3

 平原を歩く、歩く、歩く。
 最初の頃こそインターセプターにいちいち怯えていた椎子だが、しばらくするとそんな余裕がなくなるほどへばってしまった。こんなことなら普段から体力をつけておけばよかった、と道中何度後悔したか知れない。
シイコ、休むか?」
 マッシュはたびたび椎子の方を振り返る。歩幅も合わせてくれているのだろう、二人と椎子の距離はそれほど離れることはなかった。
「だ、大丈夫です」
 何にせよ、足がもつれないよう、歩くことに集中するしか椎子にはできない。
 と、突然、前を行くシャドウが立ち止まったので、椎子はその背中にぶつかってしまった。
「わっ、ごめんなさ――」
 すぐに謝ろうとすると、インターセプターがけたたましく吠え出した。
 ――は、え、何、私!?
 思わずびくっと飛び上がってしまう。
「シャドウ! シイコを頼む!」
 半ばパニックに陥っていると、マッシュの緊迫した声がした。そのただならぬ様子に、椎子はすぐに我に返る。
 一体何が起こったのだろうか? シャドウの背中で前は見えない。顔を出そうとすると、シャドウが振り返らないまま、鋭く言った。
「――下手に動くな。俺から離れるなよ」
「え、えっ?」
 手を掴まれて、ぐいっと体を引かれる。
 次の瞬間、椎子のすぐ側を何かが掠めた。白刃がきらめく。それは、シャドウが手にしているものだ。べしゃ、と足元に肉片が落ちた。
「な、何……」
「ぼやっとするな!」
 シャドウが素早く椎子の前に移動して、また椎子の視界は黒い背中でいっぱいになった。
 状況がよく掴めない。何か、嫌な音がする――刃物を振るう音だ。
 怖ろしくなり、頭を抱えてきつく目を瞑る。だが、それ以上は何も聞こえてこなかった。
「……おい」
「あ……」
 目を開ける。
 目の前にはシャドウが立っている。覆面から覗いている瞳が何を宿しているのかは、窺えなかった。
「ご、ごめんなさい……」
「いや……もう終わった」
 ……何が、なのだろう。思ったが、口にはできなかった。
 むっと錆びた匂いがする。
 草の上にいろいろなものを飛び散らせて、何かが倒れている。茶色のふさふさした毛には、地面と同じように赤いものがこびりついていた。動物――鳥だ。だが、異様な大きさをしている。それが、切り裂かれて死んでいた。
 それを理解した瞬間、グッと酸いものが食道を駆け上ってきた。目を逸らしたが、もう遅すぎる。咄嗟に両手で口を覆って、何とか堪えた。
 ふと、シャドウがまだこちらを見ているのに気付いた。
「……ごめんなさい」
 椎子はもう一度謝った。声が震えていた。
 すると、シャドウは黙って椎子に手を伸ばし――しかしその手はただ一瞬宙をさ迷っただけで、結局、彼はそのまま椎子から離れた。
「……?」
 椎子は小さく首を傾げて、その背を見送る。
「――シイコ、大丈夫だったか」
「……マッシュさん」
 振り返った彼の向こうにも、同じ鳥のようなものが倒れている。顔を顰めてしまったのだろうか、マッシュは椎子を見て、ほんの少し表情を曇らせた。
「あの……」
 躊躇いがちに、椎子は口を開く。
「ん?」
「あれは、何なんですか」
「何って――シイコ、モンスターを見たことがないのか?」
「モンスター……?」
 そういえば、先程ちらっと聞き流したように思う。
「野生の動物とは違うんですか?」
「ああ、よく人を襲うんだ。妙な力を使ってくるやつもいるし……」
 マッシュは椎子を気遣ってくれている様子だが、椎子の反応に対する戸惑いも大きいようだった。それだけ、今のはマッシュにとって何と言うことはない出来事だったのだろう。
「顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
「あ……」
 その言葉にハッとする。
 ナルシェまで、まだ先は長いのだ。こんなところでショックを受けたり落ち込んだりしている暇はない。余計に足手まといになってしまう。
 二人からすればこれは何の変哲もないことで、ならば椎子も、それをそのように受け入れなければならない。これからも、それは当たり前のように降りかかってくるのだろうから。
