17
日の光を照り返す石壁が眩しい。椎子は首が痛くなるほどに上を振り仰いだ。
チョコボを駆って砂漠を横断した末に辿り着いた、フィガロ城である。ナルシェへ向かう途中にも目にしたが、それは随分離れたところからであって、こうして間近で見ると迫力がまったく違う。
先に砂の上に降りていたセリスが、いつまでもチョコボに乗ったままの椎子に声をかけた。
「シイコ、降りられる?」
「……難しいです」
正直に答えると、降りるのに手を貸してくれた。
先を行くエドガーに続いて、立派な門扉をくぐる。その時に、門兵がセリスに対して一瞬不審そうな表情を見せた。気付いて、椎子はそっとセリスを窺ったが、本人が特に気にした様子はなさそうなのでほっとした。
歩きながら、椎子は遠慮がちに視線をさ迷わせる。西欧の建築様式とは趣が違うように感じるが、砂漠の真ん中にあるのだからそんなものなのかもしれない。
「よそ見ばっかりして転ぶなよ、シイコ」
「わっ」
ロックに頭を小突かれて、椎子は辺りを見回すのをやめた。
「ロックさんってば、普通に注意してくれればいいのに」
「ああ、悪い悪い。シイコの頭がちょうどいい位置にあるから、ついな」
むむ、と椎子は眉根を寄せた。口調が少しも悪いと思っていないふうだ。どうもロックの中では、椎子は弄りやすいキャラとして定着してしまっているような気がする。
「ロックさんは、いつもとおんなじですね」
「ん?」
「……ええと、つまり、前にもこのお城に来たことがあるんですか?」
この中で、落ち着きなくそわそわしているのは椎子だけなのだ。エドガーは城主なのだから当然だし、元帝国将軍のセリスはこの城を訪れる機会があっただろうということも想像がつく。まあ、そうでなくてもこの二人なら平然としているだろうが。失礼ながら、ロックはこの場に縁があるようにはあまり見えない。
「俺? 俺はリターナーとフィガロのパイプ役だったからな。城に入るのも顔パスだぜ」
ロックは得意そうに胸を張った。割と自慢らしい。
「ということは、普段からリターナーでお仕事してるんですね、ロックさんって」
「本業はトレジャーハンターだけどな」
「……はあ」
およそ現実味のない職業だ。椎子が首を傾げていると、思うような反応が得られなかったらしくロックは目に見えて気落ちした。何だか気の毒になったので、重ねて質問してみる。
「それって、どんなことをするんですか?」
ロックはすぐに気を取り直した。
「それはだな……」
「泥棒だよ」
二人のやりとりをずっと聞いていたのか、先頭のエドガーが振り向いて、笑顔で先回りして言葉を継いだ。
「ど、どろぼう?」
「おいっ!」
咄嗟に椎子が反応できないでいると、ロックがエドガーに食ってかかった。
対するエドガーは涼しい顔である。
「嘘は言っていないぞ、私は」
「全然違うっての!」
「じゃ、じゃあ、具体的には何をするんでしょう?」
とりなすために、椎子はそう尋ねた。
ロックはごほんとわざとらしい咳払いをして、胸を反らす。
「冒険だな。世界中の遺跡や洞窟でお宝を探し出すんだ」
「……えーと」
椎子はフォロー不可と判断した。
「犯罪ですよ?」
「だから違うって!」
ずっと黙って付いて来ていたセリスが深刻そうに呟く。
「そういえば、サウスフィガロでも思い当たる節がいくつか……」
「セリスも信じるなよ――って、思い当たるのか!?」
ロックはショックを受けて頭を抱えた。図らずしも、椎子はロックにやり返すことになったようだった。
椎子は、夜半に目を覚ましてしまうことがあまり好きではない。
目の前の天井を、椎子はぼんやりと見つめていた。フィガロ城の客間の天井だ。この世界に来てからひとところに留まったことがないので、目を覚ますたびに違う天井を眺めている。それが、椎子には何だか不思議だった。
