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息を切らせて膝に手をつく椎子の元へ、マッシュが駆け寄ってきた。「シイコ! 怪我はしなかったか?」
「はい、さっきのも、何とか、避けられましたし……」
逃げるのはだんだん得意になっているようだった。そんなことを思い、顔を上げた椎子は苦い笑いを浮かべた。
カイエンが、注意深く魔列車に目をやりながらやって来る。
「あれは何を投げたのでござるか?」
「フェニックスの尾、なんですけど……」
人を蘇生させる薬である。魔列車がもし霊の一種であるなら、生きているものとは反対の効果が得られるのでは、とポーションを投げた時の反応を見て考えついたのだ。
椎子がそう説明すると、マッシュは感心した様子で椎子の肩を叩いた。
「なるほどな。助かったぜ、シイコ」
「……お役に立てたのなら、よかったです」
まだ呼吸が苦しかったが、椎子は自然と笑顔になった。
そこに、辺りを歩き回っていたシャドウが戻ってきた。
「……線路からは出られないようだ」
「何、そうなのか? ……どうする?」
マッシュが皆の顔を見渡した。
「このまま歩いて進むか、戻るかしかないでござるな」
「近くにまたホームがあるといいんですが……」
でなければ、最初の駅まで戻らなければならないだろう。線路の先はどこへ繋がっているのかわからないのだ。
皆で悩んでいると、汽笛が短く鳴った。それに続いて、魔列車の声がする。
「……乗るがいい。お前たちは途中で降ろしてやろう」
椎子たちは顔を見合わせた。
「乗ろうぜ。ここにいたって仕方ない」
マッシュは最初に乗り込んだ時のように、ひょいひょいと先に行ってしまう。
カイエンも椎子も、もうそのペースに慣れてしまったらしい。異論が出ることもなく、三人でその後を追った。
その後は何の問題もなく、魔列車は無事に次のホームで停車した。
「やれやれ。もう列車はこりごりだな」
マッシュはホームに降り立って、大きく伸びをする。
「ですね……」
椎子は頷きながら、魔列車を振り返った。すると――
「あれは……?」
椎子たちが降りたのとは違うドアから、魔列車に何人もの人が乗り込んでいく。
死んだ人間の魂を、霊界へと送り届ける……カイエンの言葉を思い出した。まさか、これから霊界へ向かおうという亡霊たちなのだろうか。
「――ミナ、シュン!」
突然、カイエンが声を張り上げた。
椎子は驚いてカイエンの方を振り返った。その視線の先を追う――死者の列の最後尾、今まさに列車に足を踏み入れようとする女性と、小さな子供がいる。
「カイエン――奥さんと息子さんか!?」
「えっ!?」
マッシュの言葉に、椎子は目を見張る。ちょうどその時、魔列車の汽笛が鳴った。
「待ってくれ!」
カイエンは家族の元へ駆け出した。列車がホームから発つ。なおも追うが、とても間に合わない。列車はどんどん速度を上げていく。
「ミナ! シュン! 行くな……!」
魔列車が、完全にホームから離れた。その姿は見る見るうちに小さくなり、ついに魔列車は線路の向こう、もはや辿り着けないところまで行ってしまった。
カイエンはホームの端で足を止め、悄然と立ち尽くす。
……椎子には、列車の窓からカイエンを見つめる二人が、彼に笑いかけているように見えた。カイエンは気付いただろうか?
