5

 次の日。
 迷いの森を抜けようと歩を進める椎子たちの前に現れたのは、とんでもない代物だった。
「列車……?」
 椎子にとってはあまり見慣れない、レトロな蒸気機関車だ。こんな森の中に、プラットホームまでセットで存在している。
「ドマ鉄道は全て、戦火に巻き込まれたものと思っておったが……」
 カイエンはしきりに訝しそうにしている。
「でも、結構ボロボロですよ。ここに放っておかれたまま忘れられてたのかも」
 椎子はそう言ったが、カイエンは一人、何か考え込んでいるようだった。
「生き残りがいるかもしれないな。調べてみよう」
 一方、マッシュはさっさとホームに乗り込んでいってしまった。
 椎子は、先程から一言も発しないシャドウを振り返った。
「シャドウさん、私たちも行ってみませんか」
「…………」
 しかし、シャドウは答えない。顔を隠しているから何ともわかりにくいのだが――どこか、様子がおかしいように思える。
「あの、シャドウさ――」
シイコ! ちょっと来てみろ」
 列車の側から、マッシュが椎子に向かって手招きをした。
「ええと……」
 何と返事をしたものか。
 椎子もこの列車に興味がないわけではない。もう一度シャドウを見たが、彼が動く様子はなかった。結局、少し迷った後にシャドウに断りを入れて、一人でホームに上がった。
 マッシュは列車のドアに手をかけて、椎子を待っていた。
「開くんですか?」
「ああ、入ってみようぜ」
 彼の言うとおり、ドアはすんなり開いた。先にマッシュが足を踏み入れようとすると、
「マッシュ殿、待たれよ!」
 カイエンが血相を変えてやって来た。
「乗ってはならぬ!」
「カイエン」
 マッシュは驚いた顔をして、しかしすぐに諭すように言った。
「けどな、このまま外をうろついていたって何もわからないだろ?」
「しかし、ここは――」
「心配するなって」
「マッシュ殿!」
 マッシュはカイエンの制止を振り切って、列車に入っていく。
 椎子は入り口にとどまって、色を失ったカイエンの顔を窺うように見上げた。
「カイエンさん、この列車、何かあるんですか?」
「うむ、おそらく……シイコ殿、早くマッシュ殿を連れ戻すでござる!」
 カイエンは列車に飛び込んだ。
 椎子はカイエンの慌てる背中を首を傾げて見つめ、それから遅れて板張りの床を踏んだ。
 入るなり、敷物や座席シートの色鮮やかさに目が眩む。その不自然さに、椎子はすぐに気付いた。先からのカイエンの口振りからして廃線になって久しいのだろうに、それにしては少しも褪せた色をしていないのだ。車内はほとんど荒れた様子がなかった。
「何だ、結局カイエンも来たのか。……この列車、どうもおかしくないか?」
 マッシュも同じことを感じたのだろうか、通路の奥から車内を見渡して不思議そうにしている。
 カイエンはずかずかとマッシュに近寄り、その肩を掴んだ。
「出るでござる! これは魔列車ですぞ!」
「何だって?」
 カイエンの勢いに押されながらも、マッシュが聞き返す。
「……魔列車?」
 背後から、低い呟きが聞こえた。
「ひゃ……!」
 椎子は大げさな所作で座席の角に体のあちこちをぶつけながら振り返った。カイエンの妙な素振りを見て様子を探りに来たのだろう、シャドウが立っている。
「び、びっくりした……っ」
 突然現れたシャドウにではなくて、足元の気配――インターセプターに、である。
 自分の動揺っぷりがちょっと恥ずかしくなって(今更だが)、椎子はごまかすように「魔列車って、知ってますか?」とシャドウを見上げた。シャドウは黙って首を振り、否定の意を示す。
 その時、窓の外の景色がゆっくりと動き出した。
「あ……!」
 なじみの深い、列車特有のあの振動が始まる。
「カイエンさん、動き出しましたよ!」
 椎子はドアに飛びついた。しかし、ノブが回らない。
シイコ殿、早く出なければ!」
「あ、開かないんです!」
「貸せ」
 シャドウがノブを掴んだ。力を込めているようだが、何も起こらない。
 そうこうしているうちに、とうとう列車はスピードを上げ切って、完全に走り出してしまった。
「……遅かったでござるか」
 カイエンは暗い声で額を押さえた。
「これは魔列車……死んだ人間の魂を、霊界へ送り届ける列車でござる」
「ええっ! そんなホラーな……」
 椎子は首を竦めた。怪談の類はあまり得意ではない。
「ってことは、俺たちも霊界とやらに案内されちまうのか?」
「このまま乗り続ければ、そういうことになるでござろうな」
「お、落ち着いてる場合じゃないですよ! どうするんですかっ?」
