11
雪の積もった地面に足を着けた途端、刺すような冷たさが体を駆け上ってくる。椎子は急いでコートの襟をかき合わせ、両手を擦り合わせた。「ガウくん、寒くない? 大丈夫?」
口を開けば白い息が立ちのぼる。
服を着るのを嫌がったガウは、最低限の防寒具しか身に着けていない。正直、見ているだけで体が冷えていきそうだ。
ガウは至って元気に、腕をぐるぐる振り回して答えた。
「おいら、さむくない!」
「うーん、そっか。子供は風の子って言うもんね」
頷いて、しかし一応、ガウのケープの前をしっかりと合わせてやる。
二人のやりとりの横で、カイエンは難しい顔をしていた。
「警戒されておるようでござるな」
四人の立つ場所の少し先には立派な外壁と、それに穿たれたアーチがある。ナルシェの入り口だ。
ナルシェは物々しい雰囲気に包まれていた。高い石壁と周りを囲むごつごつした山肌の威圧感に加え、アーチの前に立つ警備の人間が、椎子たちがその手前でチョコボを放している時からずっと鋭い視線を向けてきている。
「ああ、つい最近に帝国と一悶着あったらしいし、そのせいだろう」
マッシュが頷く。帝国、の言葉にカイエンが僅かに眉を動かしたが、特に変わりのない口調で続けた。
「話は通っているのでござるか?」
「……とは思うけどな」
マッシュもこの時ばかりは気がかりそうだった。
しかし、そんな危惧は杞憂に終わった。マッシュの名を出すと、ガードたちは心得たようにすぐに中へ通してくれたからだ。聞けばリターナーは今、ナルシェの長老と何がしかの交渉をしているそうだった。
ガードにナルシェの中を案内されながら、椎子はマッシュの横に並んでこそっと尋ねた。
「……それって、お兄さんたちのことですよね?」
「ああ、……無事だったんだな」
返す声には明らかな安堵の色が滲んでいる。マッシュが笑みをこぼす様子を見て、椎子も嬉しくなった。
「ガウ!」
「あっ」
突然、ガウがどこかへ駆けていこうとする。椎子は慌ててガウの手を取って止めた。
「待って待って、みんなで一緒に行こうよ」
「けむり、けむり!」
ガウは大人しく立ち止まった代わりに、前の方を指差してはしゃいだ。白い煙を吐いている大きな機械が民家の側に鎮座している。今のは、それに気を引かれた故の行動だったらしい。
「ああ、あれかあ。何の機械だろうね」
「蒸気機関でござるよ。あれで街を暖めているのでござる」
頭を捻った椎子に、カイエンが答える。
……ほんとに、異文明なんだなあ。カイエンに頷きを返しながら、椎子は胸中で呟いた。
現状に馴染んできたとは言え、こういうものを目にすると心の奥からじわじわ不安が染み出してくるようだった。しかし、それでもある程度平静にそれを受け止めている自分に気付いて、椎子は少し複雑な気分を味わった。
椎子たちは長い階段を上り、その先にある家の中に通された。
「――兄貴!」
中ではちょうど議論がされている最中のようだったが、マッシュはそれを遮るのも構わずに声を上げた。
「マッシュ! 無事だったか」
応じたのは部屋の奥にいた、長身の男だった。同じ金髪碧眼、一目見て彼らが兄弟だとわかる。マッシュほど体格がよくはないが、面差しはよく似ていた。
彼はすぐに、マッシュの後に続いてきた椎子の方に視線を投げた。
「そちらは……」
「は、はじめまして、あの、私、椎子といいます。えーっと、迷子をやってます」
緊張して、ついでに妙なことまで口走ってしまう。
「迷子……なの?」
彼の横にいた女性が、おっとりと首を傾げた。その拍子に、緑がかった不思議な色合いの髪が肩で揺れる。
「いえ、その」
椎子は失言をごまかそうとして、不意に口をつぐんだ。改めて目にした彼女の姿に、違和感を覚えたからだ。
