Apr. 2002

 新学期になった。
「神は我を見放された……」
 クラス表の掲示の前で絶望に暮れる都季。二年A組の欄に、高橋都季と桜井舞人という二つの文字列を見つけたのだ。
 都季は、桜井にどういった態度をとるべきか、まだ決めかねている。距離を置くか、これまでどおり友人として振る舞うか。しかし、仮に後者の方を選んだとして、桜井が同じように応じてくれるかはわからない。
 悩んでいると、後ろから肩を叩かれた。
「おっす、また同じクラスだね」
「あ、おはよ」
 振り返ると、一年の時のクラスメート、八重樫つばさが立っていた。
「つばさもA組なんだ?」
「そそ。今年度もよろしくね、ときりん」
「……そのあだ名でよろしくされたくねー。何度も言うけど、再考するべき」
「そう? かわいいじゃん」
「どこがだよ。古いよ、つばりん」
「や、ごめ、私につけるのはやめてくれる? 頼むから」
「こ、この女……」
 そんな会話を交わしながら、並んで教室へ向かう。A組の前に差しかかったところで、都季は眉根を寄せた。教室の入り口の辺りに男子が群がっている。何だか、異様な雰囲気だ。
「なにあれ」
「ああ、プリンセス効果じゃない?」
 つばさが何でもないふうに応じた。都季はすぐにはその意味を解せずに、一度大きく瞬きをして、それからようやく思い当たった。
「……もしかして、プリンセスってA組?」
「ご名答ー」
 冷めた声のつばさは、物怖じせずにロイヤルガードをかきわけて、教室に入っていった。都季は少し遅れてその後に続く。
 桜坂学園の最終兵器、星崎希望。その性格のよさと容姿の可憐さから男子たちにプリンセスと崇められている、らしい。そのプリンセスはA組の教室の真ん中で、輝いていた。いや、普通に席に着いているだけなのだが、同性の都季から見ても、そこらの有象無象とは違うオーラを感じるのだ。
「まっ、眩しい……美少女光に当てられて溶けてしまう」
 都季はよろめいた。
「や、意味わかんないから」
 つばさは呆れ顔で、都季を置いて行ってしまった。都季も、いつまでも入り口に突っ立っているわけにもいかない。自分の席を探すと、星崎希望のすぐ近くだった。
 移動する間も不躾にじろじろ眺めていたからか、彼女はこちらに気付いて振り向いた。
「あ。えっと、高橋さん、だよね?」
「ああ、うん。これからよろしく、星崎さん」
「うんっ、こちらこそ」
 プリンセスはにっこり笑う。都季は少しの間その笑顔に見惚れてしまった。これは、崇拝したくなる男子の気持ちもわかる。
「おはよう、新しきお友達!」
 その時、バカが入ってきた。突然の大声に教室中の視線がそちらへと集中したが、やがて散っていく。
 とっくに吹っ切れたと思っていたのに、二週間ぶりに桜井の姿を見て、都季は鼓動が速まるのを抑えられなかった。それはまだ燻っている想いの名残なのか、あるいは気まずさからくるものなのか、わからない。
「桜井、古いお友達におはようはないわけ?」
 思いきって声をかける。無視されたらどうしよう。それとも、嫌な顔をされるとか。不安でいっぱいだったが、桜井は逡巡する様子も見せずに、おどけて応えた。
「おお、高橋。再びこのハンサムの級友となるとは、お前もとんだラッキーガールだな。休みの間さらに磨きのかかった俺の美貌に、また一年酔いしれるがいい」
「それ無理だから。その間抜け面じゃ悪酔いするから」
 今までと少しも変わらない軽口の応酬に、内心でほっとする。
高橋さんって、桜井君とお友達だったんだね」
 二人の顔を見比べるようにしながら、希望が言った。
 ――友達。
「ああ、星崎も同じクラスか。よろしく頼むぞ、新しきお友達」
「うん、よろしくね、桜井君」
 希望の口調には不思議と、以前から桜井と親しくしているような気安さがあるように感じられた。その証拠に、周囲の男子たちが怖ろしい形相で聞き耳を立てている。
 都季は尋ねてみた。
「星崎さんも……桜井と仲いいの?」
「うーん、これから、そうなるの、かな? 今度、初めて一緒に遊びに行くの」
 プリンセスと桜井が?
