13

 数時間前の捜索と乱闘の跡は、すっかり綺麗に片付けられていた。
 いつもどおりの樹里の部屋――いや、ひとつだけ、大きな違いがある。飼っている死神が二匹になったという点だ。
 樹里は椅子にもたれ、部屋の真ん中で立ち尽くしている白い死神を見上げる。彼女にも椅子を勧めてやるべきか、などという疑問が頭をよぎるも、思い返してみるにリュークには一度だってそんな真似をしたことがない。
 そのリュークは、お仲間が増えた今でも樹里の背後に陣取っている。まあいいや、と樹里も普段どおりにやることにした。
「じゃ、さっきの話、もう一回確認させてもらうね。ミサさんは、第二のキラ容疑で警察に捕まってしまった。自白もしてしまったけど、内容は、キラはあたしだということと、ノートという単語だけ……」
 「だけ」どころか、ほとんどすべて自白している。しかし、刑事たちの言動には、樹里がキラだとは信じてかかっていない節があった。もしかしたら、兄がそうなるように誘導してくれたのかもしれない。
「あたしのノートの切れ端とミサさんのノートは、レムが回収して持ってきてくれたから、誰にも触られてない」
「そのとおりだ」
「うん……あたしも、その状況じゃ、ミサさんがデスノートの所有権を放棄するしかなかったと思う。でも、ごめんね、誤解しないでほしいんだけど」
「何だ?」
「あたし、ただの中学生なんだ。警察の証拠を揉み消すなんて無理だよ。ミサさんをすぐに釈放させたりはできない」
「……ああ、わかっている」
「もちろん、できるかぎりのことはするつもり。ミサさんはキラの協力者――ううん、それ以前に、あたしの友達だもん。絶対に見捨てたりしないよ」
「そう言ってもらえると、ありがたい。私にできることがあれば何でも言ってくれ」
 ……ふーん。ずいぶん殊勝じゃないか。
 てっきり、最初に会ったときみたいに、ミサを助けなければ樹里を殺すなどと脅しにかかってくると思っていた。ミサがとんでもなく足を引っ張ったうえで頼ってきたことに、少しは罪悪感でも覚えているのか。それとも――
「ありがとう、レム」
 そうそう、できもしないことは言わないほうがいいよ。身のほどを弁えたレムの発言に気をよくし、樹里はにっこりした。
 ミサの現状は、はっきり言って詰みだ。
 いつ大量殺人犯として処刑を強行されたとしてもおかしくはない。第二のキラたりうる証拠を押さえられた、これが痛い。ただし、それは「ビデオレターで殺人を予告した」証拠であって、「殺人を犯した」証拠ではない。
 ミサの処遇が拘束に留まっているのは、加えて、警察が彼女からキラの情報を得ようとしているから。つまり、ミサを処刑台に上らせない手立ては、ミサが殺人犯とは断定させず、かつ、キラ事件の捜査を打ち切らせないことだ。
「今は、あたしがキラとしての活動をこれまでどおり続けること。それが、ミサさんを助けられる唯一の方法じゃないかな。ちょっと遠回りだけどね」
 レムはもう、樹里を殺せない。
 樹里が死ねば――月のことを知らないレムにしてみれば、キラはこの世から消える。樹里とキラが同時に消えたなら、それはミサの自白の裏付けとなり、ミサの有用性の消失ともなる。
 レムもそれを理解しているらしく、樹里の提案に特に異論を述べなかった。代わりに、「私からも確認したい」と切り出した。
「捜査員の中に夜神という名の人間がいたが」