何だろう、彼女の体のうちから、何かを感じる気がする――
「ガウ、ガウ!」
「あっ、それで――」
不思議な感覚は、見極める前に霧散してしまった。
「こっちがガウくんです」
ガウの紹介をすると、最後に部屋に入ってきたカイエンがきっちりと頭を下げた。
「フィガロ国王エドガー殿か。拙者は、ドマ王国のカイエンでござる」
「ドマの? では、まさかドマは――」
マッシュの兄――エドガーは、その先を言いよどんだ。カイエンがここに来たことで、大よその察しはついたのだろう。カイエンは頷いて、声を絞り出すようにして言った。
「そのとおりでござる。ケフカに毒を流され、ドマの者は皆……」
「カイエンさん……」
椎子は何も言えずに、その震える背中に手を置いた。
部屋のあちこちでは、慨嘆の声が漏れている。
「長老」
厳しい風貌の老人が、正面に立つナルシェの長老に声をかけた。その声には何かを促すような響きがあった。
長老はカイエンの言葉を聞いている間ずっと渋い顔をしていたが、それからさらに眉間の皺を深めて口を開いた。
「それはドマがリターナーに協力していたからではないのか……ナルシェに、その二の舞になれと言うのか?」
「まだそんなことを」
声をかけた老人がかぶりを振る。
椎子は眉を顰めた。どうやらひどく揉めているようだが、どういう状況にあるにせよ、カイエンの前でそのようなことをはっきり言ってほしくはない。
長老はなおも言い募る。
「ナルシェはどちらの味方もしない、あくまで中立だ。こちらがそう決め込んでいる限り、帝国の方とて無闇に手を出してくるようなことは――」
「そんなことはない!」
突然、大きな否定の声が場に投げ込まれた。頭にバンダナを巻いた男が部屋に飛び込んでくる。
「――ロック!」
皆の視線を集めて、その男が告げた。
「中立を決め込んでいる限り、だって? 帝国はもうすぐここにやって来るんだぞ!」
「何!?」
部屋中がどよめく。
椎子も息を呑んだ。あの帝国軍が、ナルシェに攻め入ってくる!
「ロックよ、その情報はどこで?」
先程の老人が、前に進み出て尋ねた。
バンダナの男、ロックは、それには答えずに後ろを振り返った。すると、背後に控えていたらしい人物が部屋に入ってくる。すらりとした体躯の、凛然とした雰囲気の女性だ。
彼女からだ、とロックは皆に向き直った。
「……帝国の」
エドガーがほんの僅かに動揺の混じった呟きをこぼす。
「ああ、セリスは帝国の将軍だったが、向こうのやり方に疑問を持ってリターナーに――」
「そうであったか!」
出し抜けに、カイエンが怒号を発した。遮るところにいたガウを椎子の方へ突き飛ばし、セリスの前に立つ。
「わっ、だっ、大丈夫?」
「ウウ……」
ガウは小さく呻いて、怒るでも嘆くでもなく、ただカイエンを見やった。つられて、椎子も視線を移す。
「マランダ国を滅ぼした、悪名高いセリス将軍! この、帝国の犬め!」
カイエンは憤怒の形相でセリスを罵倒する。セリスは一瞬だけ眉根を寄せたが、甘んじてそれを受けようとするかのように目を伏せた。
「お、おい、カイエン――」
制止しようとしたマッシュに目もくれず、カイエンは腰の刀に手をかける。
「そこになおれ! 成敗して――」
「カイエンさん!」
椎子はカイエンに飛びついた。
「シイコ殿! 放すでござる!」
「だ、駄目ですっ! こんなところで刀を抜いたりなんかしたら危ないですよっ、ねっ!?」
必死で取り縋るが、カイエンは歴戦の戦士である。力で敵うはずがない。
「待ってくれ!」
ロックがカイエンに立ち塞がる位置に飛び出した。
「彼女はもう帝国を出た! リターナーに協力すると約束してくれたんだ!」
