12
ナルシェの長老が抗戦を決断したことで、部屋の中は一気に慌しくなった。「大変なことになってきちゃったな……」
部屋の隅で壁に背を預けていた椎子は、小さく呟いた。出てきた言葉は軽いものだったが、その調子はずっと重かった。
何やら帝国の目的の物が谷の上にあるということで、リターナーはそこで帝国軍を迎え撃つことになった。椎子の視線の先では作戦の話し合いが行われている。話は聞き取れるが、あまりついてはいけない。それでもこれから起きるだろう争いのことを思うと、胸がざわついてたまらなかった。
懸念は他にもあった。軍議には、カイエンとセリスの二人ともが参加している。カイエンは今は平静なように見えるが、その胸のうちはどうなのだろう。
椎子は自分が間違ったことをしたとは決して思っていないが、衝動だけで行動してしまったことは後悔していた。これまでカイエンの悲憤を間近で見てきて、少しはそれを理解しているつもりだ。ならば、止めるにしてももっと他にやりよう――例えば彼の傷をこれ以上拡げることのないような――があっただろう。
……って、そう考えること自体が、思い上がりなのかなあ。
椎子が不安を持て余して煩悶していると、ふと、マッシュと目が合った。マッシュはカイエンの方をちらりと見やって、その後椎子に向かって軽く頷いた。
少しほっとする。マッシュが一緒にいれば、カイエンはきっと大丈夫だ。
後は――椎子の隣には、同じく蚊帳の外のガウがいる。珍しいことに、ガウは先程からずっと大人しくしていた。それが気にかかって、椎子はガウに話しかけた。
「……どうかした? ガウくん」
ガウ視線を落として、じっと椎子の手を見つめていた。
「シイコ、 もう痛くないのか?」
「あ――うん。怪我なら、治してもらったからもう大丈夫だよ」
「ほんとか?」
ガウは顔を上げて、おそるおそるといった様子で問いかけてきた。
「うん、ほらね」
開いた両手を差し出してみせると、ガウの表情がようやく晴れる。それほどまで心配してくれていたのだと知って、椎子はひどく申し訳なくなった。
よしよしとガウの頭を撫でる。
「ごめんね、ガウくん。びっくりしたよね」
「……仲間きるの、よくない」
ガウが深刻そうにそう口にしたので、椎子は手を止めて目をぱちぱちさせた。
「それは……そう、だけど。でも、さっきのだったらカイエンさんは悪くないよ。私が考えなしだったせいだし……」
「カイエン、きろうとした、いいのか?」
「えっと……」
重ねて問われた言葉に、もう一度大きく瞬きをする。意味を呑み込むのに数秒を要した。つまりカイエンがセリスに激昂した時のことを言っているのか。だとしたら――
「……よくない、ね」
セリスの素性がどうであれ、カイエンが言い分も聞かずに彼女を手にかけようとしたのは確かだ。
もしかしたら……と、椎子は考える。
ガウはカイエンの中に父性を見ていたのだろうし、カイエンもずっとそのように接してきた。だから、彼があのように憎悪を剥き出しにする姿を目の当たりにしたのは、ショックだったのかもしれない。
「……でも、よくないことをしないようにするのって、難しいよ。いつもできるわけじゃないし、間違えることもあるし……そういうのってしょうがないよ」
椎子は言葉を選びながら、ゆっくり続けた。
「もちろん、ガウくんが言ってることは間違ってないよ。だから、そうやってよくないって感じたこと、ちゃんと伝えてもいいんじゃないかな。そういうことができるのも、仲間ってもの……」
口にしてから無性に恥ずかしくなって、椎子は早口で話を締めた。
「だと私は個人的に思います。うん」
「……むずかしい」
「そ、そっか」
がくっと気落ちする椎子に、ガウは明るい声で告げた。
「でも、わかった! ガウ、行ってくる!」
「あ、後で、後でねっ、今忙しい時だからっ」
ガウはもういつもの調子に戻って、話し合いの中に乱入しようとする。
それをあたふたと引き止めながら、椎子は改めて実感した。
……カイエンさんを止められてよかった。
たぶん、椎子はたくさんのものを守れたのだろう。やり方がまずかったのはあるが、それは――
「……私も、後で謝りに行こうかな」
「シイコ、なにをあやまる?」
「うーんと……いろいろ」
呟きを聞きつけてきょとんとしたガウに、椎子は少しだけ苦く笑った。
「シイコ」
「あ……」
椎子とガウが話し込んでいる間に、戦いの準備が整ったらしい。皆一様に部屋から出て行く中、マッシュが椎子たちの方へやって来て、声をかけた。カイエンは先に行ってしまったようだった。