「うん、あたしのお父さん、キラ事件の捜査本部長なの。お兄ちゃんは……」
 とぼけて考え込んでみせた樹里に、リュークが背後で笑いを漏らす。どうやら樹里の芝居に付き合ってくれるつもりのようだ。
「警察に協力していくつか事件を解決したことがあるくらい、すっごく頭がいいんだよ。それで、捜査のお手伝いをしてるのかも。あたしは、それよりも、流河さんがいた方がびっくりしたなあ」
「流河?」
「えーっと、ほら、さっきの……」
 しまった。迂闊にも、先ほどの恥ずかしい体験を自ら蒸し返す羽目になってしまった。レムはしどろもどろの樹里を見下ろし、押し黙っている。
「あっ、でも、お父さんたちがいるんだったら、ミサさんのことはそんなに心配しなくてもいいかもね」
「……なぜだ?」
「だって、お父さんもお兄ちゃんも、いくら容疑者だからって、それだけで女の子にひどいことするわけないもん。ミサさんを捕まえたの、別のひとだったでしょう」
 確信を持ってそう言ったが、さすがにそれだけでレムの不安を払拭できるとは思っていない。「ミサさんの様子はそれとなく探ってみるね」と、約束を付け足した。
 キラの裁きは、月や樹里が手を止めてもある程度は続くように細工してある。
 逆を言えば、手を止めていられる期間にはタイムリミットが設けられている。これからレムをどうすればいいのか、早く月の指示を仰がなければ……ひとまず彼女らの味方のふりはしてみても、ミサはいずれは必ずキラが裁くべき犯罪者なのだ。
 しばらく、月は深夜の帰宅が続いた。
 内心はらはらしながら機会を窺っていた樹里は、月がふいと夕刻に帰ってきたタイミングを狙って、月の部屋に突撃した。
「おにーいーちゃんっ、宿題教えてー」
「はぁ……またか?」
「よろしくお願いしまーす」
 しぶしぶ樹里を招き入れる月の仕草は、とても自然だ。実は死神たちが見えているなど微塵も感じさせない。
 樹里は小言を聞き流す体でさっと月の勉強机の前に陣取った。教科書一式を広げたところで、月が樹里の後ろから机に手をつき、数学のノートを覗き込んでくる。
「どこがわからないって?」
「えっとね、ここ、途中まで解いたんだけど」
「……ふーん。考え方は間違ってないな」
「ほんと?」
 肩越しに振り仰ぐと、間近にある月の真剣なまなざしとぶつかる。月は樹里の瞳をじっと見つめ、さりげなく言った。
「このくらい、一人でもできるようになれよ」
「……!」
 「宿題を教えて」は母の前でよくやっていた、二人だけの合図である。
 持ってきた宿題が樹里の学力でも容易に解けるものだと、月は見抜いているはずだ。それとも月のことだから、樹里がやって来た時点でその意図を悟っているか。樹里の今の状況――レムに見張られているために行動が制限されること、逆にこちらはキラの裁き継続を餌にレムを押さえられること――それらをすべて見越したうえで、兄は「しばらくは樹里一人でキラをやるように」と伝えている。
 樹里は安堵する。己の振る舞いはどうやら的外れなものではなかった。これから策を講じるのか、すでに何かが動き始めているのか。それはわからないけれど、兄に任せておけばもう大丈夫だ。そんな、絶対の安心感と、揺るぎない信頼。
 もちろん、兄にばかり負担をかけるわけにはいかない。キラは月と樹里、ふたりいてこそなのだから。月が心置きなく動けるよう、樹里はしっかりキラを務めなくては。
 ――わかったよ、お兄ちゃん。あたし、頑張るからね!