 マッシュとカイエンがいたって冷静に会話を交わすのを、椎子は声を引っくり返らせながら遮った。
 マッシュはけろっと答える。
「列車を止めるしかないだろ?」
「ど、どうやって?」
「さあな。とりあえず列車の先頭まで行ってみよう!」
 すでに泣きが入っている椎子に対して、マッシュはあくまでも平然と先へと歩き出した。
「マッシュさん、適応力高すぎる……」
 椎子は羨ましいような恨めしいような思いでマッシュを見つめた。
「マッシュ殿はもう少し慎重になってもよいと思うでござるが」
 カイエンはやれやれと溜息をついて、椎子を振り返る。
シイコ殿、こうなっては先に進むしかないでござる」
「うう、はい……」
 びくびくしながら、椎子は後に続いた。


 列車の中は、至るところ白いローブ姿の幽霊が徘徊していた。フードの下にぼんやり浮かび上がるその顔を目にするたびに、椎子は小さく悲鳴を上げる。完全に及び腰である。
「ひっ」
 今度は視線が合ってしまい、椎子は前を歩くシャドウの腕に縋りついた。
「シャ、シャドウさん、ちょっと待ってくださいっ」
「……歩けん」
「わーっ、見捨てないでくださいようっ」
 軽く振り払われそうになるのを、再度しがみつく。それで諦めたのか、シャドウはそれ以上何か言うことも強く出ることもしなかった。
シイコ、そんなに怖がらなくても、こいつら殴れるみたいだぞ」
 ちょうど襲ってきた幽霊に実際に拳を叩き込みながら、マッシュが振り向く。
「殴りません殴れませんっ」
 椎子は音が出そうなほどに首を振った。
 そんな調子で一両目、二両目と通り過ぎ、次の車両との連結部まで出たところで、椎子はふと後ろを振り向いた。直後、ものすごく後悔した。
「――み、皆さん、何か、追いかけてきてますよっ!?」
 今までは虚ろに通路をうろついているだけだった幽霊たちが、突如として明確な意思を持ったかのように、こちらに集まり始めていたのだ。
「こっちもだ!」
 マッシュの声に前方の車両を見ると、何人もの幽霊がびっしりと入り口にひしめいている。椎子は魂が口から抜けていくかと思った。
「しっかりしろ、シイコ! 上に逃げるぞ!」
 マッシュが入り口の横の梯子を伝って、屋根へと上っていく。
シイコ殿!」
 カイエンが手を引いて、椎子を梯子に掴まらせた。椎子はともすれば飛んで行きそうな意識を何とか繋ぎ止め、皆の後をついていった。
 列車の屋根にのぼるなど、初めてのことである。しかも、動いている列車だ。思うように走れず、背後が気になって振り向こうとしたのを、シャドウに止められた。
「見なくていい。走れ」
「は、はい!」
 しばらく行くと、道が途切れてしまっていた。車両の端まで来たのだ。先を行くマッシュとカイエンはそのまま足を緩めず、車両の隙間を跳び越えている。
 しかし、椎子はその手前で立ち止まった。向こうの屋根までが、絶望的な距離に見える。
シイコ、勢いをつければ大丈夫だ!」
 怖気付いている椎子に、マッシュが前の車両から呼びかけた。
 背後に迫っているものを考えれば、跳ぶしかない。
 体育の成績は下から数えた方が早かった。不可能ではないのだとしても、なかなか踏ん切りがつかない。
 と、急に体が浮いた。視界が揺れる。
「――わあっ! な、なな何!?」
「暴れるな」
 すぐ近くでするシャドウの声で、椎子は現状を理解した。子供がされるように肩に抱き上げられている。シャドウはそのまま、あっという間に椎子が躊躇していた距離を跳び越えた。
「わっ――お、落ちっ、痛っ」
「舌を噛むぞ」
 ……もう噛んでしまった。
 後からインターセプターが自力で跳んでくるのを見て、椎子は何となく落ち込んだ。
 前の二人に追いつくと、下に降ろされる。後ろの車両を振り返ると、屋根の上は幽霊でいっぱいだった。危ないところだったのか。ひやりとして、椎子はどきどきする胸を押さえた。
「あ、ありがとう、ございました……」
 椎子が頭を下げると、やはりシャドウは無言のままだった。
「よし、下に降りよう」
 マッシュが、のぼってきた時と同じような梯子を指した。皆で降りていく。
「じゃあこの車両に……」
「マッシュ殿、後ろを!」
 カイエンが叫ぶ。背後の車両のドアから、また幽霊が溢れ出してくるのが見えた。
「も、もういやだー」
 椎子は両手で顔を覆った。泣きたい。
「後ろの車両を切り離そう!」
 マッシュの言葉を合図に、シャドウが連結部に手を入れた。がこんと音がして、簡単に後ろの車両が離れていく。
「これならもう追って来れないだろ。な、シイコ
「わっ……は、はい」
 マッシュは椎子の頭をぐりぐり撫で、安心させるように笑いかけた。