20

 椎子が目を覚ますと、辺りは真っ暗だった。
 起き出してから、ベッドの上にいることに気付く。重い頭を押さえ、椎子は自分の記憶を辿った。宿に着いて、シャドウに会って、それから……追いついてきたセリスが声をかけてくれたような覚えはある。
「はあ……」
 情けないやら何やらで、溜息が漏れた。どうにも、この世界にやって来てから前後不覚の状況に陥ることが多い。
 そのうちに暗闇に目が慣れてきたのだが、椎子のいる小ぢんまりとした部屋の中には、仲間の誰の姿もなかった。とすると――皆はコーリンゲンを発ったのだろうか?
 とりあえず、部屋の外に出てみることにした。足先で靴を探って履き、立ち上がってドアの方へ向かう。廊下には明かりがあるのか、閉じたドアの隙間からほのかな光が漏れていた。
 無事に辿り着き、ドアを開け――たのを、反射的に閉める。
「え、な、何でこんなところに……んっ?」
 震え上がっていた椎子は、はたと思い当たった。及び腰になりながらも、もう一度ドアを開けてみる。そしてその先にいる、いましがた椎子を脅かしたものに向けて声を投げかけた。
「もしかして、インターセプター?」
 落ち着いてよく見ると、間違えようがない。部屋の外のすぐそこに、インターセプターがおすわりをしている。
 ……ということは、少なくともシャドウはこの近くにいるわけだ。
 椎子は今度こそ廊下に出た。
 部屋の中よりはほんのりと明るいが、それは突き当たりの窓から煌々と月明かりが差しているからだった。右手の方に進むとくだりの階段があり、おそらく下りた先はあの酒場になっているのだろう。
 階下を窺ってみても、真っ暗で人のいる気配はない。後をついてきたインターセプターを振り返る。
「インターセプター、シャドウさんはどこに……って、聞いてもわからないよね」
 けれど、酒場も店じまいをしているくらいなのだから、きっと相当に遅い時間なのだ。シャドウもとっくに就寝しているに違いなかった。状況を教えてもらうのは、朝になるまで待つしかない。
 もといた部屋に戻ろうとして、しかし椎子は大変な問題に直面してしまった。
「……私、どの部屋から出てきたんだろ……」
 廊下には、似たようなつくりのドアがいくつか並んでいる。迂闊にも、部屋を出る時にそのあたりのことをまったく考えていなかった。言い訳をすると、寝起きだったということもある。
 ふいと、インターセプターが椎子を置いて歩き出した。そして、あるドアの前で止まる。
 インターセプターの顔とその先のドアとを、椎子はかわるがわる見た。
「えっと、……ここなの?」
 問いかけたが、返事は当然あるはずもない。インターセプターが鼻先でドアをつつくようにすると、きちんと閉じられていなかったのだろうか、ほんの少し隙間が開いた。インターセプターはするりとその中へ入っていく。
「え、えぇー……」
 止める暇もなかった。……それが実行できるのかどうかはさておき。
 椎子は困り果ててしまった。賢いインターセプターのことだから無用な心配かもしれないが、まったく違う人の部屋だったら、どうすればいいのだろう。しかし、こうしていても事態は解決してくれない。
 よし、と心を決めた。
「インターセプター、信じるからねっ」
 それでも不安は残るので、何となく、インターセプターがそうしたように狭い隙間にこっそりと体を滑らせる。
 すぐに後悔した。
 インターセプターは、まるで最初からそこにいたかのように、床の上に蹲って体を丸めている。その傍らのベッドの上に、明らかに人一人分のふくらみがあった。シャドウだ。
 一目でシャドウだと断じることができたのは、
「……シャドウさんって、覆面のまま寝るんだ」
 と、彼の一番の特徴が目に入ったからである。よくよく考えてみると、マッシュたちとの旅の間も、たぶんそうしていたような気がする。そんなところまで思考を巡らせてから、椎子ははっとなった。早く出て行かなくては。