「マッシュさん。あの、私は……ここでお留守番ということになるんでしょうか」
「ん、そうだな。何かあればジュンに従ってくれ」
ここの家主だ、とマッシュは奥にいる温厚そうな老齢の男を指し示す。椎子は頷いた。
「わかりました」
「ああ、あとガウもな」
「おいら、行けないのか?」
ガウが不満そうな声を上げたが、
「そうだ。シイコのこと、頼んだぞ」
ぐしゃぐしゃと荒っぽく頭を撫でられながらそう言われると、すぐに納得した。
「たのまれた、たのまれた!」
そのまま、跳ねるように部屋の中を駆け回り始める。
「ガ、ガウくんっ、そんな人様のおうちで……」
椎子がガウを嗜めようとしたちょうどその時、ふう、と頭上から溜息が降ってきた。
「まったく……」
「マッシュさん? ――わーっ、かっ、髪がっ」
振り仰ぐと、今しがたガウにしていたように遠慮なしにぐりぐりやられた。
必死に髪を整える椎子に、マッシュはもう一度溜息をついた。だが、その口元はほころんでいる。
「もうあんまり無茶するなよ、シイコ。これ以上ハラハラさせられると、寿命が縮まっちまう」
「う……すみません」
先程のことを言われているのだとすぐに気付いて、椎子はしおしおと頭を下げた。ガウと二人してそこまで心配してくれていたのだと思うと嬉しいが、その嬉しさを自覚するとさらに心苦しい。
「シイコ、なーに笑ってんだ」
「こっ、これはいろいろと葛藤がですねっ、ってもうやめてくださいよー」
身を捩って、面白がるマッシュの手から逃れる。
そこで、また椎子に声がかかった。
「あー、シイコ、だっけ」
「あ、ええっと、ロックさん……?」
外へ向かう一団から離れて歩み寄ってくるのは、ロックだ。エドガーも一緒だった。二人して一体何事かと思い、チラッとマッシュを見上げたが、彼も心当たりはないようだった。ではこれからのことに関するような用件ではなく、何か個人的なことなのか――疑問は、次の瞬間には氷解した。
「さっきはセリスを庇ってくれて助かった。ありがとうな」
「え……そんな、わざわざ」
「そう小さくなるなって。一言、言っておきたかっただけだからさ」
ロックは僅かに膝を折って椎子と目を合わせると、気さくに笑って、恐縮する椎子の肩を叩いた。その動作からして……どうもかなり、子供扱いされている。童顔なのか随分若く見えるロックだが、そんなに歳が離れているのだろうか。
椎子が複雑な思いに駆られていると、今度はエドガーが前に出た。そして、マッシュの兄らしくとんでもないことを言った。そのベクトルは、弟とはまったく異なっていたが。
「ああ、まったく、私も君の勇気には感服してしまったよ、勇敢なレディ」
「は?」
椎子はぽかんとして、エドガーの顔を見た。
最初に会った時は顔立ちの似寄りの方に目がいったが、こうして見れば、マッシュよりも輪郭が細いせいか女性好きのする眉目秀麗さである。椎子はパッと頬が熱くなるのを感じた。しかし、どちらかと言うと困惑の方が大きい。
エドガーはもう一歩距離を詰めて、椎子の手を取るとさらに続けた。
「だが、君のこの可愛らしい手が傷ついたのはいけない。これからはどうか、君が傷つくことに心を痛める男もいるということを覚えておいてくれないかい?」
「は、はあ……」
椎子は呆然とするしかなかった。
これはもう気さくとか子供扱いとかいう次元を飛び越している。いや、それよりも。
「お、お兄さん……あの、手を離していただきたいのですが……」
「兄貴、シイコが困ってるだろ」
「わっ」
と、マッシュに肩を掴まれ、エドガーからやや乱暴に引き剥がされる。椎子は驚いてマッシュを仰ぎ見ようとしたが、しかし後頭部がマッシュの胸にくっついてしまって、表情までは窺えなかった。
エドガーは、マッシュの行為に大して気を悪くしたような素振りも見せず、代わりに意外そうにマッシュをつくづくと眺めた。
椎子と見比べて「なるほどな」などと、一人で興味深げに頷いている。
「……兄貴」
「ああ、わかったマッシュ、そう睨むな」
よくわからないやりとりだったが、何はともあれ助かったので、椎子はそれ以上は気にしないことにした。
「あの、もう大丈夫ですよ?」
「ああ、悪いな」
声をかけると、マッシュはすんなりと体を離した。
「? いえいえ」
礼まで言うとエドガーへの嫌味になってしまうので、そこで口をつぐんでおく。
兄弟二人の姿を改めて見て、椎子は思った。
……何と言うか、すごい兄弟だなあ。
心の中だけにとどめておいたつもりが、声に出てしまっていたらしい。
「それは俺も同感」
隣でロックが深々と頷いた。