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「ここは……」
 次の車両は、これまでとは異なった内装だった。座席の代わりに、真っ白なクロスがかけられた大きなテーブルが並んでいる。食堂車だ。
「――お食事になさいますか?」
「ひっ!?」
 唐突に声をかけられて、椎子は情けない悲鳴を上げた。
 隣に、いつの間にかウェイターが控えるように立っている。
「な、何でしょう、この人……」
 椎子はウェイターからじりじり後退って離れた。インターセプターが自分とは反対側にいることを確認してから、シャドウの陰に隠れる。
「先程までの幽霊とは違うようでござるな」
 カイエンがそう言うと、マッシュがよし、と頷いた。
「飯だったな、山ほど持って来てくれ!」
「マッシュさん!?」
 いきなりとんでもないことを言い出したマッシュを、椎子は勢いよく振り仰いだ。
「ここ、幽霊列車ですよ!?」
「幽霊列車でなく魔列車でござるよ」
「おんなじですっ。ね、やめましょうよ~」
「気にすんなって。腹が減っては戦はできぬ、だろ」
 そんなことを言っているうちに、料理が運ばれてくる。マッシュは嫌がる椎子を置いて、席に着くともりもり食べ出した。
 椎子とカイエンは呆然とその様子を眺める。
「ほんとに食べてる……」
「だ、大丈夫なのでござろうか」
「……ですよね。幽霊の食べ物なんじゃないのかなあ」
 カイエンとひそひそ言葉を交わしている間にも、どんどん皿は空になっていく。
 確かに、椎子とて空腹である。昨日からずっと保存食ばかりだったせいで、普通の食事が恋しい。その上、人が食べているのを見ていると余計に腹が空く。
 何か料理、おいしそうだし……いやいや、でも幽霊の作ったご飯だよ。
 椎子が悶々と葛藤していると、それまで黙って見ていたシャドウも席に着いた。
「シャ、シャドウさんっ?」
「……毒は入ってなさそうだ」
 と、インターセプターにまで分けている。……マッシュは毒見役だったのか。
 椎子はカイエンを見た。カイエンはうんうん唸っている。
「……カイエンさん、私たちも食べちゃいますか?」
「拙者、どうもこういったことは苦手でござる……」
「それが普通です……たぶん。普通だといいなあ」
 二人して妙な顔をして椅子に座った。


 食堂車を出ると、機関室はすぐだった。
 機関室にはスイッチやレバーが様々に並んでいる。ここで列車を止められるはずだということで、全員で調べることになった。
「何だこれ」
「マッシュ殿、無闇に触らんでくだされ!」
「そう言われてももう押しちまったよ」
「何と!?」
 壁を確かめているとマッシュの呑気な声とカイエンの必死な声がして、聞きながら椎子はこっそり苦笑いを浮かべた。もともと豪放な性格らしいマッシュと生真面目なカイエンは、一見正反対なようで案外よいコンビかもしれない。
 そのうち、椎子は壁に小さな張り紙があるのに気付いた。何か操作の説明書きが載っているかもしれない。そう思い、文面に目をやって――
「あれ……?」
 何度か瞬きをし、それから背伸びをして、椎子は張り紙に顔を寄せる。
「……どうした」
 シャドウがこちらにやって来た。
 振り向いた椎子は困惑した表情で、張り紙を指差す。そして、そちらに視線を移したシャドウに尋ねた。
「シャドウさん、あの、これ、読めますか?」
 シャドウはしばらくそれを眺めた後、椎子を見た。
「――読めるんですね」
 それだけで、椎子は答えを悟って呟く。ぎゅっと、自分のスカートを握った。
 手のひらにじっとりと汗をかいている。
 深呼吸をするように大きく息を吐いて、次いで、口にした声は僅かに掠れていた。
「こ、これって、普通に使われてる文字、なんですよね……あはは、私、全然わからないですけど」
 椎子は笑った。おそらくそれは不自然なものになっているだろうが、それでも、何とか口元を緩める。
 シャドウはただ黙って椎子を見下ろしている。
「あ、列車の止め方、書いてありました?」
「……ああ」
「よかった、じゃあこれで降りられますね」
「…………」
 シャドウは何も言わない。
 椎子はやがて俯いて、ぐすっと涙をすすった。
 昨日一日で見聞きしたことで、十分にわかりきっていたことだった。ただ、これまであえて考えないようにしてきただけだ。それを、改めて突きつけられたようで。
 ――自分が、ほんとうに知らない世界にやって来てしまったのだということを。
シイコ? どうした?」
 椎子の様子に気付いて、マッシュが声をかけてくる。椎子は顔を伏せたまま、ただ首を振った。涙を堪えるのにせいいっぱいで、口を開けば泣き声を上げてしまいそうだった。
「疲れたのだろう」
「……!」
 椎子はぽかんとして、自分の代わりにそう答えたシャドウを見上げた。シャドウは、己の体で椎子の姿を隠すように立っていた。マッシュたちの方からは、こちらは見えないだろう。
「大丈夫でござるか?」
「昨日から歩き通しだったからな」
 椎子を心配する二人に、シャドウは張り紙の内容を伝えた。
「スイッチは外でござるか。ならば、シイコ殿はここで休んでおるのがよかろう」
「ああ、そうだな、俺たちで行ってこよう。シャドウ、シイコを頼んだ」
 二人が揃って機関室を出て行く。それを待って、椎子はおずおずと口を開いた。
「……あの」
「一人の方がいいか?」
「いえ!」
 椎子は慌てて否定する。
「これはすぐに引っ込めますから……その、一緒にいてもらえると、嬉しい、です」
 手の甲で目元を拭いながら言うと、シャドウがちらりと椎子に目を向けた。
「あの二人に気付かれたくないのなら、あまり擦るな。跡が残る」
「あっ、は、はい。……あの、ありがとうございます、シャドウさん」
「…………」
 それきり、シャドウは椎子と視線を合わすことも何か言葉を交わすこともなかったが、その間の時間は、椎子にはさほど苦には感じられなかった。


