19
東の空から、光がやって来た――通りすがった村人がそう噂し合っているのを、耳が拾う。
「ティナさん……ここに来たんだ」
コーリンゲンの村である。
椎子の独り言は、しかしすでに地面に降り立っているセリスにまでは届かなかったようだ。セリスはその呟きには応じずに椎子を振り仰いだ。
「シイコ、手を」
「あ、ありがとうございます」
セリスに手伝ってもらって、危なっかしくチョコボから降りる。足が地に着いた瞬間、また目眩がしてよろめいてしまう。ほんの少し足元がふらついただけだったが、向こうにいたエドガーはそれに素早く気が付いて、
「大丈夫かい?」
と労わりの言葉をかけてくれた。
「あ、はい……」
椎子はちょっと俯く。
彼の態度はもう元に戻っているとは言え、さっきのやりとりを思い返すと、どうにも顔を合わせづらい。
すると、隣のセリスがサッと立ち位置を変えた。ちょうど、椎子とエドガーの間に割り込むように。それはさりげないどころか、あからさますぎる動作で、途端になんだか気まずい雰囲気が漂い始めた。
「まずは、宿だな」
その空気を払拭するように、ロックは明るく言う。
「チョコボはその辺につないでおこうぜ。この村、チョコボ屋がないからな」
「ああ、わかった」
セリスの声音は、幾分かやわらかい。そのことに椎子はこっそり胸を撫で下ろしたが、それも束の間のことだった。
「じゃあ、俺たちは先に行ってる」
ロックが、出し抜けに椎子の手を引いたのだ。
他の二人が返事をする隙も与えず、そのまま村の奥の方へ歩き出す。
「えっ、あっ、ロ、ロックさん?」
このタイミングでエドガーたちを放っておいていいものかと椎子はおたおたしたが、その間にもロックはずんずん先へ進むため、結局、彼の後をついていく格好になる。
椎子は引っ張られながら、何度も二人を振り返った。
でも、セリスがあのような態度に出たのは、椎子のためを思ってなのだろうし……原因の椎子がいない方が険悪にならずにすむのかもしれない。
ロックの足取りには、少しの迷いもない。コーリンゲンへ寄ることを提案した彼だから、馴染みのある土地なのだろうか。
……ふと、ティナのことが心をよぎる。
魔法を使えてしまったことで、椎子でさえこんなに不安なのだ、ティナの苦しみはどれほどだろう。一刻も早くティナを探し出すべきなのに、椎子のせいで皆は足止めされている。
見上げると、太陽はまだ中天に差しかかってすらいない。今からでもチョコボを急がせてゾゾに向かえば、明日には辿り着けるかもしれなかった。
「あの――」
椎子が自分の思いつきを口にしようとした時、それにロックの言葉が被さった。
「あのさ、シイコ」
「は、はい」
ロックが立ち止まったので、椎子も合わせて足を止める。
こちらに向き直ったロックは、言いにくそうに頬をかいた。
「さっきの……エドガーのやつが言ったこと、気にしてるんだよな」
「え、その、ええと、それは……」
単刀直入に指摘されては、まごつくしかない。
へどもどしている椎子にひとつ溜息をついて、ロックは続ける。
「あいつ、魔法が絡むとちょっと人が変わるんだよ。帝国に何年も苦汁を飲まされてきたっていうのもあるんだろうけど……ティナの魔法を初めて見た時の慌てっぷりなんか、すごかったんだぜ」
言って思い出したのか、おかしくてたまらないというように吹き出すロック。
それがあんまり愉快そうで、椎子もつられて笑ってしまった。思い出すと吹き出してしまうくらいものすごい慌てっぷりのエドガーというのは、まったく想像がつかない。
「その場面、見てみたいかも……」
「だろ? 俺も見せてやりたいぜ」
ひとしきり笑った後に、ロックは椎子の肩を叩いた。
「ま、何が言いたいかっていうとだな。シイコはシイコなんだからさ、そんなに悩むなよ。俺もエドガーもセリスも、他の仲間だって、あれくらいでシイコを否定したりしない」
椎子は、笑顔のロックをまじまじと見上げた。
「な?」
「……、はい」
ロックからもらった言葉をかみしめるように、ゆっくり頷く。
不安はまだくすぶっているけれど、こうして励ましてくれる人がいる。この世界にやって来てからだって、ずっと誰かに助けてもらってばかりだった。異世界に来てしまったり魔法が使えてしまったり、次々と予期せぬ事態に見舞われているけれど、それでも椎子はとても幸せ者なのかもしれない。