 慌てて身を翻そうとした椎子の耳に、低い呻き声が届いた。
 椎子は、思わず足を止めて振り向いた。
「シャドウさん……?」
 部屋の中には、椎子の他にインターセプターとシャドウしかいないにもかかわらず、それが誰から発せられたものなのか、一瞬わからなかった。そのくらい、苦痛のこもった声だった。そう長い期間を一緒にいたのではないけれど、朝から晩までを共にしていて、今ほどに感情が色濃く滲んだシャドウの声を椎子は聞いたことがない。
 丸くなっていたインターセプターが、頭を上げてシャドウの方を見つめている。
 シャドウは、目を覚ましたのではないようだった。うなされているのだ。呻きは時々途切れながらも続き、次第に大きくなってきた。布一枚を隔てているせいか、くぐもっていて内容はよく聞き取れない。
「シャドウさん」
 椎子は散々迷った末に、ベッドに近寄って声をかけた。
 尋常のうなされようではない。起こしてあげて、部屋に勝手に入ってしまったことはその後でお叱りを受けよう。シャドウの体に、そっと手を伸ばす。
「シャドウさん。あの、大丈夫で」
 ――伸ばした手を、逆に掴まれた。
 息を呑んだ瞬間、視界が反転していた。背中に衝撃。と言っても、ぶつかったのは何か柔らかなものだったようで、痛みは少なかった。それよりも左肩が痛い。そして、首筋に冷たい感触。
 椎子はぽかんとして、目の前の黒い影を見上げた。
 ほんの微かに、アルコールの香りがする。ドアの隙間から漏れる光で部屋は幾分か明るいはずなのに、椎子の視界は真っ黒に塗りつぶされている。いや、影の向こうにはぼんやりと天井が見えるし、――何より少し視線をずらすと、見知ったまなざしとぶつかった。
 黒い影が、浅く息を吐いた。
「……お前か」
「わ、私です……」
 椎子とシャドウの位置は、瞬きの間に入れ替わっていた。
 シャドウはそれ以上言葉を続けることなく、椎子から離れた。椎子の左肩を押さえつけていた手と、首元の感触も、同時に消えた。それは素早くしまわれたが、その直前に放たれた鈍い光を椎子は見てしまい、自分の首に何が突きつけられていたのかを悟った。
 けれども、今起こった出来事に頭が追いつかない。
 ベッドの縁に腰かけたシャドウは、椎子がいつまでも倒れたままでいるのを見かねてか、無言で腕を引いて起こした。
「あ、ありがとうございます」
 椎子はされるがままに起き上がった。そうすると、ちょうどシャドウと並んで座っているような格好になる。シャドウは、やはり何も言わない。
 いたたまれない空気に、椎子は床や向こうの壁や、ドアや窓なんかに目を移していった。ふとインターセプターを見ると、インターセプターはもう先程のように丸くなっている。
 シャドウがぽつりと言った。
「すまない」
「えっ! いえ、そんな、私の方こそ勝手に入ったりして……」
 椎子の声はだんだん小さくなって、最後には消えてしまった。
 沈黙が漂う。
 椎子は、ちらりとシャドウを盗み見た。
 改めて思うと、椎子はシャドウのことを何も知らないのだ。例えば、何故いつも顔を隠しているのかとか、本当はどんな仕事をしているのかとか、……どんな苦しみを抱えているのか、だとか。
 一緒に旅をしていたのもほんの何日かのことだ。でも、その短い間に椎子は何度もシャドウに助けてもらって、とても感謝しているし、信頼してもいる。それは、ロックのあの話を聞いた後でも、彼が本当に殺し屋だったのだとしても、そしてさっきみたいなことがあった今でも、変わらない。
「あ、あの……シャドウさん?」
「何だ」
 返事があったことに、椎子はほっとした。
「えっと、ですね。お話しませんか」
「…………」
 シャドウの顔が、初めてこちらに向いた。
 咄嗟に、椎子はインターセプターの尻尾に目をやる。
「私、早くに寝てしまったし、えと――と、とにかく眠れないので、しばらくお付き合いしてもらえると嬉しいんですけどっ」
