18
強く手綱を締めると、セリスは速度を落としたチョコボの背から飛び降りた。「セリスさん!」
「シイコはそこから動くな。すぐ戻る」
口早にそう言って、セリスは身を翻した。来た方へ取って返す。何か声をかけなくては――咄嗟にそう思った椎子は、バランスを崩しながらもチョコボの首にしがみつくようにして、身を乗り出した。
「気を付けてくださいね……!」
そんな言葉しか口にできない自分がもどかしい。
椎子の声が、セリスの元まで正確に届いたのかはわからなかった。セリスは振り返らなかったからだ。
風に巻き上げられた砂のつぶてが、ごおごおと音を立てて椎子の体を打ってくる。辺りはまるで砂嵐でも起こっているかのようだった。セリスの目指す先、その砂嵐の中心では、骨だけのドラゴンが砂漠を泳ぎ回るように暴れている。
それは、とてつもなく巨大なモンスターだった。半身は砂に埋まっており、その状態であっても巨大としか言いようがないのだから、本来の大きさはどれほどなのか計り知れない。黒々とした巨躯、爛々と光る赤い目――これまでにも怖ろしいかたちのモンスターを数多く見てきた椎子だったが、背筋の震えを止めることはできなかった。
姿から受ける印象のまま、どうにも厄介な相手らしい。「ドラゴンフォシルだ」と最初に呻いたのはロックだったか。既に応戦しているロックは得物のダガーを抜いてはいるものの、敵の大きさになかなか近寄れないでいる。エドガーの方も何度もボウガンの矢を命中させているが、ドラゴンフォシルは一向に弱る様子を見せない。
「ブリザド!」
セリスが駆けつけざまに魔法を放った。これには幾分か効果があったようで、敵の動きが若干鈍くなった。その時、椎子は自分の体の内側に何か違和感が湧き上がった気がしたが――あまりに微かな感覚だったので、すぐに頭の隅に追いやった。
長期戦になりそうだった。
手綱の繰り手のいなくなったチョコボは、一際強い突風が吹きつけてきた時にはよたよたよろめきはしても、椎子を乗せたまま大人しくその場に留まってくれている。
椎子は鞍に座り直した。手綱を握る。チョコボが怖いなどとは言っていられなかった。相変わらず戦いの傍観者の立場でしかいられないのはじれったいが、せめてできることだけはすると決めたのだ。……あのモンスターの暴れようは凄まじい。こちらに近付いてきた時には、いちはやく逃げ出さなければ。あの大きさだ、もし巻き込まれてしまったら、椎子が邪魔になって皆が戦えなくなってしまう。
いつでもそうできるように、椎子は叩きつけられる砂に耐えて、じっと戦いの様子を観察した。
セリスが再び冷気の魔法を使う。戦闘の流れはセリスが中心になっていた。魔法を発動させるには詠唱がいる。その詠唱の時間を、他の二人が稼いでいる形だ。魔法でじわじわとドラゴンフォシルを追いつめていく。
ふと――そうやって見守っているうちに、椎子は呼吸が苦しくなった。
胸を押さえる。何かが胸の奥で灯っていた。最初は見過ごせるくらいの違和感だったそれは、徐々に熱を増していき、気のせいではすまされない温度になっていく。
……これは、一体何だろう。
自分の身に何が起こっているのかわからない。軽い混乱に陥りながらも、椎子は戦っている皆から目を離さないように努めた。今は、とにかくそうしていなければならない。
皆の動きを見逃さないでおく。たったそれだけのことなのに、それはひどく困難だった。じっとしているのが辛い。それでも堪えて、椎子は前を見据える。
「あ、あれは……っ」
次の瞬間、椎子は思わず声を上げていた。呪文を唱えているセリスの背後の地面が、不自然に盛り上がったのだ。
砂の中から、黒ずんだ巨大な動物の頭蓋が姿を現し、禍々しい鋭さの牙が並んだ口が吠えるように大きく開く――これまでどうやって潜んでいたのか、もう一体のドラゴンフォシルだった。
完全に虚を衝かれた格好で、セリスが振り向く。
「セリス!」
ロックが叫ぶが、最初の一体に手間取っているせいで、駆けつけることができないでいる。
「まだいたのか!?」
エドガーが放ったボウガンの矢が突き刺さった。しかし、セリスに迫るドラゴンフォシルの勢いは衰えない。
