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「警察に協力して、一緒にキラ事件を捜査することになった」と、月は告げた。
先日反故にしてしまった、妹との約束を無事に果たした後のことだ。教科書やノートを片付けていた樹里は、こちらを振り返った瞬間こそ驚きを表情に宿していたが、すぐに目を輝かせて声を弾ませた。
「えっ、ほんとに? お兄ちゃん、すごーい!」
「ほお。つまり、キラがキラを追いかけるのか。それも面白!だな」
「もう、リュークはまたそんなこと言って」
非難めいた視線を死神に投げやるも、「まだ学生なのに『すごい』よな、ライトは」「うん、でしょー。お兄ちゃんはこれまでだって、いくつも事件を解決してきたんだもんね」とたちまち胸を反らす妹は、はぐらかされたことには少しも気付いていない。
「それじゃ、お兄ちゃん、お父さんに頼まれたんだ?」
「いや、Lからだ」
訂正してやると、樹里は笑顔のまま口を閉じる。意を咀嚼しきるまでか、次の反応までは短くはない間があった。
「ええーっ!?」
ついでの大声には、リュークまでもがぎょっとして身を竦めたほどだ。
「お兄ちゃんLに会ったの!? いつ? どこで? どんな人だった!?」
詰め寄ってくる樹里。立て続けに問われたのをいいことに、月はあえて最後の質問だけを拾う。
「……まあ、名探偵らしくはなかったな」
「そうなんだー!」
そんな曖昧な答えにも、妹は満足したらしい。椅子の背にもたれ、楽しげに足を揺らしている。
「やっぱり、見た目は普通っぽい感じ? リンド・L・テイラーさんも、かっこよかったけど、あんまり探偵って印象なかったよね」
「詳しくは言わないでおくよ。もし本人に会ったとき、樹里には知らないふりは難しいだろうからな」
「む……得意とは言わないけどさあ」
月がからかい、樹里は口を尖らす。その背後で、リュークが不穏な笑みを浮かべた。
「実はジュリも、もう会ってるかもな」
こいつはまた余計なことを……
樹里には決して気取られぬよう、じろりと睨み付けたのは、果たしてこの死神に効果があったのかどうか。幸いにして、樹里はリュークの発言に真面目に取り合わなかった。
「そうだったら、ドラマみたいで面白いんだけどね~。世界一の名探偵って、ちょっとかっこいいよね。友達にも、キラじゃなくてL派って子、いるもん」
「……ふうん」
世間では、あのリンド・L・テイラーが本物のLということになっている。
キラ事件では表立った手柄を上げていなくとも、Lが過去に解決したとされる難事件はいくつもある。テレビや雑誌が連日騒ぎ立てているから、中学生くらいの年齢なら、聞こえのよい肩書きと整った容姿を持つ青年に傾倒するのは仕方がないことだと言えた。先日の「推理力テスト」といい、Lに振り回されてばかりの月には、いささか面白くない話ではあるが。
「樹里。おまえは?」
「あたし? あたしは旱樹派」
「……このミーハーめ」
こうもあっけらかんと言い放たれては、さすがに月も苦笑を返すしかない。
「話を戻そうか。ここからが本題なんだが」
樹里が月の部屋にいる間、本当にただ勉強を見るだけのときもあるし、キラの活動について話し合うときもある。今日のように、どちらともという場合も。しかし、倒れた父が回復し(樹里は父が過労で入院している事実すら知らないが)月が捜査に参加し始めたら、今までどおり兄妹ふたりの時間を作るのは難しくなるかもしれない。
「どうやって犯罪者を裁いていくか、今のうちにもっと細かい取り決めをしておこう。――ああ、それと捜査に協力する件に関して、僕は友人にはもちろん家族にも秘密にしている」
「秘密ったって、今、べらべら喋ってたろ……」
「はーい。お兄ちゃんがキラ事件の捜査に参加するなんて、あたしはちっとも知りません」
「あ、そういうことか」
勉学の方面はさておき、妹はこういったやりとりではよくよく利発さを発揮する。頭を撫でてやると、樹里はくすぐったそうにした。
「これからは、樹里がキラとして活動する時間も増えるだろう。樹里には、迷惑をかけるかもしれないが」
「ううん、迷惑なんて思うわけないよ。だから気にしないで、お兄ちゃん」
樹里が微笑む。本当に、心からの言葉なのだと月にも伝わる笑み。目の前にあるのは確かにその、満ち足りたような樹里の笑顔なのに、どうしてか、病院のベッドの上で憔悴しきった父から吐き出された掠れた声が耳に蘇った。
人を殺せる能力を持ってしまった人間は、不幸だ。人を殺したうえでの幸せが、真の幸せであるはずがない――
「お兄ちゃん?」
樹里が首を傾げて月を見つめていた。月はゆるく頭を振る。
「いや、何でもない。できた妹を持ったなと思っただけさ」
「え、どうしたの、突然……もっと褒めてくれてもいいけど?」
「調子に乗るなよ」
「あいたっ」
不幸? 不幸だって?