ただ……そんなふうに考えだすと、ティナのことがまた気がかりになってくる。
ロックがポツリと漏らした。
「ティナがいなくなって一番こたえてるのは、案外あいつだったのかもなあ」
「へっ?」
考えごとのせいで聞き流してしまった椎子だったが、「それじゃ、行くか」とロックがすぐさま歩き出したために、聞き返すタイミングを失ってしまった。内心首を捻りながらも、ロックの後を追う。
ちょうどその時に、背後からしわがれた声がした。
「――ロック? ロックじゃないかい」
見れば、腰の曲がった老婆がこちらに歩み寄ってくるところだった。
「また戻って来たんだね。レイチェルの家には、行ったのかい?」
「ああ……悪い、今、急いでるんだ」
親しげに話しかけて来る老婆に、ロックは驚くほどぞんざいに言い放った。
そして椎子の手首を掴むと、老婆に背を向ける。不意を衝かれた椎子はつんのめりそうになったが、ロックが老婆を振り切るように足を急がせるので、慌てて足を動かした。
「あ、あのっ、いいんですか? お知り合いなんじゃ……お話があるなら、私、待ってますよ」
「いいんだ。話すことなんてない」
ぴしゃりとはねのけられる。
あまりにも硬い語調に、それ以上言い募ることは躊躇われた。それに、こんなふうに冷たい態度を取るロックを見るのは初めてで、何と声をかけていいのかもわからない。
それからずっと会話は途切れたまま、宿にはほどなく辿り着いた。
椎子がこれまで利用してきた宿の例外に漏れず、酒場と建物が一緒になっている。ロックに続いて入口をくぐろうとした椎子は、あるものに気付いてハッとなった。知らず先へ行こうとするロックの上着の裾を思いきり掴む。
「ま、待ってください!」
「げふっ」
手加減なしにやってしまい、ロックは変なふうにのけ反った。
「な、何だ? どうしたんだ?」
「いえ、あ、あのう……」
椎子は口をもごもごさせた。
椎子がこの世で一番苦手とする生物の唸り声が、さっき微かに聞こえた気がしたのだ。こうして引き留めてはしまったものの、あまり堂々として口に出せる理由ではない。けれどロックのこちらを見る目がしきりに先を促すので、椎子は渋々白状した。
「犬が……お、奥に、犬がいる気配がします……」
「は? 犬?」
呆気に取られていたロックはややあって、ぷっと吹き出した。
「シイコ、もしかして……犬が怖いのか?」
「わ、笑いごとじゃないですよ! 私がヤツに食い殺されたら、ロックさんはどう責任を取ってくれるんですか?」
椎子はむきになって食ってかかる。
「食い……って、野犬とかならまだしも、普通の犬はそんなことしないだろ」
「それって、食い殺しにかかってくる犬もいるってことですよね!?」
「いや、今シイコが自分で言ったことなんだけどな?」
おそろしい…と真っ青になって震えだす椎子の手を、ロックは呆れ顔で引っ張った。
「ほら、変なこと言ってないで入るぞ」
「そんなあ、後生ですー!」
抗議の声むなしく引きずられる椎子だったが、中に入るなり、今度はロックの方が立ちすくんだ。
「あいつは……」
「ど、どうしました?」
犬以外に、何かいたらしい。迷った末に恐怖心より好奇心が勝った椎子は、背伸びをしてロックの肩越しに中の様子を窺ってみる。
店内は手狭で、テーブルが窮屈そうに並んでいる。そして、そのテーブルのひとつに、懐かしい黒尽くめの姿を見つけた。
「シャドウさん!」
椎子はぱっと顔を輝かせて、思わず前に駆け出た。
テーブルの下のインターセプターが頭をもたげて、やがて興味を失ったように再び床に伏せる。当のシャドウは、椎子の方にちょっとだけ顔を向けた。いつもの覆面があるからどんな表情をしているかはわからないが、入口であれだけ騒いでいたし、当然、こちらの存在はとうに知っていただろう。
自分が散々失態を犯していたことを悟って、椎子は今更ながらに両手で口を覆った。幸いと言うべきなのか客はシャドウしかおらず、店主の珍妙なものを見るような視線を受け止めるだけで済んでいた。
「……また会ったな」
覆面の下から、低い声が響いた。
それを耳にすると、何故だか緊張してしまう。椎子は直立した。
