幾人かの氏名と顔写真が載っているリストだ。リストの一番目の人物は、本来ならレムに殺されるはずの金欲銀造である。
「ロケの合間に、最低限これだけは覚えてください」
 海砂は受け取ったリストをしばらく眺めて、それから目を上げた。
「……このリストにない人の名前を当ててみろって言われたら?」
 史香は次にノートパソコンを開き、海砂に画面が見えるようにした。二ヶ月をその暗記に費やした、もはやどれだけの人物のデータが入っているのか数えるのも嫌になるくらいのリストをざっと表示してみせる。
「まだキラに裁かれていない犯罪者やヨツバの関係者など……火口が挙げてくる可能性があると思われる者の顔と名前すべて、私の頭の中に入っています。写真なり何なりがカメラに映るようにしてもらえれば、私が名前を教えます」
「こ、これ全部? マジ? すごっ……」
 海砂は目を丸くしている。一切の謙遜なしに同意した。
「すごいでしょう。それはもう、大変な労力でした。もっと称えてくれていいですよ」
「……自分で言う?」
 史香は海砂の冷たい賞賛の視線をめいっぱい浴びた。
 それからも細々とした擦り合わせを続けている最中、海砂の携帯電話が鳴り始めた。
「あ、モッチーだ。もう時間みたい」
「ちょうどいいですね。出ましょうか」
 史香がさっさとテーブルの上を片付け立ち上がっても、海砂は動かなかった。落ち着かない様子で胸を押さえ、深呼吸をする。
「はーっ、ちょっと緊張してきた……」
「大丈夫ですよ。弥さんの演技力には素晴らしいものがありますもの」
「あなたに褒められると……不気味っていうか、馬鹿にされてるみたいっていうか……」
 励ましても海砂の表情は晴れず、それどころかますます微妙そうな顔つきだ。
 史香は苦笑した。昨日までは確かに海砂を見下しているところがあったので、彼女がそう感じるのも無理はないかもしれない。
「これでも本心から言っているんですけどね。昨日の弥さんの機転には、特に感心させられましたから」
 言うと、きょとんとした海砂は次いでまじまじと史香を仰ぎ、それからにこっと満面の笑みを浮かべた。顔の横でピースサインをする。
「とーぜん、ミサ、売れっこだもんね! ライトの役に立って、もっともっと好きになってもらうために頑張るんだから! 史香は……」
 ふと神妙になり、首を傾げる海砂。
「竜崎に愛されるため?」
「ありません」
 すげなく返した。昨日の続きのつもりだろうか……急に何を言い出すのだか。
 海砂は頬を膨らませた。
「もうっ、何でそんな意地張ってんの? わかんないなあ。好きなら好きでいいじゃん」
「――とにかく、」
 咳払いをして、話を元に戻す。
「今日の私の話には推測が多くありましたが、弥さんが気後れすることなく発言すれば、それはすべて真実になります。……言っていること、わかります?」
「何となく……」
 海砂も真剣な表情に戻り、頷いた。
「火口もミサたちと同じで、推測はできても第二のキラのことなんか知りっこない。火口がいくら疑ったところで、ミサさえ堂々としてれば火口はそれを信じるしかない。よね? 史香
 上出来だ。この分なら、海砂の方は心配ないだろう。
「私もできる限りサポートしますので。健闘を祈ります」
「任せといて!」
 会計を済ませて店を出ると、模木が迎えに来ていた。模木に海砂を任せ、史香は二人とは店の前で別れた。
 史香が一人になるのを見計らってか、リュークが話しかけてきた。
「そういうことだったんだな。……目の取引をした方が手っ取り早いのになあ」
「何度も同じことを言わせないでくださいね。それに、誰にでも説明できる手段で火口を捕まえることが肝心要なんです」
 ふーん…と生返事をするリュークは、どうにも関心が薄いようだ。
「万が一、火口が私の知らない人物を挙げることがあれば」
「ああ、前に言っていたアレ……」
 以前に、史香が死神のルールを確認し、誰かの名前を教えてほしいと言ったのをリュークは覚えてくれていたのだろう。しかし史香は素知らぬ振りをしてこう言った。
「レムが何とかしてくれるでしょう。弥さんを助けるために」