「おい、ちゃんと聞いてるか?」
「うん、聞いてる聞いてる。頭脳明晰なお兄様がいて、妹は幸せですー」
「調子のいい奴だな……」
 月はぼやきながら樹里の隣に腰を下ろした。レムの手前、芝居は最後までやりきらなくてはならない。
 それに、兄にはもうひとつ寸劇に付き合ってもらう必要があった。
「あのね、お兄ちゃん。ミサさんは……」
 樹里がおずおずと言うと、月はもっともらしく厳しい顔つきで腕を組んだ。
樹里。わかってると思うけど」
「うん、あたしも刑事の娘だしね。聞いちゃいけないのはわかってる。でも、あれ以来電話もメールも返事がなくて、心配で」
樹里が心配することは何もないよ。落ち着いたら、向こうから連絡してくれるだろう。そのときは、またうちに呼んだらいい」
「……そうだよね」
 神妙に頷く樹里。月は腕組みを解き、表情をやわらげて樹里の頭を撫でてくれた。そのくすぐったさを楽しみながら、樹里は今後兄にこうしてもらう機会が減るのを寂しく思う。……いや、レムに遠慮する義理がどこにある? キラの話し合いができないのはそれはそれ、兄妹の触れ合いを減らす理由などない。
 ともあれ、これで幕引きだ。その後は普通に勉強を教えてもらって、樹里は引き上げた。
「よかったね、レム。ミサさんは、まだ実刑を受けることはないみたい」
「……どうしてそんなことがわかる?」
「ミサさんが近く第二のキラとして裁かれる可能性が高いなら、お兄ちゃんはあたしにあんなことは言わないよ。あんな、変に希望を持たせるようなことは」
「…………」
 変化の乏しい青白い顔からは、レムがどれだけ樹里の話を真に受けているか判別がつかない。けれど視線だけは雄弁で、肌に突き刺さってくる。胡乱げなそれを軽く受け流しつつ、樹里は続けた。
「何の事件にも関わってないとはっきり否定するし、連絡は諦めるように言うはず。ミサさんは芸能人だからとか、歳が離れてるんだからとか、距離を置く理由なんて何でも繕えるもん」
 果たして真実そうであるかはどうでもいい。捜査員の一人から発言を引き出したこと、レムにそう思わせることが重要なのだ。
 樹里が説いたような兄の優しさを、この死神がまだ解せないのは仕方がない。不本意極まりないが、彼女とはおそらく長い付き合いになる。この家にいれば、そのうち自然と納得してくれるだろう。


 かくしてキラの裁きは再開された。
 樹里のデスノートは月に預けている。レムには、警察の目があるから今は隠し場所から回収しないでおくと適当な嘘を並べ立てておいて、樹里はノートの切れ端に犯罪者の名前を書いては消し書いては消しを繰り返し、せっせと裁きを続けた。
 裁きの時間、レムは決まって、樹里の手元を覗き込んでいる。他にも、樹里が学校や家で普通のノートやメモ帳、筆記用具を取り出したときには、はっと鋭い目線を投げやる。
 要は、知らぬうちにミサを始末されやしないか警戒しているのだ。
 探られて痛い腹はないので、樹里はレムの好きにさせておいた。少なくともその間は、レムは樹里から離れられず、捜査本部に飛んでいくこともない。余計な情報を与えずに済む。
 おしゃべりなリュークと違い、レムは自ら口を開こうとしない。しかしあるとき、こう質問を受けた。
「おまえたちは、兄妹なんだよな?」
 樹里はきょとんとして首を傾げる。
 ミサが捕まったせいで捜査本部が忙しいのか、兄が家にいる時間はめっきり減った。あまり月の部屋に入り浸って休息の邪魔をしてはならないけれど、ちょっと顔を見るくらいは許されるはずだ。――という言い訳を抱えて、自室を出る直前のことだった。
 問の意味するところを計りかね、答えあぐねていると、リュークが言った。
「すぐに慣れる。あと、まだこんなものじゃないからな」
 これまた意味がわからない。レムはどう思ったのか、ちらとリュークを見、また樹里に目を戻す。
「……私はここに残っている」