「信用ならぬ! どきなされ!」
「セリスは信用できる! 俺はこいつを守ると約束したんだ! 俺は、一度守ると言った女を決して見捨てたりはしない!」
躊躇なしに言い切るロックの背に、セリスが戸惑うような視線を向けた。カイエンはいくらか気圧されたようだったが、そこで引くことはしなかった。
「この――」
椎子の手を振りほどいて、刀を抜く。その切っ先を、セリスに――ロックが自分の背に彼女を庇い込むのを見て、椎子は叫んだ。
「駄目!!」
しん――と辺りが静まり返る。
全員が、驚いたように椎子を見ていた。
……何が起こったのだろう。
周囲を見回して、椎子はぼんやりと他人事のように考えを巡らした。時間にして見ればほんの幾秒かのことだったが、椎子の思考はその間、自分の体とは完全に分離していた。この静けさの理由も、注目されている理由もまるでわからない。
ただ何だか、手がじんじんと痺れているような気がする。
「シイコ殿!?」
「シイコ!」
マッシュとカイエンが、ほぼ同時に声を上げた。
二人の視線を辿り、椎子は自分の両手に目を落とした。それで、ようやく事態を理解した。
「うわあ! 痛ー!!」
次の瞬間、全力で悲鳴を上げてしまった。
「って、オイ、今気付いたのかよ!」
「……す、すみません」
目の前のロックに突っ込みを入れられたので、思わず謝る。
そう、椎子は勢いで、カイエンの刀を引っ掴んでいたのだ。それも刃の部分を。手のひらからは、普段目にしたことのないような量の血が滴っている。
どうしよう、自ら流血沙汰を引き起こしてしまった……
椎子の心中はやってしまった感でいっぱいだった。これでは騒ぎは収拾するどころかますます大きくなってしまう。しかも、当たり前だがものすごく痛い。
「シイコ殿、何という無茶を……!」
「む、無茶って、カイエンさんがいきなり斬りかかろうとするからですよ!」
椎子はやけっぱちになってカイエンに食ってかかった。
「この人は全然知らない場所に一人で、それも敵のところにやって来たんですよ! なのにどうして、何も聞いてあげようとしないんですか!」
「しかし、この女は――」
「この人がどんな悪いことをしてきたのかはわかりませんけどっ、でも、敵だからって理由で簡単に人を傷つけていいはずないと思います! そういうやり方が一番よくないって、カイエンさんは知ってるんじゃないんですか!?」
「……!」
カイエンはぐっと言葉を呑んだ。
椎子は言いたいだけ言ってしまって、カイエンの足元にへたりこんだ。いまだに刃を握ったままだったので、変な格好になる。出血は相変わらず続いているが、もうあまり痛みを感じない。
「シイコ、刀を放すんだ」
マッシュがやって来て、椎子の隣にかがみこんだ。
「や、やってるんですけど、指が動かないんです」
「……じっとしていて」
血まみれの椎子の手に、白い手が重ねられる。顔を上げると、緑の髪の女性が側に膝をついていた。
「ケアル!」
彼女の手のひらから淡い光が溢れた。その光に触れる部分が熱い。
ふっと光が収まると、固く握られていた椎子の手は開いていて、傷ひとつ残っていなかった。
「今のは……」
呆然とする椎子に小さく微笑んでみせ、彼女はカイエンを仰いだ。
「私も、帝国の兵士でした……」
カイエンは険しい表情になったが、椎子の方を見て唇を噛み締めた。
「確かに、帝国は悪だ」
エドガーがカイエンに歩み寄る。
「――だが、そこにいた者全てが悪ではない」
そう言って、部屋にいる皆の顔をぐるりと見回した。
マッシュがカイエンの肩を叩くと、カイエンは顔を伏せ、それ以上言葉を発することのないままのろのろと刀を収めた。