明日――正確には今日かもしれない、ゾゾというところへ向かうことになっている。地図と照らし合わせて、その近辺にティナがいるはずだということがわかったからだ。それには山脈を越えないといけないのだが、フィガロ城は何と砂漠を潜航して山の向こうへ移動することができると言う。
部屋の中は月明かりで随分明るい。椎子の呼吸の音以外は、何も聞こえなかった。機関室の老人は夜の間に移動すると言っていたから、もう城は別の砂漠に浮上しているのだろうか。
寝返りを打つ。ベッドは町の宿屋のものよりずっと大きい。シーツの手触りは滑らかで、このベッドで熟睡できないのは少しもったいない気がした。しかしいやに目が冴えていて、再び眠りに陥るのは難しそうだ。
今頃、ティナさんはどうしているかな……椎子は目を瞑って考えた。モンスターとの戦いや長距離の移動のせいで、昼間にはあまりこうしてゆっくり物思いにふける余裕がない。
ティナとは、きっとすぐに会えるはずだ。ナルシェにいた時よりも、ティナの存在を近くに感じる。
……ティナに会えたら、今度は元の世界に帰る方法を探さなくてはいけない。ケフカに会って。彼は椎子がこの世界にやって来た瞬間に立ち会ったのだから、必ず何かを知っているだろう。
(けれど、どうして私は彼女の気配を感じ取れるのだろう。そんなのはおかしい。)
(たとえ会えたって、あの人が簡単にそれを教えてくれるようには思えない。それに、帰る方法なんて本当に存在するのだろうか。)
だんだんと思考が後ろ向きになってきて、椎子はそれを振り払うように起き上がった。
長い夜は嫌いだ。考えたくないこと、考えないようにしていることまで思い起こしてしまう。
椎子は足音を忍ばせて部屋から出た。
隣の部屋にはセリスがいるはずだが、閉ざされた扉の向こう側は静まり返っていて、彼女の存在を感じさせない。気が滅入っているせいか、それだけのことにも寂しさを感じる。
冷たい廊下を歩く。無性に心細かった。この世界で最初に過ごした夜もそんな気持ちに陥ったが、その時は――
「シイコ?」
椎子ははっと現実に引き戻された。いつの間にか、玉座のある広間までやって来ていた。ちょうど天窓から光が差し込む場所に、エドガーが立っている。
「あ……こんばんは」
頭を下げてから、咄嗟に自分の格好を確かめる。寝起きの姿だが、見苦しいほどではない。
エドガーも挨拶を返しながら、こちらに歩み寄ってきた。
「こんばんは。こんな時間にどうしたんだい? 急ごしらえの部屋では眠れなかったかな?」
「いえっ、そんなことは!」
椎子は慌てて、勢い込んで言った。
「あんな立派なお部屋に泊まらせてもらって、とっても感謝しています!」
大真面目な顔で言い切った椎子に、エドガーは一瞬閉口した。その後に、小さく吹き出す。それを見て椎子はエドガーの言葉をおおげさに受け取ってしまったのだと気付き、顔を赤くした。
「はは、安心したよ」
エドガーが柔らかい笑みをこぼす。
「さっき、セリスにも会ったからね。レディたちのご不興を買ったのかと心配をしてしまった」
「そんなことはないですが……セリスさんに、ですか?」
椎子は驚いてエドガーを見返した。
「ああ、君が来る少し前にね。廊下で会わなかったかい?」
すると、錯覚などではなくあの部屋は本当に無人だったのか。帝国とリターナー、これまでとは正反対の立場に立ったのだ、セリスにも憂慮があるのかもしれない。
そんなことを考えて、椎子が押し黙ってしまうと、
「――シイコ、部屋に戻るのなら送るよ」
エドガーがそう切り出した。
「あ、私は……もう少し」
少し迷った末に、断る。今戻ったところでどうせ眠れまい。エドガーはすぐに引き下がったが、代わりに別のことを提案した。
「そうかい? それじゃ、いいところに案内してあげよう」
はあ、と戸惑いながらも頷いた椎子は、エドガーに連れられて広間を出た。どこに行くのかと何度か尋ねたが、彼ははぐらかすばかりで答えてくれない。
少し歩いて、その先にあった長い階段を上る。上り切ると、そこには満天の星空が広がっていた。