いいや、そんなことがあるものか。あるわけがない。妹と和やかに言葉をかわす傍ら、月は胸のうちで強く思う。
デスノートを得て、僕は幸福だ。樹里も同じだと、言葉にして尋ねずともわかる。父さんだって、いずれ新世界が築けたときには僕たちのことを理解するはずだ……
と、そのとき、月の曇る胸中に反した、軽快なメロディが鳴り響いた。
「あ、あたしのだ」
樹里が携帯電話を手に取る。着信を確認して、樹里は画面に目を落としたまま、ちょっと眉根を寄せた。
「どうした、樹里」
「うん……友達からのメールなんだけど、さくらTVでキラ様のメッセージを放送するって。あっ、この子、キラ派なんだ」
樹里はキラ派L派の友人たちの中で、なかなかうまく立ち回っているようだった。マスメディアに関する情報は、樹里が先に聞きつけるときもある。
「さくらTVか」
「ライト、またデスノートを使って何か送ったのか?」
「まさか。しょっちゅうそんなことをやってたら、キラの名前が安くなるだろ」
以前さくらTVを利用したのは、ここならキラの声明文を大々的に取り上げてくれるだろうと判断したからだ。彼らにとっては、メッセージの信憑性よりも話題性と視聴率の方がよほど重要だと見える。
「テレビ局のヤラセかもしれないな」
愉快犯の仕業を大げさに報道する、あるいはディレクターが狂言を仕組む可能性だって、十分に考えられる。
「一応、見てみよっか、お兄ちゃん」
テレビのスイッチを入れ、チャンネルを合わせる。画質の悪い映像には「KIRA」の文字。それを認めた途端、ざらついた機械の声が発された。
『私はキラです』
「……何だって?」
ヤラセにしては、あまりにもわざとらしすぎた。
『太陽テレビのメインキャスター、日々間氏が心臓麻痺で死にます』
機械音声が続けて告げる。
月はすぐさま樹里の手からリモコンをもぎ取り、チャンネルを太陽テレビに切り替えた。ニューススタジオ、画面の真ん中に座る男性が胸を押さえて倒れる。さらに「キラ」は別局のコメンテイターの死を予言し、的中させた。
『彼らは私を悪だと謗りました、その報いです』『私は罪のない人を殺したくありません』『悪を憎み、正義を愛します』『私の願いは悪のない世界を作ることです』――
なんという、出来の悪いスピーチだ。月は舌打ちを堪える。ついで、ハッとなり樹里を見やった。
樹里の顔面は蒼白だった。色の失せた唇を戦慄かせ、いや、それどころか、肩を、全身を震わせて、それでも大きな瞳はテレビの画面に釘付けになっている。
「なに……なんなの、これ……許せない……ねえ、何なの、こいつ!」
「樹里! 落ち着けよ」
激昂のあまりに立ち上がった樹里の腕を取る。
リンド・L・テイラーの放送のときとはまったく逆で、感情を昂らせている樹里とは違い、月は至極冷静である。
「座るんだ、樹里」
「だって! お兄ちゃん、早くこいつを裁かなくちゃ! 許せない! あたしとお兄ちゃんの『キラ』を汚して、人を、こんな簡単に、こっ、殺し……」
しゃくりをあげ、樹里は俯いた。その手を引くと、案外すんなりと大人しく月の腕の中に納まる。体勢が辛くならないように膝の上に座らせて、肩を抱き直し、その背中を優しく叩いてやる。無言の樹里は、返事の代わりに、月の胸に顔を押し付けた。
「そうだな、樹里。わかってるよ。こんなのは正義じゃない。こんな奴、許しておけないよ。だからキラが、僕らが裁く。そうだろ?」
「……うん」
嗚咽混じりではあったが、しっかりした答えがあって、月は少し安心した。妹をあやす手はそのままに、そばで見ているだけの死神に目を向ける。
「リューク。人間界に、他にもデスノートがあるのか?」
「みたいだな。まあ、デスノートが人間の手に渡った事例は過去にもある。俺と同じように退屈してるヤツがいたんじゃないか」
益体のない回答だった。もっとも、リュークは何か知っていたとしても、それを月や樹里に進んで打ち明けはしないだろう。
偽者は少なくともキラに賛同する人間ではあるが、キラの思想を理解しているとは言い難い。顔も名前もわからない相手をどうするか。タイミングよく、月はまもなく捜査本部のメンバーに加わる。要は、僕がこいつをうまく利用できるかどうかだ……