「……ひびき、なげきのかぜをこおらせて……」
椎子の舌がひとりでに動いて、音を紡いだ。
先ほど灯った感覚は、もはや燃え盛るような勢いになって、椎子の内側で荒れ狂っている。体と思考が破裂しそうだった。出口を求める力が椎子を内から圧迫する。もう少しも耐えられない。今の椎子は、限界まで膨らんだ風船にそっくりだ。はやく、中の空気(ちから)を抜かなくては、割れてしまう。はやく、はやく、はやく――それだけしか考えられなくなって、椎子は腕を前に突き出した。
「忘却の真実を語れ……」
熱い、すべて溶けてしまうのではないかと思うほどの熱が収束して指先にまで伝わり、
そこから弾ける。同時に、叫んだ。
「――ブリザガッ!!」
眼前には、澄んだ青空が広がっている。
はたと我に返ると、椎子は砂の上に仰向けに倒れていた。叫んだ直後に、チョコボから転落したのだった。少し顔を傾ければ、チョコボが首を曲げて、不思議そうにこちらを見下ろしている姿が映る。
砂嵐は止んでいた。轟音も今はなく、穏やかな静寂が椎子を包んでいる。
体内を吹き荒れていた熱はすっかり消え去っていた。しかし、そのことに妙な爽快感を覚えたのはほんの幾秒かの間のことで、その後にはどっと疲労が襲ってきた。
「シイコ!」
ぐったりしていると、上体を抱え起こされた。まだ呼吸も整えきれていない様子のセリスだ。セリスの肩越しに、エドガーとロックの二人が駆けつけてくるのも見えた。
「あ……」
口を開くと、さあっと頭のてっぺんからつま先までが一気に冷えていって、椎子は気を失いそうになった。
「大丈夫か!?」
ロックの声に、すんでのところで意識が引き戻される。
貧血の症状に近かった。頭痛がひどい。目眩までするが、何とか頷く。
「……モンスターは?」
そっと辺りを窺い見たが、あの巨体は影も形も見当たらない。その疑問に答えてくれたのはエドガーだった。どうしてなのだろう、ひどく深刻そうな顔をしている。
「あれは、もう消滅したよ。……シイコ、君の魔法で」
「まほう……」
……魔法?
その言葉の意味を呑み込むのに、とても時間がかかった。驚きに、目を見張る。
「魔法を……使ったんですか? 私が? まさか――」
椎子は否定しようとして、途中で言葉を詰まらせた。三人の視線がそうさせたのだった。
目眩はまだ治まらず、視界がぐらぐらする。先ほどの出来事を反芻しようとしたが、頭に靄がかかったようで、すぐには叶わない。しかし、徐々にその時のことが思い起こされてくると、椎子はその記憶に打ちのめされた。自分の中に何か途方もない力が湧き上がってきて、それをあのモンスターに向けて解放したのだ。あれが魔法だったのだろうか?
「私……どうして……」
「心当たりはないのかい?」
エドガーの言葉に、椎子はおずおずと頷いた。当然だ。
すると、エドガーは腰をかがめて椎子に顔を近寄せ、さらに尋ねてきた。
「では一つ聞きたい。君は、ナルシェの幻獣がティナに何を言っているのかわかったのか?」
「おい、エドガー」
ロックが眉を顰めて咎めるように彼の名を呼んだが、エドガーはそちらをちらりと一瞥しかせずに、すぐに椎子に向き直った。
椎子は答えようがなかった。それはとても唐突で、意図が掴めない問に思える。そのまま黙っていると、エドガーは続けた。
「ティナは幻獣と……会話をしているように見えた」
「あ、はい……」
確かにそうだった。戸惑いながらも椎子は首肯を返す。
「君はあの時、幻獣の言うことを聞いてはいけないとティナに言っていたね」
わからない。果たして、そんなことを言っただろうか。
「あの……覚えて、ないです」
そう言った椎子を幾秒か見つめてから、エドガーは重々しく口を開いた。
「シイコ。君も、幻獣と何か関係があるんじゃないか?」
「…………」
――ありえない。
この世界の住人ならまだしも、そうでない椎子が幻獣と関わるはずがない。地球上には幻獣なんて存在しないのだから。
しかし、椎子はエドガーに向かってそう反論できなかった。事情を知らない三人の前で、そんなことを言える勇気はないし、それに――
