23
「口が開きっぱなしだぞ、シイコ」笑いを噛み殺しているロックに指摘されるまで、椎子はぽかんとしてジドールの通りを眺め渡していた。言われてからはたと口を両手で覆い、ごまかすようにもごもご呟く。
「す、すみません。思ってたより、すごいところだなって……」
石畳の道は広く、どこもかしこもきちんと整備されていた。北の高台の方には、壮大な屋敷が立ち並んでいる。
このジドールに到着したのは夜もすっかり更けた頃合だったから、辺りをよくよく観察する暇もなかったのだ。朝になって宿を後にし、こうして明るい中で見渡すと、そこは椎子がこれまでに立ち寄ってきた街々とは一線を画していた。少なくとも、スラムのような様相を呈していたゾゾとは天と地ほども違う。
「まあ、貴族が住んでるんだからなあ。ゾゾを見た後だとなおさらだよな」
「ははあ……」
そう聞くと、道行く人々までもどこか気品のある雰囲気を漂わせているように見えてしまう、単純な椎子である。
「――さて」
ロックとのやりとりが途切れると、エドガーが切り出した。
「帝国は南の大陸にある。本来なら、海路を取りたいところだが……」
「港はどこも封鎖されている。アルブルグも、今は民間の船を出入りさせていないと聞いた」
真っ先にそう応じたセリスは、さすがに帝国の事情に詳しい。
船での行き来ができないとなると、どうすればいいのだろう。すでにとんでもない手段を体験済みの椎子は、顔を青ざめさてエドガーを見た。まさか、兄弟揃って同じやり方を言い出すなんてことは……
と、こっそり窺ったつもりだったのだが、しっかり視線がかち合ってしまった。こちらの胸のうちをどこまで見透かしたのか、エドガーはまるで椎子を安心させようとするかのような柔らかい笑みを浮かべる。
「まずは、情報収集といこうか。二手に分かれよう」
「ここの金持ち連中なら、何かいい方法を知ってるかもな!」
ロックの発言は楽天的だ。しかし確かにこういう街に住んでいる人なら、いかにも金に任せた移動手段を持っていそうな気もする。いや、どうかそうであってほしい。
「それじゃあ、どう分かれっ……」
内心で必死の祈りを捧げつつ椎子が発した問いかけは、皆までを口にすることはできなかった。椎子の手を、エドガーが優しく掬いあげたからだ。
びっくりして見上げれば、思いがけず、すぐ近くに完璧なロイヤルスマイルがある。
「よかったら、私に君をエスコートさせてもらえないかな、レディ」
「えっ!? あっ、あの」
うろたえて咄嗟には返事ができないでいると、「行きましょうシイコ」と、セリスがすぱーんと二人の手を切り離した。
手刀で。
「は、はいっ」
椎子は手を取られた時とは別の意味でどきどきしながら激しく頷いた。抜き身じゃなくてよかった。ほんとよかった。汗をかいている椎子をよそに、ロックが楽しげにエドガーの肩を叩いている。
「振られたな、王様。最近負け続きじゃないか?」
「言うな。はあ、なぜ男と二人で組まねばならん……」
「お前が分かれるって言い出したんだろ。俺だってやだよ」
哀愁漂う男性陣を顧みず、セリスはすでに歩き出していた。その背は角を曲がってすぐに見えなくなってしまう。
「あっ、セリスさん、待ってください!」
慌てて後を追う。セリスは宿の裏手、高台へと続く階段の手前で椎子を待ってくれていた。しかし心なしか背を丸め、しゅんとしている。
「……セリスさん?」
追いついた椎子に、セリスは俯きがちに言った。
「ごめんなさい、シイコ。私、ついムキになってしまって……」
「え、そんなっ、謝ってもらうようなことじゃないですよ! エドガーさんも、全然怒ってなんてなかったですし」
エドガーの名前を出した途端に、セリスの眉間に皺が寄る。「別に、彼のことは気にしてない」という声音に刺々しいものはなく、深刻な様子では決してない。その拗ねた物言いに、椎子はつい笑ってしまった。
「な、何?」
「セリスさんって、何だか雰囲気が変わりましたよね」
「そう――かも、しれない」
面食らった顔をしたのはほんの一瞬のことで、すぐにセリスはぎこちなく頷いた。
「帝国にいた頃は、いつも気を抜けなかったから」
「セリスさん……」
女だてらに将軍を務めていれば、さぞかし苦労したことだろう。そのくらいは、椎子にも察しがつく。
凛然としているセリスよりも、今の、こちらが素なのだろうか。それだけ、仲良くなれたってことかなあ。そうだと嬉しいな。そう思うと自然、椎子の笑みは深まる。
「セリスさんっ、私の前では、いつでも気を抜いてもらっていいですからね!」
「……努力してみる」
努力するのは、気を抜くというのだろうか。まあ、せっかくセリスがこう言ってくれているのだから、いいか。
「私も、セリスさんに気を抜いてもらえるように頑張りますっ」
「ありがとう。頼もしいわ」
椎子がぐっと拳を握ると、セリスは思わずというふうに口元を綻ばせた。