 機関室にいる椎子にも列車が速度を緩め始めたということが感じられたのは、涙が止まってしばらくしてからだった。
「……停車するみたいですね」
 感情の波が落ち着くと、何となくシャドウといるのが気恥ずかしくなってくる。椎子はそわそわしながら、わかりきったことを口にした。
「出るぞ」
 シャドウが軽く促して機関室のドアに向かう。
「は、はいっ――わっ」
 椎子はその後についていこうとして、しかしその瞬間、機関室が揺れ出したのでつんのめって転んだ。前にいたインターセプターを潰してしまう。
「わーっ、ご、ごめんねインターセプター、噛まないでねっ」
 青くなって退くと、インターセプターは何ともないとでも言うように軽く一声鳴いた。座り込んだままの椎子を、シャドウは強引に立ち上がらせた。
 その間も、揺れは続いている。列車全体を揺るがすような、大きな振動である。
「す、すみません……地震でしょうか?」
 シャドウに掴まりながら、椎子は不安げに視線をさ迷わせた。
 返事の代わりに、シャドウは顎をしゃくる。とにかく出ろということらしい。
 外に出ると、列車は人でも追い越せそうなスピードにまで減速していた。
「二人とも、こっちだ! 飛び降りよう!」
 機関室の屋根からマッシュが叫んだ。
 レールの両脇には隙間なく木々が茂っていて、確かにこちらからは降りられそうにない。椎子はシャドウに手を引かれ、列車の前に飛び出した。

 ――私の邪魔をするのはお前たちか!

 どこからともなく声が轟く。
「この声、列車が……!?」
 既に列車と並走をしているカイエンは、抜刀している。マッシュが飛び降り様、車体に技を叩き込んだ。どうやらこの列車は、モンスターと同じ類のものだったようだ。
 椎子はシャドウから離れ、戦いの邪魔にならないよう、ひたすらレールの上を走った。ここで転ぶなどしては洒落にならない。
 戦闘では椎子の出る幕はない。せめて何かないかと考えた末、椎子は預かっていた荷物の中から即効性の傷薬――ポーションを、いつでも使えるようにと取り出した。
シイコ、避けろ!」
「え、わっ!?」
 身を捩ると、列車から飛んで来た車輪が椎子の頭を掠めた。顔のすぐ横で風が唸る。もし当たっていれば、ポーションで治すどころの怪我ではなかったかもしれない。ぞっとした。
 列車の汽笛が、鋭く鳴る。
 頭の中にわんわんと反響するような、不快な音だった。ひどく気分が悪くなる。見ると、他の皆も苦しそうだ。
 ……今、また車輪が飛んできたら危ないかもしれない!
「えい……っ!」
 椎子は咄嗟に、手に持っていたポーションを投げつけた。汽笛を止めようとしたのだが、それ以上の効果があった。魔列車が苦悶の声を出すように軋り始めたのだ。
 椎子はあることを思いついて荷物を漁った。確か、列車の中で手に入れたものがあったはずだ。すぐに見つけて、それを投げうつ。
 途端、バリバリと凄まじい音がして魔列車が赤く光ったかと思うと、まもなく完全に停止した。