19.5

「俺たちは先に行ってるぜ」
 そう言うと、ロックは面食らっているような様子のシイコを連れて、さっさと行ってしまった。
 そもそもエドガーは(そしておそらくセリスも)宿の場所など知らないのだが……まあ、小さな村だ、道なりに歩いて行けば見つかるか。建前をまるで取り繕う気もないところが、ロックらしいと言えばらしい配慮だった。
 ……友が作ってくれた、折角の機会だ。
 エドガーはセリスを見やった。視線に気付くと、セリスはこちらをきりりと睨む。
「そう睨まないでくれ、セリス」
 普段ならば美人に熱く見つめられるのは大歓迎だが、今ばかりはそう悠長なことも言っていられまい。
「あの子を責めるつもりはなかったんだ。だが、結果そうなってしまったことは自覚しているし、反省しているよ」
 魔法というものをこの目で見ると、冷静さを欠いてしまう。ティナがあんなふうになって、気が急いていたこともあった。
 正直なところを告げると、セリスの眼光が僅かに和らいだ。
「いや……すまない、私もおとなげなかったと思う」
 しおらしく、しゅんと肩を落とす。いつも気を張っている彼女がそういった仕草をすると、年頃の少女らしさが際立った。
「あの二人に、余計な気を遣わせてしまった」
 そっちか。
 エドガーは思ったが、もちろんおくびにも出さなかった。


 チョコボを繋いでから宿へ向かう。
 宿に入るなり、様子がおかしいのがわかった。酒場となっている小さなスペースの中で、ひとつのテーブルを挟み、ロックが黒尽くめの男と対峙しているのだ。
 シャドウ。
 少し前に、サウスフィガロで見かけた男だ。もっと近いところでは、マッシュの話の中で何度が名の挙がった男。
 何と言っても特徴的な風貌だ、セリスも彼がマッシュの語っていた男だと悟ったのか、ちらりとエドガーを見上げてくる。それを受けて、エドガーはロックに声を投げかけた。
「ロック。どうした?」
「ああ……いや、ちょっとな、シイコが」
 驚いたような表情をした後に、ロックはかいつまんだ事情を説明した。シイコが一人でこの村に残ると言い出したこと。我々がゾゾへ向かっている間、シャドウに同行を頼むつもりらしいこと。
 ロックの陰に隠れてそれまで見えなかったが、シイコは椅子に座ってぐったりしている。エドガーたちがやって来たことにも、気付いていないのかもしれない。
 エドガーは、シイコがこの回り道をそこまで気に病んでいたことが意外だった。
 彼女がそうやって思い詰めたのは、おそらく、エドガーにも原因の一端があるのだろう。しかし、シイコにとっては顔見知りでも、エドガーたちにとっては見知らぬ男であるシャドウに、そう簡単にシイコを託すわけにはいかない。それがわからぬでもないだろうに――わからないほどに、疲弊してしまっているのだろうか。
「話はわかった。それで……」
 ロックの説明の間にも他人事のようにしているシャドウに、エドガーは視線を移した。
シイコの依頼を受ける気はあるのか?」
「何度も言わせるな。金次第だ」
 短く答えて、シャドウは酒の肴をひとつ摘み、床に放った。シャドウの足元に伏せっていた黒い犬が頭をもたげ、素早くそれに食いつく。
 エドガーは顎に手を置くと、ふむ、と唸った。
「……なるほど。それなら、シイコの案を採るのも、ひとつの手だな」
 途端に、ロックが血相を変える。
「おい、エドガー! お前まで何を――」
「こんなところで、揉めている暇があるのか?」
 息巻くロックを遮ったのは、シャドウだ。
 低く静かな声は、けれどよく通り、ロックの剣幕を抑えるには十分すぎる力を持っていた。一瞬、場が静まり返り、セリスがハッとしてシイコに駆け寄っていく。
「私の声が聞こえる? シイコ
 目を閉じていたシイコは、うっすらと瞼を開けた。ひどく億劫そうに頷く。セリスはそれを確認してから、こちらを振り返った。
「ロック。私は先に部屋を取って、シイコを休ませてくる」
「あ、ああ、そうだな。……頼む」
 セリスの行動は迅速だった。てきぱきと手続きを済ませると、シイコを半ば抱えるようにしながら風のように去っていった。
「エドガー……本気かよ?」
 セリスが行ってしまってから、ロックが尋ねてきた。
 苛立たしげではあるが、シャドウを気にしてか、声は抑えている。エドガーは肩をすくめた。
「こんな時に、冗談など言わないさ」
「散々に言ってたのはお前だろ。金のためならとか、何とか」
「そういう噂を聞いたと言ったんだ」
 しゃあしゃあと言ってのけるエドガーを、ロックは恨めしそうに見やった。気付かない振りをして、続ける。
「マッシュの話によると最低限の義理は通す人物のようだし、それに……」
 金次第で何でもやるということは、金さえ出せばある程度の信用には足るということだ。
 エドガーはその言葉を呑み込んだ。ちょっと間を置いた末に、思い浮かんだのとは別のことを口にする。
「……それに、この状況で私たちがここに残ったとしたら、彼女はきっと気を回すだろう。今日以上に」
 返答に窮したのか、ロックは黙り込んだ。
 まるきり、嘘ではない。そして、彼女にそういうふうに考えさせてしまうのは、エドガーのせいでもあるのだ。
「お前が、シイコをここに置いて行きたくない気持ちはわかるが……」
「……俺は……」
 ロックの目線が、床の上をさ迷う。
 やはりか。
 ナルシェでの言動と言い、当然のことではあるが、この村での悲劇はいまだこの友人の心に深く根ざしているらしい……エドガーは、そんな内心を気振りにも見せず、「しかし」と言って右の人差し指を立ててみせた。
「レディを悩ませるのは本意じゃない。私への恋情ならともかくね」
「…………。お前なあ」
 ロックは口をあんぐりさせた。
 そうして深くて長い溜息をつき、頭をがしがしとかく。
「まったく。何が『冗談は言わない』だよ」
「冗談ではないぞ、もちろん」
「……だよな。お前はそういう男だった」
 非難がましいロックの視線を軽く流して、エドガーはシャドウの前に立った。
「決まったのか?」
 顔を上げたシャドウは、関心のなさそうな口調で言う。
「ああ。報酬は、私が出そう」
「……いらん」
 虚を衝かれて、エドガーは瞬いた。
「何?」
「お前が金を払ったと知ったら、余計に気を回すのではないか?」
 シャドウは、誰が、とは言わなかった。言わなくとも、明らかだ。
「しかし、シイコは……」
 シイコの手持ちがどの程度かはわからないが、たかが知れているだろう。言いかけたエドガーを、シャドウは先回りして制止する。
「酒代でも払ってもらうさ」
「……そうか」
 田舎のさびれた酒場が出す酒である。それにテーブルを見るにそれほど飲んだ形跡もない。酒代とは言っても、ほとんど端金と言っていい額に違いなかった。
 噂どおりの人物では、ないらしい。……弟の人を見る目も、なかなかのものかもしれない。
 エドガーは思った。
 それに、関心がないようでいて、まるで気にかけていないというわけではないようだ。いや、むしろ――
 向こうから、規則正しい足音が聞こえて来る。セリスが戻って来たのだろう。
 さて、シイコの件をどうやってセリスに切り出すか。そんなことを考えながら、エドガーは足音のする方へ振り向いた。
 何にしろもうしばらくは、レディの熱烈なまなざしを受けなければなさそうだ。