それに椎子は、事実、おそらく幻獣と何らかの関わりを持つティナの気配を辿れるのだ。あのナルシェにいたメンバーの中で、椎子だけが。
幻獣。それで思い当たることと言えば――ケフカだ。最初にこの世界に来た時、レテ川に流される前のあの場所で、ケフカがその言葉を口にしていたような気がする。椎子を実験に使うというようなことも。だとしたら、そのせいで……いや、椎子は幸運にもあの後すぐ逃げおおせた。だが、もしかしたら記憶が混乱してそう思い込んでいるだけなのではないか? 現にこれまでだって、その時のことは忘れてしまっていたのだ。
「わ、私……私は……」
椎子は青ざめて、唇を震わせた。
「エドガー! もういいだろう」
その時、セリスが鋭い語調で遮った。支えていた椎子の肩を胸に抱き寄せる。
エドガーははっとした顔になって、立ち上がった。手をかざすように額に当てる。それは動揺を隠すような仕草に見えた。
「……そうだな。すまない。そんなことよりも、シイコを休ませなくては」
そう口にした時にはもう、いつもの彼に戻っている。
セリスは頷いて、そっと椎子を立ち上がらせたが、椎子はセリスが支えてくれていなくては立っているのもままならない有様だった。
「ジドールまではとても無理だな。……フィガロ城に戻った方がいいかもしれない」
「いや、すぐ北にコーリンゲンって村がある。そっちの方が近いと思うぜ」
ロックがそう提案した。セリスはすぐに賛同し、エドガーの方は何やら物言いたげにロックを見たが、結局何も口にすることはなかった。
コーリンゲン……椎子は朦朧とし始めている頭で何とか周辺の地図を思い描く。
「でも、それじゃゾゾとは――」
真逆の方向である。
「……すみません」
椎子はうなだれた。ロックが笑って、軽口を叩く。
「気にするなよ。こうも砂まみれじゃこのまま先へ行くのも辛いからな、休める口実ができて俺は逆に助かったぞ?」
あれだけティナを案じていたロックだ、こんなところで足止めをされる歯痒さもあるだろうに……彼の気持ちがわかるだけに、その気遣いが身に沁みる。椎子はそれに応えるように小さく頷いた。
幸い、戦いの際にやや後方に取り残されていた残りの二羽のチョコボも、大人しく乗り手を待っていてくれたため、椎子たちは再びチョコボで移動を開始した。
気分が優れないままだということもあって、椎子はセリスの背中に掴まったままずっと黙っていたが、砂漠を抜けた辺りで意を決してセリスに声をかけた。
「あの……幻獣のこと、セリスさんもそう思いますか? 私が……」
言いさして口をつぐんだ椎子に、セリスは平坦な口調で応じた。
「わからない。しかし、ティナとは違う、とは思う。彼女と比べてシイコには魔力がほとんどない」
その分、体に大きな影響が出てしまったのだろう、と言う。セリスのともすれば冷淡とも取れる、淡々とした言い方と率直な言葉は椎子を力づけることはなかったが、また沈ませることもなかった。
私は何者なんだろう。そんなことを考えて、椎子は表情を翳らす。魔法なんて使えるはずがないのに……今なら、ティナの恐怖と不安をありのままに知ることができる。正体不明の力の源と、それが自分の内に潜んでいるというおそれ。
「シイコ」
名前を呼ばれて、思考の淵から引き上げられた。セリスは前を向いたままで続ける。
「今は何も考えなくていい。どうせ、考えても答えは出ないだろう」
「でも……」
「何にせよ、私はシイコに助けられた。それは事実だ。何も悪いことはない」
椎子は目を丸くしてセリスを見上げた。それは、言い方は違うが、ナルシェで椎子がセリスに告げたことと同じものだ。
セリスに回した手に知らず力がこもっていたのだろう、椎子の驚きが伝わったのか彼女は一瞬だけ振り向いた。そしてまた前を向いて言う。
「あの時、シイコは私を受け入れてくれた。だから今度は私が……受け止める番だろう」
「…………」
何も言えなかった。いや、「はい」だとか「ありがとうございます」だとかつまらない返事をしたように思うが、ちゃんとした声にはならなかったのだ。
椎子はセリスの背に顔を埋めた。そうでもしないと声を上げて泣いてしまいそうだったからだ。