 まさか肯定が返ってくるとは思いもせず、えっと瞠目した。
「は? 俺とか?」
 当の本人も面食らっている、と言うか、親衛隊の不穏な視線にビビりまくっている。教室の張り詰めた空気にまったく気付いていない様子の希望は、そのまま続けた。
「だって昨日、約束したじゃない。遊びにつれてってくれるんでしょ?」
 希望の澄んだ声は、狭い教室によくとおって聞こえたに違いなかった。
 直後に放たれた男子全員のすさまじい殺気をその身に受けて、桜井は血相を変えた。
「ばっ……星崎! ちょっと来い!」
「え、えっ?」
 希望をつれ、慌てふためいて教室を出て行く。廊下に出ても危険は減らないと思うが。
「あーあ……」
 桜井たちを見送ってから、都季は溜息混じりに呟いた。桜井とプリンセス、接点がないように思えるが、二人はいつ知り合ったのだろう。これまで二人が一緒にいるのを見たことがないし、桜井からそんな話を聞いたこともない。
 春休みの間に何かあったのだろうか。都季はもやもやして仕方なかった。
高橋さん、おはよう。今、いい?」
 気が付くと、側に相楽がやって来ていた。彼もまた、同じクラスになったようだ。
「おー、相楽じゃん。どうしたの?」
「あのさ……ごめん」
「……私、何かされたっけ?」
 らしくない改まりように、都季は首を傾げる。
「舞人のことだよ。俺がお膳立てしたところもあるから、これでも責任感じてるんだぜ」
 ばつが悪そうに告げる相楽に、都季はようやく合点がいった。
 相楽は人と関わろうとしない桜井を案じて、何かと世話を焼いているのだ。例えば、彼が恋愛に目を向けるように、とか。その延長で、一年の時は都季の恋に何度も協力してくれた。それを、相楽は自分が都季を焚きつけて結果的に傷付けることになってしまったのだと、負い目のようなものを感じているのだろう。
 都季はひらひらと手を振ってみせた。
「気にしなくていいよ。別に、相楽に言われて気持ちを決めたんでもないし」
 それに、桜井のことを放っておけないのはよくわかる。
「相楽はほんっと、桜井のことが好きだよね……」
 しみじみと言うと、相楽は心の底から嫌そうな顔をした。
「気持ちの悪いこと言わないでくれよ。――で、何だったらさ、誰か紹介しようか?」
「んー、いい。今、そんな気分じゃないし」
「そう? ま、気晴らししたくなったらいつでも呼んでよ。はい、これ俺の番号」
 携帯の番号が書かれたメモを手渡される。それがあまりに手慣れているように見えたので(実際に手慣れているのだろうが)、都季は冗談めかして言ってみた。
「だったら、相楽が私とお付き合いしてくれればいいのに」
「はは。高橋さんがそうしたいなら俺はもちろん構わないぜ。けど……」
「けど?」
「俺、後腐れないのが好きだからさ。高橋さん、そういうの嫌でしょ?」
 うわ。さすが恋愛否定組。
「……アンタたちって、類友だよね」
 けれど相楽がわざわざそう言ったのは、都季を思ってのことだ。それがわかっているから、都季は何とも言えない気分になって肩を落とした。





「委員は全員、俺が名指しして選出する。いいな?」
 新学期二日目のHRで、これで二年続けて都季の担任になる浅間が、手にした出席簿を教卓に叩きつけながら言った。どれだけ時間をかけても一向に委員に立候補する者が現れず、話し合いがぐだぐだになったのに痺れを切らしたからだ。
 当然、学生側からブーイングが上がったが、浅間の一喝で静まった。
「静かにしろ! お前らに任せていたら決まるものも決まらん。どうしても都合が悪い奴は、後で俺に言いに来い」