その後、しばらくセリスと二人で街を回ってみても、思うような成果は得られなかった。街の人は皆、南に行くなら船しかないと言うし、帝国の名を出すだけでも嫌そうな顔をするのだ、その帝国まで連れて行ってほしいなどとは頼みようがない。
「困りましたね……」
「私たちだけでは埒が明かないかもしれないわ。一旦、ロックたちと合流しましょうか」
特に集合場所を決めてはいなかったのだが、少し探せば、ロックとエドガーはすぐに見つかった。ジドールでもひときわ立派な豪邸のある高台から、階段を降りてくるところだった。
「船は駄目だな。こうなったら、空から行くしかない」
ロックが開口一番に言った。こちらが何の収穫もなかったことは、椎子の表情から察せられたのかもしれない。
「空から? 帝国行きの飛行機が出てる、とか?」
「帝国には、空軍ならあるけれど」
首を捻るセリス。彼女にも心当たりがないらしい。椎子だって、飛行機が空を飛んでいる姿なんて、この世界に来てから今日まで一度だって見たことがない。
「飛空挺だよ」
二人の疑問に答えたのはエドガーだった。顔の横で人差し指を立ててみせる仕草が、また様になっている。
「昨日、この近くを飛んでいたらしい」
「ひくうてい……」
いまひとつピンとこずにセリスを見ると、こちらはセリスも知っているようだった。
「それなら聞いたことがある。賭場つきの、世界で唯一の飛行船」
と、教えてくれる。
「でも、じゃあ、その持ち主の人は今どこにいるんでしょうか?」
世界唯一の飛行船……潜入どころか思いきり目立ってしまいそうだが、他に手立てはない。しかしその飛空挺に乗せてもらいたくても、空の上にいるのだとしたら交渉のしようがないのではないか。
「面白い噂を聞いたんだ。今から、オペラ座へ行ってみようぜ」
ロックがそう言い、エドガーは頷いた。二人は、すでに何もかもわかっているらしい。わからないままの椎子とセリスは、ただそれに従うしかない。
オペラ座は街の南にあった。
用途が違うのだから当然のことなのだが、ジドールの貴族たちの屋敷よりもずっと大きい。それに、歌劇場ならではの荘厳な空気がある。
オペラ座の入り口に立った椎子は、今度は笑われないようにとあらかじめ口を押さえていた。なのに、それを見たロックはぷっと吹き出した。椎子は憤然とした。
「し、仕方ないじゃないですかっ、珍しいものは珍しいんです!」
「別に、俺はシイコを笑ったわけじゃないぞ」
「ロックさん、嘘つきは泥棒の始まりですよ」
「どっ……何回でも言うけどな、俺はトレジャーハンターだからな!?」
血相を変えたロックを見るに、どうやら椎子は一矢を報いたようだ。
「まあ、そんなことはどうでもいいだろう。そろそろ中へ入ろう」
「よくない。俺のアイデンティティーに関わるんだぞ」
「あ、あの、ロック。私は、わかってるから……」
エドガーに促され、まだまだ主張し足りていないようなロックと、おずおずと慰めるセリスに続いて、椎子は言い過ぎたかなあと自省しながらオペラ座に足を踏み入れる。
開演時間にはまだ早いようで、広いロビーの中に客の姿はなかった。それどころかスタッフらしき人間もいない。その時、ちょうど奥から礼服姿の男性が出てきた。男性は椎子たちを見て驚愕し、叫ぶ。
「マリア!?」
その視線の先にいるのは、セリスだ。セリスは戸惑いながら自分を指差す。
「……私のこと?」
「あ、いや、失礼、人違いのようだ。私はここで芝居をやっている劇団の団長なのだが、あなたがうちの女優にあまりにも似ていたので、思わず声をかけてしまった」
そう言ったきり、団長はその場で力なくうなだれた。彼の前に、ロックが進み出る。
「おたくら、問題を抱えてるそうだな。物騒な手紙が届いたって?」
「これのことか? ほら」
ロックの言う「問題」によほど参っているのか、団長はすっかり投げやりな調子で、懐から取り出した手紙を見せてくれる。ロックが受け取ったのを皆で覗き込むが、そういえば椎子はこの世界の文字が読めない。
「あのー、ロックさん。何て書いてあるんですか?」
「ん? ああ、じゃあ読むぜ。『おたくのマリア。ヨメさんにするから、さらいに行くぜ。さすらいのギャンブラー』」
「……意訳ですか?」
「原文ママだ」
「は、はあ……その、さすらいのギャンブラーさんというのは……」
「世界に一台しかない飛空艇を持っている、セッツァーさ」
誰に向けて問うでもない椎子の問に、エドガーが片目を瞑って応じた。飛空艇の……そういうことか。ここまでやって来た目的がようやく見えてきた。
団長は額を押さえ、豪奢なシャンデリアの吊るされた高い天井を仰いで嘆く。
「派手好きのセッツァーのことだ、劇が盛り上がるタイミングを見計らってやって来るつもりだろう」
「じゃあ、その時に捕まえればいいじゃないか」
手紙を丁寧に折り畳んで封筒に戻したのを団長に差し出しながら、ロックが提案する。