 シャドウの視線を意識しながら早口でまくし立てた後には、長い長い静寂が横たわった。
 ……何だか、ずっと前にもこんなことがあった。心細い気持ちで、椎子は恐る恐るシャドウを見やる。
 視線がぶつかると、シャドウは目を逸らした。
「好きにしろ」
「あ……は、はいっ」
 椎子はこくこくと頷いた。
 シャドウの過去も、悪夢も、彼自身のことも何もわからない。でも、いつか椎子がそうしてもらったように、少しでも心を軽くしてあげることができたなら……それは、自惚れに似た考えかもしれないけれど。
「シャドウさんとお別れしてから、いろいろあったんですよ。……ええと、まず、滝に飛び込んだりとか」
 指を折り、体験したことをひとつひとつ挙げていく。
 その間、シャドウは何も言わず、相槌を打つことすらしなかったが、椎子の話を聞いてくれていることだけは感じられた。


 瞼を持ち上げると、目の前に犬の顔がある。
 椎子は横になったまま壁際まで後ずさるという器用な真似をやってのけた。
「イ、イ、インターセプター!?」
 寿命が縮んだ。絶対縮んだ。百年くらい縮んだ。
 胸を押さえ、ばくばくする心臓をなだめつつ、体を起こす。ベッドの縁に顎を乗せたインターセプターは、澄ました顔をしている。
「あれっ、あ、朝?」
 差し込む日の光に気付き、椎子は驚いた。
 いつの間にか、明るくなっている。そして、今の衝撃の目覚めを思い返すに、どうやら椎子は話をしているうちに眠ってしまったらしい。人様のベッドで……椎子は打ちひしがれた。力づけるどころか、結局椎子がやったことと言えば不法侵入に始まり迷惑行為ばかりだ。
 くずおれている椎子に、インターセプターが一声鳴いた。
「あ、ありがとう、インターセプター。起こしてくれたんだよね」
 もう少し距離を取って起こしてくれると、なお助かった。
「シャドウさんは……」
 部屋には、椎子ひとりきりだった。
 まあ、先程の間抜けな姿を見られずに済んだのだから、運がよかったと思おう。
「どうしよう、一旦戻ろうかなあ」
 椎子の荷物も、きっと元いた部屋にあるはずだ。しかし、もともと部屋がどこなのかわからなくなってこういう事態に陥ったわけだから……椎子が悩んでいると、インターセプターがドアの方に向かって歩き出した。
 そして鼻先や前脚でガタガタやって、自分でうまくドアを開けて出て行ってしまう。安普請の宿だからできる芸当だろう。遠目に見ても内鍵は粗末なつくりをしているし、昨晩もこうやって部屋を出て来たのだろうか。
 感心していた椎子は、はっと我に返った。
「あっ、インターセプター、待って!」
 慌てて後を追う。
 廊下に出たインターセプターは、椎子が飛び出した部屋の隣のドアの前にいた。昨晩のように、ドアを示してみせる。
 椎子は二の足を踏んだ。
「今度こそ、本当の本当だよね?」
 インターセプターからの返事は期待できないので、またもやおっかなびっくり部屋に侵入する。今回は、入ってすぐに椅子の上に置かれた見慣れた鞄を見つけることができた。
 何時間ぶりかの帰還に、椎子は胸を撫で下ろす。
「よかった……ありがとうね、インターセプター」
 振り返った先のインターセプターは、やはり変わらぬ澄まし顔だった。
 手早く朝の支度を終え、荷物を持って階下へ向かう。
 寝癖がついてしまっている髪を気にしながら階段を下りきった椎子は、シャドウが昨日と同じテーブルに着いているのを見つけた。
「シャドウさん! ……お、おはようございます」
 おずおずと切り出した椎子に、シャドウは無言で顔を向けた。これまでと何ら変わりのない態度である。もしかしたら怒っていたり呆れられていたりするかもと心配していた椎子は、密かに安堵する。
 隣に来たインターセプターの頭に手をやりながら、シャドウは言った。
「……気分はどうだ」
 気分?