 面倒なことになってしまった。さりげなく浅間から視線を外して俯く。一年間の付き合いで顔と名前を覚えられているのだ、元浅間クラスの者は当てられる確率が高いだろう。
 案の定と言うべきか、まずクラス委員長に桜井、副委員長につばさが指名された。
「……何だ、桜井は遅刻か? 八重樫、桜井が来たら伝えておいてくれ」
「はい、わかりました」
 浅間の前なので猫を被っているが、つばさはさぞかしうんざりしているに違いない。器用に何でもこなすが、彼女は率先して面倒ごとを背負うような真似はしないタイプだ。
 それにしても桜井がこの場にいれば、「学生の自主性が云々」などと屁理屈を並べ立てて委員長就任をかわすこともできたかもしれないのに……間の悪い奴。都季は気の毒に思った。まあ、所詮は他人事である。それに少しだけ、ざまあ見ろという気持ちがないわけでもない。
「次、美化委員は石川、体育委員、工藤。保健委員は――高橋
 げっ。都季は呻いた。
 咄嗟に思い浮かんだのは保健室の不良教諭の不機嫌顔だ。他の委員はともかく、それだけは勘弁してほしかった。
 一部の女子から小さく非難の声が上がる。どうやらあのドクターイエローのファンだという奇特な人間はこのクラスにもいるらしい。先ほどはクラス委員長の選出で揉めたせいでほとんどの時間を取られたから、立候補するタイミングを逃していたのかもしれない。
「先生!」
 都季はすかさず挙手をした。
「何だ、高橋
「チェンジを希望します。保健委員はなりたい人がいるみたいじゃないですか?」
「駄目だ」
 一言で斬って捨てられた。
「いいじゃないか。お前、帰宅部だろう」
「じゃあ、他の委員と交代でもいいです!」
 都季の言葉に、他の委員に選出された男子がざわつき始めた。それを静めるように、浅間は大きな声を出す。
「駄目だ。この話はこれで終わる」
 浅間はそれで話を切り上げて、HRを終了させてしまった。
 何てことだ。都季は職員室へ戻っていこうとする浅間を追いかけて、廊下へ出た。
「あ、浅間先生! ちょっと待ってください!」
「……高橋、お前そんなに保健委員になるのが嫌なのか?」
 呼び止められた浅間は、呆れたような顔で頭をかいた。
「ものすっごく! 嫌です」
 なりふり構わず力いっぱい答えると、浅間は困りきってしまったようだった。
「すまんが、こちらにも事情があるんだ。頼まれてくれんか」
「はい? 事情って、何ですか?」
「ああ、いや、――うん」
 いつも単純明快に物を言い切る浅間にしては珍しく、言葉を濁す。
「コウキがな……ああ、谷河先生のことだが」
「はあ」
 そこで、浅間ははたと何かに気付いたように、都季を見据えた。
「……終業式」
「は?」
「終業式だ、高橋
 都季はぽかんとして浅間を見上げた。何を言っているんだこの二十八歳独身は?
 浅間も妙なことを口にしているという自覚はあるようで、目を泳がせる。
「いやな、そう言えば高橋なら必ず引き受けてくれると、谷河先生が言っていたんだが」
 都季は飛び上がりそうなほど驚いた。谷河と都季と終業式……それを繋ぐものはひとつしかない。
「そ、それって、きょっ……」
「きょ――何だ?」
 脅迫じゃないですか!?
 ぐっとその言葉を呑み込む。そんなことを口にすれば、浅間に追及されてしまうかもしれない。
 一体、この展開は何なんだ。何だか、わけのわからなさとどうしようもなさに脱力してしまう。
「……この高橋都季、保健委員を謹んで拝命いたします」
「む、そ、そうか。すまんな、高橋。助かる」
 都季は人の気も知らないでいる単純熱血教師に、長い長い溜息をついた。