「えっ! 俺は?」
「当てにならない保険は当てにはしません。それとも、私に協力する気にでもなりました?」
「いや……でも完全にスルーされると、悲しいものが……」
 リュークはそれなりにショックを受けたらしく、白い顔からさらに血の気を引かせている。この気まぐれな死神は、まったく、扱いやすいのだか扱いづらいのだか……史香は肩をすくめた。


 史香は捜査本部のビルに戻ると、捜査員たちが詰めるメインフロアではなくワタリのいるフロアへ向かった。
 ビル全体の監視システムの管理を行っている場所で、奥にはモニターと配線だらけの小部屋がある。おそらくそこがワタリが息を引き取ることになった場所なのだろう。
「お帰りなさい、史香さん」
「はい、ただいま戻りました。早速ですが……」
 出迎えてくれたワタリは、史香が皆まで言う前に準備を整えてくれていた。
「カメラの映像はこのモニターに映されます。音声の受信はこのヘッドセットのスピーカーで、こちらのマイクを使えば相手のレシーバーに音声が届きます」
「あっ、ありがとうございます、ワタリさん。突然無理を言ってすみませんでした」
 海砂に渡した機器類も、ワタリが手配してくれたものだ。昨夜に「明日の朝までに」と言いつけたのだから、ワタリには頭が上がらない。
「いえ、大した手間ではありませんでしたから、お気になさらずに。それに竜崎から、史香さんのご要望にはどんなものでもすべてお応えするようにと言いつかっておりました」
「…………」
 史香はぽかんと口を開けてワタリを見た。ワタリはにこにこしている。長い時間をかけていろいろな返答を考えた末に、ようやく
「そ、そうなんですか」
 と、それだけ返す。
 はい、とワタリは笑みを深くして頷いた。……こんなことで喜んでしまっている自分がすごく嫌なのだけど、どうしよう。
 海砂のロケが終わるまで、まだ随分と時間がある。
 どうにか気を取り直した史香に、ワタリはお茶を用意すると言ってくれた。モニタールームは機械が多く飲食に適さないため、別室に移動する。続き部屋が配線まみれでなければ、洒落たアパートの一室といった感じで大変居心地のいいスペースだ。史香は海砂から連絡が来るはずのギリギリの時間までそこで粘ることにした。
「ワタリ、ここにいたの」
 と、お茶をしている時に、ライダースーツに身を包んだウエディが現れた。
「あら、珍しいお客がいるわね」
「どうもお邪魔させていただいています、ウエディさん」
「私の部屋ではないから、そんな断りは不要よ」
 二言三言史香と会話した後で、ウエディはワタリと話を始める。
 ヨツバ社内の監視カメラがどうとかヨツバキラ候補の誰々の家のセキュリティがこうとか、専門的な内容だったので、史香はお茶請けのクッキーを食べつつ聞き流していた。何だか苦労しているようなのだけは伝わってくる。
 話が一息ついたところに、声をかけてみた。
「お仕事、大変そうですね」
「まあね。でも、それがいいのよ。困難なセキュリティを破った瞬間の快感は、病みつきになるの。だからこれは趣味みたいなものね」
 ウエディは楽しげな笑みを浮かべている。
 けれどもキラは火口であり、その他の六人の家に侵入する努力はまったくの無駄になるのだなあと史香は思った。労わりの気持ちが湧いてくる。
「これ、ウエディさんもどうぞ。おいしいですよ」
 ウエディにクッキーを勧めると、ワタリがハッとなった。心配そうに史香を見やる。
史香さん。よもやどこかお加減が……」
 どういう意味だ。
「いえ、体調はとってもいいですよ。私は竜崎さんよりもずっと懐が深いので、このくらい余裕なんです」
「そうでしたか、それは失礼いたしました」
「いえいえ」
 ワタリはすこぶる笑顔だ。ワタリが笑っているのを見ていると、今ほんの一瞬抱いた怒りなどはあっという間に霧散してしまう。これが人徳というものだろうか。
「さ、ウエディさん、半ぶ……いえ、三分の、よ、四分の一くらいまでなら、遠慮なくどうぞ」
「…………ありがと」
 断腸の思いでクッキー皿を差し出すと、ウエディは皿から一枚だけを摘んで食べた。