部長が部員をひとりずつ温泉に誘う
宮比温泉には女性客が多い。そのフォトジェニックな外観に加え、常に流されている甘ったるいラブソングが今時の女子高生(推定)たちを呼び込むのかもしれない。覗きの犯行現場が帰宅部広報担当により拡散されてからは「Stork様ステキ! 抱いて!」といった声はさすがに聞こえなくなったが、彼の楽士としての人気はいまだ健在だ。温泉の利用客は少なくなろうとも、屋台のスペースは相変わらず繁盛している。
……と、ポケットから顔を出すアリアは、周囲を見渡しながらそんなことを考えて、視線を再び正面へと戻した。詩帆の心配そうな声が頭上から降ってくる。
「――笙悟、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。って言いたいところだけどよ……」
応じる笙悟は、縁台に腰を下ろしてぐったりしている。エントランスに足を踏み入れた時から顔を引きつらせていたが、今は一目で不調を見て取れるほどに顔色が蒼白い。楽士捜索の際、平然とうろついていたのはあくまで部員たちの手前そう振る舞っていただけで(まぁ琴乃あたりには勘付かれていそうだし、彩声にはしっかりバレているわけだが)、実は相当に無理をしていたらしい。
詩帆が指先でアリアの頭をつつく。アリアはその意図を察してポケットを抜け出した。
「私、何か飲み物買ってくるね。アリアは笙悟についててあげて」
「OK、部長。アタシに任せちゃって!」
我らが帰宅部部長の決断は早く、迷いがない。すでに踵を返していた詩帆は、アリアの言葉の半分を背中で受け止め、すぐに人混みの中に紛れ込んでいった。いつものポジションを失い、アリアは手持ち無沙汰に笙悟の肩の辺りをふよふよと漂う。
「うーん、ショック療法になるかと思ったんだけど、笙悟にはまだ難易度が高すぎたみたいだね」
「ショック療法だぁ?」
険のある顔つきは目をくれるだけでなかなか迫力があるのだが、笙悟は弱々しくうなだれて強面に似つかわしくない溜息をついた。
「はぁ……勘弁してくれよ。マジで……」
「でもさー、社会復帰目指すんなら、メビウスにいる間に慣れてた方がいいじゃん?」
「…………」
ぐっと言葉を詰まらせる笙悟。どうやらアリアの一言は彼の痛いところを的確に突いたらしい。しかし、人間をサポートするために――音楽活動専門ではあるが――生み出されたバーチャドールとしては、ここで黙ってはいられない。
「ほら、彩声だって鍵介と維弦に協力してもらってたでしょ? YOUも帰宅部の女子に付き合ってもらって苦手克服しちゃいなよ!」
「あのなぁ、それで温泉ってな、いきなりハードルが高すぎんだよ」
「琴乃ならどうなんよ。付き合い長いらしいじゃん、誘ってみれば?」
「長いつっても一年くらいだが……んな怖ぇことできるかよ……」
「あー……うん。ごめん。今のは無理言った」
「だいたい、部長じゃなきゃこんなとこ来ねぇっつうの」
うんざりしたのを隠しもせずに吐き出され、ハイハイとうっかり聞き流しそうになった後で、アリアは頭の中でそのフレーズをもう一度反芻した。
…………うん? それはつまり
「お待たせ。はい、笙悟」
「ああ、わりぃな。ありがとよ、部長」
「どういたしまして」
戻ってきた詩帆と笙悟のやりとりをぽかんとしたまま見守っていると、「アリア、どうしたの?」、詩帆が眉を下げて問いかけてくる。
「もしかして、アリアも調子悪い?」
「あ、ううん、アタシは何ともないってば!」
今の、主語はどっちなんだかなぁ……
尋ねる機会を失ってしまったが、言わぬが花ということにしておこう。そう結論付けて、アリアは再び詩帆のポケットにおさまった。
※温泉までたどりつけない