「とんでもない! 芝居が台無しになったら、首にされてしまう。かと言って、大人しくマリアを攫わせるわけにはいかない……」
団長はそう呻くと、頭を抱えた。
警察に相談することはできないのだろうか、誘拐は重罪だし…と、日本出身の椎子は考えるのだが、芝居を成功させたい一心で団長が内密にしているか、そもそもそういう組織が存在しないのかもしれない。
「――攫わせればいい」
と、突如、ロックがそんなことを言い出した。
「そんな……ロックさん、どういうことですか?」
「わからないか? 囮だよ。マリアをわざと攫わせてセッツァーを尾ける。うまくいけば、飛空艇を横取りできるかもな」
「よ、横取りは犯罪では」
誘拐も犯罪だけど……さすが、トレジャーハンターの思いつきは一味違った。
「駄目だ駄目だ! うちの看板女優にもしものことがあったらどうする!?」
「だから、囮だって言ったろ?」
団長の反論にも、ロックは涼しい顔だ。
「本物のマリアにはどこか安全な場所に隠れてもらっていればいい」
「ああ……なるほどね。そういうことか」
エドガーがすべて心得たと言わんばかりに頷き、腕を組んでちらりと隣を見た。団長も椎子も、つられてそちらを見やる。まだ、何も呑み込めていないようでいるセリスを。
「似てるんだろ? マリアは?」
ロックはにやりと不敵に笑う。
「私……? ロック、ちょ、ちょっと待って」
「マリアの振りをしたセリスをわざと攫わせて、飛空挺まで案内してもらう」
「それはいい! 名案だ!」
飛び上がって喜ぶ団長。この策でも舞台に邪魔が入ることは確実なのだが……当事者が賛成しているのだから、椎子に異論を挟む余地はない。とにかく、団長の協力があれば、ロックのアイディアが成功する確率も高まる。どうにかして帝国に行かなければならない椎子たちにとっては、願ってもない展開だ。
「だから待ってってば! 私はもと帝国の将軍なのよ、そんなチャラチャラした真似できるわけないでしょ!?」
「セ、セリスさん、素が出まくりですよっ」
これまでと違い将軍の体をかなぐり捨てて取り乱すセリスのマントの裾を、椎子はちょいちょいと引っ張る。セリスはハッと我に返ったようになって口を噤んだ。
「けどな、セリス。他に方法があるか?」
「それは……」
「無理を承知で頼む! お前しかいないんだ!」
「ロ、ロック……」
他でもないロックにこうも熱心に頼み込まれ、セリスは心揺れているようだ。
「なあ、シイコからも説得してくれ」
「えっ!」
もう一押しと判断したのか、ロックは椎子に囁く。
セリスが嫌がるなら、あまり無理強いはしたくない。しかし、ロックの言い分もそのとおりで、椎子にも代案は思いつけないのだ。椎子は懸命に言葉を振り絞った。
「えっと、えーっと……歌って踊れる女将軍って、私はカッコイイと思います!」
「…………ぜったいいや」
「駄目だ、引いている!」
……説得は失敗した。
「とっ、とにかく! できないものはできない!」
セリスは眉を吊り上げてそう言い放ち、踵を返して外へ出て行ってしまった。
「セリスさん!」
「待てよ、セリス! ……しまったな。別の手を考えるか」
ロックはついに諦めたようだ。けれど、セリスを放っておくわけにはいかない。
オペラ座を出た椎子とロックは、しかしそう時をかけて捜さずとも、建物の陰にセリスが佇んでいるのを見つけた。あれだけ怒っていたのだから、気軽に声をかけるのも気が引ける。
遠くから様子を窺ってみると、セリスは何やらしきりに咳払いをしているようだった。そして、
「あー、あー、……ラ、ラララ~」
…………
何とも言えない沈黙が過ぎ去った。
「ぶっ! くくくっ……」
先に笑い出したのはロックで、その笑いっぷりはさっきの、オペラ座にやって来たばかりの椎子に向けていたものの比ではない。壁に手をつき身体をくの字に折って、肩を震わせている。
「ロックさん、笑いすぎですって」
嗜める椎子の声も、ちょっと震えてしまっている。
「セリスさんってば……かわいいなあ」
ロックの笑い声がセリスにまで届いていないようなのは幸運だった。歌の練習をしているセリスはしばらくそっとしておくことにして、オペラ座のロビーに戻ると、エドガーと団長が話し込んでいる。
「ああ、二人とも。どうだった、セリスの様子は?」
エドガーが椎子たちに気付き、片手を挙げる。
椎子とロックは顔を見合わせた。
「どうって……なあ」
「ですねえ」
「セリスのやつ、案外、乗り気みたいだぜ」
「団長さん、よかったですね!」
セリスが気持ちよくマリアを演じてくれるのなら、双方にとって何よりだ。飛び出していった時のセリスの剣幕がああだったものだから、今度はエドガーと団長の方が顔を見合わせている。
「よしっ、それじゃあ、俺たちでセリスを大女優に仕立てるぞ!」
「おーっ!」
ロックが勢いよく拳を突き上げたのに合せて、椎子もかけ声を上げた。