9

 翌日、モブリズを発った椎子たちは、獣ヶ原を縦断するべく南へと向かっていた。
 獣ヶ原とは名のとおり、多種多様なモンスターが現れる場所である。遭遇すれば、椎子は二人の邪魔にならぬよう離れているしかない。
 ――と、何度目の戦闘の際だったろうか。
「ガウ!」
「わあっ!?」
 何かに勢いよく飛びつかれ、それまで遠巻きに戦いの様子を見ていた椎子は草の上を転がった。
「いっ、た――」
 強かに頭と背を打ちつける。何が起こったのか、すぐにはよくわからない。まさか新手のモンスターが現れたのかと体を強張らせたところ、
「うう、はらへった……」
「は、え?」
 降ってきた、思いも寄らぬ弱々しい声に、椎子は目をぱちくりとさせた。
 よく見れば、椎子の上に乗っているのは子供だ。一見、獣かと見紛うような姿だが、確かに人間の少年である。そして、その顔には見覚えがあった。
「あの時の……?」
「――シイコ!?」
 モンスターを片付けたのか、マッシュたちが駆け寄ってくる。
「あっ、あの、大丈夫です! 子供ですよ!」
 椎子は引っくり返ったまま声を上げた。まかり間違って怪我などさせては大変なことになってしまう。
 二人に声が届いたようなのを確認して、椎子は少年に視線を戻した。
「お腹空いてるんだよね?」
 モブリズで買った鞄が側に落ちているはずだ。すぐに引き寄せ、中から保存食の袋を取り出す。
「これ……」
 干し肉を差し出すと、少年はサッとひったくるように受け取って椎子から飛び退いた。少し離れたところでガツガツと食べ始める。
 やって来たマッシュが椎子に手を貸して起こしてくれた。
「災難だったな」
「あ、ありがとうございます……もう、心臓が止まるかと思いました」
「よほど腹が減っていたのでござろう」
 干し肉にかぶりついている少年に、三人の目が集まる。
「こいつ、あれじゃないか。村で噂になってた……」
「……ですね」
 モンスターの群れに混じっていたという、オオカミ少年ならぬモンスター少年か。もしかすると少年は獣並みの嗅覚で、食料の匂いを嗅ぎつけて来たのかもしれなかった。
 そんなことを話していると、少年はいつの間にか干し肉を平らげていて、四つん這いの格好でこちらを見上げていた。
 椎子は少年の前で屈んで、できる限りに穏やかな笑顔を浮かべた。
「あの……私、椎子っていうの。あなたは?」
「ガウ!」
「ガウ殿、拙者はカイエン、こちらがマッシュ殿でござる」
 カイエンが温和な声で少年に名を告げた。あれは果たして名乗りなのだろうかと椎子は首を傾げたが、反論がないところを見るとそうなのだろう。
シイコ! おいら、はらへった! もっと肉くれ!」
「えっ」
 ガウは椎子の周りをぐるぐる駆け回り始めた。しかし、これ以上旅の食料に手をつけていいものか……椎子は困ってしまって二人を振り返る。
 するとマッシュがガウの首根っこを掴んで止め、それからやや乱暴に言い放った。
「もうねぇよ」
「じゃあオマエ、さがしてこい!」
 ガウはすぐさま手を振り払い、言い返す。これにはマッシュも頭に来たようで、一気に険悪な雰囲気になった。
「やるのか?」
「ガウ!」
「あの、ケンカはよくないですよっ」
 慌てて止めるが、二人は少しも聞いていない。あっという間に手も出る喧嘩に発展していった。それ以上口を挟むこともできずに、椎子ははらはらしながらなりゆきを見守る。
「……マッシュさん、子供嫌いだったのかなあ」
「と言うより、張り合っておるな……」
 カイエンはいささか呆れ気味だ。とりなすつもりはないらしく、傍観している。確かに眼前の光景は、そのような必要のない、まるきり子供同士の喧嘩のようではある。
 そのうち、二人は実力を認め合って「お前、やるな」「お前もな」とばかりにお互いの健闘を称え始めた。
 少年漫画のようだ。椎子がぽかんとしていると、カイエンはフーッと息を吐いて、二人に歩み寄った。
「もうよろしいかな。……してガウ殿、お主は何者でござる?」
「ござる?」
 ガウの顔が、面白いものを見つけたとでも言うように輝いた。今度はそちらに矛先が向いたようだ。
「ござる、ござる!」
 声を張り上げるガウに、カイエンがたじろぐ。子供らしいからかいと言えばそうだったが、眉を曇らせるカイエンを見て、椎子は間に割って入った。
「こら、人の嫌がることをしたらめっだよ、めっ」
「ウウ……」
 軽く叱ったつもりだったのだが、途端にガウはしゅんとなる。
「ガウわるいやつ、わるいやつ」
「えっ、あ、その……」
 逆に椎子が焦ってしまった。
「随分態度が違うじゃねえか」
 マッシュが後ろでぼやいた。餌付けの成果だろうか。
「えーと、そ、そんなに怒ってないから、ね。でも、もうあんなふうにふざけたら駄目だよ」
 おろおろしていると、急にガウが顔を上げた。
「あ! プレゼントする!」
「へっ」
「ガウの宝、ピカピカ! プレゼントするぞ!」
 彼の中では、問題はこれで解決してしまったらしい。もうすっかり笑顔である。
「あ、ありがとう……」
 椎子は困り笑いを浮かべたが、ガウはさらににこにこしながら言った。
「ピカピカ、ここ! みかづきやまにある!」
「三日月山?」
「拙者たちの目的地ではござらんか」
 カイエンは言って、南の方角を見やった。モブリズでの情報集めの結果、椎子たちは港町ニケアまで、蛇の道という海流を通る道程を取ることにしたのだ。そのために、まず海流のある三日月山へ向かっていたのである。
「みんな、みかづきやま、行くのか?」
 ガウは期待に満ちた目で椎子を見つめる。マッシュとカイエンに視線を投げると、二人とも仕方がないなあとでも言うように頷いたので、椎子はガウに尋ねた。
「えっと……一緒に来る?」
 返事は聞くまでもなかった。