「そう? あたしは構わないけど……レム、ノートの持ち主から離れても平気なの?」
「そんなに長い時間じゃないだろう。それに、離れると言っても壁一枚だしね」
 まあ、確かに、リュークとも別にお風呂なんかまでを一緒にしているわけではない。樹里は納得し、了承した。レムは樹里に隠れて家探しでもするつもりかもしれないが、逆さにして振ったって、ミサの名を書いた切れ端など出てきやしないのだ。
「俺はジュリについていくぞ」
「え……」
 軽く思案していた樹里は驚き、リュークとレムの顔を交互に見比べた。
「もしかしてリュークたちって、仲悪い?」
「いや、何で俺が原因だと思うんだ……」
 そういうこともあったが、死神との付き合いは、おおむねうまくいっていると言えた。
 次にレムが話しかけてきたのは、学校からの帰り道、学友たちとも別れて家路を辿っているときだった。
「――夜神樹里
「なあに? レム」
 兄の日頃の言いつけに従って周囲に人気がないのをよく確かめて、用心しながら小声で応じる。樹里の背後、頭上から、レムは言葉を落としていく。
「私はミサの味方だが、死神のルールを逸脱しない範囲でやっている」
「うん」
「しかし、それだけではミサを助けるのは難しい。もちろん、おまえがおまえなりにミサを助けようとしてくれているのは、理解しているが」
 いくらかの月日をかけて、どうやら、レムは樹里を信用し始めたらしい。ただそれだけに、変わらずキラの活動を続けることがミサの助けとなる、という樹里の姿勢がじれったくも映るのだろう。
「ありがとう。すぐにミサさんを助けられなくて、あたしもはがゆいけど……」
「……だから、少々ルール違反を犯すと決めたよ」
「えっ? それって」
 まさか、ミサを捕らえている捜査員たちを皆殺しにするなどと言い出すのではあるまいな。樹里は訝りながら続きを待つ。
「『流河』の本名を教える」
 樹里とレムの会話を笑いながら聞いていたリュークが、ウホッと奇声を上げた。樹里は咄嗟にはその単語が何を指すのかわからず、必死に頭を回転させる。
「流河……もしかして、流河旱樹?」
「おまえが犯罪者以外を殺さない主義だとは、今日まででよく理解できた。だが、奴の名は警察への牽制に使えるだろう。ミサの釈放にも役立つはずだ」
「…………」
 無論、樹里は流河旱樹の本名くらい知っている。ファンクラブにも入っているし――とは、とても返せない雰囲気だ。
 流河旱樹。そうだ、兄の友人、アイドルと同姓同名のあの彼は、捜査本部の一員だった。なぜ、ここで流河の名を? 牽制に使えというなら、捜査本部長の父の名で十分のはずだ。それにレムは、暗に「名を教える代わりにミサを釈放させろ」と言っている。
 ――彼がLなのか!
 樹里はようやくその結論に至る。
 兄がLに会ったと言ったのは大学に入ってすぐ、流河と知り合った時期と一致する。なぜ兄が急に風変りな知己を持つに至ったのかの事情も理解できる。
 しかし、Lの名を知ったからと言って、樹里にできることはない。何の罪も犯していない探偵を裁くなんてしたくないし、FBIを追い払ったときのようにまた有象無象の犯罪者たちに怪文書を送らせるとしても、彼らが知りえない人物の名を書かせるのは無理だ。
 いや……そういえば、兄は一度「正体を突き止められたら、Lは下手に動けなくなる」と言っていなかったか。兄なら、有効活用できる手立てを考えつくかもしれない。ならば聞いておいて損はあるまい。
「わかったよ、レム。それで考えてみる。……教えてくれる?」
「ああ、奴の名は……」
 レムが告げる。
 間の悪いことに、背後から車のエンジン音が接近してきたため、樹里は耳をそばだてた。咄嗟の反応が遅れたのはそのためだった。
 樹里のすぐそば、歩道すれすれの位置に、自動車が不快なブレーキ音を立てながら急停止する。中から出てきた男が樹里の腕を掴む。樹里は悲鳴を上げる間もなく車内に押し込まれた。