テレビの画面はすでに放送中断の文字に差し替えられている。機械音声は、もう何も告げなかった。
犯罪者裁きのために協力を求めるというキラに対し、警察は公に否の姿勢を表した。キラは、ならば四日のうちに警察庁長官かリンド・L・テイラーを裁くと返した。テレビを通じて行われたこの一連のやりとりの後、今度は「本物のキラ」なる者からのビデオが世間に公表された。
その「本物のキラ」は警察の偽造であり、偽キラからは「キラさんに会いたい。お互いの死神を見せ合いましょう」と返事が来たということを、樹里は捜査本部入りした月の口から聞かされた。
「二十二日、青山、ノート……NOTE BLUEか……」
「お兄ちゃん、危ないよ。絶対やめた方がいいって」
月の肩越しにパソコンの画面を覗き込みながら、樹里は言った。画面には、とあるクラブハウスのホームページが表示されている。
偽キラによる最初のメッセージが放送された日、樹里は報道関係者の二人が殺害されただけで震え上がって取り乱してしまった。けれど同時刻、もっと恐ろしいことに、さくらTVに駆けつけた警察官すら何人も殺されていたのだった。まさか兄が、そんな冷酷な殺人鬼と対峙する羽目になろうとは……
「あいつ、死神の目も持ってるって言うし。あんな奴に会いに行ったら、何されるかわかんないよ」
「だからって、第二のキラをこのまま放ってはおけないだろ? それにLより先に第二のキラを見つけないと、デスノートの存在が警察に知られることになる」
Lは奴を「第二のキラ」と名付け、キラとは別に追うつもりらしい。ビデオの予告殺人がこれまでの殺人とあまりにもかけ離れていたことや、名前を知りようのない警官らを即座に殺害したこと、ビデオを送りつけた手口などからそう判断したのだと聞いた。
世間にも警察にも、あの殺人鬼はキラなどではないとわかってもらえて、樹里はとにかくほっとした。キラとしては、兄の言うとおり、第二のキラが警察の手中に落ちては困るけれども。
夜遅くに帰ってきた月は、今日の捜査の進展を話してくれた。明日のニュースで、第二のキラから送られてきた日記が公開される。日記には、警察の目をくらます数多のメッセージに紛れ、キラにだけ伝わる待ち合わせの指定があったという。
「リューク。死神は、人間界で他の死神と会ったら声をかけたりするのか?」
「さあ、どうだろ。そいつの性格次第かもな」
リュークにそれだけ尋ねると、兄は黙り込んでしまった。兄の背中にくっついてその端正な横顔を眺めやりながら、樹里も思考を巡らす。
「あっ、そうだ!」
名案が閃き、樹里は手を打った。
「あたしも一緒に行けばいいんじゃん。リュークが相手の死神を見つけて、あたしたちに教えてくれたら、そいつが第二のキラってわかる!」
「却下だ、樹里」
「ええーっ……」
せっかく思いついたアイディアは、一言のもとに切り捨てられてしまった。月はすらりと長い脚を組み直し、死神にチラと目をやる。
「第一、リュークの性格を考えてもみろよ」
「ああ、俺は死神が憑いている人間を見ても、おまえたちには教えない」
「リュークのケチッ」
樹里は舌を出してから、ならばこの手はどうかと、さらに思いついたことを言ってみる。
「ね、リンゴ好きなだけ買ってあげるって言っても駄目?」
「…………リ、リンゴくらいじゃ俺の性格は揺るがないぞ」
めちゃくちゃ揺らいでいた。
「青山には他の捜査員も一緒に行くんだ、どのみち樹里を連れては行けないよ。僕がキラだとばれずに第二のキラを見つける方法……ノートを持っている者を見つけて、気付かれずにノートに触ることができれば……あとは、その場の状況次第で判断するしかないな」
「うーん……」
死神を見せ合う――
互いに互いのデスノートに触れなければ、死神を見せ合うなどできっこない。いったい、第二のキラはどうやってキラに会おうとしているのか。見当がつかない以上、こちらも具体的な対策を立てようがなかった。
五月二十二日、土曜日。
月は朝早くから出かけていった。留守番を言いつけられた樹里は、心配で心配で堪らず、犯罪者裁きにもいまひとつ精が出ない。
「お兄ちゃん、大丈夫かな……」