 三日月山の内部は、広い洞窟のようになっていた。道は案外広く、これなら普通の山登りよりも楽に歩けるだろう。
「涼しい~」
 ひんやりとした空気に、椎子の口から小さな歓声が漏れた。
「地下に海流が流れているからであろうな。シイコ殿、足を――」
「わっ」
 地面が湿っているせいか、ローファーの靴底が滑った。後ろに倒れかかったのを、カイエンに受け止められる。
「……滑らせないよう気を付けて欲しかったでござる」
「以後、気を付けます……」
 椎子は早速の失態に萎れた。モブリズで靴も買っておけばよかったかもしれない。
「ピカピカ、ピカピカ!」
「これガウ殿、一人であまり先走ってはならぬ」
 カイエンは、今度は先を跳ねるように進んでいくガウを止めに向かう。もはやすっかり一行の保護者の体である。
「ピカピカか……ロックが羨ましがるだろうなあ」
 マッシュの弾んだ呟きをふと聞きつけて、椎子は聞き返した。
「ロック……さん、ですか?」
「ああ、ナルシェで合流する仲間の一人だ。宝に目がない奴なんだ」
「そ、そうなんですか」
 ガウの「宝物」の価値基準は自分たちとは違うのではないかと椎子は思うのだが……どこか足取りも軽いマッシュに水を差すのも悪いので、口にはしないでおいた。それにしても「宝に目がない」とは、人物評としてはあまりよくないもののような気がする。
「そいつ、わるいやつか? おいらの宝、とるのか?」
 引き戻されたガウが、深刻な顔をして話に混じってきた。
「ううん、そんなことないよ。大丈夫」
 先程はあまり意識しなかったが、隣に並ぶと意外と背が高いのがわかる。椎子が背伸びをして頭を撫でると、ガウは満面の笑顔になった。
「そうか! ならいい!」
「うん、よかった」
 椎子もつられるように笑った。無邪気にはしゃぐガウを見ていると、心が和いでくるようだ。
「で、ガウ殿、その宝はどこにあるのでござるか?」
 カイエンが問うた。元気よくガウは答える。
「ガウ、わすれた!」
「……さ、さようか」
「お前な……」
 一番勢い付いていたマッシュは、尋ねたカイエン以上に脱力している。
「あー、じゃ、じゃあ今から宝探しですね!」
 椎子はとりなすように言って、胸の前で手を鳴らした。
「……そうだな、探してみるか」
「仕方ないでござるなあ」
「それはそれで、きっと楽しいですよ」
 椎子が言うと、カイエンとマッシュは顔を見合わせて、苦笑いした。


 数時間後、椎子たちは洞窟の出口に辿り着いた。切り立った崖になっていて、その下が蛇の道なのだろう、激しい水音と潮の匂いがする。
「流れが速いでござるな……」
「そうですね……」
 バレンの滝の迫力も大きかったが、こちらも負けてはいない。果たして今回も生きて通ることができるのか、椎子は心配になった。最初のレテ川も含めると、水に関わるのは三度目だ。水難の相でも出ているのだろうか。
「しかし、ニケアへ行かなければ兄貴たちとは合流できないし……」
 マッシュも憂い顔で腕を組む。
 とにかく、一旦洞窟の中に戻ることにした。戻ってすぐのところに、ガウがうずくまっている。ちょうど掘り出し終わったところだったようだ。
 ガウはそれを掲げて洞窟を跳ね回った。
「たから! たから!」
「わ、大きいね」
「ピカピカ、大きい!」
 ガウから椎子に手渡されたそれを、カイエンがしげしげと眺めた。それは、インテリアの花瓶にありそうな、丸い大きな透明な器だった。
「……宝とは、ガラス玉でござったか」
「綺麗ですけどね」
「でけえな。頭がスッポリ入る」
 何故か、言いながらマッシュがガラス玉を被ってみせる。そのまま、にやっと笑った。
「これは使えるんじゃないか?」
「え、何にですか?」
「これをかぶれば、水中でも息ができるんじゃないか?」
「…………」
 椎子は咄嗟には何も言えずに、口をぱくぱくさせた。
「ええと、それはどうかと……さすがに」
 とりあえず、控えめにそう進言してみる。しかしマッシュは意気揚々と洞窟を出て行ってしまった。
「――む、むちゃくちゃだ……」
 残された椎子は頭を抱えた。すこぶる今更の話のような気がしないでもない。
シイコ殿、もう諦めるでござるよ」
「ござるござる!」
 後ろから、カイエンがぽんと肩に手を置く。
 マッシュさん、いい人なんだけど大味すぎるよなあ……椎子は心の底からそう思った。