「わ……」
城の屋上だ。真夜中でも月明かりは眩く、眼下の砂の大地も遠くの山の稜線もはっきり見えるほどである。その景観に息を呑んでいる椎子に、エドガーが微笑んだ。
「なかなかのものだろう」
「はい……あの、ありがとうございます」
よほど沈んだ様子を見せてしまっていたのだろうか、少々自分に不甲斐なさも感じるが、エドガーの気遣いは嬉しい。椎子はお礼を言って、しばらく景色に見入った。椎子がそうしていると、エドガーも何も言わなかった。
あの山の向こうにはティナがいる。きっと一人で心細いだろう。でも、この空を見て、少しは心安らかになってくれるといいな。椎子はそう思った。
「マッシュさんは、今回里帰りできなくて残念でしたね」
ふと、何とはなしに思いついたことを口にする。
「ああ、城の者も残念がっていたよ。あいつがここを出てから、もう十年になる」
「……十年!?」
エドガーはさらりと応じたが、椎子はぎょっと目を見張った。リターナーに入る前は修行をしていたとは聞いていたが、まさかそんなに長い間のことだったとは、思いもしなかった。
「昔は私より小さかったのに、随分大きくなった」
「小さいマッシュさんなんて想像できないなあ……」
椎子が呟くと、エドガーは苦笑した。それから、懐かしそうに目を細める。
「ここで私たちは互いの道を選んだんだ。王位と自由とをね」
「選んだ?」
意外な言葉に、椎子はきょとんとした。兄弟の兄の方が王位を継ぐのは自然なことのように思うが、違うのだろうか。
「そうだよ。こうやって――」
エドガーの右手が何かを宙へ放る。月明かりを弾いて輝くそれは、まっすぐ上へ飛んだ後、再び彼の手のひらに収まった。……一枚の金貨だ。
「コインで……ですか」
その表裏で道を決めたというなら、何とも豪胆なことだ。マッシュの兄らしい。
「じゃあもしかしたら、お兄さんの代わりにマッシュさんが王様になることもあったかもしれないんですね」
「さて、それはどうかな」
「えっ?」
面食らった椎子に、エドガーは笑う。その笑みには昼間に見せたのに似た、いたずらっぽい含みがあった。椎子は首を傾げるばかりである。
「……ところで」
エドガーは突然真剣な顔になった。
「はい?」
「その、『お兄さん』と言うのは?」
「……あ」
椎子は口を押さえた。
頭に「マッシュさんの」が付くのである。特に深い意味はない。
それに、思えば椎子は何だかんだでエドガーの名をきちんと聞く機会がなかったのだ。それで何となく名前を呼ぶのを避けていたところがあるのだが、どうあれ一国の王様をお兄さんとはさすがにまずかったかもしれない。
「あの、これは……」
「しまった、ナルシェでは名乗ることもしていなかったな。……私としたことが」
エドガーもそのことに気付いたらしい。額に手を当てて、形のよい眉を顰めた。
と、すぐにその表情も見とれるような微笑みにとってかわった。ついと手を取って握られる。
「改めて――フィガロ国王、エドガーだ」
椎子は瞬時に、顔から火が出そうなほどに真っ赤になった。こればかりは何度されたって慣れようがない。
「てっ、手は握らなくても、その、いいと思うんですが――エドガーさん」
「じゃあ、それもコインで決めるのはどうだい? 表が出たら私の勝ち、裏が出たら君の勝ちだ。君が勝ったら大人しくそうしよう」
「……え、えっと」
返答に窮する。このままの状態でからかわれ続けるよりも、二分の一の確率ですんなり手を離してもらえるのは、ありがたい話ではなかろうか。傾いた椎子だったが、そんな考えは輝かんばかりの笑顔で付け加えられた次の一言で完全に消失した。
「私が勝ったら君を口説くチャンスを与えてもらいたいな」
「やっ、やめておきます……!」
万が一にでもそんなことになったら、心臓が破裂してしまう。
……この判断がまさしく正しかったことを椎子が知るのは、ずっと後のことだ。