 ……少なくとも、家に帰れるまでは。
「大丈夫です。……行きましょう」
 マッシュは椎子がそう言ってもまだ眉間に皺を寄せていたが、無理にでも笑ってみせれば、ただ、そうか、とだけ頷いた。
 椎子は足を速めて先を行くシャドウに追いつく。
「シャドウさん」
「…………」
 シャドウは椎子に視線を寄越して、またすぐに前を向いた。
 椎子はそれでも構わずに頭を下げた。
「あの、さっきはすみませんでした。これからは、戦う……のは無理なので、なるべく邪魔にならないようにしますから」
 シャドウはまた椎子を見て、しかしやはり何も言わなかった。


 椎子たちは、その日のうちに帝国軍陣地まで辿り着いた。
 あの後もモンスターに襲われはしたが、何度か椎子が卒倒しかけたこと以外には、特に何事もなかった。二人とも相当の手練れのようで、椎子一人お荷物が増えたところで問題はないようだった。椎子にしてみれば、明らかに足を引っ張っているのはさすがに心苦しいが。
 陣地にはテントがいくつも設置されており、相当数の人員が派遣されて来ているようだった。見張りや巡回の兵士が多い。ピリピリとした空気を、椎子は肌で感じ取った。
 マッシュに聞いたところ、帝国はこうして幾度となく他国への侵略を繰り返しているのだという。つまりは戦争の真っ只中なのだ。すんなり通り抜けることなどできるはずもない。
 三人は物陰に隠れて侵入の機を窺うことになった。
「……おい、あの話、知ってるか?」
「ああ、あれか」
 やがて、すぐ側で兵が立ち話を始めた。他の二人は動じずに聞き耳をたてているが、椎子はいつ見つかってしまうか気が気でない。それでも、何とかいくつかの言葉を拾う。
「ケフカが、レオ将軍を追い出して自分が将軍になろうと……」
「冗談じゃない、あんな奴が将軍に……」
 どうやら上司の愚痴をこぼしているようだった。上下関係とはどこに行っても変わらないものなのか、と妙に感心してしまう。
「――おい!」
 いきなりの大きな声に、椎子は堪らず体を竦ませた。
「はっ。これは、ケフカ様」
「挨拶なんてどうでもいい! お前ら、ちゃんと見張ってるのか?」
 一瞬、見つかったのかとうろたえてしまったが、違ったらしい。話題の上司がやって来たのだ。
 ふとマッシュの方を見れば、彼は塀から頭を出してそちらを凝視していた。ケフカはまだ声高に兵士を叱りつけている。マッシュと同じように顔を出してみて、椎子はあっと驚いた。
 ケフカ――声からして、神経質そうな男を想像していたのだが。派手な原色の衣装に、真っ白な化粧。その奇抜さと言ったら、まるでピエロだ。これでは、部下に嫌われてしまっても仕方がないのではなかろうか。
 普通にしていたらもっと慕われるかもしれないのに……と、椎子が見知らぬ彼に対してそんな無用の心配をしていると、彼は兵に背を向け――椎子を見た。
「――!」
 即座に頭を引っ込める。目が合った、ような気がする。しかし、兵が再びぶつぶつぼやき出したのを聞く限り、ケフカはもう行ってしまったのだろう。気のせいだったのだろうか?
「……おい、移動するぞ」
「あ、はいっ」
 シャドウは返事を待たずに、すでに歩き出している。マッシュも先に行っているようだ。椎子はなるべく足音を立てないようにしながら、その後を追った。
 時々辺りを窺うと、先程までは張り詰めた慌しい雰囲気だったのが、急に静まり返ってしまったようだった。陣地を動き回る兵の数が、目に見えて減っている。
「どうかしたのかな……」
「ドマ城への侵攻が始まったのだろう」
 独り言のつもりだったのだが、シャドウがそう応じた。
「侵攻……」
 戦争かあ、嫌だなあ……普段ブラウン管越しでしか見ないそれに対して、椎子が抱く感想はそんな漠然としたものだ。今はこうして目の前にあるはずなのだが、あまり実感は湧かない。
 しばらく進んでいくと、マッシュが椎子の方に戻ってきた。
「この先は重装兵がいる。シイコ、ここで待っていてもらえるか?」
 ……戦闘になるのだろうか。一人になることに不安はあったが、たとえ一緒に行ったとしても、椎子にできることは何もない。
 椎子は言われたとおりとどまって、遠ざかる二人の姿を見つめた。