第二のキラは、必ず裁かなければいけない。野放しにはしておけない下劣な殺人鬼だ。でも、それは兄を命の危険に脅かしてまでやることではない。理想の世界で一緒に生きようと、兄は樹里にそう言ってくれた。樹里だって、もちろんそう望んでいる。そのために樹里は樹里なりに努力したい。
と言っても、家にいて、樹里に何ができるだろうか。
「キラの正体がばれないように第二のキラを見つける、かあ。そんなことできるのかな。第二のキラは、どうやってキラを見つけるつもりなんだろう」
半分は独り言、半分はリンゴを貪っているリュークに向けての呟きだった。リュークは歪な指で器用にリンゴのヘタを摘まんで持ち上げ、下からかぶりついている。
「死神の目は人間の寿命と名前が見えるが、デスノートの所有者相手なら寿命が見えず名前しか映らないからな。それで見分けるつもりなんだろう」
「へえ、そう……えっ?」
樹里は、唖然としてリュークを見返した。
「リューク、それ、どういうこと?」
「ん? どうって?」
「そんなこと今まで一言も……あたしたちを、騙してたの?」
「騙すとは、心外だな。ああ、言ってなかったか? でも、今ちゃんと教えただろ」
クク、とリュークは笑い声を漏らした。これまであえて黙っていたのか、ただ忘れていただけなのか、元より笑みを形作っている表情からは、本心を推し量ることはできない。それに、今はリュークを責めている場合ではなかった。
「お兄ちゃんに知らせなきゃ!」
樹里はすぐに携帯電話で兄の番号にかけた。電話でキラの話をするのは禁じられているが、一刻も早く伝えなくては。しかし、何度試しても電話は繋がらない。捜査中だから、電源を切っているのだ。
第二のキラは、デスノートの所有者かそうでない者かを見分けることができる。
だとすると、どうだ? もし第二のキラが、キラにだけは自分の正体がわかるような合図を用意していたとしたら? 兄がその合図に乗って、第二のキラにコンタクトを図ったら?
キラは月と樹里の二人。けれど、デスノートの所有者はあくまで樹里である。兄はデスノートを持ち歩かない。ノートの切れ端は持っていても、ノートに憑く死神はここにいる。兄は自分がキラだと証明できない。そうしたら……第二のキラは、兄がキラを騙っていると勘違いして……
月は殺されるかもしれない。
その結論に辿り着いたとき、樹里はもう部屋を飛び出していた。後からついてくる死神が、すべてわかっているくせに問うてくる。
「おい、ジュリ、どこに行くんだ?」
「青山!」
母には適当に言い繕い、家を出た樹里は、駅まで駆け続けた。電車を乗り継ぎ、青山へ向かう。道中で何度かリュークが話しかけてきたが、樹里の耳には何ひとつ届かなかった。
お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃん……心の中でしきりに祈る。ただひとり、月だけが、樹里の世界だった。喪われてはならないものだった。そうなったとき、きっと樹里は狂ってしまう。
空は晴れ渡り、クラブNOTE BLUEのある通りは明るく賑わっていた。肩で息をしながら、樹里は通り一面に目を配る。事故や事件があった雰囲気は微塵も見受けられない。月はまだ無事だと考えていいのだろうか。
NOTE BLUEの前で張っていたら、会えるかもしれない。しかし、樹里自身が第二のキラに見つかるのもよくない。どこか離れた場所で見張っているのがいいだろう。そう判断して少し歩いたところ、ちょうどよく喫茶店を見つけた。通りに面してガラス張りになっていて、クラブの入り口もよく見渡せそうだ。
店に入り、案内されたテーブルに着いて飲み物を注文し、樹里はようやく一息ついた。ひどく汗をかいている。念のための変装のつもりで被ってきた帽子を取ると、収めていた髪が落ちて肩にぶつかった。
勢いに任せて飛び出してきたが、これからどうしよう。月がNOTE BLUEで第二のキラに接触する前に、一緒にいる捜査員に不自然に思われないよう、月に目のことを伝える……なかなか難しそうだが、やるしかない。
「お待たせいたしました」
店員が、冷えたグラスを運んできた。慣れた所作でテーブルにグラスを置き、きびきびと去っていく。ふと、そばに人が立つ気配があった。樹里は何とはなしにそちらを見やろうとして、その直前に、そいつは言った。
「――はじめまして、キラさん。お会いできて嬉しいです」