13
皆が谷に向けて雪道の中に姿を消した後も、椎子はずっとドアの外に立ち尽くしていた。この世界に来てから、戦いに向かう人を送り出すのは初めてではなかったが、今まで以上に不安を感じる。何しろ相手は強国の軍隊なのだ。
「……いつまでもそこにいては寒かろう」
と、後ろから声がかかる。家の中を振り返ると、家主の老人が立っていた。
「ジュンさん……」
「入りなさい。茶でも淹れよう」
「あ、ありがとうございます」
このままいつまでも外を見ていても仕方がないし、この家主にも迷惑だろう。そう思い、椎子は素直に応じて部屋に戻った。
ガウははしゃぎ疲れたのか食べ物を与えられているからなのか、暖炉の側で大人しくしている。
お茶をもらって一息ついてから、椎子はふと思い立って尋ねてみた。
「あの、谷の上には何があるんですか?」
「幻獣じゃよ。魔大戦で氷漬けになった幻獣じゃ」
「……えーっと」
ジュンは快く返してくれたが、正直ちんぷんかんぷんだった。
「す、すみません、一から説明していただけませんか?」
「ふむ?」
「その、魔大戦っていうのがまず何なのかな、と……」
その質問をするには少し勇気が要った。自分がこの世界の人間ではないと、はっきり宣言しているのに近いように思えたからだ。
しかしジュンは一瞬訝むように目を細めはしたものの、先の問に対するのと同じように穏やかな調子で説明してくれた。
「魔大戦というのは千年前に起こった魔導士と幻獣との戦争のことじゃ」
「魔導士? でも、魔法を使える人はそんなにいないんですよね?」
「今となってはな。魔法は一度、世界から失われた力。しかし帝国は幻獣から魔導の力を得、再び復活させたのじゃ」
では、帝国はさらに魔法を手に入れるために、今もこうして攻め込んできているのか。今だって十分に力を持っているはずなのに……暖かい室内にいるにもかかわらず、その貪欲さに寒気すら感じて、椎子は自分の腕をさすった。
「じゃあその幻獣って――」
椎子がさらに問を重ねようとした時、部屋のドアが荒々しく開いた。
「何事じゃ!?」
ジュンはすぐさま席を立ち、足早に様子を見に向かう。
戸惑い気味に遅れて立ち上がった椎子は、そちらに目をやって息を呑んだ。
部屋に辿り着いてそのまま力尽きたのか、ナルシェのガードが倒れている。その体は雪と血にまみれている。少し離れた場所の椎子にも、彼がひどい傷を負っていることは見て取れた。
「これはいかん、早く手当てせねば……」
「あ、て、手伝います!」
呆然としていた椎子は我に返って、ガードを助け起こすジュンの方へ駆け寄った。
「すまぬな、それでは――」
しかし、椎子に指示を出そうとしたジュンを遮ったのは、他でもないそのガード自身だった。
「……手当ては必要ありません。時間がない」
「一体どうしたのじゃ?」
「ケフカの軍が麓の部隊を破り……」
苦痛からか、ガードの言葉は途中から呻きに近いものに変わったが、ジュンはそれだけで事態を把握したらしい。彼の顔にも焦りが浮かぶ。
「何と――では、谷への伝令に? しかし、その怪我では……」
「……そんなによくない状況なんですか?」
二人の様子に、椎子はおそるおそる口を挟んだ。
「うむ……数では向こうが勝っておるからの。ガードたちで戦力を分散させ、なるべく有利な地形に誘導する手筈だったのじゃが……」
「つまり、谷に向かった皆さんに、それが失敗したってことを伝えればいいんですよね?」
椎子がそう言うと、ジュンはその言葉の真意を窺うように椎子の顔を見た。
「――そのとおりじゃ」
それでも、若干の間の後に頷く。
椎子はジュンの顔をしっかりと見返して、言った。
「じゃあ、私が行きます!」
「ガウ! シイコ、どこ行く? ガウも行くぞ!」
勢い込んで大きな声を出した椎子に反応して、ガウがぴょんぴょん駆け寄ってきた。椎子は目を丸くして、しかしすぐに笑顔を浮かべる。
「ガウくん……うん、ガウくんが一緒に来てくれたら心強いな」
「ガウ、ガウ!」
二人のやりとりに、ジュンは眉根を寄せた。
「戦場に向かうのじゃ。……危険じゃぞ」
ジュンはそう念を押しただけで、けれど椎子を引き止めようとはしなかった。このガードにこれ以上歩く体力など残っていないのは明らかなのだ。
「危ないと感じたら、無理をせずに逃げなさい。いいかね?」
「……はい。でも、一人じゃないですし、大丈夫ですよ」
隣にいるガウの手を握る。ジュンの懸念を払拭するというよりは、自分に言い聞かせるための言葉だった。
しかし、雪の山道を急いで進むのは想像以上に難儀だった。
意気込みは十分すぎるほどだったが、如何せん体力が続かない。
「ちょ、ちょっと、無謀だった、かも……」
椎子はぜえぜえと息を切らせながら、前を歩くガウの後についていく。と言っても、ほとんどガウに引きずられているような格好ではあるが。ガウはさすがに獣ヶ原で育っただけあって、疲れた様子はない。
これなら、ガウ一人に任せたほうがよかったかもしれない。その方がきっと早かっただろう。今からでもそうした方がいいかもしれないとちらりと思ったが、ガウに伝言を頼むというのはそれはそれで不安がある。
「ガウくん?」
ふと、ガウがきょろきょろと頭を動かしているのに気付いて、椎子は声をかけた。
「何か見つけた?」
「ウウ……イヌのにおい、する」
「犬!?」
椎子は飛び上がった。さりげなくガウの背中に寄る。
「こ、こっちに来てるの? 野犬かな、モンスターかな」
「におい、こっちからする」
「わわ、どうしよう……」
足を止めたガウが指差したのは、二人が向かっているのとは逆の方向だった。椎子はまだ何の姿も見えない白い道を振り返ってガタガタ震えたが、
「……あれ? 待って、まさか犬って」
――軍用犬。
思い浮かんだ単語に、サッと顔色を変える。さらに尋ねてみれば、他にも人間の気配がすると言う。これは――まずいかもしれない。
もし帝国軍が近くまで迫っているのだとしたら、追いつかれたらおしまいだ。軍隊を相手取るなどできっこないし、何より谷にいる皆に状況を伝えられない。かと言って、このまま二人で逃げ切るのは――
「ガウくん!」
「ウ?」
椎子はガウに向き直って、その両肩に手を置いた。
少し躊躇ってから、それでも意を決して口を開く。
「……ガウくんなら、一人でも皆のところに行けるよね?」
「ガウ!」
「そっか。じゃあ、皆に会ったらこう伝えて」
椎子はガードに託された伝令の内容を何度かガウに復唱させた。
それには大人しく従ったガウだったが、その後に困ったような顔をして聞いてきた。
「……シイコ、一緒に来ないのか?」
「私は――」
その先の言葉は呑み込んだ。
一緒に行ったって、きっとガウの足を遅らせるだけだ。
でも、と椎子は思う。
でも、だったら私は、何がやれるんだろう?
私は戦えない。速く歩けない。……だったら。
「あ、後から、行くよ」
声が震えないか気が気でなかった。何とか、笑えたとは思う。
……私は、私にできることをしなくちゃ。
どうにかしてガウを言いくるめて先へ行かせてから、椎子は来た道を振り返った。
怖がりな心臓がばくばくうるさい。
それは、ほどなくして真っ白な視界に茶色の軍服がちらつき始めてからも、一向に静まることはなかった。