「は、はいっ。お久しぶりです」
「知り合いなのか?」
ロックが怪訝そうに椎子の袖を引く。
「あ、はい。ナルシェに向かう途中でお世話になったんですけど……」
椎子が言うと、彼はシャドウを一瞥した。その表情は、どこか強張っている気がする。
この辺りのいきさつは、リターナーのメンバーの前でマッシュが語っていた記憶があるのだが、そうか、ロックはナルシェでは臥せっていたから、話の場にはいなかったかもしれない。
……などと考えを巡らせているうちに、不意に椎子は閃いた。そうだ、と手を打つ。
「シャドウさん、私に雇われてくれませんか?」
「…………」
さすがのシャドウにしても突拍子もない提案だったらしく、答えが返ってくるまで間が空いた。
「……金が払えるならな」
「お金は、ちょっとしかないですけど……」
こういうものの相場はどれほどなのだろう。マッシュも、シャドウを道案内に雇ったとは言っていたが、さすがにいくらで、という話まではしなかった。椎子が考えあぐねていると、
「シイコ! 一体何を言い出すんだ?」
それまでしばし呆然としていたロックが、我に返ったように声を上げ、椎子とシャドウの間に割って入る。それが怒ったような物言いだったので、椎子は少しばかりたじろいだ。
「え、えっとですね……シャドウさんにゾゾまで送ってもらって、あ、フィガロ城に戻ってもいいんだ。それとも、しばらくこの村にいるとか……うん、どっちにしても、私は今日はここに泊まります。ロックさんたちは、先にゾゾへ向かってください」
そう、椎子が一人でここに残れば、時間を無駄にすることもないのだ。
ナルシェではまだあやふやだったが、今はもう、ティナの居場所の目星はついている。だから、何も皆の足を遅らせてまで、椎子が無理について行く必要はない。先程言いそびれてしまった思いつきだった。
「そんなこと、できるわけが――」
反論しようとしたロックは、椎子の顔を見て口をつぐんだ。
「シイコ、ここに座るんだ」
椎子の肩を押して、手近な椅子に座らせる。ロックに軽く押されただけで、椎子は糸の切れた人形のようにすとんと腰が落ちてしまった。
「……顔色がひどいぞ。さっきよりも悪くなってる」
「あ……ちょっと、騒ぎすぎたみたいです……」
ロックに言われてようやく、椎子は砂漠で感じた倦怠感がまた戻ってきていることに気付いた。座った途端に目眩が襲ってくる。
「もういいから休もう。な?」
子供に言い聞かせるような口調で、ロックは椎子の頭に手を置く。
「そう……します。あの、でも、皆さんは」
椅子の背に縋るようにして、椎子はひとつ向こうのテーブルにいるシャドウを見やった。
「あの、シャドウさん」
すると、椎子の前に屈んだロックが両肩を掴んできた。強引にロックの方に向き合わせられる。そして、椎子にしか聞こえないくらいに声を潜めて、それでも強い調子で言った。
「待て、シイコ。あいつが何をやってるのか、知ってるのか?」
「え? ええと、お酒を飲んでます、ね……?」
もちろんロックがそんな答えを望んでいるのではないと百も承知しているのだが、とは言えどうして彼が怖い顔をしているのかわからず、椎子はとぼけた返事しかできなかった。
ロックはますます顔を顰める。
「いいか。あの男はな、暗殺を生業にしてる奴なんだ」
「…………」
暗殺?
椎子はロックの言葉を咄嗟には理解できずに、脳裏で反芻した。
「金のためなら親友も殺しかねない――っていうのは、エドガーの言ってたことだけどな。とにかく、関わり合いにならない方がいい」
「で、でも……!」
シャドウは、椎子を何度も助けてくれたのに。
腰を上げかけた椎子を制して、ロックは立ち上がった。
「おい、あんた、……まさか、引き受けるなんて言わないよな?」
シャドウに言い放つロックの声は、険しい。
「……今言ったとおりだ。相応の金が払えるなら、雇われてやる」
対するシャドウは、冷淡とも取れるような落ち着きを払って応じる。でも、決してそうではないことを、椎子は知っている。
言わなければならないことはたくさんあるのに、考えがまとまらない。視界の揺れはどんどんと激しさを増していく。二人の応酬を遠くに聞きながら、椎子は軽く目を瞑った。