「カイエンさん……」
歩み寄ろうとして、ぐっと肩を掴まれる。シャドウだ。
「そっとしておいてやれ」
椎子が振り仰ぐと、シャドウはそれだけ言って手を離した。
その声には、僅かながらの苦痛が混じっているように思えた。それは、誰の痛みなのだろうか……カイエンの背に視線を移しながら、椎子はぼんやりそう考えた。
森を抜けた後、椎子たちは大きな滝の上までやって来た。
「これがバレンの滝か……」
「すごい……」
椎子は崖の向こうの滝を眺めて、絶句した。さらに崖下を覗き込めば、眩暈がしそうなほどに高い。水が滝つぼに落ち込む音で、隣にいるマッシュの声がかき消されそうなほどだ。
「これより南は獣ヶ原……その先の海岸沿いに、モブリズという村があるはずでござる」
ナルシェまでの地理をマッシュに説明しているのは、カイエンだ。
あれから、カイエンは幾許かの時間をかけて自分を取り戻したようだった。あえてそう振る舞っているだけなのかもしれないが……
椎子が何とも言えない気持ちでカイエンを見つめていると、シャドウが呟いた。
「……俺の役目は終わったようだな」
「えっ、シャドウさん?」
椎子はうろたえてシャドウを見上げた。まるで、ここで別れてしまうかのような口振りではないか。
戸惑っている椎子にマッシュが言った。
「シイコ。シャドウには、ドマまでの案内を頼んでいたんだ」
「そうなんですか……?」
「…………」
シャドウは答えない。
マッシュが前に進み出て、右手を差し出した。
「シャドウ、お前には世話になったな」
一瞬、シャドウは驚いたようにその手を見て、それからややあって握り返した。それで、椎子は本当に別れが訪れているのだと実感させられてしまう。
「あの……また、会えます、よね……?」
言った後に、椎子は自分が思っている以上にショックを受けていることに気付いた。シャドウと顔を合わせることができない。
シャドウはしばらく黙っていたが、やがて、いつもの低い声で言った。
「……縁があればな」
ハッと顔を上げると、覆面の奥で切れ長の目が細まっているのが見えた。
その後、マッシュとカイエンと二、三言葉を交わし、シャドウはインターセプターを連れてその場を立ち去った。
「また一緒に冒険しようぜ!」
「……シャドウさん、また会いましょうね!」
マッシュが小さくなっていく黒い背中に向かって叫んだので、椎子も負けじと大きな声を出した。
シャドウの姿が見えなくなると、湿っぽさを吹き飛ばすように、明るい声でマッシュが言った。
「そろそろ行くか、シイコ」
「はい……あの、南ってどう行くんですか?」
何気なくした質問だったのだが、椎子はマッシュの次の言葉を聞いてぎょっとした。
「滝に飛び込むんだ」
「はあ、そうですか、飛び込……は!? マ、マッシュさん、本気ですか!?」
あまりにあっさり言うので、危うく聞き流してしまうところだった。
目を剥いている椎子に、カイエンが横から言葉を添える。
「それ以外に道はないでござる」
「そ、そうなんですか?」
本当に?と念を押しても、カイエンは重く頷くだけである。カイエンにそのように出られると、椎子としては強く反対できない。
「うーん、何だ、シイコは泳げないのか?」
「お、泳げますけど……滝で泳ぐも何もないかと……」
微妙にずれた発言のマッシュに、もごもご反論する。
そうやっていつまでもしり込みしていると、痺れを切らしたマッシュが椎子の後ろに回って背中を押し始めた。
「ほら、行くぞ行くぞ!」
「わっ、ちょ、待っ、む、無理です! 絶対無理!」
そのまま崖っぷちまで連れていかれて、椎子は悲鳴を上げた。足元の激流に、顔色が紙のように白くなる。
「マッシュ殿、それはあんまりでござろう」
カイエンが止めに入った。
助かったとばかりに、椎子はぶんぶん頷く。
「そっ、そうですよねっ」
「だがシイコ殿、ここは堪えてもらわねば、先へは行けぬでござる」
「う……っ」
「そうだ、こうすりゃいいだろ」
「わあっ!?」
マッシュは椎子をひょいと造作なく担ぎ上げた。椎子はばたばた手足を振り回すが、マッシュの体はびくともしない。
「マッシュさんー!?」
「暴れんなって。遠慮しなくていいんだぞ、シイコ」
「え、遠慮とかじゃなくってですね……っ」
「じゃ、自分で飛び込むか?」
ぴたっと椎子の動きが止まる。
それは、絶対に無理だ。かと言って、このまま飛び込まれたって怖い。しかし、どのみちそうしなければいけないなら……椎子は数分間迷いに迷った。
やがて、打ち萎れながら己の選択を告げる。
「……お、お願いします……」
「よしよし」
マッシュは小さな子供をあやすように椎子の背を叩いた。顔は見えないが、声が笑っている。
あんまりだ。抗議したかったが、ううと唸るしかできなかった。
「それではマッシュ殿、シイコ殿、行くでござる」
椎子はぎゅっと目を閉じた。ああ、手のひらに人という字を書けばよかった。マッシュにしがみつきながら思うが、もう遅い。
マッシュが跳躍したのを、自分の体に当たる風の強さで知る。
はっきり言って、死ぬかと思った。