 束の間、首を傾げる。――そうだ、昨日はひどい状態だったのだ。問われて初めて意識したが、不思議なもので、あんなに具合が悪かったのが一晩ですっかりよくなっている。
「はい。もう全然大丈夫です」
 答えてから、周囲を見回す。やはり昨日と同じく、椎子たちの他に客は見当たらない。
「あの、皆さんは、もう……?」
 椎子は尋ねた。昨晩は椎子が喋るばかりで、あれから皆がどうしたのかは聞かなかったのだ。
「ゾゾへ向かった」
「そうですか。……よかった」
「お前はどうするつもりだ?」
「私、ですか」
 きょとんとすると、シャドウは言う。
「俺を雇うのだろう」
「……そうでした」
 ゾゾへ向かうか、フィガロ城に戻るか、それともこのままコーリンゲンに留まるか。一番の問題だった体調はもう元どおりだし、できれば椎子自身の目でも、ティナの無事を確かめたい。
「私は、できればゾゾに行きたいんですけど……」
「そうすると、チョコボがいるな」
「あ、でも私、チョコボには乗れなくて」
 シャドウは軽く頷いた。これまでのことを頭に浮かんだ端から話していったから、チョコボの件も昨夜の話の中に含まれていたかもしれない。
「一人乗るのと二人乗るのとでは、駆ける速さが随分違う。あいつらに追いつくつもりなら、すぐに発つことになるが」
「はい。お願いします」
 椎子はお辞儀をして、頭を上げたのとちょうど同時に、腹の虫が盛大に鳴った。あまりのことに、しばらく固まってしまった。
「……そ、その前に、朝ご飯を食べさせていただければ……」
 しおしおとうなだれる椎子
 シャドウは立ち上がった。
「チョコボを調達してくる。それまでに、済ませておけ」
「はい……」
 何事もなかったかのように、シャドウは行ってしまう。せめて何か反応してくれたら、この恥ずかしさも紛らわしようがあるのに。
 残ったインターセプターが、代わりに声を上げて鳴いてくれた。


 「チョコボ屋はない」とロックは言っていたが、どうやってかシャドウはチョコボを入手できたようで、案外早くに戻ってきた。
「準備ができているなら行くぞ」
「はいっ」
 出発の準備と言っても、唯一の持ち物の鞄はすでに持っている。椎子は鞄を肩にかけ、シャドウと一緒に宿を出ようとしたが、「あっ」と立ち止まった。
「どうした」
「私、宿代をまだ払っていませんでした」
 戻ろうとする椎子を、シャドウは引きとめた。
「お前の仲間が払って行ったはずだが」
「え! そ、そうなんですか」
 椎子はちょっと落ち込んだ。今回のことでは、皆に迷惑をかけどおしだ。寄り道をさせてしまったことはもちろん、突然置いて行ってほしいと言い出してそのまま気絶してしまうなんて、皆も困っただろう。
「あ、そうだ。シャドウさんにも、えっと、報酬?を、お支払いしないといけないですね」
 大事なことを思い出して、椎子はシャドウを振り仰いだ。
 ところが、シャドウは黙り込んでしまう。
「シャドウさん?」
「……それは、もういい」
「へっ? どうしてですか? どういう……」
「…………」
 沈黙を通そうとしたシャドウは、しかし椎子の見上げてくる視線にそれを諦めたらしい。
「昨日の詫びだと思っておけ」
 どこか不承不承といった体で、告げる。
「昨日? 昨日って、どちらかと言うと、私がお詫びをしなければならない立場だと思うんですが……」
 それがどうしてシャドウが無償で椎子の依頼を受けてくれることになるのか。よくわからない。
 頭を捻る椎子を、シャドウはしばらくの間じっと見下ろした。そして、椎子の頭にぽんと手を置く。
「なら、ツケておく」
「は、はあ……」
 椎子はそわそわしながら、一応は納得してみせた。
 腑に落ちなかったが、頭の上にシャドウの手がある状態で長々と言葉を続けられるわけがない。
 椎子が頷いたのを見て、シャドウは手を離すと、宿の前まで連れて来ていたチョコボにまたがる。それから椎子を引き上げて乗せてくれた。引き上げられる時に、「おや?」と思わなかったでもない。しかし何を思っても椎子にはどうしようもなく、完全にチョコボの上に移動した時には、椎子は何故だかシャドウの前に座らされていた。
 横座りである。シャドウはチョコボの手綱を握ったが、その両腕に椎子の体が挟まれているような体勢だ。
「シャ、シャドウさん? あのう……」
 顔を仰向けて覆面の奥の瞳を窺ってみても、シャドウはごくごく平然としているように見える。
 こういう乗り方も、あるのかもしれない。今まで二人乗りをした時は後ろに乗っていたから、てっきりそれが普通だと思っていたけれど、……そういえば、映画か何かで馬にこんなふうに乗っているシーンも見たことがあるような、ないような……
 混乱しているうちに、チョコボが走り始めた。
「行くぞ。手を放すな」
 耳の少し上で、シャドウの低い声がする。
 びっくりの方が勝っていたのが、あっさりどぎまぎが逆転勝ちしてしまった。
 これは、新種の拷問だろうか。流れる景色を眺めながら、椎子は何とか平常心を保つように努めるのだった。